2012/02/24 - 2012/02/24
193位(同エリア399件中)
滝山氏照さん
小田急線向ヶ丘遊園駅徒歩15分、生田緑地公園の一部に四方が断崖に囲まれた天然要害の枡形城(ますがたじょう、神奈川県川崎市多摩区枡形)を訪問しました。
築城者は源頼朝の御家人の稲毛三郎重成(いなげ・さぶろう・しげなり)といわれています。重成は頼朝妻政子の妹を頼朝の養女として妻に迎えるほど頼朝の信頼厚い人物で、当地を含む多摩川上流の小沢城までの稲毛荘あたりを本領とする有力御家人です。
永正元年(1504)に、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏支援のため枡形城に入った北条早雲(当時は伊勢宗瑞と称していた)軍勢は山内上杉顕定(うえすぎ・あきさだ)の軍と多摩川の立川原で戦い、激戦の末山内上杉軍を撃破します。
更に永禄12年(1569)、武田信玄が小田原城を攻略の途中、当地の豪族横山弘成(よこやま・ひろしげ)は枡形山に土塁を築き小田原北条側の立場として防御に努めます。
実際山頂展望台からの眺望は見事で、新宿新都心の高層ビル群がよく見渡せるほどで歩いてきた疲れが癒されます。
2023年5月6日追記
現場に設置の説明板には下記の通り掲載されています。
「 稲毛三郎重成と枡形城
平安時代、現在の川崎市中部あたりに稲毛荘という荘園があり、稲毛三郎重成はこの荘園を中心に川崎市北部から中部を支配領としていました。枡形城は、鎌倉時代初期に稲毛荘の荘司である稲毛三郎の居城として伝えられている山城です。
多摩丘陵には西から小沢城、枡形城、作延城、伊田城、加瀬城などの多くの山城が、鎌倉の防御線として作られていました。
枡形城は多摩川を堀と見立て、広福寺を居と定め、枡形山の山頂を詰めの城としたと伝えられています。
「枡形」という名称は、山の斜面が絶壁となっており、山頂が正方形に近い形をしていることに由来する、といわれています。
稲毛三郎は、平安時代後期から鎌倉時代初期に源頼朝の重臣として活躍した武将で、北条政子の妹を妻としました。武蔵の国の豪族で、小山田有重の子であり、秩父氏の一族でした。
源頼朝亡き後、源氏やその重臣たちは、北条氏の陰謀により滅ぼされ、稲毛三郎も悲劇の最後をとげたと伝えられています。
枡形城は稲毛氏が亡びたあとも、江戸時代の一国一城制度により廃城となるまで、戦場の拠点として使われ、北条早雲や今川氏親など、戦国時代の幕開けに大きく関わる人物もこの城を利用しました。」
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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周辺案内板
枡形山に向けて歩きます。周辺には日本民家園、青少年科学館、岡本太郎美術館そして伝統工芸館など多彩な見学地があります。 -
登城口
登城口はいくつかあると思いますが東側の山麓から入ります。 -
登城道
道幅が広くよく整備されています。 -
山頂への道路
整備された小道を進みます。 -
深い薮
眼下に登ってきた道路が見えます。 -
イチオシ
板塀
復元された板塀が城跡の雰囲気を醸しだしています。 -
枡形門
擬似門ですがよくできています。 -
山頂広場
すっかり公園化されており、自分が訪問した時も家族連れのグル−プが数組来ています。 -
イチオシ
枡形山頂石標
海抜84mと記載の石標が建立してます。 -
イチオシ
枡形城跡碑
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山頂広場
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山頂展望台
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展望台
天守閣に似せたような展望台に登ります。 -
展望台眺望
新宿方面の高層ビル群がはっきり窺えます。 -
展望台眺望
登戸方面に転じますと多摩川流域が画面中央部に確認できます。 -
展望台眺望
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展望台眺望
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土塁
周辺状況は遺跡らしき物は見当たらないなか、たまたま土塁と思われるものがいくつか見えました。 -
枡形門に繋がる小路
尾根づたいの正式な登城道と思われます。 -
物見台
物見台への階段を登ります。 -
物見台展望
眼下の道路が視野に入ります。
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