「西ヶ原一里塚」から「七社神社」へは、徒歩1分100mほどの距離ところにあります。「西ケ原一里塚の碑」と「滝野川警察署」の...
続きを読む間の道のところに「大鳥居」がありますのでそれを潜り、住宅街の続く参道を抜けると「二の鳥居」があり、正面には、「七社神社」の「社殿」があります。
まず、「七社神社」の歴史を紐解いて見たいと思います。「七社神社」の創建は不詳です。何故ならば、寛成5年(1793年)の火災により古文書、古記録等を焼失したためです。しかし、寛成6年(1794年)年9月秋分の日に「社殿」は再建され、そのことにより、この日を「七社神社」の大祭日と定め、現在も賑やかなお祭りが執り行われています。「七社神社」は、江戸時代には「七所明神社」といい西ヶ原村(現在の北区西ヶ原)の鎮守でした。現在でも、西ヶ原・栄町の総鎮守として篤い崇敬を集めています。そして、「神仏混淆」の江戸時代には、別当寺である「無量寺」の境内にありました。御祭神は、紀伊国高野山の「四社明神」を勧請し、ここれに「天照大神」、「春日神」、「八幡神」の三柱を合祀したのが七所(七社)の由来です。江戸時代までは仏宝山西光院「無量寺」境内の高台、現在の「旧古河庭園内」にありました。「七社神社」は、明治維新の「廃仏毀釈」、「神仏分離」で「一本杉神明宮」の社地に遷り、「一本杉神明宮」は「天祖神社」と称するようになりました。「一本杉神明宮」と通称された元になった巨大な杉は残念ながら枯れてしまい、伐採されましたが現在も切り株だけが残されています。「七社神社」は、「渋沢栄一」ゆかりの神社でもあります。明治12年(1879年)に「渋沢栄一」は西ヶ原村内に飛鳥山邸(別荘)を構え、明治34年(1901年)には飛鳥山邸を本邸とし「七社神社」の氏子となりました。崇敬心も篤く大正9年(1920年)には、「渋沢栄一」を筆頭とする諸氏の寄付により「社務所」が建築され、また「渋沢栄一」揮毫の「社額」、「掛け軸」を始めとした奉納品が神社に納められているなど、「七社神社」は「渋沢栄一」ゆかりの神社でもあります。そして、「七社神社」の境内には末社として「天祖神社」(一本杉神明宮)、「稲荷神社」、「熊野神社」、「菅原神社」、「三峯神社」、「疱瘡社」(ほうそうしゃ)が祀られています。「一本杉神明宮」は、もともとこの地に祀られていた神社ですが、「七社神社」の遷座により末社となりました。
では、「七社神社」へ参拝したいと思います。「七社神社」の最寄駅は、東京メトロ南北線の「西ヶ原駅」です。そこから「本郷通り」を「飛鳥山公園」方面へ向かうと「大鳥居」があります。「大鳥居」は、昭和9年(1934年)に建立されました。「大鳥居」の右前には、「七社神社参道」の碑があります。また、左側には、かつての一里塚である国史跡「西ヶ原一里塚」があります。「大鳥居」を潜り、長く続く住宅街の参道を抜けると明治24年(1891年)に建立された「二の鳥居」があります。この先が本格的な参道となっています。
次に、「二の鳥居」潜ってすぐ右手に「手水舎」があります。龍のいる「手水舎」で、龍のすぐ隣には手水の作法がかかれた看板があります。こちらの手水舎は天井にも龍の絵があります。「手水舎」でよく見かける龍は、水を守護することから置かれていることが多いそうです。
更に進むと「拝殿」の前には一対の狛犬があります。「本殿」が改築された明治26年(1893年)に奉納されたものです。阿吽の狛犬はどちらも子を抱えています。どちらも子を守るような造形です。そのため「狛犬」ならぬ「子守犬」(こまいぬ)として親しまれています。こうした「子守犬」からも「七社神社」は子宝・子孫繁栄の御神徳として崇敬を集めています。
そして、参道の正面に「社殿」があります。「拝殿」は昭和3年(1928年)に改築されたものが改修されつつ現在に至っています。「拝殿」の彫刻も丹念に彫られており、目に墨が入っているのが特徴です。正面には龍の彫刻があり、木鼻には表情豊かな獅子が飾られています。「拝殿」には「七社神社」の「扁額」(社号額)があります。この「扁額」(社号額)は、「七社神社」の氏子であった「渋沢栄一」による揮毫です。
そして、「拝殿」の前には当社のシンボルとなりつつある八重桜(里桜)が2本あります。右側が「福禄寿」と呼ばれる八重桜で、淡紅紫色に咲く桜として知られています。左側が「御衣黄」と呼ばれる八重桜で、白色から淡緑色に咲く桜です。そのため桜の時期になると、左が白系、右が紅系の桜が咲き、社殿前が紅白に彩られます。「七社神社」の「御衣黄」と「福禄寿」の八重桜は、例年だと4月中旬頃に見頃となるそうです。
