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酒井抱一の墓

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築地

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酒井抱一の墓 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11302349

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クチコミ 2ページ目(56件)

  • 江戸後期の画家だった酒井抱一の墓です

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

     中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 酒井抱一の墓 で、正門を入った右手 (南西) 方...  続きを読む向に墓碑や石碑などが沢山並んでいる手前の方に建つ大きな石碑の左手 (西門側) にあり、四角い台座に塔身が卵形で説明板があるので分かると思います。
     その説明板を見ると、
     酒井抱一 (1761~1828) は、名門酒井雅楽頭家の姫路藩主酒井忠仰の次男として生まれ、寛政9年 (1797)、37歳で西本願寺文如上人に随い出家し「等覺院文詮暉真」と称した。
     また、尾形光琳の画風に傾倒し、琳派の画風に諸派の技法を取り入れた独特な作風を確立して粋で瀟洒な江戸琳派を完成させ、多くの作品を残し文政11年 (1828)に亡くなり、築地本願寺に葬られた。
     ことなどが記されており、江戸後期の画家だったことが窺えるとともにここ築地本願寺に墓碑がある理由が分かります。
     この 酒井抱一の墓 は、昭和30年に東京都指定旧跡になっており、並んでいる中央の卵型の墓碑を見ると、「等覺院文詮墓」と彫られているのでご覧になっては如何でしょう。  閉じる

    投稿日:2020/02/04

  • 築地本願寺の境内の新大橋通側に石碑や墓石が一列並んだ一角にある酒井抱一の墓。
    酒井抱一とは何者?
    調べてみると酒井抱一...  続きを読む姫路藩主酒井忠仰の次男として生まれた。
    大名家の習いとして、武術、絵画、俳諧、狂歌などにも親しみ西本願寺に出家したりで、なかなかの好き者だった人のようです。  閉じる

    投稿日:2020/01/27

  • 夏秋草図屏風でおなじみです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

    東京メトロ日比谷線築地駅1出口から歩いて2分足らずの築地本願寺敷地内に夏秋草図屏風でお馴染みの酒井抱一の墓があります。酒井...  続きを読む抱一(1762~1828)は姫路藩主酒井忠仰の次男として神田小川町に生まれ育ちました。江戸時代末期から明治時代に活躍した絵師、俳人です。1797年(寛政9年)京都西本願寺文如上人の弟子として出家し抱一と号しました。伝統的な大和絵を祖とする装飾性豊かな琳派的表現と、江戸文化独特の叙情性、粋を凝らした美意識、文学趣味を融合させた独自の江戸琳派を確立させた有名な画家です。  閉じる

    投稿日:2020/01/05

  • 上部は大砲のような形

    • 2.0
    • 旅行時期:2019/11(約4年前)
    • 0

    1700年代後半から1800年代前半に活躍した画家で、お墓が2つありました。墓は小さいながらも3段と4段構えで上は縦長で少...  続きを読むし、丸みを帯びていて、そのほかは正方形型の石でした。見るからに江戸時代にあったような墓で古びていました。  閉じる

    投稿日:2019/12/02

  • 上が丸み

    • 1.5
    • 旅行時期:2019/05(約5年前)
    • 1

    下が正方形の石で、細長い長方形の周りを少し丸くしたような石でした。少し色褪せているので古めかしさを感じました。看板に説明文...  続きを読むがあり、英語標記もあります。東京都指定旧跡で芝生の上にお墓があります。こじんまりとしたお墓でした。  閉じる

    投稿日:2019/05/03

  • 築地本願寺内

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 0

    酒井抱一と言えば、江戸時代後期に活躍した絵師として知られます。
    その抱一の墓所があるのが築地本願寺となります。
    築地本...  続きを読む願寺の通り沿いには石碑等が多数ありますが、
    その中の一つがこちらです。
    普通にイメージするお寺のお墓とはちょっと異なるので驚きました。  閉じる

