2007/03/15 - 2007/03/15
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スキピオさん
なんど歩いても、モンマルトルの街は飽きない。この度は「サン=ヴァンサン墓地」を見学しながら、丘に登った。
写真は「ルピック通り」と「ノルヴァン通り」の交差点にある、落書き芸術家メスナジェの作品。モンマルトルによく似合う。
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【ノートル=ダム・ド・クリニャンクール教会】
丘の北側にある教会から、モンマルトルの丘を目指して散歩。 -
【ナポレオンIII世と妃ウージェニ・モンテイホ】
この教会はナポレオンIII世の私費が投じられて、1861年に建立された。
皇后ウージェニーはスペイン貴族の出で、少女の頃、作家のメリメ(1803-70 『カルメン』の作者)やスタンダール(1783-1842 『赤と黒』の作者)にかわいがられた。そのため、メリメはウージェニーの推挙により、第二帝政時代は上院議員となる。
彼女はこの教会に家具調度や祭式用の装飾などを奉納している。
そのせいかどうかわからないが、彼女は94歳の長寿をまっとうした(1826-1920)。そのかわり、普仏戦争後、夫のナポレオンに先立たれ(1808-1873)、息子の戦死(ボーア戦争 1899-1902)にも立ち会わねばならなかった。 -
【ピエタ】
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【18区の区役所】
教会の正面に18区の区役所がある。その区役所の隣の道が、モンマルトルの中心地「テルトル広場」へと導く「モン・スニ通り」だ。 -
【だまし絵のある建物】
モン・スニ通りはおもしろい。 -
【コランクール通りとラマルク通りの二股の建物】
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【サン=ヴァンサン墓地】
コランクール通りを少し行くと左側に墓地がある。
はるかに、「サクレ=クール聖堂」の丸屋根が望める。 -
【マルセル・カルネの墓】
マルセル・カルネ(1906-96)は我がスキピオの旅行記になんども出て来た偉大な映画監督だ。たぶん、映画史上最大、最高の監督と言っても過言ではないだろう。映画通336人に過去の映画作品のベストを選ばせたところ、文句なしに彼の作品『天井桟敷の人々』が選ばれた(『洋画ベスト150』文春文庫)。映画通が選べば当然の結果だろう。
彼の他の作品『北ホテル』も捨てがたいが・・・ -
【マルセル・エメの墓】
マルセル・エメの作品はだいぶ以前から日本でも紹介されていた。特に岩波少年文庫所蔵の『鬼ごっこ物語』は童話作品の傑作だろう。オリコウさん(になろうとしている)の姉妹が主人公で、他に登場するのはほとんど動物たちだ。『牛』という物語では、「学問は大切だ」と教わった姉妹は牛にも学問を教える。すると学問好きになった牛は、自分の置かれている状況に疑問を感じだして・・・さてその先は?
犬、オオカミ、田舎を舞台にした珠玉の短編集だ。 -
【マルセル・エメ広場】
もちろん、彼の有名な作品『壁抜け男』も忘れられない。これも『鬼ごっこ物語』と同じ童話作品と言ってもいいだろう。大人の童話だから、救いがないのはどうしようもない。壁から抜けられなくなった主人公は、永遠にモンマルトルに・・・ -
【ドゥブレー家の墓】
19世紀始め、ドゥブレー家はモンマルトルの丘にあった2基の風車を買い取り、そこで粉屋を始めた。
時代も下り、世紀末ともなるとモンマルトル界隈も様変わりした。ドブレー家も時代の波に乗ろうとしたのか、粉屋を廃業して、そこをギャンゲット(踊れる飲み屋)としたのだった。それが大当たり!!!
