2006/08/10 - 2006/08/20
9398位(同エリア17057件中)
スキピオさん
通りは歩くと楽しい。人と同じように、通りにもさまざまな顔があるように、通り名にもさまざまな歴史と思いが込められている。
【サン・マルタン運河(10区)】
アメリはこのあたりで水切りをしたのだろうか。対岸(ヴァルミ−河岸)の建物が水面に映って美しい。
ヴァルミーはマルヌ川沿いの町の名に由来する。
革命中の1792年9月20日、この町で革命軍が初めてオ−ストリ−、プロシャ軍に勝利する(ヴァルミーの戦い)。これを知ったドイツの詩人ゲ−テは感激して次のように言った。
「この地、この日に世界史の新たな時代始まる」
-
【マルチ−ル通り(18区)】
モンマルトルのメトロ駅「アベッス」のすぐ隣は舗装工事中だった。今頃は美しい石畳が完成しているかも・・・
この恐ろしい名(マルチール=殉教者)はかつてこの丘でサン・ドニを始め殉教者を多数出したことから、殉教者のための礼拝堂を建立したことに由来する。 -
【シャルトル通り(18区)】
モンマルトルのサクレ・クールが通りの奥に見える。これもフュゾ−規制のおかげだろうか。
この通りに巡礼地の名の付いているが、実はキリスト教とは関係ない。
七月王政の国王ルイ=フィリップの孫ロベール・ドルレアン(1840〜1910)、つまりシャルトル公に由来する。
通りはどちらかといえばアラブ人街、サクレ・クールの東側に位置する地味な通りだ。 -
【ラクデュック通り(10区)】
北駅の東側です。
通り名は、この道路がル−ルク運河の水を導く水道橋(L'Aqueduc)の上に作られたので。 -
【サン・ラザ−ル駅前(8区)】
《我らが惑星を守るために行動すること、それはゴ−ルでも最高のナイスゴールだ》
ジダンは語りかける。
駅前の「サン・ラザ−ル通り」はレプラ(癩病)施療院の名(maison Saint-Lazare)に由来する。のちこの建物は監獄など色々用途は変わる。また、不思議だが、位置はむしろ東駅に近い。
サン・ラザールはイエス・キリストの奇跡でも最も有名な「ラザロの復活」のラザロだ。だから、施療院の名前として最適と言える。 -
【ジェネラル・ルクレ−ル大通り(14区)】
自動式のトイレ、以前有料でしたがこの夏から無料になっています。
通り名はルクレ−ル将軍(1902〜47、死後元帥に昇進)に由来する。この第二次世界大戦の英雄はフランスでもっとも人気のある軍人だ。おそらくルクレ−ルのつく通り名は各町に数多く存在するだろう。
北アフリカ、ノルマンディ−で指揮をとり、パリ解放の一番乗りを果たす。飛行機事故で死亡。
《訂正》失礼しました。このトイレは【シャルル・フィリオン広場(17区)】にあります。17区のしゃれた公園「バティニョル公園」の入口(出口)のところです。
シャルル・フィリオン(1883〜1917)は市会議員でしたが、第一次世界大戦の犠牲となり、早くも1919年にはこの広場の名となりました。 -
【バスチ−ユ記念塔(11区)】
もちろん、ここはバスチ−ユの監獄があったところ。つまり革命勃発地点だ。
城塞として工事が始まったのが1370年、その18年後にはもう牢獄として使われ出した。
1789年7月14日には、ここを占拠するのに死者は百人以上にのぼったが、解放された囚人は7人だけだった。もっとも、武器を奪取するのが狙いだったのだが。 -
【バスチ−ユ広場の売店(11区)】
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【ドメニル大通り沿いのヴィアデュック(12区)】
かつての列車の高架線の下は美しいアトリエ、ブティックに変身。
通り名のドメニルはナポレオン麾下の将軍の名前から(1776〜1832)。
彼は、1809年ウィ−ン近郊での激戦ワグラムの戦いで片足を失う(ナポレオン軍の勝利)。
後に、ヴァンセンヌの城の司令官となり、ナポレオンが失脚した1814年に、パリに迫った同盟軍(オーストリー、プロシャなどなど)の城明け渡し要求に対し次のように極めて論理的に返答したとか・・・
「足を返してくれたら、ヴァンセンヌを返そう!」 -
【シャラントン通り(12区)】
