品川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
緊急事態宣言が解除された最初の週末、久しぶりに都内へと出た。訪れたのは、以前から歩いてみたかった旧東海道の品川宿界隈。今回は、とりあえず、北品川宿界隈を歩いてみることにした。<br /><br />(2021.10.08投稿)

江戸を行く ~北品川宿界隈~

126いいね!

2021/10/03 - 2021/10/03

22位(同エリア1075件中)

旅行記グループ 【武蔵国】江戸

6

34

旅猫

旅猫さん

緊急事態宣言が解除された最初の週末、久しぶりに都内へと出た。訪れたのは、以前から歩いてみたかった旧東海道の品川宿界隈。今回は、とりあえず、北品川宿界隈を歩いてみることにした。

(2021.10.08投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

PR

  • 地元の駅から、上野東京ラインに乗り、品川駅で下車。この駅で降りるのは、久しぶりである。新幹線も停まる首都圏でも有数の大きな駅だが、高輪口の駅舎はかなり渋い。そんな駅舎の前に、『品川駅創業記念碑』が建っている。明治5年5月7日とあり、新橋・横浜間の開業日である9月12日より4ヶ月も早い。これは、品川・横浜間が先に暫定開業したためで、ある意味、日本で一番古い駅のひとつと言える。

    地元の駅から、上野東京ラインに乗り、品川駅で下車。この駅で降りるのは、久しぶりである。新幹線も停まる首都圏でも有数の大きな駅だが、高輪口の駅舎はかなり渋い。そんな駅舎の前に、『品川駅創業記念碑』が建っている。明治5年5月7日とあり、新橋・横浜間の開業日である9月12日より4ヶ月も早い。これは、品川・横浜間が先に暫定開業したためで、ある意味、日本で一番古い駅のひとつと言える。

    品川駅

  • 駅に隣接する京急の品川駅の向いに、高山稲荷神社がある。約500年前に京都の伏見稲荷から分霊を勧請した神社だそうだ。社殿の前にあった狛犬は、慶応元年に奉納されたものであった。江戸時代は、北側にある柘榴坂に面して急な石段が続いていたが、現在地へ遷座後は、旧東海道に面して建っている。この社で、旅の無事を祈願した。

    駅に隣接する京急の品川駅の向いに、高山稲荷神社がある。約500年前に京都の伏見稲荷から分霊を勧請した神社だそうだ。社殿の前にあった狛犬は、慶応元年に奉納されたものであった。江戸時代は、北側にある柘榴坂に面して急な石段が続いていたが、現在地へ遷座後は、旧東海道に面して建っている。この社で、旅の無事を祈願した。

    高山稲荷神社 寺・神社

  • 境内の一角に、小さな石像が置かれていた。『おしゃもじさま』と呼ばれるもので、縁結びの神として祀られているらしいが、詳しくは分からないらしい。高輪の台地上にあった石神社に関係するもののようだ。

    境内の一角に、小さな石像が置かれていた。『おしゃもじさま』と呼ばれるもので、縁結びの神として祀られているらしいが、詳しくは分からないらしい。高輪の台地上にあった石神社に関係するもののようだ。

  • 第一京浜沿いに歩き、明治5年(1872)に架けられた日本で最初の跨線橋である八ツ山橋を渡る。ここで道を間違え、旧東海道に入るつもりが同じ場所を二度も通過。その際、大正2年(1913)に架けられた二代目の橋の親柱と高欄を見つけた。

    第一京浜沿いに歩き、明治5年(1872)に架けられた日本で最初の跨線橋である八ツ山橋を渡る。ここで道を間違え、旧東海道に入るつもりが同じ場所を二度も通過。その際、大正2年(1913)に架けられた二代目の橋の親柱と高欄を見つけた。

    八ツ山橋 旧橋親柱 名所・史跡

  • そして、品川第二踏切を渡り、ようやく旧東海道となった。この踏切から北西側の旧東海道沿いに、沢庵和尚と徳川家光の問答で知られる問答河岸があった。今は、海が埋立てられ、往時の様子は全く窺えない。今は長閑な印象すら感じる踏切だが、連続立体交差化事業が進められ、数年後にはこの風景も過去のものになる。