ルノワールが、ゴッホが、ロートレックが次々と筆を手にとり、キャンパスにその店を描いた。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、モンマルトルの看板だったのだ。
ちなみに、名の由来は「ムーラン」は風車のことだから当然として、「ギャレット」とは、ドゥブレーがそこで出したつまみの小さなパン菓子(ギャレット)からきているとか・・・ -
【ロラン・ドルジュレスの墓】
作家ドルジュレス(1885-1973)は戦前を代表する作家、『木の十字架』が代表作。 -
【ユトリロの墓】
お目当ての画家や作家の墓を目指して、墓地をうろつき、やっとその墓を見つけた時、人はさまざまな印象、感情を持つだろう。お目当ての画家や作家に対する思いが強ければ強いほど、その墓を見た時の喜び、満足感、違和感、失望感がはっきり出るかもしれない。
このユトリロの墓を見たとき、不思議な違和感を覚えた。僕の思い込みかもしれないが、彼の絵のイメージはどうしても横に立つヘレニズム的な彫像としっくりこないのだ。ユトリロとヘレニズム、僕の知らない関係があるのかもしれない。
それにしても、やはり言いたい。モンマルトルとヘレニズムもひどい不協和音のように聞こえる。 -
【ユトリロの墓】
ユトリロの墓は茶色の石、左側は十字架だった。
と、ここまで見ていて、ふと思ったのは、ヘレニズムがユトリロと合わないというよりも、この違和感は、もしかするとこの十字架に原因があるのかもしれない。つまり、十字架とヘレニズムが合わない。もっと言えば、このキリスト教的な墓地にヘレニズムが似合わないのだ。
そう考えると、へそ曲がりのユトリロがここでわざと不協和音を出して演奏しているとも思えて来る。
[ふと思い出したが、「マドレーヌ教会」がヘレニズムの建築様式だった。もっとも、あの教会はもともとは教会のためではなく、ギリシャ・ローマ風の神殿として建設されたのだが] -
【サン=ヴァンサン墓地から「ラパン・アジル」】
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【サン=ヴァンサン墓地からサクレ=クール】
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【ウージェーヌ・ブーダンの墓】
画家ブーダン(1824-98)は、言うまでもなく印象派の巨匠。彼はノルマンディーのオンフルール生まれだからだろう、海の絵は他の追随を許さない。
詩人ボードレールの称賛を浴び、クールベと親交を持ち、印象派展で抜きん出る。
そんな名誉につつまれた彼がパリで死を迎えようとした時、「海を見たい」と言ったそうだ。そこで、彼は愛するドーヴィルの町に移送されて、海を見て息を引き取った。
ここモンマルトルから海は見えないが、ブーダンは死の間際に焼き付けた海のイマージュを見続けていることだろう。 -
【シュザンヌ・ガブリエロの墓】
シュザンヌ(1932-92)はシャンソン歌手、特にジャック・ブレルとは仲が良かったとか・・・
ブレルの傑作『行かないで』は彼女との別れから作られたらしいが、実は別れていったのは、ブレルのほうだったらしい。
それにしても、あのブレルの感情移入そのままの歌が、逆だったとは・・・ -
【サン・ヴァンサン通り】
この美しい通りを少し行くと「ラパン・アジル」がある。 -
【ペクール広場からジラルドン通り】
この階段を登ると・・・ -
【ダリダ広場】
モンマルトルの歌姫の像。 -
【アブルヴォワール通り】
ダリダ広場からサクレ・クールを望む。 -
【カルヴェール広場の演奏家】
昼食はこのミュージシャンの演奏を聴きながら、この広場のベンチで豪華に(?)サンドウィッチを食べました。 -
【カルヴェール通り】
モンマルトルの魅力はこの階段だ。 -
【テルトル広場】
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【アザイス通り近くの像】
サクレクールの隣にある何気ない像だが、「1766年7月1日、宗教儀式の行列に敬意を示さなかったために、19歳で処刑された、シュヴァリエ・ド・ラ・バール」に捧げる、と書かれている。
18世紀半ば過ぎ頃、まだこんな蛮行が行われていたのか。それともこの事件がよほど珍しかったから、犠牲者の像が立っているのか。
この青年のやんちゃそうな表情を見ると、彼が信心家たちをからかった様子が目に浮かぶ。 -
【サクレ・クール下のにぎわい】
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【サクレ・クール】
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【リヴングストン・ドルセル通り】
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【リヴァングストン・ドルセル通りから】
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【ポール・アルベール通り】
この通りをまっすぐ行くと voodoo さんが、紹介なさっている「コタン通り」に行き着く。まさに、ユトリロの世界。
サクレ・クールの完成は1912年、ユトリロはこの出来上がったばかりの真っ白な聖堂が好きだったのだろう。
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この旅行記へのコメント (8)
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- wiz さん 2007/07/12 23:26:52
- 楽しい散策
- スキピオさん、
ちょっとご無沙汰してました〜
お元気ですか?
ノートル=ダム・ド・クリニャンクール教会、
18区役所(モン・スニ通りすぐ隣でしたよね!
私もここでモン・スニ通り確認しました、笑)
サン・ヴァンサン墓地、アヴルヴォワール通り etc・・・ 楽しい散策♪
サン・ヴァンサン墓地からもサクレ・クールの後姿よく見えましたよね!
私もまた墓地巡りをゆっくりしたいです〜。
ノートル=ダム・ド・クリニャンクール教会、
私この廻りを一周したんですけど、
どうも入れる気配がなくてあきらめたんです・・・
ここの前はいつもメリーゴーランド?があるんですかね〜(笑)
- スキピオさん からの返信 2007/07/13 17:52:49
- RE: 楽しい散策
- voodooさん、遊びに来てくださり、ありがとう。そこであらためて、voodooさんの「モンマルトル」を拝見しましたが、僕の「そぞろ歩き」は違って、voodooさんのは、散歩と観察、はるかに充実しています。また、ユトリロに対する愛情が感じられます。
ラパン・アジルにはかつて一度入ったことがありましたが、一緒に歌えと、歌手の方に言われてまいったことがあります。僕はとんでもない「音痴」なもので・・・
それにしても、モンパルナスはいいですね。
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- パルファンさん 2007/07/11 22:08:28
- すいこまれそう・・
- スキピオさん、こんばんは、
この、アブルヴォワール通り、パリの何気ない街並・道の写真
でも、とっても懐かしい・・行ったことはないのに・・
向こうに吸い込まれそう。
拡大してみると更にいいですねー
ユトリロのお墓考、これも拡大し、よーく見ると・・
まず台座が斜めなのですね。斜面だから?
