2007/03/13 - 2007/03/16
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡
天草四郎で有名な徳川幕府治政下では最大の反乱だった島原の乱(1637)の一揆軍がたてこもり、3万7千人は悲惨な最期を遂げた原城跡です。
【手記】
長崎市内から30年ぶりの有明方面・多比良港、10年ぶりの雲仙普賢岳・砂防みらい館・原城跡へ。口之津フェリー乗船、雲仙から八代まで愛車を走らせました。八代市内想い出の場所を歩き、八代から九州道へ乗り人吉駅まで駆け抜けました。
人吉から川内・霧島・えびの・五家荘・通潤橋・天岩戸神社・・・へと旅行は続きます。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 自家用車
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■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡へ
ここも妻と訪れて以来、ちょうど10年ぶりです。 -
■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡
原城は島原の乱のとき天草四郎率いる一揆軍がたてこもり、3万7千人は悲惨な最期を遂げた城です。 -
■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡 徳川幕府治政下では最大の反乱だった島原の乱(1637)で一揆軍がたてこもり、3万7千人は悲惨な最期を遂げたのです。 -
「原城跡」
城跡には天草四郎の像と墓があります。
●島原の乱
小西行長の家臣の子孫といわれる天草四郎を総大将とし、組織だった籠城戦を展開し幕府軍と戦闘を繰り広げました。 -
「原城跡」
普賢岳遠景
●島原の乱
一揆側は3ヶ月に及ぶ籠城には兵站の補給もなく、弾薬・兵糧が尽き果ててきました。 -
「原城跡」
●島原の乱
幕府軍も1千人もの戦死者を出しながらも、新手を投入し遂に、寛永15年(1638年)2月27日から28日(新暦4月11日〜12日)にかけての総攻撃で一揆軍を壊滅させました。 -
「原城跡」
●島原の乱
幕府軍は戦後、原城を徹底的に破壊しました。島原藩主松倉勝家は乱を引き起こした責任から、大名としては前例のない罪人としての扱いである斬首に処せられました。 -
「原城跡」
ここも10年ぶりの訪問であり、結婚30周年でもある、想い出さがしのひとり旅です。 -
「原城跡石碑」
●原城跡の石碑
相当古そうな碑文ですが。
乱後320年の記念碑として、昭和32年5月25日建立。
碑文には“信仰に生き抜いた殉難者のみたまに対して限りない敬意と哀悼の年を禁じ得ない…”とあります。 -
「原城跡」
有明海に面した高台に位置し、周囲4キロの三方を海に囲まれた難攻不落の天然の要害でした。 -
「原城跡」
1496年、八代目領主有馬貴純によって築かれたといわれる城です。 -
「原城跡」
●音声付き案内板
10年前に音声ボタンを押して聞いた記憶があります。が、もう壊れているのか作動しませんでした。 -
「原城跡」
以前は車で跡地まで上がってこれました。 -
「原城跡」
●天草四郎像
天に向かって祈りを捧げる天草四郎像。16歳でこの地に散った少年です。 -
「原城跡」
●天草四郎像
天草四郎時貞、本名を増田時貞といい、関ヶ原の決戦の後、帰農してしていた小西行長の遺臣・増田甚兵衛の子と言われています。 -
「原城跡」
●天草四郎像
また、洗礼名はジェロモニ、またはフランシスコなどとも言われています。
比較的恵まれた幼少時代を送り、教養も高かったと言われ、長崎へ行って勉強したこともあるが、詳細は不明だそうです。 -
「原城跡」
●十字架の塔
天草四郎時貞を総大将とする3万7000人のキリシタン農民の死を悼んで、白い十字架の塔があります。 -
■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡
原城は有明海に面した高台に位置し、周囲4キロの三方を海に囲まれた難攻不落の天然の要害でした。 -
「原城跡にて」
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■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡
遠景 -
■九州ほぼ一周旅行■
●原城跡
妻と訪れたのがちょうど10年前です。 -
「原城跡」
10年前はこの道から上がってきました。当時と誘導道路が変わっています。 -
「原城跡をあとにして」
公園にて休憩。何処でしょう?
遠くに原城跡が見える場所です。 -
「口之津−鬼池フェリー」
フェリーに乗って、天草五橋へ向かいます。 -
「口之津−鬼池フェリー」
天草五橋へ向かいます。
妻のために原城で摘んだ菜の花を飾りました。 -
「口之津−鬼池フェリー」
先頭乗船になりました。
島原の口之津町と天草の鬼池港をむすぶフェリーで、正式には島鉄フェリーと言います。 -
「口之津−鬼池フェリー」
鬼池港まで航海時間はわずか30分間です。 -
「口之津−鬼池フェリー」
●天草五橋
熊本県宇土半島先端の三角から、天草諸島の大矢野島、永浦島、池島、前島を経て天草上島までを結ぶ5つの橋の総称で、1966年(昭和41年)9月24日に開通しました。 -
「天草五橋」
●大矢野橋
天草五橋の2号橋。永浦島との間の満越ノ瀬戸に架かっています。 -
「天草五橋」
何処でしょう? -
「天草四郎メモリアルホール」
上天草市大矢野町。 -
「天草五橋」
●天門橋
天門橋は、熊本県宇城市の宇土半島と同県上天草市の大矢野島との間の三角ノ瀬戸に架かる橋です。 -
「天草五橋」
口之津でフェリーに乗船して、雲仙天草五橋から八代まで愛車を走らせました。
八代市内の想い出の場所を歩いてきました。 -
「道の駅 不知火」
不知火町は天草に通じる半島の付け根部分に位置し、山と海に挟まれた町です。
八代海(不知火海)に面しており、毎年8月下旬から9月上旬の午前1時〜3時半頃の干潮時に海に現われる神秘の火を不知火(しらぬひ)といい、町名になっています。 -
「人吉駅前」
八代駅から九州道へ乗り、人吉駅まで愛車を走らせました。
次の旅行記ファイルは「人吉市・幽霊寺」です。
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