haoziさんのクチコミ全10件
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投稿日 2013年01月22日
総合評価:5.0
この伝説を知ると、武夷山の景色が俄然いきいきと見えますよ~
昔々、武夷山は河川が度々氾濫し、野獣が出没する場所で、洪水が起こるたびに、人々は大変な目に遭ってきました。ある時、大王という名の有能な青年がこの悲惨な状況を目にして、人々をこの苦難から救うため、治水工事に取り組むことを決意しました。彼は、一同を率いて、山を切り開き、水底をさらって川の流れをよくしました。たゆまぬ努力の末に、ついに水害はなくなりました。こうして作られた川が今日の九曲渓で、掘り出された土砂を堆積してできたのが三十六峰、九十九岩です。
ある時、天上に住む玉女が下界に遊びに来て、武夷山を通りかかり、その美しい景色に魅了されてしまいました。そこで、彼女はこっそりこの世にとどまることにしました。そして、この勇敢で勤勉な青年と恋に落ちたのです。
まずいことに、このことが鉄板鬼に知られ、彼は二人を邪魔立てするために、玉皇大帝に密告してしまいました。玉皇大帝は激怒し、玉女を捕まえて天に帰らせるよう命令しました。けれども、玉女は従わず、どうしてもその青年と夫婦になると言い張りました。玉皇大帝はなすすべなく、やむなく彼ら二人を岩の姿に変えて、それぞれ九曲渓の両岸に離して置きました。鉄板鬼は、玉皇大帝の歓心を買おうと、自分も大きな岩となって、二人の間に立ちはだかり、日夜彼らの行動を監視しました。それ以降、大王と玉女は、「鏡台」に映る互いの姿を、涙ながらに望むことしかできなくなってしまいました。(haozi訳)
【中国語原文】(中国語サイトに多数掲載されている文章を摘録。出典は不明)
《大王与玉女的愛情故事》
很久很久以前,武夷山是一个洪水泛濫,野獣出没的地方,洪水一来百姓就要遭殃。有一位英俊的后生名叫大王,目睹這一惨境,他决心徹底治理山河,解除百姓的苦難。于是,他帯領大夥劈山鑿石,疏通河道。経過不懈的努力,終于治服了水患。被疏通的河道就是今天的九曲溪,[wa1]出来的砂石,便堆成了三十六峰、九十九岩。
有一次,天上玉女出游路経武夷山時,被武夷山的美景迷住了。于是[女也ta1]便[イ兪tou1][イ兪tou1]下凡留在人間,并愛上了這个勤労勇敢的小夥子。
不幸此事被鉄板鬼知道,他就从中作梗,将此事密告発玉皇。玉皇大怒,便下令捉拿玉女帰天,玉女不从,一定要与這小夥子結為夫妻。玉皇无奈,只好将他們点化成石,分隔在九曲溪両岸。鉄板鬼為討好玉皇,也変成一塊大石,插在他們中間,日夜監視他們的行動。从此,両人只好凭借鏡台,彼此泪眼相望了。
さらに興味のある方は、テレビドラマ《武夷仙凡界》(1993年、中国語)をどうぞ。大王と玉女の悲恋物語及び大紅袍神話を軸に、蛇信仰や懸棺など武夷山の古代習俗がふんだんに盛り込まれた一昔前のヒット作です。ネットで視聴できます。- 旅行時期
- 2010年03月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- 福州〜武夷山 約320?
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 武夷山景区通しチケット(景区内バス含む)1日券210元、2日券235元、3日券255元。筏下りは別途100元+慣習でチップ10元ほど
- 景観:
- 5.0
- 見どころ満載。知るほどに楽しい!
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 川下りの筏に乗るには行列を覚悟して
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投稿日 2013年01月05日
総合評価:4.5
大連の食べ物と言えば、海鮮や中国東北料理が人気があるようです。
でも、もっと大連らしい物、この地にしかない物も食べてみたいと思いませんか?