通り名の由来はパリ近郊の町・・・これが単なる町ではない。ジャンヌ・ダルクの時代からナポレオンまでつねに戦争に巻き込まれ続けた・・・の名前による。 -
【ドメニル大通り(12区)】
さすがパリの警察署、ミケランジェロの「瀕死の奴隷」がなまめかしく・・・ -
【サン・タントワ−ヌ通り(4区)】
これがパリのガソリン・スタンドです。歩道の左側に店はあり、給油は車道に止まったまま。
通り名の聖アントワ−ヌはエジプトの聖者、ありとあらゆる俗世と悪魔の誘惑を退けて105歳まで生きた。小説ではフロベールの『聖アントワ−ヌの誘惑』、絵画ではブリューゲル、ボッスの聖アントワ−ヌが有名だ。彼はいつも豚を連れている。 -
【フェロヌリー通り(1区)】
パリの真ん中を牛が歩いているわけではありません。牛乳製品の店です。
フェロヌリー(鉄細工)という名は、1229年聖王ルイ(サン・ルイ、英語でセイント・ルイス)が金物職人たちをここに住まわせたことから。 -
【バレス通り(4区)】
オテル・ド・ヴィルの東側、サン・ジェルヴェ教会裏の素敵な一郭。
かつてここに柵(barriere)があり、1250年には、barriere を縮めた名を持つ館、Hotel des Barres が建てられて、通り名となったという。 -
【テルヌ通り(17区)】
建物の外側に異様な装飾が施される。うわさでは居住している芸術家たちのなせる業とか・・・
通りの名は、ここに Externe とか Esterne とか呼ばれた農場の名が変化して、Ternes になったらしい。ちなみにExterne とは外側の意。 -
【ペ−ル・テイヤ−ル・ド・シャルダン広場に立つランボ−像(4区)】
詩人アルチュール・ランボー(1854〜91)についてはその早熟の天才ぶりはつとに有名。また、詩人ヴェルレ−ヌとの痴情沙汰は映画にもなり、さらに有名だ。
そのヴェルレ−ヌが少年詩人を表して「風の靴底を持つ男 l'homme aux semelles de vent」と書いたのを、彫刻家イプストギは故意か偶然か「靴底が前にある男 l'homme aux semalles devant」(発音は全く同じ)と解釈し、写真の彫刻を製作した。そのために足が頭のところにある(「ミシュラン」による)。
シャルダン師(1881〜1955)は神学者、哲学者、古生物学者、とりわけ科学とカトリックの融合に努めた。
左側の建物はアルスナル図書館、1824年にここの司書となった作家のノディエがユゴーやミュッセやデュマたちをここに招き、ロマン派文学運動の発祥地となった。 -
【ヴェルヌイユ通り(7区)】
落書きは世界中から来たファンの情熱。作詞、作曲家・歌手のセルジュ・ゲンスブールはそのカリスマ的な魅力で強烈な引力を持つ。「夢見るシャンソン人形」「リラの門の切符切り」は不滅ということか。
この家の壁に思いのたけを表現するがいい。
落書きの家は、今は亡きセルジュ・ゲンスブ−ルの家だから。
通り名は、サン・ジェルマン・デ・プレの修道院長、ヴェルヌイユ公爵に由来する。彼は、ブルボン王朝の始祖にして、ナントの勅令を出した、あの「女たらし王」の異名を持つアンリ4世の私生児だった。母親はアンリエット・ダントラーグ、王と結婚の約束までしたのに果たせなかった。
王妃の座についたのは、ル−ブル美術館の至宝、ル−ベンスの手になる『マリー・ド・メディシスの生涯』で有名なマリーだ。 -
【ボナパルト通り】
サン・ジェルマン・デ・プレ教会近くに立つザッキンの作品。
通り名の由来は言うまでもなくナポレオン・ボナパルト(1769〜1821)から。 -
【ダンテ通り(5区)】
ノ−トル・ダム大聖堂に向かっていると、かわいい車が、鼻をくっつけて(フランス風に?)止まっていた。
通り名はもちろんイタリアの大詩人、『神曲』のダンテ・アリギエリ(1265〜1321)から。
名付けられたのは最近で、1892年。 -
【サルトル=ボ−ヴァ−ル広場(6区)】
これはロマネスク建築の傑作、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の隣にある小さい小さい広場だ。この実存主義哲学とフェミニスムのカップルは、すぐ近くのカフェ「ドゥー・マゴー」と「フロール」を書斎代わりにしていたとか。 -
