キャンサー50さんのクチコミ(374ページ)全7,624件
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なんかとても入りづらい無料休憩所
投稿日 2016年09月18日
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この門からはいろいろルールがあります
投稿日 2016年09月18日
総合評価:2.5
靖国神社内。
第一鳥居、第二鳥居を抜け、神門を通過した後にでてくる鳥居です。
本殿の前に位置します。
埼玉県の三峯神社から提供された、樹齢500年のヒノキで造られています。
2006年(平成18年)に建て替えられたため、まだ新しさが残っています。
この門も手前に「皇族下乗」の立て札があります。
第二鳥居の手前には「下乗」の立て札があるので、一般の人は乗り物で来れるのは第二鳥居まで、皇族の方は中門鳥居までなんでしょうね。
また、中門鳥居から先(参道中央での)は撮影禁止になっています。
注意書くはありますが、外国人には伝わっていないようでした。
中門越しの拝殿はなかなか絵になります。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 2.5
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第一鳥居に負けずに大きい
投稿日 2016年09月18日
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おそらく演出が入った造り
投稿日 2016年09月18日
総合評価:2.5
靖国神社の入口にある大鳥居。
ここを通る前に神社側に向かって一礼、帰りに鳥居を抜けた後に振り返って一礼する人を多く見かけます。
外国人はこの鳥居を見ただけで喜ぶようです。
まあ、大きな鳥居です。
で、たぶん作った時の意図的な演出なんじゃないかと思うんですが、鳥居までの道がゆるく上り坂になっています。
鳥居を抜けた後、若干下りになっているように思えます。
そのため、鳥居に向かう上り坂からは鳥居を抜けた後の景色が見えず、空にむかっていくような感覚になります。
鳥居の先には空しか見えないですから。
これ、なかなか良い意図で、好きだな~と思いました。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 2.5
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拝殿の裏にあるため気づかずに帰るひとも多い
投稿日 2016年09月18日
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場所にそぐわないようなスタイリッシュな造形の泉
投稿日 2016年09月18日
総合評価:3.5
靖国神社内、一の鳥居の近くにある泉(水場?)です。
異境の厳しい戦場で、「お母さん水飲みたい」と叫びながら、水を求め戦死した兵士を慰霊するために、国際的社会奉仕団である東京キワニスクラブが、1967年(昭和42年)に奉納しました。
デザインは。母の乳房から清水が湧き出るようなイメージで造られたそうです。
そのデザインは場違いと思えるほどスタイリッシュ、アーティスティック。
好きなデザインです。
誰の設計なんだろう?
目立たない場所にありますが、気づいて下さい。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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特別待遇的な場所に位置取る大村像
投稿日 2016年09月18日
総合評価:3.0
靖国神社、一の鳥居と二の鳥居の間、どんだけ目立つの?といった場所にある像です。
大村益次郎、維新十傑の一人、事実上の日本陸軍の創始者ということでここに像があるのでしょう。
大村は元々医者で蘭学をやっていたおかげで見いだされ明治政府の兵部大輔にまでなり最終的に暗殺されるんだけど、その間に性格も随分変わった(個人的見解としては悪いほうに)みたいです。
こんなところに像なんか建ててもらう人生よりお医者さんぞっとやっていたほうがあるいは幸せだったかもと思ってしまう人です。
ぜんぜん話が違うけど、この像の益次郎、やたらと眉が太い、というかでかい。
顔から突き出ています。
これは本当にそうだったんだろうか、それともカリカチュアされたものなんだろうか、興味津々です。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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現役の能楽堂、一度見てみたい
投稿日 2016年09月18日
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入口だけガラス張りで新しい展示館
投稿日 2016年09月18日
総合評価:3.0
靖国神社内にある展示施設です。
陸軍卿・山県有朋を中心に、「御祭神の遺徳を尊び、また古来の武具などを展示する施設」として構想され、イタリアの雇教師カペレッティーの設計により、明治14年にイタリア古城式の建物が竣工し、翌15年2月25日に開館式が行われました。
入口(新館)だけは昭和55年に増設されたそうで、ガラス張りで近代的です。
逆に若干の違和感あり。
大人800円の拝観料がかかります。
にもかかわらず結構入る人はいました。
入口部分以外はレトロ。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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国家元首が行くと大騒ぎだが、私が行っても何の問題もない
投稿日 2016年09月18日
総合評価:4.5
説明するにも及ばない、英霊達を祀る神社です。
明治神宮は木々に囲まれ騒音も届かず都会ではないような気分になりますが、こちらは逆に木々は取り払われ広い視野が広がり、すぐ隣の靖国通りの喧騒は手に取れます。
参拝客は平日昼間でも数多く、観光地です。
太平洋戦争は歴史の教科書の中の出来事になっている世代の私でも参拝すると多少引き締まった気分になります。
ちなみに個人的な意見ですが、国家元首は公的には行くべきではないと思っています。その行為によって傷つく近隣諸国の人々がいる事を考慮すべき。
英霊達の鎮魂は大いに結構だけど、ならば私事として行きましょう。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 4.5
