2006/08/19 - 2006/08/19
10735位(同エリア17057件中)
スキピオさん
十七区と八区に住む富裕層の人たちの憩いの場、モンソ-公園は、その出自からして違います。なにしろ、あのオルレアン公(平等公)の庭園として出発したのですから。もっともこの、親戚(ルイ16世)を断頭台に送ったフィリップ・エガリテ(平等公)も権力闘争の果てに自らもギロチンの露となってしまいましたが。
その革命時の1797年、モンソー公園は歴史的な地点として名を残すことになりました。世界最初のパラシュートがここに着陸したのです。
えっ?飛行機もヘリコプターも、もちろんエッフェル塔もない時代にどこから降りて来たかですって?
実は、1783年にモンゴルフィエ兄弟が熱気球を飛ばすことに成功していました。つまり気球から、ということです。
【モンソ-公園の「ヴァン・ディク(ダイク)大通り」出入り口から凱旋門を望む】
ここは凱旋門のある「エトワ-ル広場」から出る放射線状の道路のひとつ「アヴニュー・オッシュ」大通りの突き当たりとなります。
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【モンソ−公園入口のロトンド(円堂)・・・ルドゥ−作】
18世紀末、入市税を確実に徴集しようと57の入市税徴収所が作られました。このロトンドはそのひとつ、設計はルドゥーによります。
現在は公園口を飾るとともにトイレとして活躍しています。
サン・マルタン運河の北端にあるヴィレットのロトンドも同じ設計士によるものです。 -
【出入り口の鉄の門と柵】
この公園はシンガー・ソング・ライターのイヴ・デュテイユの初恋の場だったのでしょうか。彼はこんなふうに歌っています(曲名「モンソー公園で」)。
♪♪♪Le Parc Monceau
Premier baiser de mon histoire
Sur un des bancs d'une allee noire
Un peu d'espoir / La peur
La folle envie d'oublier l'heure / Ma main posee contre son coeur...
♪♪♪モンソ−公園/僕という物語の中で初めてのキスシーン
暗い小道のベンチにかけて/かすかな希望/怖れ
時間よ止まれという狂おしい思い/あの娘のハートに手をあてたまま・・・ -
【若い頃のイヴ・デュテイユ】
シャルル・クロ賞をとった頃の写真。LPレコードのジャケットから写真を転載しました。
甘い顔をしていたイヴ・デュテイユ(1949年生)も今はオジサンの年齢、どんなお姿をしているのでしょうか。
善良そのものを絵に描いたような彼は、紡ぎ出す歌詞も甘く、穏やか、あくまで人間を信じて楽天的です。そのためでしょうか、この心優しい歌手は乞われてセ−ヌ・エ・マルヌ県にある小さな村プレシ−・シュル・マルヌの村長(「さん」をつけたくなる)をしています(手元の地図では215人の村らしい)。
ちなみに「モンソ−公園で」もいいですが、「子どもを抱いて」は子ども好きの彼、というより子ども好きのフランス人を彷佛とさせるすばらしい曲です。
彼は何年か前に日本でコンサートをしましたね。 -
【ローマのハドリアヌス帝の別荘を彷佛とさせる古代ローマ風の列柱】
列柱の下でマダムがさかんに僕たちを呼んでいました。「イシ、イシ・・・ ici, ici(ここ、ここを見て)」
何ごとかと思い、駆け付けて、マダムが手を指すほうを見ると・・・ -
【子鴨たちがぞろぞろと・・・】
この池は、古代ローマ人の海戦の模様を再現する「模擬海戦場 Naumachie」という名が付けられていますが、目の当たりにしている光景は、なんとも平和でかわいいものでした。
お母さん鴨が、水面で待っています。「早くいらっしゃい!水浴びしますよ」
「君、先に入れよ」
「君こそ」
「僕たち、入らないよ。勝手に遊んできたら」 -
【公園で遊ぶ母子たち】
子どもの遊び場では、「僕歩けるよ」 -
【ギ−・ド・モ−パッサン像】
文豪永井荷風は、パリに着いた日、なにはともあれモンソ−公園に駆け付けてこのモ−パッサン像に挨拶をしました。彼は、モ−パッサン(1850〜93)をずっと師と仰いでいたからです。
