2007/03/11 - 2007/03/18
4306位(同エリア4761件中)
ciao66さん
- ciao66さんTOP
- 旅行記48冊
- クチコミ31件
- Q&A回答1件
- 92,735アクセス
- フォロワー4人
渋沢幸子さんのとんぼの本「イスタンブール歴史散歩」がきっかけで始まった旅、2日目の続きはボスポラスクルーズの終点アナドルカワーウからジェノバ人の城砦に登り、黒海を望みます。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 船 タクシー
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
-
写真はアナドルカヴァウのジェノバ城砦から見えた黒海です。
綺麗でした!水平線は黒海です!黒海が見えて感激。
手前の海はボスポラス海峡です。
左手はヨーロッパ、右手と手前の土地はアジアです。
アナドルカヴァウの船着場に着いたのが12時5分。魚屋さんのレストランなどの有る波止場前から登ったのですが、ちょっとした山登りです。道も間違えました。(笑) -
上の写真のちょっと前です。船着場から、登っていくと向こうに城砦が見えています。
目的地が見えているのはやりやすい、「楽勝」と思って行きます・・・
暇な犬が着いてきました。前を行くのはアメリカ人風の旅行者グループです。
狂犬病は困る。でも吼えませんし、全く人になついている感じです。
彼らは良く慣れた感じでどんどん行くので、てっきり道を知っているのだろうと思って付いて行ったのですが・・・暫く行くと、 ちっとも登っていかないし「どうも道がおかしい」確かめたくなった私:Going to castle?
多分アメリカ人?:May be! (多分ね)で、皆で笑いました。
結局、皆で細い道を通り、トルコの お墓の中の通路まで通り抜けて、道なき道をよじ登るようにして 城砦下の洒落たレストランの前に着きました。「結果オーライ」!なのでした。 -
結局犬まで登ってきました。ここがお気に入りの様子です。散歩コースだった?
-
トルコ人の子供。私に興味があるようで付いてきて、私が自分のことをJapaneaseと自己紹介のあと“photograph?”とカメラを向けてお願いするとポーズをしてくれました。
でも他の英語通じません。6years?と聞くと、evet(=yes)と言いますが、解っているのでしょうか。何を言ってもevet,evetでしたから・・・・ -
アナドルカヴァウの港の近くに来ました。魚屋さんでは有りません。レストランです。
ここで食べていくと、1時間後のフェリーになります。ちょっと横目で見て先を急ぐことにします -
小さいフェリーとバスを乗り継ぎ、ルメリ・ヒサールに来ました。ここでちょっと歴史を「おさらい」
ルメリ・ヒサールを造った人(造らせた人)、はファーティフ(征服王) と呼ばれるメフメット2世です。ファーティフは1451年に18歳でスルタン(トルコ皇帝)に即位、その1年後の1452年にここが出来、1453年に鉄壁と言われたテオドシウスの城壁を破り、金角湾の封鎖を船の「山越え」という奇策で突破してビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(今のイスタンブール)を征服。・・・・・速攻です。
これについては史実に即した小説「コンスタンティノープルの陥落」(塩野七生)に詳しく出ていますが、私は実際に自分の足で歴史の場所に立ってみたかったのです。
ボスポラス海峡に掛かるのはファーティフ大橋(第2ボスポラス橋)。 -
「・・・・そのうちに、岸に近い大塔から発射される砲丸が、水柱を高く上げ始めました。・・・・」(「コンスタンティノープルの陥落」より)
停船命令に従えば、「砲火なし」ですが、莫大な通行料を取られる。
砲火を浴びて撃沈されたベネティア船も有ったようです。
狙ったのは、黒海とコンスタンティノープルを結んでいたジェノバなどの交易船。
ここはボスポラス海峡で一番狭い600m幅の箇所です。
