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講談高座発祥の地碑

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講談高座発祥の地碑 クチコミ・アクセス・周辺情報

御茶ノ水・本郷 観光 満足度ランキング 43位

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クチコミ・評判 2ページ目

21~39件(全39件中)

  • 新しくて美しい石碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

    湯島天満宮を訪れた際、境内にこちらの碑が有ったので立ち寄りました。講談師で人間国宝の一龍齋貞水氏が講談の高座発祥の地とされ...  続きを読むる湯島天満宮境内にその由来を示す記念碑を建立したもので、碑文には高座発祥の経緯が書かれていました。  閉じる

    投稿日:2018/05/24

  • 湯島天神の講談師が発祥

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    講談はもともと街角の辻講釈など聴衆と同じ目線で演じられていましたが、湯島天神の境内で活動していた講談師・伊東燕晋が高さ三尺...  続きを読むの高座を設けたことから高座が始まったそうです。この記念碑は男坂の降り口にある鳥居の側に設置されており、とても目立っていました。  閉じる

    投稿日:2018/02/04

  • 石碑の周りは些か雑然としていて残念でした。

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/12(約8年前)
    • 0

    湯島天満宮の境内を散策していた際に見つけた記念碑の一つです。講談というと「講談社」位しか思い浮かばいんですが、実は江戸時代...  続きを読むに街角で講談師によって演じられた語りとのこと。これが江戸時代の後期に伊東燕晋男という方が聴衆と同じ高さではなく、高さ三尺の高座を設ける方式を生み出したことが「高座」の始まりだと、これも石板に細かな文字で刻まれていました。ただ、天満宮という場所にふさわしくない位に石碑の周りが雑然としていて、残念に感じました。  閉じる

    投稿日:2018/03/10

  • 屋台に隠れて見えませんでした

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/02(約9年前)
    • 0

    湯島天満宮の天神石坂(男坂)を上がった先の左側にあります。江戸時代中頃まで講談は辻で行われていました。境内で徳川家康の偉業...  続きを読むを語る時に高座から講談したことから発祥の地となりました。2005年の除幕式には人間国宝の講談師や区長などが列席し盛大に式典を行ったようです。そのような碑をじっくり見たかったのですが、梅まつりに訪れたので屋台が並び、碑が隠れていました。他の碑も屋台の後ろに隠れていました。次回静かな時にじっくり見たいと思います。湯島天満宮境内には碑が幾つかあるので探しながら由来を見るのも面白いです。  閉じる

    投稿日:2017/02/13

  • 江戸中期までは講談は街中で聴衆と同じ目線で行われていましたが、文政4年(1807年)に湯島天満宮の境内にはじめて、きちんと...  続きを読むした高座をしつらえた建物がつくられ演じられるようになった。こうした歴史がある場所のため、平成17年にこの地に講談高座発祥の地の記念碑が設置された。記念碑自体は設置から10年ぐらいしか経過していないので、まだまだきれいな状態です。境内の男坂の出入り口あたりに、いくつかの石碑が集まっている場所なので分かります。  閉じる

    投稿日:2016/10/30

  • 「湯島天神」の境内にあります

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/08(約9年前)
    • 0

    「講談高座発祥の地碑」は、学問の神様「菅原道真公」を祀る「湯島天神」の境内で偶然発見しました。
    「高座」とは、講談や落語...  続きを読むなどを演じる人が舞台上で座るための台のことですが、こちらで講談師の方が家康公の偉業を読むにあたって、利用した台座が寄席などでも使用されるようになった・・という経緯から、こちらが発祥の地になっているようです。
    そのような経緯から生まれて現在も使用されている・・偶然拝見しましたが、とても勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2016/08/21

  • 高座発祥の地

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/02(約10年前)
    • 0

    湯島天満宮の境内、男坂に近い辺りにいくつかの石碑がありますが、この講談高座発祥の地碑も、その中のひとつです。

    講談師...  続きを読むで人間国宝の一龍齋貞水さんが、高座誕生の経緯が記された記念碑を平成十七年に講談の高座」祥の地とされるこちらの湯島天満宮の境内に建立したそうです。

    聴衆と同じ目線の高さで演じられていた講談が、湯島天満宮の境内で活動していた講談師の伊東燕晋が家康公の偉業を語る際に、同じ高さでは恐れ多いと高座を設けたことが始まりなんだそうです。  閉じる

    投稿日:2016/04/03

  • 湯島天神内

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/02(約10年前)
    • 0

    天神男坂の石段を登り切ったところにあります。
    見ての通り、かなり大きなサイズ(2.1m)の石碑です。
    講談高座は、伊東...  続きを読む燕晋が1807年に、徳川家康の偉業を湯島天神で語る際に、高さ三尺の高座を設けたことが高座の始まりとされます。
      閉じる

    投稿日:2016/02/23

  • 湯島天満宮の境内、男坂を下る手前の右手に講談高座発祥の地碑はあります。碑の下の部分には江戸時代中期までの講談は聴衆と同じ高...  続きを読むさで演じられていたものが、高座に変化した由来が記されていました。ユニークな碑だと思いました。  閉じる

    投稿日:2016/01/24

  • 講談師伊東燕晋の提言

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    湯島天神の男坂を登った所にあります。碑文によると、江戸中期まで講談は辻講釈や、小屋で聴衆と同じ高さで演じられていたが、講談...  続きを読む師伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高座常設を奉行所に願い出て許されたことが高座の始まりということです。  閉じる