そんな数少ない大連ならではの小吃(軽食)が、[火悶]子(menzi/メンズ)です。大連[火悶]子とか炒[火悶]子などと呼ばれることもあります。
サツマイモのでんぷんで作ったわらび餅かこんにゃくのような食感の物を鉄板で焼き、醤油、ごまペースト、ニンニクを合わせたタレを絡めて食べます。
弾力のある口当たりですが、表面は適度にカリッと焼き目がついていて、全体がタレと絶妙にマッチして、一度食べるとやみつきになります。
名前や見た目からは得体が知れないので、これを食べてみようと思う日本人は少ないかもしれません。でも、ゲテモノでもなんでもなく、日本人にも受け入れやすい味ですので、大連へ行ったら是非一度お試しください。(ただし、ニンニクをたっぷり使っているので、においには要注意)
屋台街やフードコート、地元料理のレストランなどには大抵あります。
ちなみに、大連人の間では、特に女性が好む食べ物というイメージがあるそうですが、私の知人の大連出身で日本在住の男性は、これが大好物で、あの味が恋しいと度々話していました。- 旅行時期
- 2012年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 屋台やフードコートでは5元程度
- 料理・味:
- 4.5
- やみつきになる味
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投稿日 2012年12月24日
総合評価:4.5
宏村は民家と水辺の風光が織りなすのどかな村。その美しい田園風景は桃源郷にも例えられます。
でも、宏村の魅力はそれだけではありません。
宋代から徽州商人として活躍したこの地の人々の生き様、心持ちがしっかりと受け継がれてきたからこそ、宏村は古き良き時代の姿を今なお保っていられるのではないでしょうか。
そんな彼らの思想がわかるのが、家々に掲げられた多くの対聯。
清末の塩商人汪定貴の邸宅「承志堂」で目にした格言の一部をご紹介します。
[1]“快楽毎従辛苦得,便宜多自吃虧来”
満ち足りた気持ちは、苦労してこそ得られる。得をしたと思った時は、実は根本では損をしていることが多い。
[2]“能受苦方為志士,肯吃虧不是痴人”
苦労できる人こそが志士となれる。進んで損なことをする人は愚か者ではない。
[3]“読書好耕田好学好便好,創業難守業難知難不難”
学問でもいい、農作業でもいい、何でもしっかり学べばそれはいいことだ。事業を始めるのは難しい、それを守っていくのはもっと難しい、しかしその難しさがわかればもう難しくはない。
[4]“惜衣惜食非為惜財縁惜福,求名求利但須求己莫求人”
衣服や食べ物を大切にするのは、財物を惜しむからではなく、福のありがたさを重んじるからである。名利を追うなら、自分の努力によるしかなく、他人に頼ってはならない。
[5]“澹泊明志,清白伝家”
名利にこだわっていては、しっかりした志を持つことはできない。清廉潔白に身を持していなければ、家の繁栄は続かない。
[6]“敦孝悌此楽何極,嚼詩書其味无窮”
年長者を敬うのは何と嬉しいことか。書物をかみしめて読むのは何と楽しいことか。
[7]“詩書執礼,孝悌力田”
文化知識と礼儀を重んじ、年長者を敬い、農作業に精を出そう。
[8]“善為至宝一生用,心作良田百世耕”
善良な心は最も貴い宝で、一生役に立つ。心を善良な畑とすれば、子子孫孫耕していける。
古代の社会では商人の地位は低く、たとえどんなに成功して財をなしても、商人としてのコンプレックスは捨てきれなかったようです。そこでしきりに学問と勤勉に働くことの大切さを唱えたのですね。その他は、先祖を敬うこと、親孝行すること、家を守り伝えていくことといった内容が多いようです。
そこから見えるこの地の人々の生活態度には全く頭が下がります。- 旅行時期
- 2009年03月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 2.5
- 屯渓から65キロほどの場所
- 景観:
- 5.0
- 白壁黒瓦に馬頭墻の古式ゆかしい家並み、牛の形になぞらえられた村の配置、今なお現役で活用されている人工水系。ファンタスティック!