ここを両側からの砲火を掻い潜って行かないといけないのです。その大砲、コレです。 -
城砦の山側の一番高い所付近です。ちょっと怖いです。
-
この鎖はwhat?・・・そうです、先ほどお話しました
「金角湾封鎖」に使った鎖! ちょっと離れた、ルメリ・ヒサールに実物が置いてあるとは知りませんでしたので「へぇ〜」
メインタワーの中に入ったところにさりげなく有ります。
後ほどその歴史的地点には行きます。 -
2007年3月12日の続きです。ボスポラス海峡を往復してぼちぼち夕方になりました。
写真はガラタ塔からボスポラス海峡(・・東方向)を見たものです。
前回触れました、ファーティフ(=メフメット2世征服王)の「軍艦の山越え」の現場が見えます。
写真右手のボスポラス海峡から陸揚げして、写真左手のガラタ塔の裏手を通したのです。 -
ガラタ塔を南に望むと、トプカプ宮殿が見えます。手前は金角湾、左手はボスポラス海峡、霞んでいるのはアジアサイドです。
ビザンティン側の防戦のための「金角湾封鎖」ラインが見えます。封鎖ラインの手前は今立っている場所、ガラタ塔です。
もう一方は、トプカプ宮殿左の岬の先端、赤い旗の付近では無いでしょうか。
先ほど見ました、あの大きな鎖で、金角湾の入り口を封鎖して防衛したわけです。 -
塔の真下。屋根の色が綺麗です。
以下は「コンスタンティノープルの陥落」から・・・・1453年の情景です。
まずは事前準備の光景。
「作業はジェノバ人居留区を巡る城壁に少し離れて沿いながら通っている、道を整備することから始まった。・・・地固めが終わると・・・軌道敷設し・・・・木製の軌道には動物の脂」を塗った。
準備が終わると、「左右に並んだ牛の群れに引かれ、・・・多数の人間に押されて」、60mの高さのあるガラタの丘の頂に向って船は押し上げられた。
・・・・そして、「一番手の船を丘の上に引き上げるのに成功した時、・・・歓声が起こった。戦争をしているというよりも、何か愉快な遊びが上手く行った時に似た、雰囲気が支配していたのだ。70隻におよぶ船が、次々とそれに続いた。」・・・・・ -
西方向は金角湾の奥のほうです。
丘に登った船はカスムパシャ桟橋付近で金角湾に入ります。
その時、ビザンティン側が吃驚した様子が「コンスタンティノープルの陥落」に描かれています。
「声も無く立ちつくす人々の視線の向こうに、赤地に白の半月の旗をかかげた船が、次々とすべりこんできたのである。まるで、滑り台をおりてくる玩具の船のようだった。」 (この湾入した現場は、別の日、金角湾のフェリーから見ることになります。) -
金角湾の夕焼けです。
遠景のモスクはあの征服王のメフメット2世のモスク、「ファーティフ・ジャーミー」です。 -
ガラタ塔から降りるともう日暮れです。
イスティクラル通りのレトロなトラムに乗って見ることにします。 -
イスティクラル通りは歩行者天国です。電車は人を掻き分けるようにゆっくり進みます。
面白い!終点のタクシム広場で降ろされましたが、同じ電車に乗ってまたシシャネに帰ってきました。 -
お腹が空いたので、シシャネのケバブ屋さんで夕食に。
-
こんな感じです。安くて美味しかった。(7YTL)右手はパンですがパンはどこも無料みたい。
-
シシャネ電停の前ですが別の名前のテュネル駅。
テュネル=トンネルですよね。世界最短の地下鉄!1875年にオリエント急行の乗客がタクシム方向のホテルに行くために造られたとか。
急斜面を上下するので、車内の床面が斜めになっていてケーブルカーに似た感じです。
@@@@@@
今日の歩いた歩数は14,000歩!
(この旅行記はhttp://ciao66.exblog.jp/d2007-03-29
のダイジェスト版ですが、現地1日目が終わったところなので、まだまだこの「 4(for)travel version」も続きます。)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ciao66さんの関連旅行記
イスタンブール(トルコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
19