    投稿日:2015/04/22

  • 男坂の上にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    湯島天神に通じる男坂(名称は坂ですが登りにくい階段です)の上に講談高座発祥の石碑があります。まだできて10年ほどの石碑のよ...  続きを読むうで、刻まれた字も見やすく石も綺麗でした。
    講談は、もともと街かどで聴衆と同じ目線の高さで演じられていたものでした。その後、講談師伊東燕晋が徳川家康の偉業を語る際に、庶民と同じ目線では恐れ多いと、高さ三尺の高座を設けたことが高座の始まりとされています。
    男坂を行き来される方は何人もいましたが、みなさん石碑は素通りでした。  閉じる

    投稿日:2015/04/03

  • 伊東燕晋による

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    湯島天満宮の男坂の坂上のところにあります。江戸時代の講談は庶民と同じ目線の高さで演じられていたが、講談師伊東燕晋が徳川家康...  続きを読むの偉業を語る際にそれは問題であるとして、初めて高座を設けたことが始まりのようです。  閉じる

    投稿日:2015/04/30

  • 地下鉄湯島駅の西、湯島天神の男坂を上ったところにこちらの石碑がある。平日午後だったが、天神の境内はかなり参拝客がいて、男坂...  続きを読むを上がっていく人も少しいたが、こちらの石碑に目を留める人はいなく静かであった。石碑のみなので観光要素は少ないが、江戸時代半ば、講談は街角で聴衆と同じ目線の高さで演じられていたが、天神のの境内で活動していた講談師が徳川家康の偉業を語る際に、初めて高座を設けたものであり、特に講談や江戸時代に関心や知識がある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2014/12/12

  • 講談師、伊東燕晋

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    湯島天神の男坂を上ったところに、講談高座発祥の地碑があります。
    碑文には、経緯が説明されています。つまり。。
    講談は江...  続きを読む戸時代半ばころまで、街角の辻講釈など、聴衆と同じ目線の高さで演じられていたもの。これを、当宮の境内で活動していた講談師、伊東燕晋が徳川家康の偉業を語る際に、高さ三尺の高座を設けたことが高座の始まりだそうです。  閉じる

    投稿日:2014/09/26

  • ピカピカな碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/03(約12年前)
    • 0

    湯島天神の天神男坂のすぐ上にある碑で最近出来たものなのかやけにピカピカでした。講談師の一龍齋貞水が2003年に人間国宝に指...  続きを読む定されたことによる記念の碑で、高座とは, 講談や落語などを演じる人が 舞台上で座るための台ですが、寺で法要をする際に, 僧侶が説教をする時に座る高い座が 高座 と呼ばれることに引っ掛けてこのお寺に作られたようです。  閉じる

    投稿日:2014/03/29

  • 人間国宝

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/12(約12年前)
    • 0

    天神男坂を上りきったところに建っている。
    人間国宝講談師の一龍齋貞水が建立した。
    高座とは、 講談や落語などを演じる人...  続きを読むが 舞台上で座るための台。
    普通は 毛氈などを掛けて後ろには屏風を置いたりする。
    寺で法要をする際に、僧侶が説教をする時に座る高い座が高座と呼ばれたが、寄席の高座はこの寺の高座から転じたものと言われる。
      閉じる

    投稿日:2014/02/10

  • 見落とさないように注意が必要

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/12(約12年前)
    • 0

    最寄駅は東京メトロ千代田線の湯島駅。学問の神様を祀ることでも有名な、湯島天満宮の境内にあります。
    男坂の階段を上り、鳥居...  続きを読むをくぐったところにある石碑が目にとまりました。
    説明書きが付されていたので、これが「講談高座発祥の地碑」であることが分かりました。その歴史は200年以上にも及ぶようです。地味な史跡なので、ついつい見逃さないようにしたいところです。  閉じる

    投稿日:2014/01/01

  • 湯島天神の境内にあります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/12(約12年前)
    • 0

    男坂の階段を上がりきったところにある鳥居をくぐってすぐのところに、いくつかの碑が建てられています。講談の「高座」発祥の地と...  続きを読むされる湯島天神境内に、講談師で人間国宝の一龍齋貞水さんがその由来を示す記念碑を建立されたそうです。それ以前から講談は、街中で行われていましたが、湯島天神の境内で活動していた、講談師の伊東燕晋が1807年、徳川家康の業績を語る講談の時に、高さ三尺の高座を設けたことが高座の始まりとされているそうです。
      閉じる

    投稿日:2013/12/31

  • 湯島天神の入口に建つ記念の石碑(だけです)

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/09(約12年前)
    • 0

    湯島天神の入口、男坂もしくは女坂を登ってすぐのところに建っています。
    「講談高座発祥の地」と刻まれた石碑で、その下に高座...  続きを読む誕生の経緯が記されています。
    石碑以外には特に何もなく、神社入口で人通りも多いので、参拝のついでにちょっと見ていくくらいでいいと思います。  閉じる

    投稿日:2013/11/04

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基本情報(地図・住所)

施設名
講談高座発祥の地碑
住所
  • 東京都文京区湯島3丁目
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  2. 名所・史跡

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