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虎御前山

自然・景勝地

浅井・湖北・高月

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虎御前山 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11310941

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施設情報

225.5m。虎姫駅側と河毛駅側の双方から登れ、手軽にハイキングが楽しめます。西に琵琶湖や竹生島、東には小谷山や伊吹山が一望できます。 虎御前山は、日本の歴史上で2度の大きな戦場として登場します。ひとつは室町時代の初め、将軍の足利尊氏と弟の足利直義が戦った八相山(はっそうざん)の合戦。もうひとつは織田信長が小谷山の浅井長政を攻めたときで、尾根上には信長をはじめ木下秀吉、柴田勝家、堀秀政、滝川一益、丹羽長秀などの陣地跡がずらりと並んでいます。中野山、八相山とも呼ばれ、春の桜、秋の紅葉も見どころです。

施設名
虎御前山
住所
  • 滋賀県長浜市中野町・湖北町山脇
電話番号
0749-53-2650
アクセス
その他 [公共交通]JR北陸本線「虎姫駅」下車 徒歩12分 JR北陸本線「河毛駅」下車 徒歩20分 [自動車]小谷城スマートICから5分 [駐車場]有
その他
【規模】標高:約230M
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 自然・景勝地

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(5件)

浅井・湖北・高月 観光 満足度ランキング 15位
3.3
アクセス:
3.50
虎姫駅から徒歩15分。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
景観:
4.40
小谷山から観ました by azuraさん
人混みの少なさ:
4.00
数組の観光客とは出会ったが空いていた。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
3.00
途中までは車でも登れるようにはなっている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 満足度の高いクチコミ(4件)

    虎御前の悲話が由来となっている。

    5.0

    • 旅行時期:2021/03
    • 投稿日:2024/04/16

    桜の名所として知られる虎御前山。武家時代には大きなふたつの戦場となったことでも知られている。 南北朝時代室町幕府に於...  続きを読むいて二頭政治を行っていた足利尊氏とその弟直義。南朝をバックにする尊氏と、北朝バックの直義。その二人の不和が原因となり観応2(1351)年夏に両者が争った八相山合戦が起こった。敗れた直義は敦賀へと逃亡し、翌年降伏するが直後に謎の死を遂げている。そして2世紀後姉川の戦いに敗れた浅井久政・長政父子は本拠地小谷城に籠城し織田信長を牽制した。信長包囲網とされる足利義昭や武田信玄、石山本願寺の動きも信長の動きに影響を与えており、すぐには合戦とはならなかったものの浅井氏、同盟を組んだ朝倉氏共々重臣の寝返りが相次ぎ、こちらも決め手に欠いていた。そんな中遂に自ら軍勢を率いて動いた朝倉義景ではあったが、こちらも戦意は低く負け戦を続けた結果一乗谷の戦いにて滅亡することとなる。後ろ盾を失った浅井氏にはもはや打つ術がなく、小谷城の戦いによって亮政に始まった浅井氏は3代で滅びることとなる。この際長政の正妻であった信長の妹〝お市の方〟と〝浅井三姉妹〟が城兵の手によって救い出されたことは有名なことである。 この小谷城包囲網の砦とした場所が虎御前山であり、特にこの南尾根を八相山と言う。織田信長・木下秀吉・堀秀政・柴田勝家・滝川一益と言った主力部隊は北尾根に、南尾根には丹羽長秀・蜂屋頼隆・多賀貞能が後詰めとして陣取っている。山頂から小谷城までは直線で2.5km程の距離しかなく、見晴らしの良い小谷城から信長の大軍を見た浅井久政・長政父子の恐怖や絶望感が今でも伝わって来るような場所となっている。 戦場となる前には長尾山と称するものだったらしく、その麓桃酢谷の井筒に住んでいた〝お虎〟という美女が住んでいたという。彼女が道に迷って難儀していたところを土地の水利に尽力した世々開(せせらぎ)という名の長者に助けられた。それが縁で二人は夫婦になり一緒に住むようになった。そして〝虎御前〟と言われ、ますます美しさを増して行ったのだが、やがて儲けた15人の子供が全て〝顔以外すべてウロコにおおわれた子蛇〟だった。そのことを嘆いた虎御前は悲しさのあまり女性ヶ淵(みせがふち)に身を投げて命を絶ってしまう。その後育った子供たちは成人する頃には人間と同じ容姿となり、近隣の村々を治めることとなった。子供達が善政を行った村々ではその母親であった虎御前を忘れぬよう、長尾山をいつしか虎御前山と呼ぶようになったという伝説が残っている。 現実でも伝説でもいずれにせよハッピーエンドとはならなかった虎御前山ではあるが、景色だけではなく山中の散策でも歴史を感じられる場所であった。  閉じる

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

    浅井・湖北・高月 クチコミ:3件

  • 信長が陣を敷いた虎御前山城跡。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 1

    小谷城跡に向かって歩いていたら
    立て札と急な階段が見えました。

    立て札を読んでみると
    虎御前山城と書いてありまし...  続きを読むた。

    織田信長による浅井攻めの際
    小谷城の真ん前に当たる
    標高230mのこの虎御前山に
    信長が陣を置いたそうです。

    信長は8月から翌年9月の小谷城が
    陥落する迄の間に3度砦を築いた
    そうですが、小谷城を落とすと
    直ぐに砦は取り壊されたとか。。
    現在はハイキングコースに
    なっている様です。

    虎御前山には悲しい伝説も。。
    井筒という泉のほとりに住んで
    いた娘が、旅の途中に知り合った
    世々聞(せせらぎ)という名の
    若者と愛し合い結婚しました。
    ところが、顔は人間で体は蛇
    という子を一度に15人も産んで
    しまい、悲しみのあまり淵に身を
    投げて亡くなってしまいます。。

    その娘の名を虎姫で、この山が
    虎御前山と呼ばれるようになったとか…
    因みに、子ども達は成長するに
    つれ鱗の様なものは取れていった
    そうなのですが。。

    河毛駅の隣の駅は虎姫駅です。
    駅名もこの伝説に由来している
    のでしょう。。  閉じる

    投稿日:2021/09/03

  • 小谷城から虎御前山の全景がよく見えます

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/08(約3年前)
    • 0

    虎御前山はかつて浅井長政の小谷城攻めにおいて織田信長が本陣を置いた場所です。
    この本陣を中心に羽柴秀吉(豊臣秀吉)などの...  続きを読む諸将の兵が小谷城を攻めていたのです。
    小谷城へ登っていくと、途中で虎御前山全景がよく見えます。
    浅井長政もここから信長の本陣を見ていたのでしょう。  閉じる

    投稿日:2021/08/13

  • 虎御前の悲話が由来となっている。

    • 5.0
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 8

    桜の名所として知られる虎御前山。武家時代には大きなふたつの戦場となったことでも知られている。

    南北朝時代室町幕府に於...  続きを読むいて二頭政治を行っていた足利尊氏とその弟直義。南朝をバックにする尊氏と、北朝バックの直義。その二人の不和が原因となり観応2(1351)年夏に両者が争った八相山合戦が起こった。敗れた直義は敦賀へと逃亡し、翌年降伏するが直後に謎の死を遂げている。そして2世紀後姉川の戦いに敗れた浅井久政・長政父子は本拠地小谷城に籠城し織田信長を牽制した。信長包囲網とされる足利義昭や武田信玄、石山本願寺の動きも信長の動きに影響を与えており、すぐには合戦とはならなかったものの浅井氏、同盟を組んだ朝倉氏共々重臣の寝返りが相次ぎ、こちらも決め手に欠いていた。そんな中遂に自ら軍勢を率いて動いた朝倉義景ではあったが、こちらも戦意は低く負け戦を続けた結果一乗谷の戦いにて滅亡することとなる。後ろ盾を失った浅井氏にはもはや打つ術がなく、小谷城の戦いによって亮政に始まった浅井氏は3代で滅びることとなる。この際長政の正妻であった信長の妹〝お市の方〟と〝浅井三姉妹〟が城兵の手によって救い出されたことは有名なことである。

