東林寺
寺・神社・教会
3.31
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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伊東家の菩提寺として長い歴史を有する
- 3.5
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
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曽我兄弟の墓がある。
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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伊東家菩提寺
- 3.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
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伊東七福神、布袋さんのお寺。
- 3.5
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
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伊東家の菩提寺となっている
- 3.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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伊東祐親が子の河津三郎の菩提を弔うために開基したのに始まる伊東家の菩提寺。見所は鐘楼の左脇から登る小高い山の上にある河津三... 続きを読む郎の墓と曽我兄弟の首塚。参道に並ぶ石仏の観音様がなんとも穏やかな表情で和みます。これらを拝みながら山を登って行くと、木々に囲まれた中に五輪塔がありました。
左から横一列に河津三郎(祐泰)の墓、曽我十郎(祐成)の首塚、曽我五郎(時致)の首塚と並んでいます。墓のある山の上は木が茂っているので眺望はなく、少しだけ空が見える程度。参道は階段部分に石が敷かれていますが基本は土ですし季節によっては落ち葉も多いので、雨上がりなどぬかるんでいる時は足元にご注意を。
音無神社、最誓寺、葛見神社、伊東祐親の墓など、ここ以外の伊東氏ゆかりの場所も合わせて訪れると相乗効果で歴史が感じられていいと思います。山門前に駐車スペースあり。伊東駅から歩くと25分くらいかかりちょっと遠いですね。 閉じる投稿日:2018/11/04
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伊東家の菩提寺
- 4.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 2
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伊東市と曽我物語の史跡を尋ねて、音無神社、葛見神社、東林寺、伊東祐親の墓の順に訪問推奨
- 5.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
- 0
日本三大仇討ちとは、なにかご存じであろうか。曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入りと鍵屋の辻の決闘を日本三大仇討ちを呼んでい... 続きを読むる。ここ伊東市には曾我兄弟の仇討ちの背景となった史跡が数多くあり、訪問推奨する。市内中心部から出発した場合、最終目的場所を伊東祐親の墓と定めた場合、音無神社、葛見神社、東林寺、伊東祐親の墓の順に巡るのが良いだろう。
音無神社では、伊東祐親が京に赴任中、流人源頼朝が伊東祐親の娘八重姫との間にもうけた千鶴丸の運命を知り、葛見神社では伊東氏の先祖について知り、伊東祐親の菩提寺である東林寺では、本堂の一角に伊東祐親や千鶴丸の木造が安置され、伊東祐親や河津祐泰等の位牌があるはずである。実際に訪問した際には余りにも暗くてどれがどれだか分らなかった。次に東林寺南側に小高い山があり、山の頂上付近には河津三郎の墓と曽我兄弟の墓といわれるものがある。この墓への参道入口には、相撲四十八手の一つ「かわづがけ」の創始者として名高い、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟の実父である伊東祐親の嫡男・河津三郎祐泰の記念碑がある。参道には多くの観音像があり、江戸時代の山道を歩いているような感じとなるが、老人にはかなり急な坂道であり、推奨しない。曽我物語の発端は、伊東祐親との領地争いによって、祐親を深く恨んでいた工藤祐経は部下に命じて、伊東祐親を遠矢で殺そうとしたが河津三郎祐泰に当たり、河津三郎祐泰は落命する。河津祐泰の子祐成(元服後十郎祐成)と時致(元服後五郎時致)は母が曾我祐信と再婚したことから曽我姓を名乗る。1193年5月源頼朝は、富士の裾野で盛大な巻狩を開催した。巻狩には工藤祐経も参加していた。この機会に、曽我兄弟は工藤祐経を討ち果たすこととなる。
曽我兄弟の祖父伊東祐親は、もともと平家側に立ち、源平の争乱の中において、活躍するが、源頼朝が優勢となり、1182年3月21日、自害して果てた。
その墓は河津三郎祐泰と曽我兄弟の東に直線500m付近に、嫡男三郎と孫の十郎、五郎の墓の方向、真東に向いて立っている。 閉じる投稿日:2016/01/14
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投稿写真
基本情報(地図・住所)
- 施設名
- 東林寺
- 住所
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- 静岡県伊東市馬場町2-2-19
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- 登録者
- kirstiNorge さん
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