1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 奈良県
  5. 飛鳥
  6. 飛鳥 観光
  7. 蘇我入鹿首塚
飛鳥×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

蘇我入鹿首塚

名所・史跡

蘇我入鹿首塚 クチコミ・アクセス・周辺情報

飛鳥 観光 満足度ランキング 14位

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    「蘇我入鹿首塚」自分の先祖が何者なのかを調べて行った方が良いかもしれません。

    5.0

    • 旅行時期 2025/03
    • by Yukinoさん

    西暦645年6月に飛鳥板蓋宮で斬殺された蘇我入鹿の首がここまで(約600m)飛んだとされる場所です。 これが「乙巳の...  続きを読む変」 天皇の子、中大兄皇子は中臣鎌足らとともに、当時最も力を持っていた豪族の蘇我入鹿を殺害し、これにより天皇中心の国づくりの基礎がつくられていきました。 飛鳥寺の裏手に、ひっそりと佇んでいます。 この日はパラパラと雨が降っていたものの、1人で首塚に向かうと突然横殴りの大雨に… 私の先祖は藤原と関係があると聞いています。 拒絶されている感覚に陥りました。 この地まで首が飛んできたという話も諸説あるようですが、ここには何かあるのかもしれませんね。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~40件(全47件中)

  • 近くには普通の人々の生活が

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/09(約5年前)
    • 0

    乙巳の変で斬られた蘇我入鹿の首が飛んできた、という伝説の場所です。
    村じゅう全てが美しい明日香村の中にあります。
    仰々...  続きを読むしい感じもなく、ひっそりとしています。お花が供えられていることも。
    現在では、地元の人々が普通に生活していて、何か特別な空気感もありました。  閉じる

    投稿日:2020/10/06

  • 蘇我氏はホントに悪役なのか。

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/05(約6年前)
    • 0

    飛鳥寺のすぐそばにあります。いわゆる乙巳の変にて飛鳥板葺きの宮で中大兄皇子に首をはねられた蘇我入鹿をしのんで建てられたもの...  続きを読むだと思われます。特段説明書きもなく、言われなければそのままスルーしてしまいそうです。蘇我氏は古事記・日本書紀では悪役あが、むしろ中大兄皇子・中臣鎌足のほうが改革抵抗勢力であるとの説を聞いたことがあります。  閉じる

    投稿日:2020/05/06

  • 五輪塔のよう

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/04(約6年前)
    • 0

    飛鳥寺の裏にあり、ポツンと立っていて周辺は畑と民家になっていますが訪れる人が多い場所でした。屋根もなくお墓だけがあり、お花...  続きを読むが添えられ、線香立てがあるのみで歴史を感じ色褪せたお墓でした。5弾構えのお墓で各石は下の石にのっかっていました。  閉じる

    投稿日:2020/04/21

  • 飛鳥寺の西門から見える位置です

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/03(約6年前)
    • 0

    乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足によって殺された蘇我入鹿の首がここまで飛んだという伝説に基づいて首塚があります。飛鳥寺の西門...  続きを読むからも見える位置で田んぼ中にポツンとあるので見落とすことはないと思います。1400年も前の「事件」の現場が特定できるはずがないと思いつつ、「へえ」と思わせてくれるスポットです。  閉じる

    投稿日:2020/11/04

  • イルカの首がポンと跳んだ!?

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/11(約6年前)
    • 4

    蘇我入鹿の首塚は飛鳥寺の敷地内にあります。
    大化の改新の始まりとも言われる乙巳の変で、飛鳥宮で中臣鎌足と中大兄皇子に殺さ...  続きを読むれた蘇我入鹿の首が500m離れた飛鳥寺まで跳んだ・・・と言われています。
    平将門の首は京都から関東平野まで飛んだので、将門に比べてしまうとその飛距離は短いですが、それでも500mもの距離を首が飛んだのならばゴルフ級。

    首が飛ぶの言うのは比喩的な表現で真実味はありませんが、クーデターで殺された蘇我入鹿からしてみれば、首を切り落とされても、蘇我の祖先が建立した菩提寺に戻りたい。
    そんな気持ちがあり、飛鳥寺の方向を見ながら事切れたのかもしれません。

      閉じる

    投稿日:2019/11/30

  • 飛鳥寺の西手にひっそりと!