    この小谷城包囲網の砦とした場所が虎御前山であり、特にこの南尾根を八相山と言う。織田信長・木下秀吉・堀秀政・柴田勝家・滝川一益と言った主力部隊は北尾根に、南尾根には丹羽長秀・蜂屋頼隆・多賀貞能が後詰めとして陣取っている。山頂から小谷城までは直線で2.5km程の距離しかなく、見晴らしの良い小谷城から信長の大軍を見た浅井久政・長政父子の恐怖や絶望感が今でも伝わって来るような場所となっている。

    戦場となる前には長尾山と称するものだったらしく、その麓桃酢谷の井筒に住んでいた〝お虎〟という美女が住んでいたという。彼女が道に迷って難儀していたところを土地の水利に尽力した世々開(せせらぎ)という名の長者に助けられた。それが縁で二人は夫婦になり一緒に住むようになった。そして〝虎御前〟と言われ、ますます美しさを増して行ったのだが、やがて儲けた15人の子供が全て〝顔以外すべてウロコにおおわれた子蛇〟だった。そのことを嘆いた虎御前は悲しさのあまり女性ヶ淵(みせがふち)に身を投げて命を絶ってしまう。その後育った子供たちは成人する頃には人間と同じ容姿となり、近隣の村々を治めることとなった。子供達が善政を行った村々ではその母親であった虎御前を忘れぬよう、長尾山をいつしか虎御前山と呼ぶようになったという伝説が残っている。

    現実でも伝説でもいずれにせよハッピーエンドとはならなかった虎御前山ではあるが、景色だけではなく山中の散策でも歴史を感じられる場所であった。  閉じる

    投稿日:2021/05/01

  • 織田信長の小谷城攻めの陣地跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/04(約6年前)
    • 0

    虎姫駅からすぐの標高230メートルほどの山で、虎姫の名のもとになる虎御前の名を持った山。織田信長軍が向かいの小谷山城を攻略...  続きを読むする際にこの山に陣を敷いたためその遺跡が残っていて、ハイキングルートになっている。登山口は公園になっている。
    時間があれば、小谷城跡に登る前に虎御前山を登ると歴史が感じられる。

      閉じる

    投稿日:2018/04/09

  • 虎御前山城に行きました

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/09(約9年前)
    • 2

    織田信長と浅井長政との合戦で、信長およびその騎下が陣を敷いた所です。虎姫駅から歩いて30分ほどで山道に入る。ここから有名な...  続きを読む信長の騎下の武将丹羽長秀、滝川一益、堀秀政、山頂に本陣信長、木下秀吉、柴田勝家、伝陣跡が見られます。 このあと自動車道を歩いて、浅井方の砦中島山砦、丁野山砦をみました。遺溝は竪堀、土橋、かざし掘り、犬走り、堀切等がみられました。 それぞれ、敵から簡単に攻められないよう色々工夫が見られ勉強になりました。戦国時代の歴史に興味のある人にとって睡涎の場所です。是非お勧めします
    低山・里山歩き 滋賀県長浜市 虎御前山 最高高さ 229米 全行程 4時間41分 (虎姫駅~(1時間41分)虎御前山山頂~(1時間16分)中島山山頂~(13分)丁野山山頂~(30分)河毛駅)
    「日時」2015年9月20日  晴れ 
    「アクセス」JR北陸本線虎姫駅下車 
    「参考案内書」奥琵琶湖観光ボランティアガイド協会配布マップ
      閉じる

    投稿日:2017/09/19

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