2007/01/03 - 2007/01/03
13位(同エリア198件中)
旅猫さん
※2020.01.05 再編集(旅行記2冊を1冊にまとめ、写真と文章を見直し)の上、改めて公開しました。
新年最初の旅は、江戸の残照を探す小さな旅。
穏やかな陽気にぴったりな都電荒川線に乗り、終点の早稲田界隈を散策することにした。
なるべく江戸時代から残る道を歩き、当時からそこにある社寺や旧跡を巡りながら、早稲田の一つ手前の面影橋電停まで歩くことにする。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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-
都電荒川線には、王子駅前電停から乗車。
やってきたのは、『ピーポくん号』。
王子駅前を出ると、桜の名所飛鳥山を左手に見ながら飛鳥坂を登り、住宅街の中の専用軌道をのんびり走って行く。
出勤途中、ほとんど毎日通っている大塚駅を過ぎ、30分ほどで終点の早稲田駅に着いた。早稲田停留場 (都電) 駅
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電車が出て行った後、ホームの先端まで行ってみた。
早稲田駅は終点のため、駅の部分だけが単線となる。
路面電車ならではの光景だ。 -
早稲田駅は、道路の真ん中に中州のように建っている。
そのため、信号が変わるまで駅から出ることはできない。 -
早稲田駅のある場所は、常陸水戸藩水戸徳川家の抱屋敷があったところ。
そのため、道はどれも後世になって作られたものだ。
大きな道を歩くのも嫌なので、裏道を辿る。
路地裏では、気になるお店を発見することもあるが、昼間なので店は開いていない。 -
北側に早稲田大学の戸塚球場があったことから名付けられたグランド坂を横切り、早稲田大学の南側に沿う、江戸時代にはすでにあった細い道へと入る。
道なりに歩けば、早大6号館の黄色い建物が右手に見える。
5号館の裏を過ぎると、早大の東門へと出た。グランド坂 名所・史跡
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その東門と道を挟んで反対側にあったのが、寛文13年(1673)開基の慈雲山観音寺。
この寺は、四国霊場八十八ヶ所巡りを江戸市中に写し、宝永年間(1751-64)に創設された『御府内八十八ヶ所』の52番札所だそうだ。
境内の入口に、御符内八十八ヶ所を示す石柱が建っていた。
天保15年と刻まれていたが、この年(1844)は、日本の暦が寛政暦から天保暦へと変わった年。
天保暦は、明治5年まで29年間しか使われなかった暦だ。 -
本尊は十一面観世音菩薩だが、境内には、江戸期の石仏や庚申塔などがいくつか祀られている。
近くには、七福神のうち、大黒様と恵比寿様も置かれていた。 -
観音寺での参拝を済ませ、早大の正門へと回る。
大学受験以来の訪問だが、相も変わらず、風格のある建物が居並んでいる。
都の西北と言えば、やはり早稲田だな。
※早稲田キャンパスは、整備計画の終了に伴い、写真中、手前の1号館以外は建て替えられています。早稲田大学 早稲田キャンパス 名所・史跡
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4号館の前を抜けると、右手に瀟洒な建物が見えてきた。
その建物は、『早稲田大学坪内博士記念演劇博物館』で、昭和3年(1928)に、坪内逍遥の古希を祝って、イギリスのエリザベス朝様式で建てられたものだそうだ。
シェークスピア時代のフォーチュン座を模して設計されたらしく、なかなか美しい建物だった早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 美術館・博物館
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演劇博物館(5号館)の西側に建つ6号館は、見る角度で表情が変わる。
二色に塗り分けられた建物は、とても綺麗だ。 -
6号館は、昭和10年(1935)に建てられたもの。
正面玄関には大理石が使われている。 -
