2007/03/13 - 2007/03/16
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■九州ほぼ一周の旅
●長崎平和公園
平和公園は、長崎県長崎市松山町に位置する公園です。
1945年8月9日に投下された原子爆弾落下中心地と、その北側の丘の上とを含めた地域に、平和を祈って設けられました。
【手記】
九州ほぼ一周?旅行のスタートです。想い出深い長崎を巡り回りました。・・・結婚30周年、想い出さがしのひとり旅です。
いつもは思い立ったらすぐ飛び出してしまう性格なのですが、今回の旅行は『長崎』にはとても深い思いがあり、昨年からずっと計画を暖め続けていました。
佐世保大塔インタからハウステンボスに少し立ち寄って、それから長崎市内まで南下していきました。
市内では、妻共々学生時代お世話になった大学の先輩にお会いし、懐かしい平和公園・如己堂など観光して、30年ぶりにグラバー園・大浦天主堂へ足を運びました。
翌朝、長崎市内から有明方面・多比良港・雲仙普賢岳・原城跡へ。
口之津フェリー乗船、天草五橋通過、八代市内想い出の場所を歩き、八代から九州道へ乗り人吉駅まで行きました。
人吉から川内戦国村・霧島・えびの高原・五家荘・通潤橋・天岩戸神社・・・へとひとり旅は続きます。
妻との想い出がある場所へ行き、そこに立ちたい気持ち、元気なうちに自分の足跡を残しておきたいと言う気持ちでいっぱいです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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■九州ほぼ一周旅行
●山陽道佐波川PA
いつもは思い立ったらすぐ飛び出してしまう性格なのですが、今回の旅行は『長崎』にはとても深い思いがあり、昨年からずっと暖め続けて計画したひとり旅でした。 -
■九州ほぼ一周旅行
●関門峡和布刈公園
このひとり旅の計画は「九州ほぼ一周の旅」です。
午前4:00に出発ゴーです。
想い出深い関門峡和布刈公園へちょっと寄ってみました。 -
■九州ほぼ一周旅行
●和布刈神社
和布刈(めかり)公園は瀬戸内海国立公園の西端に位置します。
本州との間を隔てる関門海峡の、激しい潮の流れの早鞆(はやとも)瀬戸が望める、九州側の丘陵地です。
この場所で妻と写っている30年前の写真が残っています。 -
■九州ほぼ一周旅行
●関門橋
ご存知、関門海峡は本州の下関市と九州の北九州市を隔てる海峡です。 -
■九州ほぼ一周旅行
●関門橋
この場所を訪れたのは1977年3月28日で、ちょうど30年前のことです。
関門橋は我が国最先端の技術を駆使して1973年に完成。完成当時は東洋一の長大吊橋でした。
-
■九州ほぼ一周旅行
●大塔インタOFF
このひとり旅の目的は「想い出さがし九州ほぼ一周の旅」です。 -
「ハウステンボス」へ
■ハウステンボス(Huis Ten Bosch)
長崎県佐世保市にある、オランダの街並みを再現して作られたテーマパークです。
現在はオランダのみならず、ヨーロッパをテーマにしているようです。 -
「ハウステンボス」
昨年の3月に妻と訪れたばかりです。道程上、ちょっと寄りました。
「ハウステンボス」(Huis Ten Bosch)とはオランダ語で「森の家」という意味です。 -
「ハウステンボス」
ちょうど1年前に訪れた時に止めた駐車場です。 -
「ハウステンボス」
これから長崎市へ向けて出発です。 -
「新西海橋」
新西海橋は、長崎県佐世保市の針尾島と西海市との間にある伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)にかかる橋です。
2006年3月5日に開通しました。 -
「旧西海橋」
西海橋(さいかいばし)は、1955年につくられました。
新西海橋走行中写! 危ないので真似をしないように。 -
「オランダ村跡前にて」
1983年に開園した長崎オランダ村は、ハウステンボスのサテライトパークとして営業を続けましたが、ハウステンボスの経営不振などによって2001年10月21日に閉園しました。
