阿波大正浪漫 バルトの庭
テーマパーク
3.30
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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閉園されたまま
- 3.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
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今は閉鎖されています
- 1.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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今は閉鎖されているが、外から見ることはできる
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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リアルに再現
- 3.5
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
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バルトの庭
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 1
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ここにドイツとの深い縁がありました【バルトの庭】
- 4.5
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
- 0
こちらの施設には
映画「バルトの楽園」で使用していたロケセットがあり、
内部を見学することができます。
「バルトの楽... 続きを読む園」とは、
この近くにあった板東俘虜収容所をテーマにした映画。
第一次世界大戦中、
当時戦争相手国だったドイツの俘虜を収容する施設として
徳島県鳴門市(旧板野郡板東町)に建てられた板東俘虜収容所。
ざっくり言うと俘虜とは捕虜のことですね。
この収容所所長・松江豊寿氏は、俘虜に対し人道的な扱いを心がけ、
収容所内ではほぼ自由な生活が送れるようにしていたそうです。
俘虜の居室では
俘虜の要望であった、プライバシー確保のための壁の設置など、
他の収容所では設置されなかったものも、松江所長は認め、設置された。
そんなこともあり、ドイツ人俘虜は所長を信頼するようになり、
距離は縮まっていきます。
収容所内では独自の紙幣を発行し、
新聞店、売店、床屋、仕立て屋などを俘虜が営み、
経済活動をしていたそうです。
また、農園ではブドウ栽培をしワインを醸造したほか、
酪農を行い、牛乳やハムづくりなどもしていたそうです。
ちなみに、某ハム製造・販売大手の会社のルーツは、
収容所のハムづくり。
収容所の廃止後、日本人がその製法を継承したそうです。
板東俘虜収容所は、1917年に建てられました。
ドイツの租借地であった青島で、
日本軍の捕虜となったドイツ兵約1000名が、
約2年10か月間収容されていたそうです。
その他入場時、
ガイドさんが板東俘虜収容所のこと、映画のことなどを
ご紹介してくださり、とても親切なところでした。
まだ正直、知名度が低いような気がしますが、
この施設、ぜひ有名になってもらいたいですね♪
*バルトの庭*
徳島県鳴門市大麻町桧字野神ノ北22-1
入場料:400円
http://www.ithiroba.jp/~barutononiwa/index.html
閉じる投稿日:2012/05/29
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鳴門訪問時には是非とも阿波大正浪漫バルトの庭を見学してください
- 5.0
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
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外国文化がこんな所からも バルトの庭
- 4.0
- 旅行時期:2011/03(約15年前)
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大正3年、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの租借地であった青島を攻撃し、約4,700人のドイツ兵を俘虜として日本各地... 続きを読むの収容所に送りました。
このうち四国の徳島、丸亀、松山にいた約1,000人が大正6(1917)年から同9(1920)年までのほぼ3年間を、鳴門市大麻町(当時、板野郡板東町)の板東俘虜収容所で過ごすことになりました。
この収容所では、松江豊寿所長をはじめとする管理スタッフが、俘虜たちの人権を尊重し、できるかぎり自主的な運営をみとめたため、自由で快適な収容所生活を楽しむことができました。
彼らの活動は驚異的で、所内に80軒余りの商店街、レストラン,印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室、公園、別荘群などの施設を造るほか、健康保険組合、郵便局などの互助的活動も行い徳島の片田舎に一大文化圏が出来たのです。
そのころの様子を 映画化したのがバルトの楽園、そレに使ったものが残されて公園になっています。
その事実をドイツ館の映画などで知ってから訪れると感慨もひとしおです。
閉じる投稿日:2013/03/30
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当時の歴史がわかる
- 4.5
- 旅行時期:2011/02(約15年前)
- 0
1件目~9件目を表示(全9件中)
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