6号館の南側に建つ7号館と8号館の間に、初代総長大隈重信の銅像がある。
創立五十周年を記念して、昭和7年(1932)に造られたものだ。
鋳造、彫塑は、彫刻家朝倉文夫の手によるものだそうだ。
新宿区の指定有形文化財にも登録されている。早稲田大学 早稲田キャンパス 名所・史跡
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訪れた日は、早稲田大学ウォール125が開催されていた。
早稲田大学の歴史や明治40年頃の目白台から見た早稲田の風景などが描かれていた。 -
人気のほとんど無い、閑散とした早稲田大学を後にして、隣接する宝泉寺へ向かう。
宝泉寺は、現在後ろに聳える早稲田大学9号館の場所にあった高田稲荷明神社の別当寺として創建されたもので、文亀元年(1501)の創建と云われている。
この寺の梵鐘は、正徳元年(1711)に鋳造されたもので、宝泉寺の創建、復興、梵鐘鋳造の経緯などが刻まれているそうだ。
太平洋戦争中の供出により、江戸期の梵鐘があまり残っていない中、とても貴重なものとなっている。寶泉寺 寺・神社・教会
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宝泉寺から南へ歩くと、早稲田通りに出る。
その手前にも、龍泉院という江戸初期から続く寺があり、そのすぐ隣にも、法輪寺という古い寺があった。
境内もなかなか広く、新宿区内とは思えないほど静かだった。 -
法輪寺が面する早稲田通りを、八幡坂下の馬場下町交差点で渡り、向かいの穴八幡宮を参拝する。
朱色の随身門を潜り、露店が並ぶ狭い参道の人混みを掻き分け、なんとか拝殿へと辿り着き、何とか参拝した。
ちなみに、寛永13年(1636)、この地に八幡宮の祠を建てたのが起源とされ、長らく高田八幡宮と呼ばれていたが、ある僧が草庵を建てようと山を崩したところ、洞穴から阿弥陀如来の像が出てきたため、後に穴八幡宮と呼ばれるようになったそうだ。穴八幡宮 寺・神社・教会
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参拝後、別当時の法生寺へも立ち寄ることにした。
随身門の脇に若い松があったが、江戸時代、境内から放生寺へ下る坂の途中に、夜になると光る松があったということに因んで植えられたものだそうだ。
ちなみに、江戸名所図会にも、その『光松(ひかりまつ)』は描かれている。
放生寺の趣があるとは言えない本堂で参拝。
穴八幡宮とともに、『一陽来福』のお札を授けることで有名で、御府内八十八ヶ所30番札所でもある。光松山 放生寺 寺・神社・教会
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馬場下町交差点から諏訪通を歩いていくと、不自然に分かれる道があった。
右手に分かれる細い道が江戸時代の道で、左が諏訪通。
細い道は、奥で左に直角に折れて諏訪通りへと戻る。
その角が、尾張徳川家の広大な戸山下屋敷の北東の角だった場所。
この道は、その角に沿って付けられていたものだ。 -
路地の奥にあった東京国際大学の早稲田サテライトの脇の道に入り、裏道を辿りながら歩いて行くと、再び早稲田通りに出た。
その南側の街並みには、江戸時代、名所図会にも描かれた高田天満宮があった。
現在は、北野神社として、近くの水稲荷神社の末社として合祀されている。 -
早稲田通沿いで、仏様の彫られた石造物を見かけた。
上に丸い窪みがあったが、何に使われたものかはわからない。
高田天満宮の別当であった真定院にあったものではないだろうか。
真定院は、明治になって廃寺になっている。 -
八幡坂を登り切ると、早稲田通はしばらく直線となる。
この区間が、有名な高田馬場の南面あたる場所。
高田馬場は、寛永13年(1636)、旗本の馬術教練の場として造られたが、後に穴八幡宮へ奉納するための流鏑馬を催すところともされた。
高田の名は、神田上水北側の地名高田に因んだと言われるが、他にも説があるようだ。 -
西早稲田の交差点を右折。
道沿いに歩くと小さな階段があった。
そこを登ると、住宅街に出た。
伝承では、太田道灌が、逃げた鷹を追って通った松原道の跡らしい。 -