    投稿日:2020/08/16

  • 本願寺入り口に並ぶ石碑

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/03(約5年前)
    • 0

    築地本願寺に並ぶマニアックな石碑の一つが酒井抱一の墓です。この人の名前も聞いたことがありませんでしたが、姫路藩主酒井忠仰の...  続きを読む次男として江戸に生まれ、1797年に出家して抱一と号したそうです。画筆に秀で、茶道・俳諧・狂歌等にも長じ、文人墨客とも交わりを深めた風雅の人ということですが、イメージは沸きませんでした。  閉じる

    投稿日:2020/06/16

  • 築地本願寺で出家した江戸時代の画家

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/03(約5年前)
    • 0

    築地あたりのエリアを散策中、築地本願寺へ立ち寄った際こちらのお墓を見学しました。新大橋通りから築地本願寺の境内へ入ってすぐ...  続きを読む右手の一角に氏のお墓が有りました。酒井抱一は江戸時代の画家・文人で、ここ築地本願寺で出家したのだそうです。  閉じる

    投稿日:2019/04/09

  • 江戸時代の画家です

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/10(約6年前)
    • 0

    神田小川町出身の江戸時代末期から明治時代に活躍した絵師、俳人です。
    西本願寺に出家した後、
    尾形光琳に私淑し、江戸琳派...  続きを読むの祖となった人です。
    尾形光琳の風神雷神図の裏面に夏秋草図屏風を描き、
    重要文化財に指定されています。  閉じる

    投稿日:2019/04/26

  • 日本画家の墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/09(約6年前)
    • 0

    酒井抱一は、築地本願寺で1797年出家したとのことで、お墓がここにあります。お墓は4段構えで、下3つは長方形型なのに対し、...  続きを読む上の段目は、長方形を少し丸みにした形でした。築地本願寺のお墓や石碑が並んだ場所にあり、目の前は小道になっていてベンチもあります。



      閉じる

    投稿日:2018/09/13

  • 酒井抱一の墓が築地本願寺の正門と西門の間、憩いの庭にあります。中央に酒井抱一の墓石、両隣に小さな墓石がありますが、両隣は誰...  続きを読むの墓石かは分かりません。中央の墓石には出家して西本願寺文如上人の弟子となり等覚院文詮暉真と称したので、等覚院文詮と彫ってあります。江戸に住み西本願寺の関係で築地本願寺に墓石があるのでしょうか。酒井抱一は江戸時代後期の画家で文人、江戸琳派の祖だそうです。ある解説によると伝統的な大和絵を祖とする雅で装飾性豊かな琳派的表現と、江戸文化独特の叙情性や粋を凝らした瀟洒な美意識、文人であるため文学趣味などを融合させた独自の様式で江戸琳派を確立させたとあります。今でも有名な画家です。  閉じる

    投稿日:2018/05/06

  • 絵師

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/03(約6年前)
    • 0

    酒井抱一の墓は築地本願寺の境内にあります。酒井抱一は江戸時代中期~後期に活躍した絵師、俳人で琳派の画風に諸派の技法を組み入...  続きを読むれた独特な画風を確立し、のちに江戸琳派と呼ばれる祖となった人物だそうです。酒井抱一という方の名前はこちらで初めて聞きました。なかなか絵を見る機会はないのですが、もし酒井抱一という方の絵を見る機会があれば思い出したいと思います。良い歴史の勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2018/04/03

  • 江戸の絵画の歴史の勉強になります

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/03(約6年前)
    • 0

    江戸時代から明治の初期にかけて画家として 活躍された人物の記念碑のプレートがあり江戸の時代の名残について勉強することができ...  続きを読むます 築地の周辺は様々な文化が発達したエリアでこちらでは尾形光琳などの画風を受け継いでいるそうです   閉じる

    投稿日:2018/03/25

  • 風流な江戸琳派の画家酒井抱一

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/03(約6年前)
    • 0

    地下鉄の出口を出るとすぐに築地本願寺に入れます。石碑がたくさんある一角に行くと酒井抱一の墓がありました。知らない人で調べて...  続きを読むみました。
    酒井抱一は、大名家の二男として江戸に生まれ、俳諧、書画、狂歌、浮世絵などをたしなみます。京都の琳派様式に傾倒し「江戸琳派」と呼ばれる新様式を確立していきます。作風は風流で典雅、柔軟性のあるものです。
    小さな墓石には「等学院文詮墓」(旧字体)とあります。作品は美術館にあって鑑賞できるようなので実物を見たくなりました。  閉じる

