トルコ記念館
美術館・博物館
3.40
トルコ記念館 クチコミ・アクセス・周辺情報
串本・古座川 観光 満足度ランキング 6位
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全43件中)
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新しく綺麗でこじんまり
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- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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エルトゥールル号の事件が学べます。
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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樫野灯台見学の際には是非立ち寄ってみましょう。
- 3.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
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エルトゥールル号の座礁現場が間近に
- 3.5
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
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友好の記念館
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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両国の深い関係が理解できます
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- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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トルコとの絆を感じられる記念館
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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映画「海難」で取り上げられたエルトゥールル号遭難現場近くのトルコ記念館に行ってきました。
- 4.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
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映画「海難」で取り上げられたエルトゥールル号遭難現場の近くに建つトルコ記念館に行ってきました。串本駅を降りると駅前の観光案... 続きを読む内所から、映画のメイキングビデオを放映する力の入れよう。街中にもこの映画のポスターが沢山張られています。
実際の記念館はエルトゥールル号が派遣された経緯からの説明が有って良かったのですが、2点ほど詳細を知りたかった説明文に対し、館内に居た職員に質問したのですが明確な回答を得られなかったのはチョット残念。
実際にエルトゥールル号が座礁した船甲羅の岩礁も確認できますが、その距離の近いことにビックリしました。
また、今回は”日米就航記念館”、”樫野灯台旧官舎”の3館共通セット券を¥560で購入して3カ所見学して来ました。 閉じる投稿日:2015/12/17
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静かな観光地
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- 旅行時期:2015/11(約10年前)
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2015年12月の公開映画「海難1890」を見る前に
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- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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2015年12月に自分として楽しみにしている映画「海難1890」が公開されます。
皆さんもご存知かと思いますがこの近くで... 続きを読む1890年(明治23年)、9月16日にトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐の中遭難し、乗組員656名のうち587名が還らぬ人となったところであります。その時、日本の人たちは献身的に救助活動をして生存した人たちをトルコに送り届けました。そのことはトルコ人は子どもから大人まで皆知っていることだそうです。
それは教科書に載っているからだそう。なのでトルコ人は日本に対してとても親日的です。
その時のご恩をイランイラク戦争の時、テヘランの空港に取り残された日本人達をトルコ政府は救援機をだして救ってくれたのですね。その感動の歴史を映画で公開してくれます。
そしてその事実を再確認できるところが、ここトルコ記念館です。
映画の公開に合わせてかとても立派な記念館に生まれ変わりました。観光客を見込んでリニューアルしたのでしょう。
その為、入場料も倍近くに上がってしまいましたが、映画公開後はかなり人が来ることが予想されますので、みなさん今のうちに行っておきましょう!
ここの記念館だけでなくこの辺り周辺は公園や施設がすべてにおいて本当に美しくなっています。
オススメの観光地です!
閉じる投稿日:2015/09/20
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壁面装飾が見事です
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- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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トルコ記念館外伝=トルコへ渡った日本人『山田 寅次郎』
- 4.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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山田 寅次郎さんは、オスマン帝国軍艦エルトゥールル号の遭難事件を聞くと、義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付することを思い立ち... 続きを読むました。
そして、日本中を演説会をして回って、2年をかけて5000円(現在の価値で1億円相当とされる)の寄付を集め、明治25年(1892年)、オスマン帝国の首都・イスタンブルに渡りました。彼が遠い日本から民間人でありながら義捐金をもって自らやってきたことがイスタンブルの人々に知れわたると、熱烈な歓迎を受け、皇帝・アブデュルハミト2世に拝謁する栄誉に恵まれました。
その後、寅次郎はアブデュルハミト2世から士官学校での日本語の教育や、東洋の美術品の整理を依頼され、イスタンブルにしばらく滞在していましたが、そのうちにトルコに愛着を覚え、そのままイスタンブルに留まって事業を起こし、日本との間を行ったりきたりしました。
最終的には、オスマン帝国の対外情勢が緊迫したため帰国し、大成功の一生を終え、1957年、90歳でこの世を去りました。
そんな彼ですが、実は、茶道宗徧流の第8世家元でもありました。
遠い昔、イスタンブルに渡って貿易と民間交流に努め、日本とトルコの友好親善の礎を築いた人物として知っておきたい人物かと思います。
閉じる投稿日:2014/11/20
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日本とトルコ友好のはじまりの地
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- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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2015年6月4日にリニューアルオープン
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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串本町立の記念館で、目の前の海で遭難したエルトゥールル号の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示してい... 続きを読むました。
その後2014年10月16日よりリニューアル休館となっていましたが、2015年6月3日にリニューアルオープン式典・内覧会が開かれ、6月4日より一般公開されたとのことです。
紀伊民報紙によると、改修事業費は6932万4千円で、地域振興基金4300万円を活用。改修事業費のうち、トイレ改修費は700万円で、県の補助が2分の1。
耐震補強のほか、内装・展示レイアウトの改修などを行い、1890年に同町の樫野埼沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難した現場で遺品発掘調査団が引き揚げた遺品を展示するスペースを設けるとのことです。次回ここを訪れた時にはぜひ立ち寄ってみたいと思います。
閉じる投稿日:2015/06/04
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トルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事故
- 4.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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興味深い
- 3.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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串本観光 (4) トルコ記念館
- 3.0
- 旅行時期:2013/01(約13年前)
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トルコ記念館は、串本町とトルコとの友好の証
- 4.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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トルコ記念館にやって来ました。
明治23年9月、日本との修好の使命を果たして帰途についたトルコの軍艦エルトゥールル号... 続きを読むが、大島の樫野埼灯台下の岩礁で難破、580余名の殉職者を出す大惨事となった時、大島の人たちは生存者の救済、遺体の捜索、埋葬と村をあげて手助けしたそうです。和歌山県は翌年墓碑と追悼碑を建て、日本も生存者を軍艦でトルコまで丁重に送り届けたのだとか。
その後、トルコ軍艦の遭難の慰霊を通じ、串本町はトルコとの交流が続き、串本町は昭和39年にはヤカケント町と姉妹縁組を結び、平成6年にはメルシン市と姉妹都市提携の調印を交わしています。トルコとの友好の証として造られたのがトルコ記念館です。
館内には、遭難海域から引き揚げられた遺物、遭難事件を伝える文献や関係者の写真、エルトゥールル号の模型などの他、日本とトルコの友好の歴史的資料やトルコの民俗衣装などが展示公開されています。
閉じる投稿日:2012/04/30
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紀伊大島のトルコ記念館
- 4.0
- 旅行時期:2010/06(約16年前)
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トルコとの友好の原点を紹介
- 4.0
- 旅行時期:2010/01(約16年前)
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投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
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