登戸・新百合ヶ丘旅行記(ブログ) 一覧に戻る
子供がまだ小さい頃訪れて以来来たことがなかった民家園。約15年ぶりに歩いてみると、結構見ごたえがあってすっかり堪能してしまいました。園内は広くて階段や坂があるのでちょっとしたしたハイキング気分。でも、ネクタイしてスーツ姿はちょっとなじまないかも・・・。<br />空がだんだん薄暗くなり、天気予報どおり雨の降りそうな気配が。先を急がなければ・・・・。

~古民家の野外博物館~ 日本民家園を訪ねて vol.2

6いいね!

2007/04/11 - 2007/04/11

247位(同エリア362件中)

ぬいぬい

ぬいぬいさん

子供がまだ小さい頃訪れて以来来たことがなかった民家園。約15年ぶりに歩いてみると、結構見ごたえがあってすっかり堪能してしまいました。園内は広くて階段や坂があるのでちょっとしたしたハイキング気分。でも、ネクタイしてスーツ姿はちょっとなじまないかも・・・。
空がだんだん薄暗くなり、天気予報どおり雨の降りそうな気配が。先を急がなければ・・・・。

PR

  • 江向家のこの建物 外観は一番のお気に入りです。

    江向家のこの建物 外観は一番のお気に入りです。

  • 山田家住宅<br />これも越中五箇山の桂集落から移築されたもので、江向家と同じ18世紀はじめの家です。

    山田家住宅
    これも越中五箇山の桂集落から移築されたもので、江向家と同じ18世紀はじめの家です。

  • 機織の機械が置かれています。この時代衣・食については自給自足だったんでしょうね。

    機織の機械が置かれています。この時代衣・食については自給自足だったんでしょうね。

  • 厩 この時代は馬が人と同じ屋根の下で同居していたようです。それだけ大事な財産だったんでしょうね。

    厩 この時代は馬が人と同じ屋根の下で同居していたようです。それだけ大事な財産だったんでしょうね。

  • 山下家住宅<br />飛騨白川郷の合掌造りの家。19世紀はじめのもので、ここに移築される前は川崎区の小川町で観光料亭として利用されていたものです。

    山下家住宅
    飛騨白川郷の合掌造りの家。19世紀はじめのもので、ここに移築される前は川崎区の小川町で観光料亭として利用されていたものです。

  • 下から見上げるとこんな感じ。

    下から見上げるとこんな感じ。

  • 1階部分はお蕎麦屋さんとして営業中です。

    1階部分はお蕎麦屋さんとして営業中です。

  • 階高が高いせいか急な鉄砲階段を登って2階に上がります。

    階高が高いせいか急な鉄砲階段を登って2階に上がります。

  • 2階には収集された生活用具を展示しています。

    2階には収集された生活用具を展示しています。

  • 2階から見た江向家。やっぱ格好いいな。

    2階から見た江向家。やっぱ格好いいな。

  • これも向かいにある佐々木家。上から見てわかりましたが、ひさしの部分だけ板葺きになっています。

    これも向かいにある佐々木家。上から見てわかりましたが、ひさしの部分だけ板葺きになっています。

  • これは野原家内部

    これは野原家内部

  • 手前は同じ造りで付属の建物を後から作ったものです。

    手前は同じ造りで付属の建物を後から作ったものです。

  • 中2階のようになっているのでしょうか?

    中2階のようになっているのでしょうか?