次に、境内の右手に進みます。そこには「願掛け公孫樹」があります。公孫樹の周辺が「絵馬掛」、「御籤掛」となっているので、「願掛け公孫樹」と呼ばれているそうです。
次に、境内の左手に進みます。境内社が立ち並んでいます。一番右手は「菅原神社」と「三峯神社」の合殿で、扁額にも「菅原神社」「三峯神社」の文字が描かれています。その左側は「稲荷神社」で鳥居が設けられその先にお稲荷様が祀られています。更に左手には「天祖神社」があります。元々、現在地に鎮座していた「一本杉神明宮」で、現在は「七社神社」の境内末社になっています。令和元年(2019年)には当社の御遷座百五十年を迎え記念事業として玉垣も整備されました。一本杉の由来となった旧御神木(推定樹齢1,000年)も切り株の状態で社殿裏手に保存されています。他に「熊野神社」、その隣には「疱瘡社」の石碑があります。
さらに、境内左手に進むと、立派な「神楽殿」(舞殿)があります。多くの絵馬や額が掛けられていて、「七社神社」の歴史を伝えています。「神楽殿」(舞殿)では、遷座150周年の石見神楽が奉演されました。舞殿では、お祭りや行事の際に奉納演奏や舞が行われています。また、七五三詣の時期になるとは碁盤やお祝い太鼓などを設置されるそうです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒114-0024 東京都北区西ケ原2丁目11-1 電話:03-3910-1641
⑵ 開門時間…24時間
⑶ 御朱印受付時間…9:00~17:00
⑷ 御祭神
「伊邪那岐命」、「伊邪那美命」、「天児屋根命」、「伊斯許理度賣命」、「市寸島比賣命」、「仲哀天皇」、「応神天皇」の七柱
①「伊邪那岐命」は、神代七代の最後に生まれた男神で、天の御柱を周り「伊邪那美命」と結婚し、国生みを成し遂げ、多くの神々を生み出した「天津神」です。ちなみに、「天津神」とは、この地上に下った神とその子孫の神々をいいます。
②「伊邪那美命」は、神代七代の最後に生まれた女神で、天の御柱を周り「伊邪那岐命」と結婚し、国生みを成し遂げ、多くの神々を生み出した「天津神」です。
③「天児屋根命」は、「天照大神」が天の石屋に閉じこもった際「祝詞」を奏上した神で、中臣の祖神として信仰され、祝詞の神とも言われていています。また、天孫降臨の際には「邇々芸命」の従者として共に降臨しました。
④「伊斯許理度賣命」は、「天照大神」が天の石屋に閉じこもった際「八咫鏡」を鋳造した、鏡作りの祖神です。また、天孫降臨の際には「邇々芸命」の従者として共に降臨しました。
⑤「市寸島比賣命」は、「天照大御神」と「須佐之男命」の誓約の際、成った宗像三女神の一柱の神です。航海の守護神・水の神です。
⑥「仲哀天皇」は、第14代天皇の「倭建命」の子で応神天皇の親です。
⑦「応神天皇」は、第15代天皇で母は「神功皇后」です。八幡信仰の祖。厄除け・成功勝利の神徳があります。
02_【アクセス】
⑴ JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口出口から徒歩11分850m
⑵ 東京さくらトラム(都電荒川線)「王子駅前」出口から徒歩12分950m
⑶ 東京メトロ南北線「王子駅」1番出口から徒歩12分950m
⑷ 東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」出口から徒歩7分500m
⑸ 東京メトロ南北線「西ヶ原」1番出口から徒歩4分300m
03_【「七社神社」の見どころ】
⑴ 「社殿」
参道の正面に「社殿」があります。「拝殿」は昭和3年(1928年)に改築されたものが改修されつつ現在に至っています。「拝殿」の彫刻も丹念に彫られており、目に墨が入っているのが特徴です。正面には龍の彫刻があり、木鼻には表情豊かな獅子が飾られています。「拝殿」には「七社神社」の「扁額」(社号額)があります。この「扁額」(社号額)は、「七社神社」の氏子であった「渋沢栄一」による揮毫です。
⑵ 境内末社
境内には末社として「天祖神社」(一本杉神明宮)、「稲荷神社」、「熊野神社」、「菅原神社」、「三峯神社」、「疱瘡社」が祀られています。「一本杉神明宮」は、もともとこの地に祀られていた神社ですが、「七社神社」の遷座により末社となりました。当時の一本杉の御神木は古木として現在も社奥に切株が残っています。
①「天祖神社」(一本杉神明宮)