    そして、品川第二踏切を渡り、ようやく旧東海道となった。この踏切から北西側の旧東海道沿いに、沢庵和尚と徳川家光の問答で知られる問答河岸があった。今は、海が埋立てられ、往時の様子は全く窺えない。今は長閑な印象すら感じる踏切だが、連続立体交差化事業が進められ、数年後にはこの風景も過去のものになる。

  • 踏切近くにある品川宿の標柱などを観た後、北品川宿へと入る。少し歩くと、左手に、問答河岸の標柱があった。実際の場所から離れているが、無いよりはましである。この辺りは徒歩新宿と呼ばれていた界隈で、東側の低い場所は、当時海が広がっていた。

    踏切近くにある品川宿の標柱などを観た後、北品川宿へと入る。少し歩くと、左手に、問答河岸の標柱があった。実際の場所から離れているが、無いよりはましである。この辺りは徒歩新宿と呼ばれていた界隈で、東側の低い場所は、当時海が広がっていた。

    問答河岸跡 名所・史跡

  • 右手に鳥屋横丁を見ると、すぐ左手に土蔵相模跡が現れる。『土蔵相模』は俗称で、飯売旅籠屋『相模屋』のことである。奥座敷が土蔵造りだったことから、そう呼ばれたそうだ。桜田門外の変を起こした水戸浪士や、英国公使館を焼討した長州藩士らの集合場所となるなど、歴史の舞台となった場所である。今は、マンションが建ち、当時の面影は無い。

    右手に鳥屋横丁を見ると、すぐ左手に土蔵相模跡が現れる。『土蔵相模』は俗称で、飯売旅籠屋『相模屋』のことである。奥座敷が土蔵造りだったことから、そう呼ばれたそうだ。桜田門外の変を起こした水戸浪士や、英国公使館を焼討した長州藩士らの集合場所となるなど、歴史の舞台となった場所である。今は、マンションが建ち、当時の面影は無い。

    土蔵相模跡 名所・史跡

  • 鳥屋横丁を入ると、北品川駅の南側に出る。その辺りには、磯の清水と呼ばれた湧水があったそうだ。もちろん、現在は失われているが、江戸名所図会にも載るほどの名所だったようだ。

    鳥屋横丁を入ると、北品川駅の南側に出る。その辺りには、磯の清水と呼ばれた湧水があったそうだ。もちろん、現在は失われているが、江戸名所図会にも載るほどの名所だったようだ。

  • 北品川界隈には、車が入れない細い路地が多い。しかも、かなり複雑に入り組んでいる場所もあり、歩いているとなかなか楽しい。そんな路地には、懐かしさを感じる街並みも残っている。

    北品川界隈には、車が入れない細い路地が多い。しかも、かなり複雑に入り組んでいる場所もあり、歩いているとなかなか楽しい。そんな路地には、懐かしさを感じる街並みも残っている。

  • 一旦、旧東海道を離れ、品川浦の名残りを留める船溜まりへと向かう。旧目黒川の河道を利用して造られた八ツ山通りを渡ると、大正14年に竣工した石造りの北品川橋に出る。その橋の上からは、旧目黒川河口にあった品川湊の風情を今に伝える船溜まりがある。かつて、この辺りは海が広がり、海苔の産地であった場所である。<br />

    一旦、旧東海道を離れ、品川浦の名残りを留める船溜まりへと向かう。旧目黒川の河道を利用して造られた八ツ山通りを渡ると、大正14年に竣工した石造りの北品川橋に出る。その橋の上からは、旧目黒川河口にあった品川湊の風情を今に伝える船溜まりがある。かつて、この辺りは海が広がり、海苔の産地であった場所である。

