JR「関内」駅を出ると、すぐに横浜スタジアムが目に入りますが、その足元に広がる公園が、明治9年に開かれた「横浜公園」です。...
続きを読む元々「関内」とは日米修好通商条約によって外国人に開かれた場所の内側を示す言葉です。初めこの場所に建てられたのは港崎遊郭でしたが火災で焼失し、その後在日外国人の生活環境改善のため、外国人向け公園として設計(イギリス人技師ブラントンによって設計)された西洋式公園です。市内の外国人専用公園とすれば「山手公園」が最も古く、この「横浜公園」は2番目ということになりますが、当時「彼我公園」と呼ばれたように、外国人も日本人も利用することができたという点に注目すれば、日本最古になります。公園内には野球グランド兼クリケット場も整備され、明治29年には日本初の国際野球試合、明治32年には日本初の国際ラグビー試合なども行われました。大正時代の関東大震災では猛火に包まれた人々の命を救い、昭和4年には震災復興事業として「横浜平和球場」が造られ、昭和9年にはベーブルースら大リーグのオールスターメンバーが来日して全日本チームと試合をすることにもなりました。昭和53年に「横浜スタジアム」が建設された際、老朽化した施設を更新し、日本庭園も造成されました。
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投稿日:2014/02/15