その道を進むと、早稲田通からひとつ入った裏道に出る。
ここが、高田馬場の北側にあたる道。
風除けのために植えられた松並木に沿って茶屋が建ち並んでいたことから、茶屋町通りと呼ばれている。
通りの西側には、昭和の香りが漂う店が並んでいた。高田馬場跡 名所・史跡
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さらに裏道へと入ると、新宿区内で最も古い小学校と言う戸塚第一小学校があった。
創立130周年だそうだ。
この小学校の敷地内を、旧鎌倉街道が通っていたといい、その一帯が『山吹の里』と呼ばれていたらしい。
江戸時代には、向砂利場と呼ばれていたようだ。
小学校の脇辺りには、『山吹の井』という湧き水があり、旧鎌倉街道はその泉の脇を通っていたとのこと。
江戸名所図会に描かれたような景色がここにあったとは、今はまったく想像ができない。 -
『山吹の井』跡からひとつ西側の通りには、江戸名所図会に描かれた当時の伽藍配置を今に伝える亮朝院がある。
七面明神を祀った寺で、赤い門があったことから『赤門でら』と呼ばれていたそうだ。
区内では珍しく、戦災を免れた寺でもある。亮朝院 寺・神社・教会
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境内に建つ高田七面堂には、七面明神が祀られている。
七面明神は、身延山の北側にある七面山に住む天女で、日蓮上人の説法により救われ、龍に姿を変えて身延山を守ったという。
破風などに梅鉢紋が入り、墓地には前田家の墓もあったので、何か関係があるのだろう。
そのお堂の前には、宝永2年(1705)の銘が入った石造の金剛力士像が建っていた。
木造はよく見るが、石造りとは珍しい。 -
金剛力士像の立つ石段の下には、独特な姿をした狛犬もあった。
延享元年(1744)に造られたもので、頭部の一部が欠損していたが、保存状態は良かった。 -
亮朝院の北側の住宅街の中には天祖神社が鎮座していた。
正保2年(1645)、大阪夏の陣で敗れた豊臣家の遺臣小泉源兵衛により創建されたものだそうだ。
当時は、神明社と呼ばれていたらしい。
この辺りは、小泉源兵衛が荒地を開いたところで、江戸時代には源兵衛村と呼ばれていたとあった。天祖神社 寺・神社・教会
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新目白通りに出て、早稲田駅の方へ少し歩くと、神田川の段丘を利用した回遊林泉式庭園である甘泉園公園がある。
ここは、安永3年(1774)、徳川御三卿の一つ清水家の下屋敷が置かれた場所。
甘泉園の名の由来は、園内に沸く清水が、清冽で涸れることがなく、茶に適していたことからだそうだ。
都内に残る大名庭園の中でも、余り知られていない庭の一つだが、なかなか趣がある良いところなのだ。
園内にある築山は『三島山』、池は『山吹の井』と名付けられ、ともに、甘泉園が出来る前にあった自然から取ったもの。
江戸に雪が降り積もった頃を彷彿とさせる雪吊りも見られる。甘泉園公園 公園・植物園
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甘泉園の南側には、早稲田大学に土地を交換して移ってきた水稲荷神社がある。
元は高田稲荷明神社といい、元禄15年(1702)、境内にあった榎の幹の空洞から清水が湧き、その水で眼を洗ったところ眼病が治ったということで、以来『水稲荷』と呼ばれるようになったそうだ。早稲田水稲荷神社 寺・神社・教会
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境内には、耳欠け神狐なるものがあった。
なんでも、体の痛いところと神狐を交互に撫でると、痛みが和らぐらしい。 -
旧境内(現早稲田大学九号館)には、戸塚の地名の起源になったと云われる富塚(富塚古墳)や、江戸最初の富士塚であった高田富士もあったが、移転後は、復元されたものがあるだけ。
本殿裏の富塚には、古墳の玄室を利用した社があった。
ちなみに、高田富士は通常公開されていない。 -
境内には小さな社が点在していた。
その中の北野神社は、元は、穴八幡宮の北側にあった高田天満宮である。