    品川浦 名所・史跡

  • 目黒川が直線化され、海も埋め立てられてしまったが、一部が水路として残り、今は屋形船や釣り船などが舳先を並べている。周辺には船宿が軒を連ね、独特な雰囲気が漂っている。

    目黒川が直線化され、海も埋め立てられてしまったが、一部が水路として残り、今は屋形船や釣り船などが舳先を並べている。周辺には船宿が軒を連ね、独特な雰囲気が漂っている。

  • 品川湊は、江戸城に魚を納める『御菜肴八ヶ浦』のひとつに定められ、当時は江戸前の肴が豊富に水揚げされていたそうだ。その面影は消えてしまったが、湊であった名残は、微かにまだ残っていた。

    品川湊は、江戸城に魚を納める『御菜肴八ヶ浦』のひとつに定められ、当時は江戸前の肴が豊富に水揚げされていたそうだ。その面影は消えてしまったが、湊であった名残は、微かにまだ残っていた。

  • 北品川橋の向こう側は、かつて海だった場所。そこには、外国船に備えるために急造された砲台のひとつ、御殿山下砲台場があった。現在は、周囲の海が埋立てられ、その半分ほどが小学校の敷地となっている。台場に沿って道が造られたため、その形はほぼそのまま残っているそうだ。一角に、発見された台場の石垣を使った記念碑が建っていた。

    北品川橋の向こう側は、かつて海だった場所。そこには、外国船に備えるために急造された砲台のひとつ、御殿山下砲台場があった。現在は、周囲の海が埋立てられ、その半分ほどが小学校の敷地となっている。台場に沿って道が造られたため、その形はほぼそのまま残っているそうだ。一角に、発見された台場の石垣を使った記念碑が建っていた。

    御殿山下台場砲台跡 名所・史跡

  • その近くに利田神社がある。江戸時代、洲崎弁財天と呼ばれていた社で、目黒川と海を隔てていた砂州の突端に鎮座していた社である。周囲の海は埋め立てられ、現在は市街地の中に建つ。小さいながらも風情のある社であった。

    その近くに利田神社がある。江戸時代、洲崎弁財天と呼ばれていた社で、目黒川と海を隔てていた砂州の突端に鎮座していた社である。周囲の海は埋め立てられ、現在は市街地の中に建つ。小さいながらも風情のある社であった。

    利田神社 寺・神社

  • 裏手に、鯨塚と言うものがあった。寛政10年(1798)、品川沖に迷い込んだ鯨を地元の漁師たちが捕らえ、その骨を埋めた場所に建てた供養碑だそうだ。鯨を見ようと多くの野次馬が押し寄せ、時の将軍徳川家斉も上覧したそうだ。当時は、大騒ぎだったことだろう。

    裏手に、鯨塚と言うものがあった。寛政10年(1798)、品川沖に迷い込んだ鯨を地元の漁師たちが捕らえ、その骨を埋めた場所に建てた供養碑だそうだ。鯨を見ようと多くの野次馬が押し寄せ、時の将軍徳川家斉も上覧したそうだ。当時は、大騒ぎだったことだろう。

  • 旧東海道へ戻り、街並みを観ながら歩いて行くと、銅板葺きの正面を持つ看板建築の建物があった。星野屋金物店と言う店舗兼住宅である。上野界隈でもよく見かけるが、一部が銅板葺きで、二階部分には煉瓦が使われているようだ。

    旧東海道へ戻り、街並みを観ながら歩いて行くと、銅板葺きの正面を持つ看板建築の建物があった。星野屋金物店と言う店舗兼住宅である。上野界隈でもよく見かけるが、一部が銅板葺きで、二階部分には煉瓦が使われているようだ。

  • 台場横町を過ぎしばらく会歩くと、品海公園に出た。その入口にある花壇に使われている石は、品川宿の土留めや目黒川の護岸として利用されていたものだそうだ。その石は、房州の鋸山で産出された房州石と呼ばれるものらしい。