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第一連隊記念碑とともに
投稿日 2016年09月17日
総合評価:2.0
北の丸公園内に、同じ近衛歩兵の第一連隊の記念碑の近くに建てられた碑です。
北の丸公園は明治維新後、陸軍関係の施設が多く置かれていた場所です。
園内は近衛歩兵第一連隊と第二連隊の宿営地でした。
このためでしょう、第一連隊と第二連隊の碑はごく近くにあります。
第二連隊の碑のほうが若干立派に見えたのは気のせいでしょうか?- 旅行時期
- 2016年09月
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 2.0
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名誉ある連隊だからこそ北の丸公園内
投稿日 2016年09月17日
総合評価:2.0
近衛歩兵第一聯隊は、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設され、明治7年(1874)1月23日、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和20年(1945)大東亜戦争の終末に至るまで、71年余りの間この地に駐屯して、日夜皇居の守護に任じ、大正天皇、今上天皇も皇太子であらせられたとき、それぞれ10年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある聯隊です。
西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には、軍に従って出征して輝かしい勲功を樹て、大東亜戦争に於いては、帝都防衛の一翼を担いました。
近衛兵には、毎年の徴兵検査で全国から厳選された優秀な壮丁を以て充てられていました。
だからこそ、北の丸公園内に記念碑があるんですね。
訪れた折り、たまたま掃除のおじさんが碑の掃除が終わって帰りしな、碑に向かって深々と頭を下げていたのが印象的でした。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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やっと正体が解った、九段下の謎の塔。
投稿日 2016年09月17日
総合評価:2.0
九段下駅から武道館へ行く途中、田安門へと曲がる時、いつも目に留まっていた建造物。
今回、やっと正体が判明しました。
高燈篭といいまして、明治4年に靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために建てられた燈篭だそうです。
常燈明台ともいわれ、当時、九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、品川沖を行きかう船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たしたそうです。
ということは、九段下って海が近かったんですね。
灯台に似た形も頷けます。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 2.0
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品川弥二郎ってそんなに偉い人だったっけ?
投稿日 2016年09月17日
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ここにあるのがふさわしいのかな?
投稿日 2016年09月17日
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学生時代から大好きな、本のにおいのする街
投稿日 2016年09月17日
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外せない皇居の見どころの一つ
投稿日 2016年09月17日
総合評価:3.5
皇居に来るときは必ず見ておきたい観光スポットの一つです。
北の丸公園の入口になっており、日本武道館のそばにある田安門は江戸時代初期の1636年(寛永13年)に建てられた門で、江戸城の総構えが完成した当時から残る唯一の遺構です。
国の重要文化財。
じっくり見ると造りの堅牢さに感心します。
もともとこのあたりは「田安口」または「飯田口」ともいい、上州方面への道が通じていたといわれており、田安明神(現在の築土神社)があったことから田安門と名づけられたそうです。
門ができて、江戸城内になってからは北の丸となり、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。千姫や春日局、徳川家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
内側の櫓門、そして桝形です。
御三卿のひとつ、田安家はこのあたりを所有していたそうです。
歴史好き、城好きは大好物の遺構でしょう。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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千鳥ヶ淵は桜、こちらは蓮の名所
投稿日 2016年09月17日
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門を抜けた直後の石段は江戸時代からあるものなのか?
投稿日 2016年09月17日
総合評価:3.0
北の丸公園に東側から入れる門です。
江戸城の門の中では知名度はイマイチ。
寛永元年(1624)助役大名浅野長晟建立の典型的な枡形形式の門になります。
清水門、田安門とも江戸城の遺構として責重なため昭和36年6月に国の重要文化財に指定されています。
門を抜け城内に入ると、15段程度の石段が現れるのですが、1段づつの高さが高く、最後のほうなどは若干ジャンプする感じで登ります。
この石段は江戸時代からあるものなのでしょうか?
昔の人のほうが背も低いでしょうし、裃、袴のいで立ちだったらさぞ登りにくいと思うのですが。
と思って調べたら、この石段、雁木坂と呼ぶそうで、昔からあるみたいです。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 2.5
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写真を撮っても「ばかやろう!」とは言われません
投稿日 2016年09月17日























































