川路聖謨墓
名所・史跡
3.30
クチコミ・評判
1~12件(全12件中)
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普通の墓
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- 旅行時期:2021/06(約5年前)
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幕末に品川沖に台場を築いたり、外国奉行などを歴任した人物
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- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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江戸時代末期の役人
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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本堂の裏にあります
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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日本の開国前夜の諸外国との交渉を担ったエリート官僚ですね
- 3.5
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
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大正寺の山門脇に案内板があります
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- 旅行時期:2020/03(約6年前)
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国難に殉じた人物
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- 旅行時期:2019/01(約7年前)
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大きくはないが立派なお墓で菊の花が供えられていました
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- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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地下鉄・根津駅から不忍通りの一本西側の忍小通りにある大正寺を訪ねた折、山門左手前に「川路聖謨墓」の説明板があり、見ると、... 続きを読む
略歴などとともに米使ペリーの浦賀、露使プチャーチンの長崎来航とか江戸湾品川沖に台場を築く。
など、聞いたことがある名前もあるので興味が湧き、どんなお墓かと思い探してみた。
が、なかなか分からず諦めかけたが、ここまで探してたのだからと思い寺務所で聞くことにした。
住職の奥さんと思われる方が出てこられ、本堂の後方にある川路聖謨の墓を初め墓地の奥にある身内の方の墓も親切に案内し説明もして貰えたものの、申し訳ないが殆ど覚えていない今日です。
お墓には、綺麗な菊の花が供えられているので聞くと、親切に案内し説明してくれている奥さんと思われる方が供えたとのこと。
これを聞き、大切に見守っていることなどが分かり感心した次第です。
身内の方の墓はそうでもないが、川路聖謨の墓は、大きくはないが立派で、正面に法号が、右側面に氏名や自害した日付、享年などが、左側面に再興の日付や建立者の氏名が刻まれています。
説明板を見てからお墓に行くといろいろ分かるのでお墓までご覧になることをお勧めします。
なお、川路聖謨は、説明板によると概要だが
嘉永5年 (1852) 勘定奉行兼海防掛に任じられ、翌年、米使ペリーの浦賀、露使プチャーチンの長崎来航により、国防の急務を痛感し、江戸湾品川沖に台場を築く。
特に露使とは、応接全権となって交渉に当たり、樺太の北緯50度以南、千島列島エトロフ島のわが国領有を主張した。
など、幕末に活躍し、江戸開場直前の明治元年 (1868) 3月15日に自害した。
とのことです。 閉じる投稿日:2018/11/30
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幕末の外国奉行
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