キャンサー50さんのクチコミ(349ページ)全7,624件
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あの浪越徳治郎さんの建てた塚でした
投稿日 2017年07月19日
総合評価:1.5
東京メトロ丸の内線後楽園駅近く、伝通院内にあります。
正門をくぐってすぐ左という一等地といえる場所にあります。
塚というから何やら古めかしい由緒のあるものかと思いきや、昭和45年にテレビでもお馴染みだった指圧師、浪越徳治郎さんの建てた塚でした。
銘に「指もてもろもろの病を癒し人びとに慶びと救いを与え先きに逝かれし指聖の御名をとどめその御霊に跡継ぎし者等の誠を捧げその功徳を永遠に讃えんとてこの塚を建つ」。
ちなみに伝通院の門前には浪越指圧治療センターがあります。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 1.5
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文京区内屈指の名刹、徳川家の菩提所
投稿日 2017年07月19日
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高家六角氏の屋敷があったことから命名
投稿日 2017年07月19日
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戦災焼失をまぬがれました
投稿日 2017年07月19日
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お寺と神社の合体のよう
投稿日 2017年07月19日
総合評価:1.5
東京メトロ丸の内線後楽園駅近くにあります。
慈眼院は浄土宗の寺院で、創建年代は不詳。
元和6年(1620)に沢蔵司稲荷の別当を慈眼院としたのが伝通院中興開山廓山上人ということから、その頃には慈眼院が創建していたと推定できます。
慈眼院の境内には礫川や小石川の地名に松尾芭蕉の句碑が建立されています。
かつて伝通院の学寮に沢蔵司という天才的な修行僧がおり、彼が夢枕に立ったことから沢蔵司稲荷を境内に祭り、慈眼院を別当寺としたそうです。
「沢蔵司 てんぷらそばが お気に入り」という川柳が残っています。
お寺なんだけど境内の狐の像があったりして神社でもある不思議な空間です。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 1.5
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近隣に寺社の多い坂
投稿日 2017年07月19日
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天才修行僧が宿ります
投稿日 2017年07月19日
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新選組の前身、新徴組発会の地
投稿日 2017年07月19日
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建物だけと思いきや、裏に立派な墓地が
投稿日 2017年07月19日
総合評価:2.5
東京メトロ丸の内線後楽園駅近くにある浄土宗のお寺です。
無量山全忠寺と号します。
初代松本藩主水野忠清(家康の生母於大の甥)を開基として貞享元年(1684)年に創建。
小石川七福神のひとつで、布袋尊が祀られています。
第二次大戦後、数次にわたる復興計画により灰燼に帰した諸堂宇・境内の整備を行い、今や浄土苑の真珠院の名で人々に知られています。
正面からだと近代的な本堂のみにしか見えませんが、本堂の脇の細い道を通って裏手にいくとビックリ。
小さな庭園まで備えた立派な墓地が登場します。
そこに沼津藩主水野家の墓や布袋像が置かれています。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 2.5
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マンションの一階なのかも
投稿日 2017年07月19日
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夏目漱石の下宿先
投稿日 2017年07月19日
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三井家の遺構が残ります
投稿日 2017年07月19日
総合評価:2.0
東京メトロ丸の内線後楽園駅近くにあります。
後楽園方面から伝通院へ向かう坂の途中、正門にメタセコイアの木が並ぶのが文京区立第三中学校です。
昭和22年(1967)に開校し、昭和24年(1969)に現在地、旧三井邸跡に校舎が建てられました。
ここの三井家は小石川三井家といって、NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」に登場する「今井家」のモデルです。
東京空襲で焼失したため、門柱と馬屋だけが残っています。
入口は今もお屋敷然としていて、ここに中学生が入っていく姿は想像できません。
門柱はそのまま中学校の門柱ですので見れましたが、馬屋は校内にあるため見ることができませんでした。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 2.0
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三井家の物権がわずかに残る坂付近
投稿日 2017年07月19日
総合評価:1.0
東京メトロ丸の内線後楽園駅近くにあります。
伝通院から南へ牛天神下に至る安藤坂は、春日通りから一つ目の信号西側南下にかけて坂名になった安藤飛騨守の上屋敷がありました。
尾張屋版「東都小石川絵図(嘉永7年)」に描かれた屋敷門前の坂を西に向かうクランク状の道筋は現存していて、次の西角、現在の川口アパートメントを分けた南下が、かの屋敷地でした。
維新の後、これらの屋敷跡地の大半を財閥の三井家が取得し、東京に於ける三井の拠点になりました。
しかし東京空襲で小石川全域が猛火に包まれ、三井家も全焼。
戦後GHQの指令による財閥解体で土地は四散しましたが、今も安藤坂には三井の物権が僅かに残っています。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 1.0
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樋口一葉ゆかり、明治時代の私塾跡です。
投稿日 2017年07月18日
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新宿区横寺町にある円福寺の別院です
投稿日 2017年07月18日
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スタイリッシュな外観の、九鬼家の元菩提寺
投稿日 2017年07月18日
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上野にあった時代は紅葉寺と呼ばれていました
投稿日 2017年07月18日
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武家の江戸寺として寺運を伸展しました
投稿日 2017年07月18日
総合評価:1.0
東京メトロ丸の内線新高円寺駅近くにある臨済宗のお寺です。
片岡山と号します。
もと桂昌院と号し、桂昌院殿心月智光尼が開基となり、寛永7年(1630)上野車坂下に創建、元禄11年(1698)浅草新寺町へ移転、宝永2年(1705)には開基者の法名改号にともない智光院と改称したといいます。
大正元年当地へ移転しました。
江戸時代は多くの武家の江戸寺として厚い保護を受け栄えましたが、安政2年(1855)10月の江戸大地震では本堂の倒壊という被害を蒙っています。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 1.0
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裏に墓地があるようですが、入りづらい
投稿日 2017年07月18日
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近隣の寺の中でもひときわ大きな寺(大駐車場付)
投稿日 2017年07月18日
総合評価:2.0
東京メトロ丸の内線新高円寺駅近くにある浄土宗のお寺です。
松苔山峯巌院と号します。
近隣にいくつも寺院がありますが、中でもひときわ大きいお寺で、専用の大きな駐車場を持っています。
元蓮社享誉上人利阿貞儀和尚(万冶元年1658年寂)が開山となり、元和3年(1617)四谷追分(現新宿区新宿3丁目)に創建したといいます。
中央線の拡幅と道路の拡張のため大正9年当地へ移転しています。
当寺の所蔵する「絹本著色阿弥陀三尊来迎図」は、十四世紀仏画の白眉といわれています。
その他、境内には承応2年(1653)銘の六観音石幢、延宝7年(1679)銘の如意輪観音像など多数の石仏や、明治の豪商山城屋和助の墓、あるいは食鳥を供養する鳥塚(明治38年造立)や外南洋機動舟艇部隊殉難烈士供養塔などがあります。- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 2.0





























