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/09(約6年前)
    • 0

    大化の改新の際に暗殺された蘇我入鹿の首がここまで飛んできたのだそうです。
    ここには五輪塔があり、お花も供えられていました...  続きを読む
    派手さはなくここに首塚とも書かれていないので、通り過ぎそうにもなります。
    前には飛鳥寺の西門跡があります。  閉じる

    投稿日:2019/09/24

  • 御霊信仰か

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/07(約6年前)
    • 0

     飛鳥寺に隣接したところにある。蘇我氏の邸宅があった甘樫の丘を望むような場所だ。大化の改新(今は乙巳の変か)で飛鳥宮で暗殺...  続きを読むされた蘇我入鹿の首がここまで飛んできたとされる伝説に基づいた首塚だ。五輪塔が安置されている。笠に厚みがあるなど鎌倉時代後半から室町期の特色を残していることから、当たり前だが後年に安置されたものだ。陥れられた人々のたたりを恐れた御霊信仰の一つではないかと思ってしまう。都が転々と変わり、人々の権謀術数が渦巻いた時代のあだ花か。御霊信仰の場合、反逆の徒とされる人物でも神社仏閣を構えるのが鎮魂の常だが、首塚なのは藤原氏の権勢を忖度したからか。  閉じる

    投稿日:2020/05/11

  • 寺を抜けて

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/07(約6年前)
    • 0

    飛鳥の散策で飛鳥寺に行きました。そのお寺の少し奥のあたりにこの首塚があったので、お寺と一緒に見学しました。周りは田んぼにな...  続きを読むっていてすこしゆったりした雰囲気の場所に塚が建っていました。塚の周りは整備されています。蘇我入鹿は中大兄皇子に暗殺されたと教科書でも習ったので、なるほどと思いました。  閉じる

    投稿日:2020/02/01

  •  「蘇我入鹿の首塚(ここより西80m先)」の道標が飛鳥寺の西門近くに立っていました。意外な発見でした。蘇我入鹿の首が飛ぶ絵...  続きを読むを教科書で見たことがあり、脳裏にその画像が鮮明に残っていた。余りにも有名な歴史の転換点だからである。何故か鼓動がしてきました。
     西門を出て「蘇我入鹿の首塚」へ向った。奥に「蘇我入鹿の首塚」五輪塔が見えた。墓前には仏花が供えられてあった。
     
     蘇我入鹿は皇極4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子、中臣鎌足等によって殺害される。乙巳の変である。伝承によれば、その時切り落とされた首は飛鳥板蓋宮から約600~650m離れたこの地まで飛び、入鹿の超人的な首飛翔に恐れおののき、その祟りを祓うために首塚が建てられたという。 皇極天皇の4年(645年)6月12日、に俗に言う「大化の改新」です。

     首塚付近に「飛鳥寺西門跡」の案内があります。「飛鳥寺西門跡」の案内から、二段の石垣が組まれたところに西門があった。かつて西門があった所から甘樫丘方面を見てみました。
     入鹿を謀殺した中大兄皇子と中臣鎌足等は、直ちに飛鳥寺に陣を構え蘇我本宗家の逆襲に備える。蝦夷・入鹿の館は飛鳥寺の西を流れる飛鳥川を挟んだ甘樫丘にあった。そのため飛鳥寺は蘇我蝦夷等の動きを察知しこれを封じるには最適な場所であった、という。
      閉じる

    投稿日:2019/04/21

  • 田んぼの中にポツンと…

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/10(約7年前)
    • 0

    飛鳥宮跡で繰り広げられた暗殺事件…「乙巳の変」、これを機に「大化改新」に至る。それにしても、蘇我入鹿の首は随分と遠くまで飛...  続きを読むんで来たものだと思う

    この塚は、無念の最期を迎えた入鹿の魂を鎮めるためのものだ
    事変に至る経緯、見解は諸説あるが、結果的に入鹿は権力闘争に負けた。
    …となると、勝者の口から出るのは、入鹿は悪いやつだったから云々…となる。学校で習ったのも概ねそんなところだ。
    実際はどうだったのかな?

    入鹿の恨みが、鎌足を追い詰める。近くには入鹿の怨念から鎌足が逃げる際に腰かけた石があるという。
    庶民の口伝は、どちらに味方しているのか。なかなか面白い

      閉じる

    投稿日:2018/10/07

  • 五輪の塔

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/08(約7年前)
    • 0

    乙巳の変で中大兄皇子、藤原鎌足によって殺害された蘇我入鹿の首塚が飛鳥寺の西側にあります。丸の内の平将門の首塚と同じ様に、は...  続きを読むねられ蘇我入鹿の首は藤原鎌足を追い詰めるため、、その供養に立てられたと言われるのがこの五輪の塔です。
    周辺は稲穂が茂り、キバナコスモスの花が咲き誇り、ひなびた雰囲気が飛鳥らしく、記憶にのこる景色です。  閉じる

    投稿日:2018/10/19

  • 飛鳥寺のすぐ近くにあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

    飛鳥寺のすぐ近く、青々とした田んぼの中、整備された場所に蘇我入鹿の首塚があります。
    あの大化の改新の時に殺された蘇我入鹿...  続きを読むの首が600m離れた飛鳥板蓋宮大極殿からこの地にとんできた言う言い伝えがあるようです。建っている五輪塔も南北朝時代のものといううことで、あちらこちらに歴史の凄さを感じます。  閉じる