    投稿日:2018/03/10

  • 江戸時代の画家の墓です

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/05(約7年前)
    • 0

    築地の本願寺にこの画家のお墓があります。姫路から出てきて色々な修行をされた後に、江戸の光琳派の画風を極めた方して有名です。...  続きを読む色々な有名な作品を残されたということで現在でも東京都の重要史跡として認定されています。本願寺の境内が工事中で、ほか歴史上の方々の記念碑と並んでいます、時代時代の趣を感じます。  閉じる

    投稿日:2017/06/23

  • 江戸時代に活躍された絵師・俳人のお墓です

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/08(約8年前)
    • 0

    初めて「築地本願寺」へ。
    境内にはいろいろな碑があると4トラのクチコミを拝見していたので、ぐるりと散策した際に本堂に向か...  続きを読むって左手前で「酒井抱一の墓」を発見しました。
    「酒井抱一氏」は、江戸時代後期に活躍された絵師・俳人で、尾形光琳氏の影響を受けた方のようです。
    恥ずかしながら全く知らない方でしたが、「琳派芸術」は以前訪問した「出光美術館」にも所蔵されていると知ったので、近いうちに再訪して鑑賞してきたいと思いました。
      閉じる

    投稿日:2016/08/20

  • 酒井抱一は、老中や大老にも任じられる酒井雅楽頭の酒井忠仰の次男として生まれましたが、出家して、西本願寺の僧となりました。
    ...  続きを読む
    武家の習いとされていた風雅の分野で活動するようなりました。
    絵画の分野と歌人、俳人としても見識を深めました。
    一時、狩野派の画風を学びましたが、その後、尾形光琳に私淑し、絵画の世界に入り、琳派の装飾的な画風を受け継ぎつつも、独自の画風を確立しました。
    光琳没後の百回忌法要を催し、光琳派を発展させ、江戸琳派の開祖となりました。
    酒井抱一の墓が、築地本願寺にあります。  閉じる

    投稿日:2016/08/12

  • 江戸後期の絵師・抱一、江戸琳派を完成

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約8年前)
    • 0

    酒井抱一は姫路藩主酒井忠仰の次男として江戸に生まれました。画筆に秀で、『四季花鳥図屏風』『夏秋草図屏風』などを残しています...  続きを読む。京都の琳派を江戸の地にふさわしい江戸琳派として完成させました。文政11年(1828年)11月根岸の雨華庵で没し、翌月築地本願寺に葬られました。本堂に向かって左手に、九条武子夫人歌碑、間新六、大瀛師、土生玄磧等の墓石とともに立っています。  閉じる

    投稿日:2016/04/16

  • 江戸時代後期の絵師・俳人

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/12(約8年前)
    • 0

    東京メトロ日比谷線築地駅1番出口を出るとすぐの場所、新大橋通り沿いにある浄土真宗本願寺派の寺院である築地本願寺の境内に入っ...  続きを読むて左に突き当たるまで進むと、碑や塔が並んだ場所があります。説明板を読んでも今ひとつピンとこなかったので、家に帰ってから調べたら、酒井抱一は、江戸時代後期の絵師・俳人で、尾形光琳に私淑し江戸琳派の祖となった人物だそうです。  閉じる

    投稿日:2016/01/26

  • 築地本願寺境内にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/12(約8年前)
    • 0

    東京メトロ築地駅から徒歩1分です。築地本願寺正門入って北門の塀沿いに並ぶ供養塔や墓の中の一つです。姫路藩主酒井忠仰の次男で...  続きを読む、37歳で出家し、抱一と号しました。粋な江戸琳派を完成された画人です。1828年下根岸の雨草庵でなくなり、築地本願寺に葬られました。東京都旧跡に指定されてます。  閉じる

    投稿日:2016/01/05

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