ヘレニズムに違和感があるというより、高さのバランスが良くない?
ミニチュアドーモの様なお墓だったら?
でも、それは、ユトリロのイメージでも無いし・・
ま、人様のお墓を観賞の対象にするのは、失礼な!って出てきそう・・
又、製作中のところおじゃましてしまいましたー
- スキピオさん からの返信 2007/07/12 08:01:26
- RE: おはようございます。
- パルファンさん、おはようございます。
おっしゃるとおり、「アブルヴォワール通り」からのサクレ・クール(ダリダの視点)はいいですね。まさに、ユトリロの世界です。絵心のない僕にはもったいない風景です。きっとパルファンさんなら、すてきな水彩画になるでしょう。
ところで、そのユトリロの墓ですが、この墓地自体は斜面にありますが、もちろん墓石は水平になっています。
ヘレニスムとクリスチャニスム、この相反する(敵対する?)ふたつの美意識の混在はほかにもあるのかどうか、今度は気をつけて観察したいと思います。
作成中にも関わらず、遊びに来てくださり、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
- パルファンさん からの返信 2007/07/13 18:48:41
- RE: すいこまれそう・・
- スキピオさん
あぁ、とっても難しそうなことになってきました〜
<ヘレニスムとクリスチャニスム、この相反する(敵対する?)ふたつの美意識の混在・・>
それぞれ独立には、耳にしているけれど・・
この相反する・・以下は??の連続です。
でも、きっとこの様な歴史・文化形成を熟知していらっしゃるから、人を唸らせる
旅行記ができるのでしょうね・・
これからも、読んでは忘れていくことの多くなったパルファンですが、
大いに学ばせてください。よ・ろ・し・く
- スキピオさん からの返信 2007/07/15 10:21:37
- RE: おはようございます。
- パルファンさん、おはようございます。
面倒なカタカナ言葉を使って申し訳ありません。
要するにヘレニスムは古代ギリシャ的な美的価値観のこと、その価値観はキリスト教からすれば、ゼウスやアポロン・デュオニソスを神と仰ぐ邪教です。ですから、中世においてそれは「火あぶり」に値する異端ということになります。
オリンピック競技を始め、中世のキリスト教はギリシャ的なもの(ヘレニスム)を徹底的に弾圧し、一掃しようとしました(中世の時代)。ヘレニスムのほうは別にキリスト教をあまり敵視したとは思えませんが・・・
いずれにしても、十字架とヘレニスム、珍しい気がします。もっとも19世紀も末になると、時代が時代ですから、なんでもありでしょうが(オリンピックの復活・・・クーベルタン)。
そんな、こんなで美術は楽しい、です。
[追記] ふと思い出しましたが、「マドレーヌ教会」は建物がヘレニスム様式(ネオ・クラシック)の教会ですね。でも、もともとはナポレオンが帝国陸軍を賛美するためにまさにギリシャ的な神殿を作ろうとしたものです。ところが、完成前に彼は失脚し、のちのブルボン家はそれを教会にしました。ちぐはぐなのはそのためですが、あれはあれでかえって美しいですね。
- パルファンさん からの返信 2007/07/20 13:14:16
- RE: merci bien
- スピキオさん
とっても、明瞭な説明ありがとうございました。
どこかで読んでいたとしても、頭に残っていなかったのが
今回直接教えて頂いたおかげで、きっと定着するのではないかなぁ、と。
そして、歴史的なものを新たな目でみれるかなぁと(大げさ!)・・嬉しい限りです。
また、追記も。以前の旅行記でマドレーヌがあったのを思い出し
<マドレーヌからヴァンドーム広場・・>を開けてみました。
(そして、誤記を見つけちゃいました<今からちょうどニ百年前の2006年>)
パンテオンもギリシャ建築風と思われるのですが。これは、逆に教会として造られたのが、霊廟になったのですね。
取るに足りぬ質問にご丁寧なお返事ありがとうございました。
- スキピオさん からの返信 2007/07/20 17:25:18
- RE: そうですか、お恥ずかしい。
- パルファンさん、こんにちは。
そうですか、「2006年」とは、お恥ずかしい次第です。僕は昔から粗忽者と言われていますから。さっそく直します。
ご指摘のように、パンテオンは当時(18世紀)流行していたギリシャ・ローマ様式で建てられました。目の前のミシュラン・ヴェールによると、ルイ15世が病気になったとき、快癒したら、半ば廃墟になっていたサント・ジュヌヴィエーヴ教会を壮大な建物にすると誓いを立てたのだそうです(1744)。設計者はスフロで、1758年にやっと工事が始まり、完成したのはさらに遅れて1789年でした。時は、大革命勃発の年、後に革命政府は反カトリックですからもちろん教会にせず、偉人を祀る霊廟にしたというわけです。
失礼しました。ご指摘ありがとうございます。
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