    台場横町を過ぎしばらく会歩くと、品海公園に出た。その入口にある花壇に使われている石は、品川宿の土留めや目黒川の護岸として利用されていたものだそうだ。その石は、房州の鋸山で産出された房州石と呼ばれるものらしい。

    品海公園 公園・植物園

  • 公園のすぐ先、右手の路地の先に、法善寺と言う寺院があった。境内には、鎌倉時代の板碑などが保存されていた。本殿脇に立つ大銀杏は、樹齢約400年だそうだ。本殿の側面には煉瓦が使われているそうだが、見落としてしまった。

    公園のすぐ先、右手の路地の先に、法善寺と言う寺院があった。境内には、鎌倉時代の板碑などが保存されていた。本殿脇に立つ大銀杏は、樹齢約400年だそうだ。本殿の側面には煉瓦が使われているそうだが、見落としてしまった。

    法禅寺 寺・神社

  • 再び旧東海道へ戻ると、すぐ左手に細い路地があった。江戸時代、北品川宿三丁目と徒歩新宿一丁目の境となっていた溜屋横丁である。横町の先には目黒川が流れ、鳥海橋が架けられていたが、今は川も橋も無い。

    再び旧東海道へ戻ると、すぐ左手に細い路地があった。江戸時代、北品川宿三丁目と徒歩新宿一丁目の境となっていた溜屋横丁である。横町の先には目黒川が流れ、鳥海橋が架けられていたが、今は川も橋も無い。

  • 溜屋横丁を過ぎると、慶応元年から続く履物屋『丸屋』があったが、残念ながら休みであった。雪駄でも買おうかと思っていたので残念だ。その斜向かいには、安政2年(1854)に井伊直弼により開山された一心寺がある。現在は、成田山に所縁があるようだ。

    溜屋横丁を過ぎると、慶応元年から続く履物屋『丸屋』があったが、残念ながら休みであった。雪駄でも買おうかと思っていたので残念だ。その斜向かいには、安政2年(1854)に井伊直弼により開山された一心寺がある。現在は、成田山に所縁があるようだ。

    一心寺(東京都品川区) 寺・神社

  • その一心寺の向いに、虚空蔵横町と呼ばれている路地があった。江戸時代には鉤の手となっていたが、今は直線の道となっていた。路地の奥には、名前の由来となった虚空蔵菩薩を祀る養願寺が見えている。

    その一心寺の向いに、虚空蔵横町と呼ばれている路地があった。江戸時代には鉤の手となっていたが、今は直線の道となっていた。路地の奥には、名前の由来となった虚空蔵菩薩を祀る養願寺が見えている。

  • 路地へと入り、養願寺へと向かう。正安元年(1299)に開創された寺で、以前は、阿弥陀如来が本尊だったそうだ。寺から南へと続く路地に、煉瓦造りの塀があるそうだが、ここでも見落としてしまった。

    路地へと入り、養願寺へと向かう。正安元年(1299)に開創された寺で、以前は、阿弥陀如来が本尊だったそうだ。寺から南へと続く路地に、煉瓦造りの塀があるそうだが、ここでも見落としてしまった。

    養願寺 寺・神社

  • この界隈は、特に道が入り組み、味わいのある路地が多い。未だに井戸が残る場所もあるそうだ。江戸から昭和にかけての街の歴史が漂っている。

    この界隈は、特に道が入り組み、味わいのある路地が多い。未だに井戸が残る場所もあるそうだ。江戸から昭和にかけての街の歴史が漂っている。

  • 三度旧東海道へと戻り、さらに歩いて行く。道沿いには、看板建築の建物などが残っている場所もあるが、建て替えられ、低層のビルとなっている区画がかなり増えている。高さ制限があるのかもしれないが、街並みとしては終わりつつある。

    三度旧東海道へと戻り、さらに歩いて行く。道沿いには、看板建築の建物などが残っている場所もあるが、建て替えられ、低層のビルとなっている区画がかなり増えている。高さ制限があるのかもしれないが、街並みとしては終わりつつある。

