息栖神社
寺・神社・教会
3.44
息栖神社 クチコミ・アクセス・周辺情報
波崎・神栖 観光 満足度ランキング 1位
息栖神社は鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社と呼ばれ古くから信仰を集めてきました。 関東以北の人は伊勢に参宮すると「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したといいます。 岐神(くなどのかみ)を主神とし、相殿に天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、住吉三神を祀っています。 天鳥船神(あめのとりふねかみ)は交通守護のご霊格の高い神様で、鹿島大神の御先導をつとめられた神様です。 大鳥居が常陸利根川沿いに建っており、江戸時代は利根川の河川改修で水運が発達し『東国三社詣で』が流行しました。遊覧船も行き来し、水郷の風景を楽しむ人や文人墨客など多くの参拝者で賑わっていました。現在でも度々東国三社巡りツアーなどが行われています 息栖神社で隠れたスポットなのが常陸利根川沿いの大鳥居(一の鳥居)の両脇に設けられた二つの四角い井戸です。それぞれの井戸の中に小さな鳥居が建てられ、水底を覗くと二つの瓶がうっすらと見えます。 この二つの瓶は「男瓶(おがめ)」と「女瓶(めがめ)」と呼ばれ1000年以上もの間、清水を湧き出し続けてきたとされています。湧き出る清水は忍潮井(おしおい)と呼ばれ伊勢(三重)の明星井(あけぼのい)、山城(京都)の直井と並び、日本三霊泉の一つに数えられています。 しかもこの水には御利益があるとされており、女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと二人は結ばれるという言い伝えもあります。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
「息栖神社」東国三社の一社で、歴史のある神社です!
5.0
- 旅行時期 2025/09
- by Yukinoさん
息栖神社は、鹿島神宮(鹿嶋市)香取神宮(香取市)とともに東国三社と呼ばれています。 息栖神社は約2000年以上の歴史... 続きを読むを持ち、創建は応神天皇の時代と伝えられています。創建当初は日川地区建てられ、大同2年(807年)に現在の地へ遷座したという伝承があります。 御祭神は久那戸神(くなどのかみ、岐神)で、道の分岐点や峠、村境などで、外からの災厄や悪霊の侵入を防ぐ役割を持つ神と言うことで、東国を外からの厄災からお守りしていただいています。 また社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神だそうです。 茨城には何の縁もゆかりもありませんが、非常に相性の良い神社のような気がしました♪ 閉じる
クチコミ・評判
3.44
(57件のクチコミ)- アクセス:
- 3.14
- マイカーなら容易であるが、公共交通機関利用は不便 by ワンダラーさん
- 人混みの少なさ:
- 3.99
- 本当は空いているみたいです。令和連休で混でました by ゆうさん
- バリアフリー:
- 3.34
- 駐車場から拝殿までほぼフラット by ゆうさん
- 見ごたえ:
- 3.54
- 思ったより立派でした。 by ゆうさん
1~20件(全57件中)
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東国三社
- 4.0
- 旅行時期:2024/06(約2年前)
- 1
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東國三社の一つに数えられる名社
- 3.5
- 旅行時期:2024/02(約2年前)
- 0
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東国三社めぐりで息栖神社
- 4.0
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
- 0
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鹿島神宮の摂社なのか、独立した神社なのか、謎が深まる
- 4.5
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 1
伊勢神宮、香取神宮と並ぶ古代からある三神宮の一つである鹿島神宮は、関東平野の東端、太平洋から日が上る鹿島灘の近くに建立され... 続きを読むている。
鹿島神宮の一之鳥居は、東西南北に4つ建てられていて、その一つで、南に建つのが、ここ常陸利根川の川岸に建つ「南の一之鳥居」である。
そうすると南の一之鳥居があるここからは、「鹿島神宮の神域」ということになる。
しかし、ここは「息栖神社の境内」であり、息栖神社の一之鳥居も兼ねているとされる。
そうなると、息栖神社は鹿島神宮の摂社の一つでもあるようであるが、独立した神社とされ、東国三社参詣では鹿島、香取と並列される由緒ある謎の神社。
参詣した4月13日は、偶々例大祭にあたり、森のに秘められたパワーをいただく。 閉じる投稿日:2023/04/19
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井戸の神様
- 5.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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イキスと読めなかった、東国三社に数えられる神栖の息栖神社に参詣した。
- 4.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 10
【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。③神栖の息栖(いきす)神社、佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音とみしるし不動を訪... 続きを読むねた。】
神栖の息栖(いきす)神社も佐原の荘厳寺(しょうごんじ)も最初は全く読めない字だった。息栖神社で出会った女子大生の2名にこの名は読めないと言ったら、ほんとにそうですねと、同意された。
土地名や神社仏閣の名前は実に難しい。
さて、神栖市の神栖(かみす)は神之池(ごうのいけ)の「神」と息栖神社の「栖」から神栖となったそうだ。
かつては広大な面積をもった池・「神之池(ごうのいけ)」は、約1,400~1,200年前に海面が下降して周辺砂丘の造成や土砂の堆積によって独立して出来たものだと云う。古くは周囲2里余(約8km)、面積292町歩余(約289ha)のおむすび型に近い円形の広大な淡水池があったものだが、日本列島は何処も同じで、鹿島地区の開発のため、現在は一部を残して大部分が埋め立てられてしまった。
【鹿島・香取とともに東国三社に数えられる息栖(いきす)神社に参詣した】
〒314-0133 茨城県神栖市息栖2882
Tel:0299-92-2300
<祭神>
主祭神は久那斗神 (くなどのかみ、岐神)
社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神という。
相殿神には
天乃鳥船神 (あめのとりふねのかみ)
『古事記』では、建御雷神(たけみかづちのかみ)の副神として葦原中国平定に赴いたと記される。
息栖神社は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)とともに【東国三社(とうごくさんじゃ)】と呼ばれている。
息栖神社の事を語る文章に、東国三社のうち他の二社に比べてより穏やかな趣がある神社が息栖神社だと云う。
つまり、鹿島(建御雷神タケミカヅチ=武甕槌大神)と香取(経津主神フツヌシ)に祭られる二神が、武神(軍神)であり、その神剣であるのに対して、息栖神社(久那斗神クナドノカミと天乃鳥船神アメノトリフネノカミ)は、武神の乗り物であった「天鳥舟(アメノトリフネ)」という神が祭られているからだとか!?