    投稿日:2020/05/31

  • 飛鳥寺のすぐ近くです

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

    「蘇我入鹿首塚」は飛鳥寺の山門を入り、境内を突き抜けて奥に進んだところにあります。周囲は田園風景で、その中にポツンと建って...  続きを読むおりとても目立ちます。この首塚に関しても色々な説があるようです。明日香村の石碑は歴史が古いだけに謎も多いです。  閉じる

    投稿日:2018/11/24

  • ポツンといかにも寂しい

    • 2.0
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

     飛鳥寺の西門をくぐり外へ出ると、否応なしに首塚が目に入る。矢印で示す案内板があるが、全く不要。門から西へ70~80...  続きを読むm、石畳の通路の先に建つ、三角・まる・四角の石の五輪塔がそれ。高さは1m位か。ほかには何もなく、田んぼの中にただポツンと墓標も説明版も全くない。
     蘇我入鹿は、そんなにも評判が悪かったのか?
     言い伝えでは、500mほど南にあった板葺宮(飛鳥宮)で入鹿が暗殺された際、はねられた首がここ飛鳥寺(蘇我氏建立の寺)まで飛んできて、ここに葬られたとか、、。
      閉じる

    投稿日:2018/05/30

  • 意外に小さい

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

    飛鳥寺の裏手にポツンとある五輪塔がかつて権力をほしいままにした蘇我氏の入鹿の首塚である。大化の改新のストーリーを思い起こす...  続きを読むにはあまりにも小さく、あまりにも寺の境内に同化していて威風がない。蘇我氏滅亡を物語るように晒し首にされたのであろうか。  閉じる

    投稿日:2018/05/21

  • 飛鳥寺の裏口から出てすぐ近くにあります。

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    飛鳥寺で尋ねると説明してもらえたので 裏口から出て 少し歩くとすぐにわかりました。それほど大きなものではなく 田んぼの中の...  続きを読む道の一角にぽつんと立っていました。見学した後はまた飛鳥寺まで戻って 甘樫の丘の見学に向かいました。  閉じる

    投稿日:2018/07/05

  • 飛鳥寺のすぐ近くにある首塚

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/03(約8年前)
    • 0

    飛鳥寺からほど近いところにある蘇我入鹿の首塚です。乙巳の変で殺された入鹿の首が飛鳥板蓋宮からここまで飛んできたと伝えられ、...  続きを読むそこでここに五輪塔が建てられたということです。田園地帯の一角に忘れられたようにぽつんとありますが、きちんと花が供えられていました。  閉じる

    投稿日:2019/08/03

  • 飛鳥寺の裏です

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/12(約8年前)
    • 0

    飛鳥寺の裏門をでて、少し行けば、道の突端に建っています。歴史上の人物の蘇我入鹿を知らない人はいないでしょう。5段になってい...  続きを読むて、こんなお墓は四天王寺さんにもあったことを思い出しました。ひとつポツンと建っているこの首塚には哀愁が漂っていました。  閉じる

    投稿日:2018/07/01

  • 奈良交通の定期観光バスで飛鳥寺を訪れた際に来ました。
    飛鳥大仏を安置した飛鳥寺のすぐ裏手にあります。
    大化の改新の時に...  続きを読む中大兄皇子、中臣鎌足らに暗殺された蘇我入鹿の首が飛んできた場所と言われ、その場所に供養のために建てられた五輪塔だそうです。
    今ではそんな歴史の表舞台だったことを感じさせない静かな寂しい場所になっています。周囲の山を背景にしたこの場所には歴史から取り残された蘇我氏の悲哀を感じました。  閉じる

    投稿日:2018/09/15

  • 飛鳥寺を抜けたところ

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    田圃の中にポツンと首塚がありました。飛鳥寺の庭に矢印があるので、飛鳥寺拝観後に見学するとわかりやすいです。飛鳥寺を裏口から...  続きを読む出ると、すぐ目の前です。首塚から見る、秋のたわわに実る稲穗の先に見える飛鳥寺も趣がありました。  閉じる

    投稿日:2017/10/08

21件目~40件目を表示(全47件中)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
クチコミを投稿する

投稿写真

写真をもっと見る(76枚)

基本情報(地図・住所)

施設名
蘇我入鹿首塚
住所
  • 奈良県高市郡明日香村飛鳥
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
ぴょんきち さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

蘇我入鹿首塚について質問してみよう!

飛鳥に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • Yukinoさん

    Yukinoさん

  • 豚のしっぽさん

    豚のしっぽさん

  • ぷーちゃんさん

    ぷーちゃんさん

  • ぱくにくさん

    ぱくにくさん

  • たびたびさん

    たびたびさん

  • goemonpさん

    goemonpさん

  • …他

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

PAGE TOP