なにも変わっていなかった糸洲の壕。
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
糸洲第二外科壕の場所がわからなかったために先に訪れました。国道331号線にある大きな看板があり、容易に場所は把握できると思います。
積徳高等女学校の学生によって構成されたふじ学徒看護隊25名が動員された場所となりますが、犠牲者の数が少なかった学徒隊として知られています。第24師団第二野戦病院糸洲分院であったこの場所では、第32軍司令部から発令された解散命令を部隊長の判断で握りつぶし、壕の外で行われている戦闘の状況を見て判断されたことにより、他の学徒隊とは全く異なる結果を生み出しました。
昭和20(1945)年6月中〜下頃という米軍に追い込まれて?自決?の選択肢を選ばなければならなかった学徒隊の少年少女の中で、命の大切さを一番に説き、生きながらえることを厳命した小池勇助病院長。それは同じように知事として行政組織を解体し解散命令を出した最後の官選知事島田叡氏の最後の訓示と被るところがあるように思えてなりません。
畑の中にひっそりとある糸洲の壕は訪れる方も少ない場所ではあります。またこの一帯は地下水が豊富な事もあり、それを汲み上げるためのホースが至る所で見られます。また天候の影響をおおいに受ける場所であり、壕の底まで降りる階段が大変滑りやすくなることがあります。最近ではあまり利用されなくなったようですが、平和教育の一環として利用されていた頃に作られた?通路?が奥に繋がるように作られています。しかし知識のない観光客が単独かつ軽装備で立ち入ることは大変危険を伴うため避けるべきだと思います。
入口より底部まで降りるだけでも、この壕に70余年前には多くの人々がひしめき合っていた様子は十分感じられるように思います。
- 施設の満足度
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5.0
クチコミ投稿日:2016/05/11
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