大阪のシンボル的な象徴と言えば何と言っても太閤秀吉が築城した「大阪城」で間違いなし!、桃山時代に秀吉が政治・経済の中心を上...
続きを読む町台地に広大な敷地を持つ大坂城を築城し、水運が発達していた城下の堂島に米蔵を集め後の天下の台所と言われる日本経済の基礎を築いたことはご存知の通り~。
そのシンボルが”大坂城”であり今も威風堂々と建つ姿に当時の面影を観るのですが、実は今の大坂城は江戸時代の徳川秀忠によって築城された天守閣を復興天守として建てられたもので秀吉のものとはかなり違うのですね?…。
それでも大坂城や大坂の町を造り上げた事には間違いないことなので”太閤はん”と親しみを込めて呼ばれている訳ですが。
昭和6年に復興模擬天守として天守閣郷土歴史館として施工されたようです。
昭和20年の大阪大空襲では大きな被害を受け天守閣も黒煙が濛々と上がりながらも破壊は免れたようですが戦後は占領軍に接収。
その後、接収は解除され昭和24年から天守閣博物館としてが再開され様々な改修工事もされて現在に至るようです。
小学校の頃に遠足で行った時の印象が強くて、大坂城は大きくて立派な天守閣が聳える日本一のお城やなぁ~、などと思っていたのを思い出しました。
最上階の天守から見渡せる大阪の街並みを秀吉も忠秀もどのような思いで観たのだろうか?などと50数年ぶりに思いました…。
天守閣館内の展示物や展示に関しては期待したほどではなく観光客焚いてならこの程度で十分なんだろうなぁ!って印象でした。
個人的な見解では城は天守から観るものではなく、外から観てこそその美しさが判るものだと思ってるので余り中には入らないのですが、今回はその思いでもあって登城しました。
その時々の季節の中で、花や気候や時間帯などと組み合わさった濠や隅櫓に門柱、そして天守閣が入ってこその城の景観の素晴らしさだと思います。
閉じる
投稿日:2022/02/20