「脂肪の塊」「女の一生」「ベラミ」など、モーパッサンは日本の近代小説に深い影響を与えました。 -
【作曲家アンブロワーズ・トマの像】
トマ(1811〜96)はオペラとオペラコミックで人気を博しました。特に『ミニョン』 『ハムレット』が有名です。 -
【のんびりとした公園風景】
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【作曲家シャルル・グノーの像】
グノー(1818〜93)も19世紀を代表するオペラ、オペラコミックの作曲家です。『ミレイユ』『ロミオとジュリエット』が有名。 -
【ジョギングをする人たち】
ベンチに腰を下ろして休んでいると、さまざまないでたちでジョギングをする老若男女が目の前を通り過ぎていきました。 -
【アルフレッド・ミュッセの像】
この公園に女流作家ジョルジュ・サンドに愛された人物が二人います。そのひとりがミュッセ(1810〜57)です。
それならば上の女性はサンドでしょうか。
人妻だったサンドは愛するミュッセとヴェネチアに道行きをします。でも、そこが恋の終焉の地となってしまうとは・・・
サンドは我が儘なミュッセに愛想をつかしたばかりか、こともあろうに病気になったミュッセを診た医者と恋に落ちてしまいました。傷心のミュッセ。
彼は傑作の誉れ高い、戯曲『戯れに恋はすまじ』を書いています。
映画『年下のひと』はミュッセとサンドの恋物語、ミュッセを(『王は踊る』の)ブノワ・マジメルが、サンドをあの『ショコラ』のジュリエット・ビノシェが演じました。
こともあろうに、二人はそのまま愛し合い、結婚してしまったそうな・・・ -
【フレデリック・ショパンの像】
恋多き女が愛した二人目の芸術家は作曲家のショパン(1810〜49)でした。
サンドは身体の弱いピアニストを思いやり、冬は地中海のマジョルカ島に転地し、夏は彼女の城のあるノアンで過ごしました。しかしその甲斐もなく彼の健康は回復しませんでした。約10年の恋は破局を迎え(1847年)、2年後『ポロネーズ』の作曲家はヴァンド−ム広場の家で息を引き取ります。 -
【ジョルジュ・サンドの肖像】ロマン派生活博物館所蔵
ミュッセを愛し、ショパンに恋したジョルジュ・サンド(1804〜76)は優れた作家で人道主義者でした。
もちろん、ジョルジュ・サンドという名前はペンネームです。本名は・・・やめておきましょう。本気で書きますと、数行に渡るくらい長いですから(貴族の名は長い)。
彼女は18歳で結婚しますがすぐに破綻、当時のカトリック時代に離婚はあり得ませんので、籍はそのままにまず最初の恋人ジュ−ル・サンドーと共著で小説を発表します。筆名は彼の名から来ています。それから男装の麗人として文壇で社交界で活躍します。代表作に『魔の沼』『愛の妖精』があります。
サンドは革命(1848年の2月革命)以降は田舎に戻り、「ノアンの奥方」として作家活動を続けました。ノアンの城には、ピアノを弾くショパンとかたわらで耳を傾けるサンドを表したロウ人形が展示されています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- おでぶねこさん 2006/12/04 23:51:37
- 小鴨にメロメロ。
- スキピオさん。今晩は。
眠る前にチョッとお邪魔しました。
コガモちゃんに大感激。
思わずゞかわい〜♪ゞと叫んでしまいました。
今日はここまで。
スキピオさんの旅行記、
じっくり拝見しなくては勿体ないですものね。
では、おやすみなさい。
おでぶねこ
- スキピオさん からの返信 2006/12/08 00:43:16
- RE: 小鴨にメロメロ。
- おでぶねこさん、今晩は。
コガモがお気に召しましたか?
おでぶねこさんは猫や小さな生き物が好きなようですね。
あのカモの親子は池から続いている公園内の川まで遠征していましたよ。
お仕事で忙しいことと思います。時間のある時にまたお越しください。
では、おやすみなさい。
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