御祭神は、「天照大御神」と「豊受大御神」です。もともとこの地に「一本杉神明宮」として祀られていましたが、「七社神社」の遷座により末社となりました。現在、「七社神社」の建つ社地は明治初年の廃仏毀釈、神仏分離までは、「一本杉神明宮」の社地でした。「神明宮」は、「天照大神」を御祭神とする「伊勢神宮」の神々の分霊を勧請した伊勢信仰に由来する社です。樹齢1000年以上といわれる杉のご神木が、日光御成道沿いの境内に聳え立っていたため「一本杉神明宮」と通称されていました。「七社神社」がこの地に遷座したことにより、「神明宮」は「七社神社」の摂社となり、「天祖神社」となっています。巨杉のご神木は、残念ながら明治44年(1911年)に、地上3mほどのところを残して伐採され、今では切株だけが残されています。
②「稲荷神社」
御祭神は、「宇迦之御魂神で、「須佐之男命」の子で、稲の霊の神です。
③「熊野神社」
御祭神は、「熊野大神」で紀州熊野の神です。
④「菅原神社」
御祭神は、「菅原道真」で学問の神です
⑤「三峯神社」
御祭神は、「三峯大神」で災難除けの神です。
⑦「疱瘡社」
御祭神は、疱瘡神で、天然痘の神で、病気平癒・疫病除けのご神徳があります。
⑶ 「舞殿」
「舞殿」は、遷座150周年の「石見神楽」が奉演されました。「七社神社」の「舞殿」では、お祭りや行事の際に奉納演奏や舞が行われています。また、七五三詣の時期になるとは碁盤やお祝い太鼓などを設置されすそうです。
⑷ 「社務所」
お守りや御朱印を頂くことができる「社務所」は拝殿の左にある道を進んで行くと奥にあります。
⑸ 「手水舎」
鳥居を潜ってすぐ右手に「手水舎」があります。龍のいる手水舎で、龍のすぐ隣には手水の作法がかかれた看板があります。こちらの「手水舎」は天井にも龍の絵があります。ちなみに、「手水舎」でよく見かける龍は、水を守護することから置かれていることが多いそうです。
⑹ 「枯松を祭る文の碑」
境内には、飛鳥山から令和2年12月移された「枯松を祭る文の碑」があります。「渋沢栄一」が飛鳥山にあった松が枯れたときに、友人の漢学者「三島中洲」に文章の作成を依頼し、自らして建てたとされる碑です。
⑺ 「孔子・孟子像」
「孔子像」と「孟子像」は、旧古河邸の主だった「古河家」から寄贈されたものです。「孔子」といえば、渋沢栄一が愛読していた「論語」の著者としても知られます。境内入り口のすぐ側にある意外と見逃しがちな場所にあるので注意してみてください。
⑻ 「小守犬」(雄雌)
「拝殿」前には一対の「狛犬」があります。「本殿」が改築された明治26年(1893年)に奉納されたものです。阿吽の狛犬はどちらも子を抱えています。どちらも子を守るような造形です。そのため「狛犬」ならぬ「子守犬」(こまいぬ)として親しまれている。こうした「子守犬」からも「七社神社」は子宝・子孫繁栄の御神徳として崇敬を集めています。
⑼ 「八重桜」御衣黄と福禄寿
拝殿」の前には当社のシンボルとなりつつある八重桜(里桜)が2本あります。右側が「福禄寿」と呼ばれる八重桜で、淡紅紫色に咲く桜として知られています。左側が「御衣黄」と呼ばれる八重桜で、白色から淡緑色に咲く桜です。そのため桜の時期になると、左が白系、右が紅系の桜が咲き、社殿前が紅白に彩られます。「七社神社」の「御衣黄」と「福禄寿」の八重桜は、例年だと4月中旬頃に見頃となるそうです。
⑽ 「願掛け公孫樹」
境内の右手に進みます。そこには「願掛け公孫樹」があります。公孫樹の周辺が「絵馬掛」、「御籤掛」となっているので、「願掛け公孫樹」と呼ばれているそうです。
⑾ 「腹籠りの椎」
「七社神社」は、安産や子宝のご利益があるとされるパワースポットです。境内には、安産祈願ができるスポットがたくさんあります。その一つが「腹籠の椎」です。子供を宿した妊婦さんのお腹のような形をした不思議な椎の木です。お腹のように膨れた部分を撫でることで、子宝・安産のご利益があるとされています。
⑿ 「歯固め石」
「菅原・三峯神社」の右手前には「歯固め石」を納める場所があります。子供が誕生してから100日目に行う行事は「お食い初め」です。「一生涯食べることに困らないように」と願いを込めて、お膳に盛り付けた料理を子供に食べさせるまねをした後に「歯固めの石」を口に付けます。口につけた「歯固めの石」をここに納めることができます。
⒀ 「茅の輪」
「茅の輪」くぐりは、6月28日に大祓式といって半年間の罪穢を落とす儀式です。茅の輪をくぐることで半年の間に身体についた罪穢を祓うことができます。茅の輪を左まわり・右まわりと八の字を書くように三度くぐることで、心身ともに清らかになります。北区でも珍しい茅の輪くぐりが行われる「七社神社」です。毎年、6月~7月頃、12月~年始にかけて境内には大きな茅の輪が設置されます。
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投稿日:2024/07/11