2007/03/11 - 2007/03/18
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ciao66さん
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イスタンブール歴史散歩3日目はアヤ・ソフィアへ行きます。
ここではモザイク画の最高傑作「デイシス」に感動でした。
そして歴史の重層を感じさせる凄い所でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
-
トルコ旅行3日目です。今日も「イスタンブール歴史散歩」の続きです。
写真はMarmara Guest Houseの屋上テラスから写しました。
曇っています。マルマラ海の向こうはアジアサイドのハーレムやハイダルパシャ付近です。ちょっと天気悪いようです。7時40分頃。
食事前の散歩はぶらぶらっとホテルからマルマラ海のほうに降りて行きます。
普通の町の様子はどんなのか興味があります。地元の人がどんな生活しているか?垣間見れたら面白そうです。 -
ホテルの傍ですが青い空が見えています。
でも、天気は変わりやすいのです。 -
坂道を降りきると、マルマラ海に出ました。ビザンティンの「海の城壁」!です。「陸の城壁」のテオドシウス城壁の他にこの「海の城壁」がマルマラ海と金角湾に沿ってずーっと有ったのですが、「海の城壁」は一部しか残っていません。
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アヤ・ソフィアとは「聖なる叡智」を意味し、この聖堂が1000年間もの間、ギリシャ正教の総本山だったわけです。
その後、1453年のファーティフ(メフメット2世)によるコンスタンティノープル陥落に伴い、イスラム教のモスクとして改造されて約500年の歴史、さらに1934年にトルコ共和国となった後は宗教施設でなく「博物館」として、現在の状態になっています。世界遺産。
ドームの直径は31m、高さは54mも有ります。世界最大のドーム。西暦537年ユスティニアス帝によって建てられたもので、なんと約1500年前の建物、この約1000年後にバチカンが出来ます。
大きな円盤はモスクにしたときに付け加えられ、今もそのまま残っています。イスラムのカリグラフィーです。日本の書道みたいなものですね。 -
2階南回廊の東端にある有名なモザイク。美しいです。右は皇后ゾエ、中央は福音書を持ったキリスト、左はビザンティン皇帝のコンスタンティヌス9世で、持っているのは献金袋。
ゾエは、11世紀のビザンティン皇帝の娘でしたが、皇位継承者を生むため50歳で結婚し、その後、2度も夫が死にその都度再婚し、最後の3度目の夫がモザイクの皇帝。彼女は72歳で死ぬまで若々しく美しかったらしい。
キリストの目がちょっと右のゾエの方向を見ているように描かれています。 -
モザイク画の最高傑作「デイシス(請願)」
です。感動しました!でも、肝心なところでデジカメがぼけてしまいました。
左はマリア。中央がキリスト。ぼけたのでカットしたのがヨハネです。
ちゃんと映っているのはこちらhttp://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/deisis.htmをご覧下さい。(大阪ハリストス正教会HPです。・・・ギリシャ正教としてモザイクの宗教的意味の解説が詳しい)
ビザンティン・ルネサンス最盛期の13世紀の作品。
NHKの番組で鎌倉アナウンサーが修復の技師にインタビューしていましたが、モザイクにはガラスも使われていて、反射する方向がさまざまになるように、角度を色々変えて貼り付けてあるとのことです。金色が美しいのは、素晴らしいガラス細工技術もあってのことの様です。 -
デイシスの向かいに有る、床面なので気づかない方の多いポイントです。
第4次十字軍のリーダーのベネツィア人エンリコ・ダンドロの墓です。
1453年のファーティフ征服の前にも既に弱っていたビザンティン帝国は一時征服されていた時期がありました。それが1204年、「悪名の高い」第4次十字軍です。ラテン帝国。
「第4次十字軍によってヴェネツィアは、東地中海に数多くの拠点を築くことができたのだ。オリエントとの交易を国家反映の支柱とするヴェネツィア共和国の生き方は、このエンリコ・ダンドロによって基礎が築かれた。」(塩野七生:「緋色のヴェネツィア」) -
大きな壷は「大理石製」!当時世界でもっとも豊かな都市であったと思われ、ここの財宝は周りから羨望のまなざしで見られていたようです。
ヴェネツィアのサンマルコ寺院はオリエント風で吃驚しましたが、まさにビザンティン建築。その中にあるバラドーロという凄い黄金の屏風はアヤ・ソフィアからダンドロが奪ってきたもの?壷は重くて運べなかった?
その後、ここはオスマントルコのメフメット2世(征服王「ファーティフ」)によって征服されます。
その時の描写です。
「1453年5月28日、コンスタンティノープル陥落の前夜、人々は・・・アヤ・ソフィア教会に集まり、・・・奇跡を求めて一晩中祈り続けた。夜が開けて、トルコ軍の先兵が・・・殺到し、扉が打ち破られた。」(・・・澁澤幸子の「イスタンブール歴史散歩」から) -
聖堂出口の位置を「振り返ったところに有る」見逃しやすいモザイクです。
聖母の右はコンスタンティノープルの「街」を捧げるコンスタンティヌス帝(西暦324年〜337年在位)、左はアヤ・ソフィア聖堂を捧げるユスティニアス大帝(西暦527年〜565年在位)です。
(ローマ帝国の都をコンスタンティノープルに西暦330年に遷都したのはコンスタンティヌス大帝で、現在のアヤ・ソフィア聖堂を建設したのはユスティニアス大帝) -
建物の外です。(入り口付近)・・・石が綺麗です。煤やほこり等有りません、建物は綺麗に修復されている感じです。素晴らしい。
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本日の「おまけ」!
朝の散歩の時に街角で見かけた猫。トルコ人は猫好き!猫はこれからもイスタンブール中のあちこちで見かけました。
(この旅行記はhttp://ciao66.exblog.jp/d2007-03-31
のダイジェスト版ですが、現地2日目が始まったところ、まだまだこの「 4(for)travel version」も続きます。)
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