    東海道品川宿 名所・史跡

  • その先には、北品川本宿二丁目と三丁目の境になっていた竹屋横丁がある。江戸時代から残る道は、ほとんど拡幅されていないようだ。古地図と照らしても、ほぼぴたりと合うので嬉しくなる。

    その先には、北品川本宿二丁目と三丁目の境になっていた竹屋横丁がある。江戸時代から残る道は、ほとんど拡幅されていないようだ。古地図と照らしても、ほぼぴたりと合うので嬉しくなる。

  • 山手通りの手前まで来ると、聖蹟公園の入口があった。そこは品川宿の本陣跡である。建物はまったく残っていないが、井戸跡や庭石らしきものがあった。

    山手通りの手前まで来ると、聖蹟公園の入口があった。そこは品川宿の本陣跡である。建物はまったく残っていないが、井戸跡や庭石らしきものがあった。

    聖蹟公園 (品川宿本陣跡) 公園・植物園

  • 本陣跡の先で、旧東海道は山手通りに分断されている。その大通りは、元の町割りなどは全く無視して造られたため、ある意味、歴史の破壊者とも言える。そんな無粋な通りを渡ると、斜めに細い路地が続いている。これが、陣屋横丁である。北品川本宿一丁目と二丁目の境となっていた道だ。山手通りに分断され、今は旧東海道と接していない。

    本陣跡の先で、旧東海道は山手通りに分断されている。その大通りは、元の町割りなどは全く無視して造られたため、ある意味、歴史の破壊者とも言える。そんな無粋な通りを渡ると、斜めに細い路地が続いている。これが、陣屋横丁である。北品川本宿一丁目と二丁目の境となっていた道だ。山手通りに分断され、今は旧東海道と接していない。

  • 旧東海道が山手通りとぶつかる交差点の西側に、天神湯と言う銭湯らしからぬ佇まいの施設があった。名前の由来は、江戸時代、この場所に清瀬天満宮と言う社があったことに因むのだろう。後で北品川温泉と言う温泉施設と知り、立ち寄ればよかったと後悔した。

    旧東海道が山手通りとぶつかる交差点の西側に、天神湯と言う銭湯らしからぬ佇まいの施設があった。名前の由来は、江戸時代、この場所に清瀬天満宮と言う社があったことに因むのだろう。後で北品川温泉と言う温泉施設と知り、立ち寄ればよかったと後悔した。

    北品川温泉天神湯 温泉

  • 天神湯の北側に、品川神社の参道である旧北馬場町の街並みが続いている。その通りを、新馬場駅の方へと歩いて行くと、右手に正徳寺と言う寺があった。参道と山門があり、境内は狭いながらも寺院らしい佇まいであった。それにしても、品川界隈は寺が非常に多い場所である。

    天神湯の北側に、品川神社の参道である旧北馬場町の街並みが続いている。その通りを、新馬場駅の方へと歩いて行くと、右手に正徳寺と言う寺があった。参道と山門があり、境内は狭いながらも寺院らしい佇まいであった。それにしても、品川界隈は寺が非常に多い場所である。

    正徳寺 寺・神社

  • 旧北馬場町には、銅板葺き看板建築の建物が3軒残っていた。近くには、駄菓子屋に近いような菓子屋もあり、そこそこ風情がある。とは言え、駅が近いので、高層マンションもあり、再開発の波が近付いている。

    旧北馬場町には、銅板葺き看板建築の建物が3軒残っていた。近くには、駄菓子屋に近いような菓子屋もあり、そこそこ風情がある。とは言え、駅が近いので、高層マンションもあり、再開発の波が近付いている。

  • そんな旧北馬場町の北側の路地裏には、於春稲荷と言う小さな社があった。周辺は、江戸時代、小泉長屋と呼ばれた貸長屋が建っていた場所だそうだ。社の由来は諸説あり分からないようだが、於春と言う娘に所縁があるようだ。現在でも、火伏稲荷として例大祭を行っているそうだ。

