橘諸兄公旧跡
名所・史跡
3.28
クチコミ・評判
1~3件(全3件中)
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小山の上に上がっていくと立派な石碑がありました
- 3.5
- 旅行時期:2024/11(約1年前)
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橘諸兄公旧跡、駐車むずかしい。
- 5.0
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
- 1
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聖武天皇を補佐した橘諸兄公旧跡
- 3.5
- 旅行時期:2011/10(約14年前)
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井手町(いでちょう)は、京都府南部の町で木津川の支流・玉川が町を東西に縦断しており橘諸兄の旧跡はじめ歴史遺産が多く見られる... 続きを読む。
橘諸兄(たちばな の もろえ、684−757年)は、敏達天皇(びだつてんのう、538−585年)の後裔で美努王(みぬおう・みのおう)の子。元の名前は葛城王(かつらぎのおおきみ)だったが母・橘三千代の姓氏である橘宿禰を継ぎ橘諸兄と名乗った。
聖武天皇を補佐したが孝謙天皇の時代には藤原仲麻呂が権力を握り引退。大伴家持と親交があり、『万葉集』の撰者の1人とする説もある。『栄華物語』月の宴の巻に、「むかし高野の女帝の御代、天平勝宝5年には左大臣橘卿諸兄諸卿大夫等集りて万葉集をえらび給」との記述があり、信憑性をもつものとされている。
玉川を渡り古道を進むと橘諸兄旧跡の案内石柱が立っており竹林の中に石垣が見え、石段を上ると橘諸兄公旧跡の石碑が立っている。 ここは橘諸兄が平城京の北部山背国綴喜(現在の綴喜郡井手町)に造営した別荘(玉井頓宮)跡と考えられており別荘内に母三千代の一周忌にちなみ創建した氏寺として井出寺(井堤寺・廃寺)を建立している。
閉じる投稿日:2013/03/03
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