2007/07/17 - 2007/07/17
1160位(同エリア3286件中)
前日光さん
東照宮美術館から、直線距離で東北方向へ150mほど
行くと、勝道上人をまつる「開山堂」があります。
なにしろこの日は雨、東照宮を一歩出ると、そこは
人っ子一人いない山道。降り止まぬ雨、どうしょうか、
滝尾神社に向かおうとしていたのですが、このうら寂
しい山道で事件にでも巻き込まれたら…と妄想はふく
らみ、くじける寸前に目の前に飛び込んできたのが
古そうな鳥居。(いつだったか忘れましたが、来た
ことはあるのです。滝尾神社だって、初めてではあ
りません。)
去年の夏、出雲の黄泉比良坂で体験した恐怖の感
覚が蘇りました。
こわ〜(T_T)
PR
-
鳴龍で有名な「本地堂」(ほんちどう)は
今回はカットしました。
滝尾神社(たきのおじんじゃ)に行こうと
思ったからです。
美術館方面に向かう道は誰一人歩いてい
ませんでした。
東照宮から少しずれると、このように静か
なのです。 -
この辺りを歩いていると、絶え間なく
水の流れる音がします。
この花の下には、澄んだ水の流れがありました。 -
このような流れが、至る所に見られるのも
日光の特徴です。 -
社務所の傍を通り過ぎ、「散策コース」と
矢印のある辺りを歩いたのですが、すれ違
ったのは、工事用の車輌1台のみです。
たしかに今日は火曜日で、天気は雨です。
それにしても、もう少し人間がいてもよい
のでは?などと思い、またこの山道で事件
にでも巻き込まれたら、助けてもらえない
だろう…などと非現実的なことを考えてし
まうほど、森閑としていました。
引き返そうかと迷っているうちに、目の中
に飛び込んできたのが、この鳥居です。
鳥居オタクの私ですが、正直この神社は
ちょっと怖かったです。
ここは勝道上人を祀った「開山堂」南側に
ある「観音堂」なのです。
なぜか「香車」の駒が数多く奉納されてい
ます。将棋で香車は直進する駒なので、妊
婦がこれを借りると安産できるという信仰
がある由。 -
それでも鳥居はまだ明るいから良かった
のですが、鳥居の彼方には切り立った断
崖、そしてその下には「六部天」(ろく
ぶてん)が祀られている仏岩(ほとけい
わ)があったのです。
もうずいぶん前、もっと天気の良い時に、
訪れた記憶は確かにあるのですが、とに
かく今回は、雨のためにこの暗さです。
しかもここは往来からは見えない奥の
場所にあります。
この背後には、勝道上人のお墓もあるの
です。
こわ〜(T_T) ドラマだと背後から怨霊の
手が伸びてきそうではありませんか! -
それでも、好奇心の方が勝っていたと見え、
六部天をとにかく、カメラに収めようとして
夢中でシャッターを切りました!
六部天とは、梵天、帝釈天、四天王のうちの
3体と不動明王だそうです。 -
古代中国の「兵馬俑」のようです。
供えられた花だけは、妙に新しくてそれが
また生々しく感じられました。 -
これは「阿修羅」のように、顔が3面に
あります。 -
これは片腕がありません。
-
これも中国っぽいです。
-
これは、比較的整っているでしょうか?
とにかく早く撮ってしまおうとしたので、
ピントもアングルも考える余裕はありま
せんでした。 -
石柵の中は勝道上人とその弟子の墓、背後の
建物が「開山堂」です。
仏岩は、この左側にあります。 -
勝道上人のお墓だけ写してみました。
ちなみに「勝道上人」(しょうどうしょう
にん)とは、奈良時代末期から平安時代
初期の僧で、日光山を開き、中禅寺を建て
たと伝えられる人です。 -
これは六部天の上の断崖です。
-
この岸壁に、かつて仏の姿をした岩が並んで
いたそうです。
しかし地震で崩れ、消失したとのことです。 -
これは、仏岩や六部天の説明です。
-
これは、観音堂の隣にある陰陽石(おんよう
せき)です。
池の中にあるように見えますが、普通は水は
ないようです。雨の多いこの時期だから、水
の中のように見えるのでしょう。 -
「陰陽石」の碑です。
この近くには、元禄2年(1689)、松尾
芭蕉が訪れた「養源院跡」もあるそうです。
でも今回は、一刻も早くこの場を立ち去り
たいという思いでいっぱいでした。 -
「陰陽石」の説明です。
これをそそくさと撮り終え、往来に戻ろう
とした時に、やっと4,5名の女性のグル
ープがやってきました。もう少し早く来て
ほしかった!などと、一方的に彼女たちを
心の中で責め、「こわいですよう〜」と脅
かして、元来た道を戻りました。
滝尾神社は、次回に行くことにしました。
正直言って、もう午後の1時を回っていた
ので、お腹がすいていたのです。 -
美術館前に戻りました。
雨模様とはいえ、これくらい明るければ、
恐怖感もないのですが、それにしても「
開山堂」は怖かったです。 -
この美術館の見所は、なんと言っても
障壁画です。昭和4年、横山大観の企画で、
中村岳陵・荒井寛方・堅山南風の3画伯が
70日間社務所に泊まり込んで、大小51点
の絵を完成させました。
なかでも、皇室或は徳川宗家の参拝時に使用
される上段間には、大観が金色の雲と朝日を
描いた「朝陽之図」があります。社務所は
東南に向いて建ち、太陽は日の出の位置に描
かれているのです。
昔は一般には公開されていなかったように思
うのですが、(しかも美術館ではなく、単に
社務所と言っていたように記憶しています。)
現在は見ることができるようですね。
上段の間は昭和57年、昭和天皇の行幸の
際、休憩室となり、私は20年くらい前に、
(一般公開される前)、この大観の「朝陽
之図」を見る機会に恵まれ、天皇様のお座
りになった椅子も拝見することができたの
です。
大観の描く「朝陽」は、たいへん印象に残
っていて、素人の私でもすばらしい!と思
いました!(^^)!
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
前日光さんの関連旅行記
日光(栃木) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21