菅原道真の手作りと伝わるご神体(高さ約5.5cm)を祀っているという。
※写真は高木神社 -
高木神社の左脇には、小さな三島神社が鎮座していた。
これは、甘泉園の地にあった三島山に祀られていた社だそうだ。
三島山一帯が、清水家の下屋敷とされた際、清水家の守護神となったらしい。 -
水稲荷神社の境内の外れには、『堀部武庸加功之遺跡碑』が建っていた。
堀部安兵衛の高田馬場での助太刀を讃えたものだ。
高田馬場旧跡に建っていたものを、移転させたものだそうだ。 -
鳥居の近くにあった祓所を猫が歩いていた。
その後ろに建っていたのは、清水家の遺構である『聴松亭』という茶室。
中を見学することはできなかった。 -
水稲荷から面影橋の方へ向かうと、住宅街の中に古風な商店を見つけた。
食料品店と言う名前もよいが、店名が書かれた看板がまた渋い。
今や消滅寸前の佇まいだ。
※現在は廃業し、建物もありません。 -
面影橋電停のところで新目白通りを渡ると、神田川に架かる面影橋があった。
古鎌倉街道に架かっていたと云われ、『江戸名所図会』では『俤(おもかげ)の橋』と書かれており、現在のものは当て字だそうだ。
江戸切絵図などで、この『俤の橋』と『姿見の橋』を同じとしているが別の橋とも云われている。
『姿見の橋』は、『俤の橋』の北側、南蔵院の前を流れていた小川に架けられていた橋らしい。面影橋 名所・史跡
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面影橋の北詰にあった『山吹之里』の碑。
山吹の里は、太田道灌と紅皿が出会った伝承の地。
鷹狩の途中、蓑を借りるために立ち寄った家で、若い娘から山吹の一枝を差し出された道灌公が、後日、家臣から『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに 無きぞ悲しき』(後拾遺集)に掛けたものだと教えられ、無学を恥じ、この女性(紅皿)を招き和歌の友としたという伝説に因むものだ。山吹の里の碑 名所・史跡
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陽が傾いてきたので、この日の散策は終了。
面影橋電停から都電に乗り、王子駅へと戻った。
次回は、面影橋周辺を、もう少しゆっくり歩いてみようと思う。面影橋停留場 駅
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この旅行記へのコメント (10)
-
- momoyukiさん 2007/02/13 16:53:29
- はじめまして。
- 旅猫様
はじめまして、以前からちょくちょく拝見させていただいております。
旅猫さん(素敵なHNですね!)の旅行スタイルが、とっても素敵で
大好きです!!
都電、私も好きです(*^_^*)
青春18きっぷの旅も、素敵ですね!
でも、青春18きっぷ購入したことがない私です(汗)
18きっぷを紹介したサイトもあって、いろいろ工夫すれば
有意義に旅を楽しめそうですよね。
そんな旅もいいなぁ〜と思いつつ・・・
自分ではなかなか実践できないので、旅猫さんの旅行記で
勉強させていただこうと思います(*^_^*)
momoyukiより
- 旅猫さん からの返信 2007/02/14 08:56:55
- RE: はじめまして。
- momoyukiさん、初めまして!
書き込みありがとうございました!
お返事が遅くなり、ごめんなさい。
>旅猫さん(素敵なHNですね!)の旅行スタイルが、とっても素敵で
大好きです!!
ありがとうございます!
都電、いいですよね〜。
あののんびりとした走りっぷりが何ともいえません。
青春18きっぷ、この春発売のものは、JR発足20周年ということで、値段が8000円と破格ですので、この機会に是非使ってみてください!
のんびり列車の旅は、最高ですよ!
私の旅行記が、少しでもお役に立てれば嬉しい限りです(^^)
これからも、お気軽にお立ち寄りください。
旅猫
-
- syukoさん 2007/01/06 14:20:31
- 何故こんなに心を惹かれるのかなぁ・・
- 年明けから街歩きをされていて、
びっくりです!