  • 五箇山の合掌造りが3棟並んでいると、五箇山の村に来たなあ・・・って感じです。

    五箇山の合掌造りが3棟並んでいると、五箇山の村に来たなあ・・・って感じです。

  • 沖永良部島の高倉<br />太い4本の柱の上部に穀物を収納する場所を設けねずみの侵入を防いでいます。19世紀後期の建物です。

    沖永良部島の高倉
    太い4本の柱の上部に穀物を収納する場所を設けねずみの侵入を防いでいます。19世紀後期の建物です。

  • 広瀬家住宅<br />山梨県塩山に建っていた甲州民家。切妻屋根で軒が低く壁の多い閉鎖的な家。

    広瀬家住宅
    山梨県塩山に建っていた甲州民家。切妻屋根で軒が低く壁の多い閉鎖的な家。

  • 半分以上が土間になっています。

    半分以上が土間になっています。

  • 雨が降ったりすると家の中での作業はここで行なっていたようです。

    雨が降ったりすると家の中での作業はここで行なっていたようです。

  • 中二階へ登る梯子

    中二階へ登る梯子

  • 太田家住宅<br />茨城県笠間市に建っていた分棟型の民家。17席期後期の建物です。

    太田家住宅
    茨城県笠間市に建っていた分棟型の民家。17席期後期の建物です。

  • 土間部分を釜屋と呼んでここで厩も設け農作業なども行なっていました。

    土間部分を釜屋と呼んでここで厩も設け農作業なども行なっていました。

  • 低い位置に天井の梁があります。

    低い位置に天井の梁があります。

  • 北村家住宅<br />これは秦野にあった民家で貞享4年(1687年)に建てられたもの。ここだけ築年数が明確なのは、移築の際に材料に墨書年号が明記してあったそうです。  <br />  <br />

    北村家住宅
    これは秦野にあった民家で貞享4年(1687年)に建てられたもの。ここだけ築年数が明確なのは、移築の際に材料に墨書年号が明記してあったそうです。
     

  • 部屋のすぐ脇に竈があります。

    部屋のすぐ脇に竈があります。

  • 「江戸時代の農村の春」といった景色です。

    「江戸時代の農村の春」といった景色です。

  • 菅原家住宅<br />山形県鶴岡市の出羽三山の麓から移築した建物。屋根の途中にハッポウと呼ぶ高窓をつけています。18世紀末期の建築です。

    菅原家住宅
    山形県鶴岡市の出羽三山の麓から移築した建物。屋根の途中にハッポウと呼ぶ高窓をつけています。18世紀末期の建築です。

  • 古い農機具を展示しています。

    古い農機具を展示しています。

  • 苔むした小屋の屋根越しに見える民家

    苔むした小屋の屋根越しに見える民家

  • 蚕影山祠堂<br />養蚕の豊作を祈り祀られた神様のお堂 これは近くの岡上にあったもので、背面に文久3年(1863年の)棟札があります。

    蚕影山祠堂
    養蚕の豊作を祈り祀られた神様のお堂 これは近くの岡上にあったもので、背面に文久3年(1863年の)棟札があります。

  • 船越の舞台の奈落の部分<br />志摩の漁村にあった歌舞伎などを演じた舞台の奈落部分。これは回り舞台を回転させる装置で、人力で何人もの人が舞台の下にもぐって回転させていたんですね。

    船越の舞台の奈落の部分
    志摩の漁村にあった歌舞伎などを演じた舞台の奈落部分。これは回り舞台を回転させる装置で、人力で何人もの人が舞台の下にもぐって回転させていたんですね。

  • 菅の船頭小屋<br />多摩川の渡し場にあった小屋で、船頭が客待ちしたり、川の見張りなどに利用したもので、四隅の柱には丸太を通して担げるように鉄の輪を取り付けています。これは比較的新しくて昭和4年に造られたものです。

    菅の船頭小屋
    多摩川の渡し場にあった小屋で、船頭が客待ちしたり、川の見張りなどに利用したもので、四隅の柱には丸太を通して担げるように鉄の輪を取り付けています。これは比較的新しくて昭和4年に造られたものです。

  • 工藤家住宅<br />岩手の旧南部藩領にある曲り屋。母屋に対して曲がった部位分は馬屋となっています。

    工藤家住宅
    岩手の旧南部藩領にある曲り屋。母屋に対して曲がった部位分は馬屋となっています。

  • 民家園の出口は公園の中央部。水の中にある針葉樹の木。

    民家園の出口は公園の中央部。水の中にある針葉樹の木。

  • とうとう雨が降ってきました。駐車場目指して急ぎます。

    とうとう雨が降ってきました。駐車場目指して急ぎます。

この旅行記のタグ

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP