外国文化がこんな所からも バルトの庭
- 4.0
- 旅行時期:2011/03(約15年前)
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by 壁ぎわさん(男性)
鳴門 クチコミ:14件
大正3年、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの租借地であった青島を攻撃し、約4,700人のドイツ兵を俘虜として日本各地の収容所に送りました。
このうち四国の徳島、丸亀、松山にいた約1,000人が大正6(1917)年から同9(1920)年までのほぼ3年間を、鳴門市大麻町(当時、板野郡板東町)の板東俘虜収容所で過ごすことになりました。
この収容所では、松江豊寿所長をはじめとする管理スタッフが、俘虜たちの人権を尊重し、できるかぎり自主的な運営をみとめたため、自由で快適な収容所生活を楽しむことができました。
彼らの活動は驚異的で、所内に80軒余りの商店街、レストラン,印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室、公園、別荘群などの施設を造るほか、健康保険組合、郵便局などの互助的活動も行い徳島の片田舎に一大文化圏が出来たのです。
そのころの様子を 映画化したのがバルトの楽園、そレに使ったものが残されて公園になっています。
その事実をドイツ館の映画などで知ってから訪れると感慨もひとしおです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 施設の快適度:
- 3.5
- アトラクションの充実度:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/03/30
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