【ロモン通り(5区)】
なかなかエスプリに富んだ歩道の落書き。このあたりは、まさにラテン区、骸骨の標本のある医学部は近くにはないけれど・・・
通り名は、人文学者にして文法学者、司祭シャルル・ロモン(1727〜1794)に由来する。
彼は学者として教育者としてすぐれた業績を残した。しかし革命は彼を宣誓拒否僧として処刑しようとした。その時ジャコバン派の革命家タリアンはかつての師の命を救うことに成功する。が、翌年貧窮のうちに他界。 -
【ブロソレット通り(5区)】
物理・化学産業高等専門学校の壁にある、アンペ−ルの浮き彫り。アンペール(1775〜1836)は物理・数学者、あの、電気のアンペアーの人。
通り名は政治家でド・ゴールの相談相手のピエール・ブロソレット(1902〜43)に由来する。ナチスの占領下時代、彼は国内のレジスタンスをまとめるためにパラシュートでフランス国内に潜入する。だが、ついにゲシュタポに捕らえられる。拷問を前に秘密を吐かされるのを嫌い、5階から身を投げる。 -
【ブロソレット通り(5区)】
物理・化学産業高等専門学校の壁に書かれた碑文がキュリー夫妻(ピエール:1859〜1906、マリー:1867〜1934)のラジウム発見の地を示す。 -
【エラスムス通り(5区)】
左の建物が、フランスの頭脳を輩出する、あの有名な「エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)」。革命時代に創設され、約二百年の歴史を持つ。
通り名はオランダの人文主義者、『愚神礼讃』の作者、エラスムスによる。 -
【ユルム通り】
カルチェ・ラタン(ラテン区)の象徴、パンテオンをユルム通りの奥に望む。
通りの名は、ナポレオン戦争の戦場となったドイツの町の名に由来する(1805)。
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この旅行記へのコメント (7)
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- パルファンさん 2006/12/20 00:09:41
- 学ぶこと
- スピキオさん
パリの街の風物情景と通り名に由来する記述・・素晴らしいです!
これだけご存知ならまとめて本になりますね。
地名・広場に人の名を使うのはあちらでは当たり前なのでしょうが、日本には、全くと言ってよい程ない?
関西は通り名・町名に意味を持った所が多々あります。でも、人名は・・
最近の合併でその旧い由来ある地名が消え、ご都合主義の地名が付けられていくのに憂いを覚え、スピキオさんのコメントに共感し書き込んでしましました。国税を使って、毎年多くのお役人は視察(?)をしに行くわけですから、きちんと学んで来て欲しいなぁ、っていつも感じます。
これからも、旅行記を楽しみに、且つ学ばせて頂きます。
- スキピオさん からの返信 2006/12/22 17:44:28
- RE: 本当に・・・
- 本当に、そうですね。パルファンさん。日本にも人名の名前こそありませんでしたが、良い名前の町名や村名がたくさんありました。けれど、合併や町名変更でだんだんなくなってしまいます。かく言う僕の住む町もそうです。地名には歴史と人の思いが詰まっています。それを・・・おっしゃる通りご都合主義で簡単に変えられては悲しいです。
確かにヨ−ロッパは通り名や広場名に人間の思い(執念)を封じ込めているような気がします。歴史は人の営み、結局は歴史を大切にする心のなせる業かも知れません。メトロの駅名に「Stalingrad (スタリングラード)」があります。この名前は本国にすらありません。駅名はこの近くにある「スタリングラ−ドの戦い広場」からきています。歴史は簡単には捨てられない、こんなところに、パリッ子の心意気を感じます。
パリにある通り名で僕の好きな名前は「Chat-qui-peche (釣りをする猫)通り」です。これは5区にある何の変哲もない細くて幅も2メートル位の狭い通りで、家の看板(セーヌ川の河岸に近い)が由来だそうです(16世紀から)。
失礼しました。
-
