2007/03/11 - 2007/03/18
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ciao66さん
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いよいよ楽しみにしていたビザンティンの城壁巡りです。城壁沿いに金角湾まで歩きます。 幸い天気も良くなって、歩きにはいいコンディション。・・・写真にもgood(笑)、時間は午後2時過ぎです。
ユネスコでは、城壁と城壁囲む地域を世界文化遺産に指定しています。散歩は“EDIRNEKAPI”(エディルネカプ=エディルネ門)から始まります。
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
-
青空と城壁のコントラストがいいですね。
城壁の上の方がちょっとが崩れていて、あのビザンティン対トルコの攻防の痕跡が見受けられます。
まず、崩すことは不可能と思われていたこの城壁をトルコのメフメット2世が破りました。西暦1453年の出来事、コンスタンティノープルの陥落です。
写真の内城壁の高さは12mです。四角い塔の高さは20m以上。この外にまだ城壁が有ります。
ここはテオドシウス大帝が5世紀に造りました。その後1000年間もの間、トルコ等の襲撃に耐えてきたのです。
・・・・「この、金角湾からはじまってマルモラ海に至る陸側の城壁は、全長にして6キロ半は越える長さである。城外に立って眺めると、三重になってそびえ立つ城壁は陽をさえぎるように高く、さすがに地中海世界で最も堅固な城壁と言われるのもうなずけた。」 ・・・・・
(塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」より) -
城壁を横から見ると迫力あります。
大きな通りはフェヴジパシャ通り。今、イスタンブールで普通エディルネ門というとここの様で、次の日、タクシーでここを通りましたが、ドライバーは「ここががエディルネ門です。」と言ってました。
でも、幅20m以上も有りそうなこんな大きな口がビザンティン時代に空いていたわけは無い!どうぞ入って下さい、みたいな(笑)・・・・トルコ政府が道路のために城壁をぶち抜いたのでしょう。この“エディルネカプ(門)”というのは辺りの地名になっている感じです。
ここでは城壁の断面が良く判ります。
城壁の“本当のエディルネ門”は、すぐ近くの違う場所に「控えめに」有ったようですが、結局この勘違いで行きそびれました。このエディルネ門、メフメット2世征服王(ファーティフ)が1453年のコンスタンティノープルの陥落後に入城を果たした門で、ビザンティン時代の名前はアドリアーノプル門という別の名前でした。 -
エディルネ門のバス停そばです。
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交通は激しいのですがここは横断歩道はちゃんとありました。
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城壁の内側の道路に沿って行きますが、城壁は金角湾に向ってこんな感じで続いています。
城壁直下の青い家、2階が張り出しているトルコ伝統のオスマン式です。
向こうに見えるあたりで城壁登りが出来る階段が有りました。 -
階段のところに居た子供達です。ここは彼らのいつもの遊び場の様です。
“photograf?”と私が言うと、okということでポーズ取ってくれました。
この後、彼らは口をそろえて“money!money!”と、やはり来ましたか!半分冗談?半分本気?
私“money,no!money,no!”とやり返します。・・・・子供達は一種のゲーム感覚で!トルコの一部の悪い大人の真似をして“money!”と言っている感じがしました。ゲームオーバーで(笑)、モニターの画像を見せてお互いにっこりです。
城壁の上まで上がりますと、ここからさらに上に狭くて急な階段が有ります。子供達は登っているようでしたが、ちょっとdangerous・・私はこれはギブアップ。 -
城壁に沿ってさらに進んでいきます。
この辺りから金角湾にかけては、テオドシウスの城壁ではなく後に造られた“マヌエル・コムネヌス城壁”です。
出会う人にメルハバ!と挨拶しますと、「変わったのが来ている」と興味深そうです。でも先を急ぐので挨拶だけ。
写真は「テクフール・サラユ」というビザンティン末期の宮殿の残骸です。 -
「壁だけ」不思議な感じで残っています。
3階建てだったようです。レンガと大理石のアーチが美しいのですが、天井も床も無くなって「廃墟」状態です。 -
果物売りに出会いましたので、オレンジとリンゴを買いましたが、この方ちょっとお疲れの感じでした。トルコの皆さん元気のいい方が多いのですが・・・・
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ここはエーリ門です。(城壁の内側)
塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」には1453年、形勢が絶望的となった状態で、このエーリ門で愛馬を駆って緋のマントを翻したビザンティン最後の皇帝が敵に切り込んでいく姿が描かれています。
・・・・「東ローマ帝国最後の皇帝は、剣を抜き、なだれをうって迫ってくる敵兵のまっただ中に姿を消した。他の二人の騎士も、それにつづいた。」・・・・ -
少し行くと、黒い板張りの雰囲気ある家。やはり2階が張り出しのオスマン様式。
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ちょっと崩れた感じの城壁の階段。・・・修復が綺麗に行われた所は、素晴らしいのですが、このように修復がまだ行われていない苔の生えたようなところも、それはそれなりに雰囲気もあります・・・登ります。
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登るとこんな感じです。高いです・・・誰かいます。
向こうに見える丘は金角湾の対岸です。 -
トルコの旗が立っていますが、ここが内城壁と外城壁の間に建てられていた、ブルケルナエ宮殿跡です。1453年の攻撃でメチャメチャに成ったのでしょう、今は何の痕跡も無く土肌が見えていますが、掘れば何か出てくるのでしょうか
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城壁の上から金角湾方向を望みます。
右手が城壁内です。トタン屋根の普通ならば美しくない感じの家々ですが、長年の歴史とともに城壁と調和に至っている感じがします。
城壁はこの辺りは草が生え修復はまだの様です。奥の方に見えるのは金角湾の対岸。
メフメット2世はこの対岸から浮橋を渡してその上に大砲を据付てこちらを砲撃しました。
面白かった城壁散歩も終わり、坂を下りて3時頃、金角湾に到達しました。
(次回はピエール・ロティのチャイハネです。)
(この旅行記はペンギンの足跡?http://ciao66.exblog.jp/d2007-04-21
のダイジェスト版です。 ちょっと詳しい内容のこちらもどうぞご覧下さい。)
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