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 世界遺産になって観光客が押し寄せている
-
投稿日 2012年10月29日
総合評価:4.5
私は日本からのツアーで黄山に行きました。結果、なんと迎客松を見ずに帰ってきました。黄山に登って迎客松を見ない!?中国人には考えられないことです。(注:私は日本人です)
片手を伸ばしてお客様を迎え入れているような姿の松。この迎客松こそ黄山のシンボル。中国人なら誰もが知っています。北京人民大会堂の安徽の間に飾られている迎客松の大型鉄画も非常に有名です。
中国人の迎客松への思い入れは格別。よって、その周辺は大変混雑し、記念写真を撮る人であふれ返っていることでしょう。
あるいは、日本人のツアーでは、人混みを避けるために、あえて迎客松を外しているのかもしれません。でも、黄山を訪れるなら、やはりその存在くらいは知っておきたいものです。
もちろん、名前のついた有名な松や岩は、他にもあまたあります。もっとも、そんな人がつけた名称など知らなくても、山の雄大な自然と造形美は十分堪能できるでしょう。(楽しみ方は人それぞれですので)
あくまで参考として、以下に中国でよく紹介される黄山の見どころを挙げておきます。もし興味があれば、中国人がこだわる名前のついたスポットにも注意しながら、登山の歩を進めてみてください。
黄山72峰の中の三大主峰:蓮花峰(標高1864m)、光明頂(1860m)、天都峰(1830m)
黄山四絶:奇松、怪石、雲海、温泉
[奇松] 十大名松:迎客松(玉屏峰東側、標高1680mの地点に生える、木の高さ10.1m、樹齢800年以上)、送客松、蒲団松、鳳凰松、棋盤松、接引松、麒麟松、黒虎松、探海松、団結松
その他、望客松、陪客松、臥龍松、双龍松、連理松、竪琴松、倒掛松、貼壁松、扇子松など
[怪石] 飛来石、猴子観海、仙人晒靴、仙人背包、仙人下棋、夢筆生花、筆架峰、松鼠跳天都、金鶏叫天門(五老上天都)、喜鵲登梅(仙人指路)、老僧采薬、蘇武牧羊、鰲魚駄金亀、白象石、青獅石、玉屏臥仏など
[雲海] 雲海が見られるのは年間50日ほど。冬場の方が確率は高いらしい。
[温泉] 標高650mほどの場所に15か所、炭酸泉がある。伝説では、中華民族の始祖黄帝がここで沐浴をしたところ、みるみる若返って元気になったとか。
1982年 中国最初の国家重点景勝区に指定される(黄山、黄河、長江、長城は中国の象徴)
1990年 世界複合遺産(文化と自然の両方の価値を持つ)に登録される
最もよく聞く黄山称賛の言葉は、“五岳帰来不看山,黄山帰来不看岳”(五岳より帰り来たれば山を見ず、黄山より帰り来たれば五岳も見ず)。
私は五岳(泰山、華山、衡山、崇山、恒山)に行ったことがないので比較はできませんが、黄山は確かにいろんな魅力を兼ね備えたすばらしい山でした。- 旅行時期
- 2009年03月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 3.0
- 日本→杭州→屯渓→湯口→黄山 やはり近くはない
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 入山料230元(シーズン中、2009年〜) この高騰ぶりはちょっと異常だと思う
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 場所によってはかなり混む
- 展示内容:
- 4.5
- 霧で視界が悪くなることがままあるのが難点
-
投稿日 2012年10月24日
総合評価:4.0
正式名称は「鎮海橋」。けれども、普通人々は親しみを込めて「老大橋」と呼んでいます。
石造の7連アーチ橋。全長130メートル、高さ9メートル、橋上の道幅は6.3メートル。
明嘉靖15年(1563年)の創建。清康熙年間に、二度水に流され、二度修築されました。
当初は歩行者用の橋だったため、両端には石段がついていましたが、現代になって、車が通れるように、石段の部分は改造されました。
屯渓は、率水と横江が合流して新安江となる場所で、新安江はやがて銭塘江となって杭州へと流れて行きます。北宋の頃より、徽州の特産品はここに集まり、徽州商人はここから水路で各地へと出て行きました。
屯渓老街の発祥の地もこの老大橋の付近とされています。
水路交通が主流だった時代の賑わいぶりを想像するのが楽しい場所です。
また、橋の近辺では、今なお洗濯棒を持って、川の水で洗濯をする人たちの姿も見られます。
こんな素朴な橋ですが、夜にはささやかなライトアップで、ちょっぴりおめかしもするんですよ。- 旅行時期
- 2009年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 屯渓老街の西端からすぐ
