大堰川や高瀬川を開削し、水運による経済の発展に寄与しています。
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- 旅行時期:2023/03(約3年前)
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by hijunoさん(非公開)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:50件
角倉了以は豪商であり、また高瀬川の開削事業を行った人で、その功績を称えた顕彰碑があります。了以はもともと医者を家業とした家に生まれていますが、実業家として活躍しています。南蛮貿易にも取り組んでいます。その後、備前の和気川で浅い瀬でも航行できる高瀬舟を見て、京都の高瀬川の浅瀬でも高瀬舟を使えることを思いついたそうです。大堰川の開削では材木などを運搬し、大仏伝再興のための木材や資材も鴨川の運河を使い難しい事業をやり遂げます。その後、伏見と京を結ぶ高瀬川での開削を行います。およ祚11キロメートルにわたる運河で、息子の素庵とともに開削を行い、最盛期には150隻以上の船が行き交い、700人の船を曳く人々が従事していたそうです。高瀬川は水深が30㎝しかない浅瀬で、船の底が平な船が航行していました。高瀬川の開削の際には豊臣秀次とその一族の塚が荒れ果てていたのを修復し、秀次の「悪行」と彫られていた石櫃の字を削り、供養のために瑞泉寺というお寺も建立しています。高瀬川開削完成の年に亡くなっていますが、角倉了以が行った高瀬川の開削事業は京の経済に大きく寄与していたと考えます。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2023/03/19
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