でもいつもは人で溢れている都内をのんびりと散策するには、
ぴったりの時期かもしれませんね。
それにしても、小さな電車のある風景って
どうして心惹かれるんでしょうね?
都電、江ノ電、嵐電・・・・
普通に都内を離れると発見する1両だけの電車でも。
見かけるだけで、ちょっと嬉しくなるのが不思議です。
syuko
- 旅猫さん からの返信 2007/01/06 16:26:12
- RE: 何故こんなに心を惹かれるのかなぁ・・
- syukoさん、こんにちは。
正月の都心は、結構空いているので、街歩きにはちょうど良いのです。
あとは、行くぞという気合だけ(笑。
>それにしても、小さな電車のある風景って
>どうして心惹かれるんでしょうね?
街に溶け込んでいるのと、やっぱりのんびりと走る姿でしょうね。
車内に流れる時間も、とても緩やかだし。
街歩きには、ぴったりな乗り物ですね。
-
- あかねちんさん 2007/01/05 22:58:01
- 遅くなりましたが
- あけましておめでとうございます。
早稲田の旅行記とても楽しく拝見させてもらいました。
裏路地の写真、とっても趣があって素敵でした。
それでは、今年もよろしくお願いします。
- 旅猫さん からの返信 2007/01/06 00:31:35
- RE: 遅くなりましたが
- あかねちんさん、こんばんは。
今年もよろしく。
学生の頃から、路地裏を歩くのは好きで、暇さえあれば街歩きを楽しんでいました。
ここ数年は、江戸に興味を持った関係で、歴史を踏まえながらの散策をしています。
東京も、まだまだ捨てたものじゃないですよ!
-
- そよ風さん 2007/01/05 19:35:00
- 今年もよろしくでっす♪
- 旅猫さん、あけましておめでとうございます。
いつもながら、詳細で丁寧な旅行記、楽しく拝見させていただいています。
大通りよりは路地裏を、、目を光らせて歩く楽しさがありますね^^
早稲田駅、いまはどうかわかりませんが、
遠征帰りの貧乏学生たちは文無しで、
駅員の隙を見ては無賃乗車突破が頻繁だったとか、、^^;
それを見て見ぬ振りしてくださった駅員さんもいるのでしょうね〜
私の知っている早稲田の学生さんは、
昔ながらのバンカラタイプが多くて、面白いヒトが多いです。
やっぱ学風って時を経てもあるのでしょうね。
- 旅猫さん からの返信 2007/01/06 00:28:36
- RE: 今年もよろしくでっす♪
- そよ風さん、こんばんは。
今年もよろしくです。
>それを見て見ぬ振りしてくださった駅員さんもいるのでしょうね〜
古き良き時代かもしれませんね。
>やっぱ学風って時を経てもあるのでしょうね。
早稲田といえども、だんだん学風は無くなってきているようですよ。
ただ、東大にしろ、早稲田にしろ、構内に一歩入れば、何ともいえない雰囲気がありますね。
友人に、早稲田卒が結構いますが、かなり個性がありますね(笑。
-
- 義臣さん 2007/01/04 17:49:13
- 早稲田
- 都電、早稲田、はおなじみですが
これ程 細かに見て回って事がありません。
改めて知る事が一杯で、
何れ私も歩いて見ます、
八一の記念館も行こうと思っていますので。
都電を借り切って子ども会で「小石川植物園」へ写生会なんてこともしたことがあります。
- 旅猫さん からの返信 2007/01/04 21:32:37
- RE: 早稲田
- 義臣さん、今晩は。
都電を貸し切っての写生会なんていいですね。
路面電車の速度は、街の風景を眺めるのにはちょうどいい感じ。
車内は狭いけど、なぜか圧迫感が無く、混んでいても嫌な気にならない。
車内を流れる空気や時間が、人の日常に合ってるのでしょうね。
早稲田界隈も、こまめに見て歩くと、新しい発見がありますね。
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