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 無料
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 橋上の通行量は多いが、橋の下まで来る人はあまりいない
- 展示内容:
- 4.0
- 気にしなければ何ということのない橋だが、その素朴さが良い
-
投稿日 2012年10月24日
総合評価:5.0
上海万博の中国館では「動く清明上河図」が話題を呼びましたが、屯渓老街は「生きた清明上河図」と言われています。そう、あの「清明上河図」の世界が、ここでは今もそのまま現実の世界に広がっているというわけです。
屯渓老街の起源は北宋の時代。
徽州商人の発展とともに、次第に規模を拡大して、約1キロにわたる商店街が作り上げられました。
石畳の道の両側には、白壁、黒瓦とうだつが特徴的な徽州式建築の家々が軒を連ね、1階の表側は商店、奥の部屋と2階は作業や居住の場として使われています。
屯渓老街に来て、土産物屋ばかりが並んでいると嘆かないでください。
ここは元来、茶葉店をはじめとする商店街として発展してきた通りで、店舗がずらりと並ぶ今の様子は、実は数百年前から少しも変わっていないのです。
もっとも、老街を歩いているのは中国各地からの観光客が多いですが、黄山登山客のほとんどが屯渓から黄山に入ることを考えると、それは致し方ないでしょう。
お茶(黄山毛峰、雀舌、太平猴魁、屯溪緑茶、祁門紅茶、六安瓜片など)と文房四宝(歙硯、徽墨、宣紙、宣筆)は、すべてこの周辺の特産品。 当然、これらを扱うお店は特別多いです。
「清明上河図」の世界に入り込んで、お茶と墨の香りに酔いしれる。私にとっては最高の老街でした。- 旅行時期
- 2009年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 空港や鉄道の駅からも遠くない
- 景観:
- 5.0
- 古いものをきちんと手入れしながら大切に使っている理想的な老街のように感じた
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 中国各地からの観光客が多い
-
投稿日 2012年10月08日
総合評価:5.0
黄山と屯渓の関係は混乱しやすいので、ちょっとまとめておきます。
「黄山」には3つの概念があります。
1.黄山市:屯渓が中心地、この意味では屯渓=黄山
2.黄山区:黄山市の市轄区
3.黄山風景区:山そのもの
黄山市全体の区画を見るとわかりやすいかもしれません。概略地図を載せましたのでご覧ください。
黄山市は、1987年から、以下の三区四県で構成されています。
・屯渓区:黄山市政府所在地。空港や鉄道の駅があり、黄山への玄関口となっているが、山までは60km以上の距離がある。
・黄山区:黄山風景区、太平鎮や湯口鎮を含む
・徽州区:岩寺鎮、潜口民宅、呈坎古村落など
・歙県:以前の徽州府所在地、硯が有名
・[黒多]県:世界文化遺産の西逓・宏村をはじめ、多くの古民居がある
・祁門県:紅茶が有名
・休寧県:“中国第一状元県”(宋~清代に19名の状元を輩出)
この一帯の地域は、宋代から「徽州」と呼ばれ、特色ある地方文化を形成してきました。
屯渓区は、以前は「屯渓市」と称していた時期もありましたが、この地域で最も発展した場所だったため、自ずと黄山への観光客の受入れの役目を担うようになり、「黄山市」に組み込まれるとともに、黄山観光を支える中枢的役割を果たしていくことになりました。
対外的に知名度の高い観光地の名前を、市の名前に採用する動きは、中国各地で見られます。
崇安→武夷山市、大庸→張家界市なども、同様に改名した例です。
古くから使われてきた地名が軽視されているようで少々寂しく感じますが、これも観光産業とその地域の発展のためには必然の流れなのでしょう。- 旅行時期
- 2009年03月
-
投稿日 2012年10月15日
総合評価:4.0
三坊:衣錦坊、文儒坊、光禄坊
七巷:楊橋巷、郎官巷、塔巷、黄巷、安民巷、宮巷、吉庇巷
それに、その中軸となる南後街からなるエリア。
この一画は、唐、宋代からの町のつくりをとどめており、明、清、民国時代の建物を含め、200棟以上の古建築が残されています。
2006年から、歴史文化地区としての保護修復プロジェクトがはじまり、古い建物や道路の修復が行われました。
目下福州きっての注目スポットとなり、2010年には中国十大歴史文化名街の一つにも選定されました。
中軸の南後街は古い町並みを模して新しく作られた商店街で、そこから西に伸びる三坊と、東に広がる七巷への路地口にはそれぞれ牌坊が建てられています。その牌坊を入った路地の方に、本当に価値のある歴史文化財がありますので、ご注意ください。
