旧日本銀行広島支店
名所・史跡
3.44
旧日本銀行広島支店 クチコミ・アクセス・周辺情報
広島市 観光 満足度ランキング 17位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
「被爆建物/旧日本銀行 広島支店」中々銀行内を見ることが無いので貴重!
4.5
- 旅行時期 2025/02
- by Yukinoさん
爆心地から380m 1936年(昭和11年)開業 被爆当日は、負傷者の臨時病室として使われ、被爆から2日後の8... 続きを読む月8日には被災した市民の為に、支払い業務を開始しました。 広島に現存する被爆建物の中でも抜群に保存状態がよい建物となっています。 一部資料室となっている事と、中々銀行の内部を見る事が出来ないので寄ってみましたが、何だかとてもハイカラでオシャレです。 時代的なものなのか、銀行内部特有の物なのか、何のためにあるのか分からないものもありました。 中は撮影禁止のところも多いので、写真は余りありませんが、支店長室には原爆により窓が飛び散り、それによってできた壁の傷が生々しく残っていました。 銀行内で亡くなられた犠牲者の方々に、ご冥福をお祈りいたします。 閉じる
クチコミ・評判 3ページ目
41~60件(全72件中)
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わきにスロープあります
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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広島電鉄の袋町駅からすぐ目の前にある被ばく建築です。
- 5.0
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
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原爆被害を耐え抜いた建物です。
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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広島電鉄袋町電停前にある旧日本銀行広島支店の建物は、爆心地から380mの至近距離で被爆したにも関わらず、倒壊を免れました。... 続きを読む昭和11(1936)年9月建立の建物は、戦争色が深まる中質素なものとして建てられました。
昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、島病院上空で爆発した原子爆弾の熱線及び爆風が建物を直撃します。建物の堅牢性もあり天井は落ちなかったものの、職員が出勤して窓を開けていた三階は全焼し、職員も即死だったそうです。それに対し一・二階はよろい戸を閉じていたため内部損傷は免れたものの、爆風によって窓は窓枠とともに破壊されています。地下の金庫室や倉庫室は無傷だったものの、戦時拠出によって取り外されたエレベーター口から吹き込んだ爆風によって金庫前の頑丈な鉄格子は吹き飛ばされています。
日銀として被爆翌々日の8月8日には業務を再開し、平成4(1992)年に中区基町に新築移転するまで業務を続けました。日銀は移転後この建物を処分する計画でしたが、被爆建物をピックアップしていた広島市は保存を打診するも、売却金額があまりにも高く、広島市は難色を示します。再開発されかかりますが頓挫した後、広島平和記念都市建設法に基づく贈与が広島市から日銀・大蔵省・建設省に提案されます。そこで日銀が『重要文化財指定』を条件に出し、結果平成12(2000)年に広島市指定重要文化財となったことで無償貸与が決まります。その後国指定登録に向けて幾多の改修工事を経て現在に至っています。
現在平成27(2015)年からの広島平和記念資料館の全面改修に伴って資料館収蔵資料の常設展示を行っており、支店長室を中心に被爆資料が展示されています。爆風によって傷ついた壁や爆風に耐えた地下金庫等往時を偲ばせる『被爆の痕跡』が歴史ある建物の中で普通に見られることは、広島平和記念館という『資料館』で見るのとは重みが違うように思えます。偶然にも袋町電停でやはり中電前という至近距離で被爆、脱線した上に半回転し、飛び降りた1名を除く80名余りが犠牲となった被爆車両651番車両と出会ったことはただの偶然とは思えませんでした。
建立後81年が経過し、被爆まで経験をした建物を支えることは容易なことではないと思いますが、数少ない原爆の『生き証人』として後世にその存在を伝えて貰いたい・・・そんな気持ちを感じました。 閉じる投稿日:2017/09/03
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旧日本銀行
- 3.5
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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旧日本銀行広島支店
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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現代的な被爆建物
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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地下の金庫の扉の厚さに目が点
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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なんとも心に刺さります
- 4.0
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
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広島に出向いた際に原爆ドーム以上に訪れたかった場所。
この建物こそ、世界遺産になるべきなのに・・・
爆心地(原爆ドーム... 続きを読む)は目と鼻の先。
この中で働いていた多くの行員の方々が爆風(というか熱)で
お亡くなりになったそうです。
当時と変わらぬ姿で街になじんでいますが、
原爆投下直後の写真を見ると本当に心が痛みます。
建物の壁に残されたススのような焼跡や
あれだけの爆風と熱で建物全体の石壁が焼けて
建設当時とは明らかに違うのだろうなど、色々想像してしまいます。
建物の中自体はガランとしていますが、
佇まいを見るだけでも訪れる価値はあります。
今後原爆を経験した方々が居なくなっていく中、
これからも記憶を留め続ける貴重な財産です。 閉じる投稿日:2016/11/29
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さすが日本銀行の建物と感心します
- 3.5
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
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被爆を耐えた建造物
- 4.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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被爆建物
- 4.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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原爆にも外観は持ちこたえました。
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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平和記念資料館になっていました。
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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古典様式建物
- 2.5
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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建物はそのまま
- 3.0
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
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様々な展示があります
- 4.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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爆心地から近距離で被爆したが保存状態がよい
- 3.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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被爆を耐えた建物
- 3.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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爆心から数百メートルでびくともせず
- 3.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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広島市中心部にある被爆建物一つ日銀広島支店に初めて入りました。日銀らしいいかめしい建物で私が知る限りずっと現役。1992年... 続きを読むまで日銀の支店があったそうです。そのためか被爆建物のイメージはなく、エンタシス風の柱が気になる程度でした。最近、前を通ったとき、ホールとして一般公開されていることを知り、中に入ってみました。カウンターなどが残されており、いかにもかつての銀行の造り。被爆などみじんも感じさせませんでした。もちろん利用するために改修されてきたのでしょうけど、爆心から数百メートルほどの近さでこの残り方は、いかに堅牢な造りだったかと思ってしまいます。1936年の築ですが、耐震が心配される原爆ドームと違って、ずっと生き残っていけそうです。原爆投下2日後の1945年8月8日に業務を再開したといいますから、ホントに強い建物だったのでしょうね。
閉じる投稿日:2014/12/21
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現存する被爆建物
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
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