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川路聖謨墓

名所・史跡

川路聖謨墓 施設情報・クチコミに戻る

大きくはないが立派なお墓で菊の花が供えられていました

  • 3.5
  • 旅行時期:2018/11(約7年前)
風来坊之介さん

by 風来坊之介さん(男性)

上野・御徒町 クチコミ:145件

 地下鉄・根津駅から不忍通りの一本西側の忍小通りにある大正寺を訪ねた折、山門左手前に「川路聖謨墓」の説明板があり、見ると、
 略歴などとともに米使ペリーの浦賀、露使プチャーチンの長崎来航とか江戸湾品川沖に台場を築く。
 など、聞いたことがある名前もあるので興味が湧き、どんなお墓かと思い探してみた。
 が、なかなか分からず諦めかけたが、ここまで探してたのだからと思い寺務所で聞くことにした。
 住職の奥さんと思われる方が出てこられ、本堂の後方にある川路聖謨の墓を初め墓地の奥にある身内の方の墓も親切に案内し説明もして貰えたものの、申し訳ないが殆ど覚えていない今日です。
 お墓には、綺麗な菊の花が供えられているので聞くと、親切に案内し説明してくれている奥さんと思われる方が供えたとのこと。
 これを聞き、大切に見守っていることなどが分かり感心した次第です。
 身内の方の墓はそうでもないが、川路聖謨の墓は、大きくはないが立派で、正面に法号が、右側面に氏名や自害した日付、享年などが、左側面に再興の日付や建立者の氏名が刻まれています。
 説明板を見てからお墓に行くといろいろ分かるのでお墓までご覧になることをお勧めします。
 なお、川路聖謨は、説明板によると概要だが
 嘉永5年 (1852) 勘定奉行兼海防掛に任じられ、翌年、米使ペリーの浦賀、露使プチャーチンの長崎来航により、国防の急務を痛感し、江戸湾品川沖に台場を築く。
 特に露使とは、応接全権となって交渉に当たり、樺太の北緯50度以南、千島列島エトロフ島のわが国領有を主張した。
 など、幕末に活躍し、江戸開場直前の明治元年 (1868) 3月15日に自害した。
 とのことです。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
地下鉄・根津駅出入口2を出て右手に行き直ぐ右折して突き当りを左折し4分位進んだ左手なので出入口2から歩いて4分半位の大正寺の墓地内です
人混みの少なさ:
4.5
訪ねた折はお寺の方以外誰とも会いませんでした
バリアフリー:
3.0
お墓の周りは凸凹しているが境内は整備されているので大丈夫でしょう
見ごたえ:
3.5
川路聖謨の墓は大きくはないが立派でそれ程年月が経っていないが身内の方の墓には歴史を感じます

クチコミ投稿日:2018/11/30

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