- おばQさん 2006/12/18 12:34:17
- 造詣がお深いのですね。。。
- お久しぶりです。おばQです。
通りの名前や由来まで、本当に造詣が深くていらっしゃいますね。
スキピオさんのレベルくらいにお詳しければ街を歩いていても
楽しさは格段でしょうね。。
楽しく読ませていただきましたので投票させていただきました。
- スキピオさん からの返信 2006/12/18 13:10:09
- お礼
- おばQさん、僕の旅行記に来て下さりありがとう。まして、投票までして下さり、感激しています。
どこの町でもそうでしょうが、色々な思いが通りには秘められているのでしょうね。でも、日本の通りは名無しが大半なので残念です。また、町名も変容し、無味乾燥な名前になってしまいます。たとえば「蒲田」と「大森」の「大田区」や「立川」と「国分寺」の「国立市」のような合体型や、「さいたま市」「西東京市」のような安易型です。
もし上に挙げた町に住んでいらしたら、許して下さい。決して悪気はありません。僕もそういう名を持つ町に住んでいます。
-
- おでぶねこさん 2006/12/17 17:33:26
- たくさんのドラマを踏みしめてるんですね。
- スキピオさん。こんばんは。
一味もふた味も違うパリ散歩を
楽しませていただきました。
さまざまな歴史と想い・・・・。
古の出来事に思いを馳せると
いつもの通りも違った道に見えてきますね。
フランス人の方でもこれほどの由来を語れる人は少ないのでは・・・。
素敵なパリ散歩ありがとうございました。
おでぶねこ
- スキピオさん からの返信 2006/12/18 21:06:24
- RE: ありがとう。
- おでぶねこさん、「街歩き」を見て下さりありがとう。
ところで、エレーヌ・セガラの歌ですが、Mumaine だけ訳してみました。よくわからないところがありますが、こんな感じです。
♪人間らしく
子供の頃の絆が
断ち切られることが決してありませんように
自分の不幸がわかる
そんな本を決して開きませんように
私が私でないものに
決して見えませんように
私が形成されたそのままでありますように
見た目で判断されませんように
武器を磨いて
心がかたくなになることがありませんように
スポットライトの光の輪の中で
作り涙を流しませんように
血の滲む人生を目のあたりにして
決して冷淡な心持ちになりませんように
愛する人たちにかこまれたまま
いつまでも自分の居場所にいられますように
これが私の願いのすべてです
愛が私の先回りをしているところで生きたいのです
苦痛で流す血によって
私の心に好きなだけ涙を流させながら
ただただ私自身
人間らしく、人間らしくあり続けながら
時が私を蝕む、そんな日が
手帳のページの一葉ごとに
私の恋を書き込むような
そんな日が決して来ませんように
世界中のダイヤモンドが
宝石箱の中で眠ってしまいますように
深い、一番深い喜びが
思いもかけず私のもとにやって来ますように
二まで、それ以上は
数えることができませんように
神々の丘に
登ろうとしない限りは
迷いの道で
私の大切な夢を実現できますように
あなたに似た人たちと
人生の途上、出会いながら
これが私の願いのすべてです
愛が私の先回りをしているところで生きたいのです
苦痛で流す血によって
私の心に好きなだけ涙を流させながら
ただただ私自身
人間らしく、人間らしくあり続けながら
恥ずかしながら、以上です。間違いがあると思います。ご容赦を!
- おでぶねこさん からの返信 2006/12/18 22:19:52
- RE: たくさんのドラマを踏みしめてるんですね。
- スキピオさん。こんばんは。
Humaine・・・素敵な歌詞ですね。
本当にありがとうございました。
『私が私でないものに、決して見えませんように・・・。』
ここのところが大好きです。
毎朝の通勤の時にHumaine聞いています。
朝から自分の世界に浸ってしまいそうですが・・・。
そんな時間も必要ですよね。(*^^*);
今夜からは歌詞を思い浮かべながら
ゆっくり聞いてみたいと思います。
おでぶねこ
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