    そんな旧北馬場町の北側の路地裏には、於春稲荷と言う小さな社があった。周辺は、江戸時代、小泉長屋と呼ばれた貸長屋が建っていた場所だそうだ。社の由来は諸説あり分からないようだが、於春と言う娘に所縁があるようだ。現在でも、火伏稲荷として例大祭を行っているそうだ。

  • 社からすぐの場所に、井戸の跡が残っていた。長屋があった当時から、この界隈で大切に使われていたものなのだろう。役目を終えた今も、撤去されずに残されている。しかし、周囲の民家も新建材の家が建ち並び、住む人の世代が変われば、邪魔者として消え去ることだろう。

    社からすぐの場所に、井戸の跡が残っていた。長屋があった当時から、この界隈で大切に使われていたものなのだろう。役目を終えた今も、撤去されずに残されている。しかし、周囲の民家も新建材の家が建ち並び、住む人の世代が変われば、邪魔者として消え去ることだろう。

  • 新馬場駅の近くまで来ると、地図に『品川娯楽館跡』と言う表示を見つけた。その場所へ行ってみたが、何も無い。調べてみると、旧品川宿にあった三軒の映画館のひとつ『娯楽館』があった場所だそうだが、今はファミリーマートが入るマンションになっていた。その奥に空き地と駐車場があったが、その場所は、江戸時代までは南側に建つ本照寺の境内だった場所である。

    新馬場駅の近くまで来ると、地図に『品川娯楽館跡』と言う表示を見つけた。その場所へ行ってみたが、何も無い。調べてみると、旧品川宿にあった三軒の映画館のひとつ『娯楽館』があった場所だそうだが、今はファミリーマートが入るマンションになっていた。その奥に空き地と駐車場があったが、その場所は、江戸時代までは南側に建つ本照寺の境内だった場所である。

  • 歩き疲れたので、品川神社には寄らず、新馬場駅から帰ることにした。京浜急行に乗るのは久しぶりである。子供の頃は、沿線に親戚の家があったので、年に何度も乗っていた。車両は変わっても、やはり京急らしい雰囲気がある。<br />次に来るときには、南品川宿を歩いてみようと思う。

    歩き疲れたので、品川神社には寄らず、新馬場駅から帰ることにした。京浜急行に乗るのは久しぶりである。子供の頃は、沿線に親戚の家があったので、年に何度も乗っていた。車両は変わっても、やはり京急らしい雰囲気がある。
    次に来るときには、南品川宿を歩いてみようと思う。

    新馬場駅

126いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (6)

開く

閉じる

  • pedaruさん 2021/10/09 05:09:29
    一緒に歩こう江戸の街
    猫旅さん おはようございます。

    普通なら見過ごしてしまう街並みですが、別の視点から見ると、興味が尽きないですね。どこにもある歴史、しかし江戸はちょっと別格、私も真似をして歩いてみたいと思います。
    適当な参考書が欲しいところです。「東京都の歴史散歩」というのを見つけました。
    小岩、平井周辺はこの本を手にして歩いてみました。地味ですが、面白いですね。

    猫旅さんの好奇心は一つの石碑も見逃さないですね。新建材の家が多くなりましたが、
    味気ないですね。御徒町あたりには銅板葺きの店舗が結構ありますが、木造住宅ですので、そろそろ寿命です。今のうちに写真に残しておきたいです。
    ブリキ職人の技ももう発揮するところが少なくなりました。大量生産のプラスチック全盛の時代です。寂しい気がします。

    次の旅行記を楽しみにしています。

    pedaru

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/10/09 09:26:45
    RE: 一緒に歩こう江戸の街
    pedaruさん おはようございます。

    書き込みありがとうございます。
    旧東海道の宿場町とは言っても、都心にある普通の街ですが、古地図を観ながら、そして、説明板などを読みながら歩いていると、なかなか楽しいですね。
    江戸の街は、小説などにも登場するので、興味は尽きないです。
    特に、『鬼平犯科帳』は江戸の町の地名や寺社などがたくさん出て来るので、古地図と今の地図を見比べて場所を特定するのは面白いです。
    『東京都の歴史散歩』、私も持っています。