特筆すべきは、この決して広くない区域内に、非常に多くの中国近現代史上の名士が住んでいたこと。
林則徐、沈葆、厳復、林旭、林覚民、冰心、林徽因、廬隠、鄭孝胥、陳宝シン、藍建枢、郁達夫などなど、100名以上にのぼるとされています。
実に驚異的です。この地には何か特別な力があるのでしょうか。
ただ残念ながら、普通の日本人にとっては、なじみのある名前は多くないかもしれません。少しでもこれらの人物のことを知ると、興味は倍増するでしょう。私の一押しの人物は、林覚民。そこには胸の熱くなる感動物語があります。
また、南後街には、おしゃれな飲食店や雑貨店などがたくさん集まっています。夜10時頃まで、大勢の人で賑わっていました。- 旅行時期
- 2010年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 町の真ん中
- 景観:
- 4.0
- 夜の三坊七巷(南後街以外)は真っ暗だった
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 南後街は程よい賑わい
-
投稿日 2012年10月13日
総合評価:4.5
ここの名前は、“寛(広い) 窄(狭い) 巷子(小道)”。
清代に八旗兵が駐留して形成した“満城”(満州族の町)の名残りの場所。
寛巷子、窄巷子、井巷子の3本の並行する通りと、その間に建つ四合院建築から成り、2008年にリノベーションされて、伝統とモダンが融合するスタイリッシュな空間に生まれ変わりました。多くのおしゃれなレストラン、カフェ、バーなどが集まっています。
新しく造り直された建物が多いですが、それでも一部には古いものも残存しています。
少数ながら従来からの住民も残っているらしく、そんな地元との密着加減もいい味を出しています。
成都は元々のんびりと生活を楽しむ習慣が強い土地柄ゆえか、こういう余暇文化空間を作り出すのがとてもうまいと思いました。
キャッチフレーズは、“寛窄巷子最成都”(寛窄巷子は最も成都らしい場所)。
厳密に言えば、元は“満城”で、中国北方文化を持ち込んでつくられた場所なので、本当の意味では「最も成都らしい」わけではないと思います。
それでも、清代からの歴史があり、成都の人のゆったりした気質がよく表れているという点で、ここはやはりとても成都らしい場所と言えるのでしょう。
成都は、「来た人が帰りたくなくなる町」と言われますが、私はここへ来たら、帰りたくない気持ちが一気に強まりました。- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 成都の中心部にほど近い
- 景観:
- 4.5
- 本当の古いものがもっと残っていたら尚よかった
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 人混みを避けたければ、開店前の朝の散策も楽しい
-
投稿日 2012年10月07日
総合評価:4.0
「武侯」とは、諸葛亮のこと。諸葛亮は“蜀漢”※の丞相で、生前は「武郷侯」の爵位を、死後は「忠武侯」の諡号を与えられました。
このように爵位や人を表す場合には、「侯」の字を用います。多くの場面で、間違って「武候祠」と書かれていることも多いようですが、「侯」と「候」は別字ですので、ご注意を!
※それともう一つ豆知識。
現在多くの人は、成都は三国志の蜀の都であり、劉備は三国の一つである蜀の皇帝であったと認識していると思います。
しかし、劉備は決して「天下三分」を望んでいたわけではありません。劉備にしてみれば、漢の正統を継ぐ皇帝は自分以外にはなく、最終的には魏と呉を滅ぼして、漢王朝を再興、中国統一を果たすことが目的だったのです。
ですから、「三国の蜀」と言われることは、劉備にとっては実は大変不本意なことであり、それよりも「漢」「蜀漢」「季漢」と呼ばれることを望んでおられるでしょう。
武侯祠大門の扁額も「漢昭烈廟」となっており、劉備を漢の皇帝と位置づけています。- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- 市中心からも遠くない
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- チケット60元(一般大人、2011年)
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 団体客、個人客ともに多い
- 展示内容:
- 4.5
- 見どころは非常に多い。しかし、他の地の武侯祠に比べると若干ありがたみに欠け、劉備墓の真偽にも疑問が残るような気がする。



































