行徳河岸
名所・史跡
3.30
クチコミ・評判
1~11件(全11件中)
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江戸と行徳を結ぶ船が毎日運航されたよう
- 4.0
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
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千葉の行徳から江戸幕府への航路
- 3.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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今は説明板がたてられているだけです。
- 3.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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名残のミツカン、ヒゲタ、キリン、花王
- 3.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 2
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江戸・行徳との間でかつて交易があった
- 3.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
- 0
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ここが行徳河岸と呼ばれるようになったことが分かるところです
- 3.5
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
中央区日本橋人形町界隈を散策の帰りに地下鉄・茅場町駅に向かう折、訪ねたのがここ 行徳河岸 で、新大橋通りの南東側を走る首... 続きを読む都高速の箱崎出入口近くにあるのに、千葉県市川市の行徳と同じ名前なのが不思議に思っていたところです。
新大橋通りの蛎殻町交差点から南東方向への細い道路を3分位進み突き当りの首都高速の高架手前を右折して歩道を10m位行った車道側 (左手) の植え込みの前に説明板が立ててあります。
その当時の地図付きの説明板によると、
今の首都高速のところ辺りにかつて運河である箱崎川が流れていて、寛永9年 (1632)、現在の千葉県市川市の村民が、ここの河岸地を幕府より借りうけ、江戸と行徳の間で小荷物や旅客の輸送を開始した。
それ以来、ここは行徳河岸と呼ばれるようになり、江戸と行徳とをむすぶ船は毎日運航され、成田山新勝寺の参詣などで房総に向かう多くの人びとが、この水路を利用した。
とのこと。
これを見て、中央区にあるもののここが、行徳河岸と呼ばれるようになったことが分かった次第です。
ここ 行徳河岸 は、新大橋通りや地下鉄駅からもやや離れているが、近くの来られた折などに説明板をご覧になっては如何でしょう。 閉じる投稿日:2019/12/06
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江戸と千葉県行徳との間で、小荷物や旅客の輸送が行われていた河岸のあった場所
- 3.0
- 旅行時期:2019/02(約7年前)
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説明板があります
- 3.5
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
- 0
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中央区教育委員会が設置した説明板があります
- 3.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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賑やかな河岸跡
- 2.5
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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行徳との間で荷物や旅客の運搬が盛んであった処
- 3.0
- 旅行時期:2015/01(約11年前)
- 0
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