-
「オランダ村跡前にて」
“兵どもが夢の跡”って感じです。
人気絶大、賑わっていた時がありましたね。 -
■九州ほぼ一周旅行
●長崎平和公園
平和公園は、長崎県長崎市松山町に位置する公園です。
1945年8月9日に投下された原子爆弾落下中心地と、その北側の丘の上とを含めた地域に、平和を祈って設けられました。面積は約18.6ha。 -
「長崎平和公園」
●平和祈念像
妻と訪れたのは、ちょうど10年前の1997年3月です。 -
「長崎平和公園」
●平和祈念像
郷土出身の彫刻家・北村西望氏の作で、昭和30年(1955年)に完成。 -
「長崎平和公園」
●平和祈念像
像の高さ約9.7m、重さ約30トンの青銅製だそうです。 -
「長崎平和公園」
●平和祈念像
右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る…と作者の言葉が台座の裏に刻まれています。 -
「長崎平和公園」
●平和祈念像
10年前の1997年3月に訪れたときのものです。 -
「長崎平和公園」
●折鶴の塔
当時、被爆地には魚雷や戦車などを生産する多くの軍需工場があり、動員学徒、女性挺身隊と呼ばれた中学生や女学生をはじめ、多くの人々が働いていました。
-
「長崎平和公園」
●長崎の鐘
長崎の鐘は、33回忌にあたる1977年にここで亡くなった方々の冥福を祈るためにつくられたものです。 -
「長崎平和公園」
●平和(ソビエト社会主義共和国連邦)
この像は、ゾヴィエト社会主義共和国連邦から長崎市が計画している「世界平和シンボ ルゾーン」建設の主旨に賛同し寄贈された平和の像です。
母親が子供を抱いた姿で、愛とともに平和を表現しています。 -
「長崎平和公園」
●平和の泉
水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り、昭和44年(1969年)につくられたものです。 -
「長崎平和公園」
懐かしいです。でも写りが悪いな。
(●`ε´●) ぶー
コンパクトデジカメの写りは限界がありますね。
便利なのでフルオートで任せっきりです。
長い間一眼レフを使っていたので、こんどイチデジを揃えましょう。 -
「長崎平和公園」
10年前か。なんともいえない寂しさが襲ってきます。
結婚30周年、わたしひとりで旅をしています。 -
「長崎平和公園」
「カフェクリスタル」坂の途中にあります。
10年前、妻と入った想い出あるカフェです。 -
「カフェクリスタル」
-
「如己堂」
●サントス通り
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市に落とされた原子爆弾に多くの市民とともに被爆し、白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続けられた永井隆博士の記念館です。
原爆に関する医学的な研究と多くの著作を残した永井隆博士が過ごされた畳2枚の小さな住居「如己堂」および博士の遺徳をしのんで建てられた「長崎市永井隆記念館」があります。 -
「如己堂」
●サントス通り
そして、この地は長いキリシタン弾圧に耐えた、浦上地区のキリスト教徒の惣頭の家「帳方屋敷」跡でもあります。 -
「如己堂」
長崎医科大学物理的療法科部長としての診療と研究による放射線障害と原爆による障害のため、病床にあった永井博士のために1948(昭和23)年春、浦上の隣人たちが博士に贈った2畳一間の家だそうです。
-
長崎「如己堂」
●永井隆記念館
「永井隆博士辞世の句」
“ 白ばらの花より香り立つごとく
この身をはなれ昇りゆくらむ ” -
長崎「如己堂」
博士は、家を建ててくれた人々の心を忘れず、自分もこの愛に生きようと、聖書の「己の如く人を愛せよ」の言葉から、「如己堂」と名づけました。 -
長崎「如己堂」
博士は、43歳の生涯を閉じた1951(昭和26)年5月1日まで、書斎兼病室として2人のお子さんとともに、ここに住んでいました。 -
長崎「如己堂」