平安時代に「神宮(じんぐう)」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう:当時の官社の一覧表)』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけだった。
鹿島と香取の両神宮が、日本の国でも別格の位置にあった事に比較し、
息栖神社は古くは「於岐都説神(おきつせのかみ」と記され、1321年の古文書では「おきすのやしろ」と記されたと云う。この「おきつせ・おきす => 沖洲」という古称から、香取海(かとりのうみ:古代の関東平野東部に広がっていた内海で、現在は霞ヶ浦や印旛沼などに名残を留めている)に浮かぶ沖洲(おきす)に祀られた神であると考えられている。
息栖神社が東国三社(とうごくさんじゃ)の一つと呼ばれている事については、私は今まで全く知らずにいた。もちろん、東国三社の意味も。
そして「東国三社巡り」の言葉があるが、江戸時代に「お伊勢参りの禊ぎ(みそぎ)の三社参り」と呼ばれ、信仰を集めた旅になっていた。
とりわけ、関東以北の人は伊勢神宮に参宮(さんぐう)したのち、「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したと云う。
<息栖の津・渡船場跡>
「息栖の津」は古い時代からあった。今から約七百年の昔、応安7年(1374年)記の香取神社文書「海夫注文」にその名が見える。当時、この流域の支配権を持つのは香取神社で、下総国側の24、常陸国側の50の津(港)を支配した。
「息栖の津」も利根川を往来する舟船の船着場とし、また魚労の拠点としての網引・釣魚に大きな役割を果たしていたようだ。
この時代には海水が入り、この辺りでもサケは勿論のこと、タイ・ヒラメ・ハマグリ等が獲れていたとの記録が残っている。
江戸時代になると、江戸の文人墨客、庶民の、東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)を巡拝する旅が盛んになった。日本橋小網町を小船で出発し、途中徒歩もあるが、下総国木下河岸(千葉県印西市)より木下茶船に乗り、利根川を下って三社に向かった。
記録には木下河岸を出る船数は、安永年間(1854年~)には年平均4400~4500隻にも達している。単純計算で1日12隻もの船が出航している。香取神社から鹿島神宮へ向かう途上、息栖神社へ立ち寄る慣例であった。
利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に井戸があって、小さな鳥居が立てられている。「男瓶(おがめ)」と「女瓶(めがめ)」と言う名の井戸の中には魚が泳いでいる。
この井戸は、汽水(きすい: 海水と淡水の混合による低塩分の水)の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられている。
海水をおしのけて清水が湧出していることからこの名前になったということです。
初めて訪れた息栖神社はなかなか興味深く、その歴史や地勢、水運といった新しい知識を得た。
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閉じる投稿日:2023/02/01
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1700年近い歴史
- 4.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
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息栖神社
- 4.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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太陽のヒカリノミチ
- 5.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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忍潮井の甕を
- 5.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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厳粛な神社です。
- 5.0
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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茨城県神栖にある東国三社のひとつ
- 4.0
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 3
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歴史を感じるこちらの神社
- 4.5
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
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東国3社めぐりで訪問
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- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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パワースポット
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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静寂な神社
- 4.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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水辺の穏やかな雰囲気の神社
- 4.0
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
- 0
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東国三社巡りで
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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東国三社の一つ
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 12
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好運が舞い込む日本三霊泉
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
車で訪れました。無料の広い駐車場があります。
創建は3世紀頃で、9世紀になって、現在地に遷座したそうです。
御祭神... 続きを読むはクナド神です。鹿島神宮の神様と香取神宮の神様が関東平定の時に先導役となった神様です。また、相殿神は、アメノトリフネ命です。鹿島神宮の神様と香取神宮の神様と共に「国譲り」に尽力された神様です。鹿島神宮と香取神宮と所縁が深く、東国三社の一社として祀られています。
石灯篭の参道を抜け、神門を抜けると社殿があります。鹿島神宮、香取神宮と比較すると、こじんまりした神社ですが、趣がありました。参道からまっすぐに社殿があり、朱塗りで、ザ・神社という感じです。
この神社のもう一つの代名詞が「忍潮井」です。参道を河の方に引き返すこと100m程進むと、一之鳥居があります。その両隣に小さな鳥居があり、その鳥居の下に、男甕、女甕が据えられています。海水を押しのけて、真水が湧き出しているとのことで、日本三霊泉の一つだそうです。神社がこの地に遷座する際に、甕自身が自力で河をさかのぼり追いかけて来たそうです。甕は、水の澄んだ日にしか姿を現さないとのことで、姿を見られると幸運が舞い込むそうです。 閉じる投稿日:2021/01/25
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