    新建材の建物は、綺麗ですが味気ないですね。
    歴史ある場所も、そんな家ばかりになると、趣も何も無くて。
    東上野界隈には、まだたくさん残っています。
    とは言え、どんどん減っていますが。
    小池都知事が、下町の木造住宅を目の敵にしているので、困ったものです。
    写真を撮りに歩き回りたいのですが、仕事やコロナのおかげで、手付かずです。

    プラスティックは、これから減らさないといけません。
    もう少し、木や紙、金属を使ったものを増やさないと。
    そして、職人の手仕事も後世に残して欲しいものです。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2021/10/08 23:33:50
    品川宿
    旅猫さん こんばんは。

    八ツ山橋と聞けば、新春の大学駅伝をイメージします。
    あの辺りに こんな街並みが残っているのですね。
    東京は、いつもどこかで再開発されているのに 忘れ去られたように古い町並みが残っているのが面白いし、魅力的ですね。
    品川は古くからの港町だったのですね。 
    船溜まりを見れば海の香りが漂っていそうです。
    道の真ん中に井戸のポンプが残っているのはビックリでした。

    地震の影響はありませんでしたか?
    日本国中 いつ地震があってもおかしくないですね。
    しばらく余震にも気を付けて下さいね。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/10/09 08:49:25
    RE: 品川宿
    ポテさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    関東では、久しぶりに大きな地震でしたが、大丈夫でした。

    八ツ山橋の先から大森海岸近くまでが旧品川宿です。
    かなり大きな宿場だったようです。
    宿場の風情は残っていませんが、道幅が狭く、車もあまり入ってこないので、旧街道沿いの面影は微かに残っています。
    再開発の波は近寄ってきていて、数年後には大きく変わっていることでしょう。
    品川は江戸でも有数の港町で、特に海苔は特産品だったそうです。
    浅草海苔の原料は、ほとんど品川産だったそうですよ。
    今は、面影すら残っていませんが、船溜まりに湊町だった名残を感じます。
    新馬場駅近くの路地裏には、最近まで井戸がいくつか残っていたそうです。
    しかし、再開発でほとんど失われてしまったそうです。

    旅猫
  • salsaladyさん 2021/10/08 10:24:05
    おしゃもじ様~北品川天神湯♨?
    ☆10月に入って一週間目‼大きな地震が!震源地千葉北西部‼(我が家から近い)!

    ☆一夜明けると、やはり鉄道網がズタズタ¿点検のためとはいえ、新幹線からローカル線までほとんどが遅延または運休~こんな時でも働きバチ日本の真面目な姿が列を~

    ☆こういう場合を想定して、東京の下町ならぬ江戸の名残を求めて歩くって意味あり?

    ☆北品川がこれ程歴史的に意義のある旧東海道にあり、竹屋横丁?など説明が無ければ単なる寂れた住宅地?かと思うだけだが。。。(申し訳ない)

    ☆21世紀は何が起こるかわからないから、京急に乗って知らない街を歩いておくのもいい経験だわね。帰りに天神湯でひとっ風呂浴びれば爽快だったでしょうに。。。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/10/09 08:41:46
    RE: おしゃもじ様?北品川天神湯♨?
    salsaladyさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    あの地震、寝込みを襲われましたが、こちらは震度4でした。
    仕事は午後からだったので、朝のぐたぐたな電車には巻き込まれませんでした。

    都心部は、どんどん再開発されてしまうので、時間のある時には歩いておかないと、あっという間に街並みが変わってしまいますので。

    北品川宿もただ歩いていれば、普通の商店街ですね。
    説明板があるので分かるのと、古地図と見比べて歩けば、どの道が江戸時代からあるのかが分かるので、楽しめます。

    天神湯に入らなかったのが、悔やみです。
    旅猫

旅猫さんのトラベラーページ

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

品川の人気ホテルランキング

PAGE TOP

ピックアップ特集