永井博士は、1948(昭和23)年、原爆で「あれの」になった浦上を「花咲く丘」にしようと、桜の苗木1,000本を浦上天主堂、山里小学校、城山小学校および民家などに贈りました。
今なお「永井千本桜」と呼ばれています。 -
長崎「如己堂」
●永井隆記念館
1972(昭和47)年4月、永井博士の崇高な精神と偉業を永く記念するために、永井記念館と改称されました。 -
長崎「如己堂」
●永井隆記念館
妻と訪れたのは、ちょうど10年前の1997年3月でした。
如己堂の右に位置する記念館は、2000(平成12)年4月に改築されたそうで、長崎市永井隆記念館となり、1階が展示室、二階が図書室となっていました。 -
長崎「如己堂」
●永井博士が言われています。
「如己堂は、二畳ひと間きりの家、北側の壁に香台、本だなを取りつけ、その下に幅2尺長さ6尺の寝台を置いてここに私は身を横たえている。
西側は一面の白壁、何の飾りもない。東と南はガラス戸で、草に埋もれる原子野を隔てて浦上天主堂にに向かう・・・。 -
長崎「如己堂」
・・・この家を狭いと思うは、なまじ敷居で庭と仕切って、この部屋をわが物ときめた人間がみずから招いた窮屈・・・・・・寝たきりの私と幼い2人の子とが、ひっそり暮らすにふさわしい小屋である」と永井博士が言われています。 -
「平和公園駐車場」
出入り口。地下に大きな駐車場があります。 -
「長崎市内電車軌道」
電車軌道、平和公園・原爆…広島とよく似ています。 -
「長崎水辺の森公園」
●近くの「出島交流会館」
大地の広場 -
「長崎水辺の森公園」
●近くの「出島交流会館」
10年前に妻と宿泊した公務員専用?のホテルです。
当時は出島会館と言ってました。 -
「ながさき出島道路」
●オランダ坂トンネル
数年前に開通しました。 -
「長崎大学歯学部」
昨年、妻といっしょに訪れました。 -
「長崎大学歯学部」
1年前、2006.3.11の写真です。 -
「浦上天主堂」遠景
長崎市の観光名所のひとつ。 -
「長崎大学医学部」
-
「ホテル東横イン長崎」
●ロビー
今日は少し疲れましたので先にチェックインしました。 -
「ホテル東横イン長崎」
●シングル部屋
昨年も妻とふたりでこのホテルに宿泊しました。
今回は私ひとりですが・・・。
早いもので1年が経ちました。涙そうそうです。 -
「ホテル東横イン長崎」内部
一時問題になった影響でしょうか?応対・サービスが大変良いですよ。 -
「長崎思案橋」
再訪です。1年前と同じ居酒屋さんへ向かいます。
おもかげ探して・・・。 -
「長崎思案橋」
●居酒屋のマスター
このお店には想いがありました。昨年、私が妻と来たことを覚えておられました。 -
「長崎思案橋」
●居酒屋
店内の雰囲気 -
「長崎思案橋」
●居酒屋にて
大学時代、妻共々良くして頂いた先輩と。1年前と同じ席です。 -
「長崎思案橋」
●居酒屋さん
また来ますからね。 -
「東横イン」
長い1日が終わりました。ホテルへ。
-
「グラバー園」
明日は30年ぶりにグラバー園へ行きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 徒然さん 2008/01/22 13:50:03
- 46年前に行きました
- S37年ごろ会社の夏休みを利用して九州一周(当時の国鉄周遊券利用)
しました もう一度行ってみたいです無理でしょうか
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2008/01/27 09:11:22
- RE: 46年前に行きました
- 徒然さんへ
返事遅くなりました。
S37年ごろと言われましたら、私が10歳のときです。
その頃の九州は、新幹線はもちろん、高速道路もない時代ですから汽車・バス移動に大変時間がかかったでしょうね。。(全国そうでしょうが…)
もっとも映画「寅さん」のようなローカルな旅も味があって、想い出に重く残ると思います。
古いアルバム提げて、1度訪れたところに再訪する、なかなか良いもんです。
それでは失礼します。
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