弘文洞跡
名所・史跡
3.32
弘文洞跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
養老渓谷 観光 満足度ランキング 3位
クチコミ・評判
3.32
(16件のクチコミ)- アクセス:
- 2.95
- 人混みの少なさ:
- 4.11
- バリアフリー:
- 2.60
- 見ごたえ:
- 4.05
1~15件(全16件中)
-
養老渓谷
- 3.0
- 旅行時期:2024/01(約2年前)
- 0
-
景色がきれい
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
-
春~秋がよさそう
- 2.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
-
-
まったり
- 4.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
-
養老渓谷の隠れた人気スポット
- 4.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 3
-
案内板があります。
- 4.0
- 旅行時期:2019/08(約6年前)
- 0
-
人工のトンネルだった
- 3.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
- 0
-
-
前だけ見て歩いてると気づかないかも
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 0
-
スポットに気付きにくいですが
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
-
紅葉シーズンでなくても
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
- 0
-
中瀬遊歩道の中程に見える約140年前に造られたトンネルの跡。
- 3.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
-
深山幽谷を思わせる渓谷のとっておきの景勝地!♪
- 5.0
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
- 5
千葉県夷隅郡大多喜町から市原市を流れる養老川によって形成された渓谷の中ほどにあるのが弘文洞跡という隧道跡です。
この隧道... 続きを読むは、およそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流、蕪来川を川まわしして造られたそうです。
その後、頭頂部が崩壊して今の形となったようですが、まだまだ、なかなか素晴らしい景勝です。
一方、養老渓谷は春はツツジ、フジ、秋は紅葉が美しく、四季折々に渓谷美を誇っているといわれます。
ハイキングコースも整備されていたり、キャンプ場もあったりして、この日も家族連れがたくさん来ていました。
ローカル線に乗って、軽いトレッキングの感じで渓谷を歩いてから養老温泉郷で日帰り温泉に入ったり食事をしたり・・・
東京都心から、ゆっくりと日帰りで行くことが出来るステキなスポットです。
閉じる投稿日:2015/03/09
-
独特の「崖」風景
- 4.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 0
-
江戸時代に造られた養老川の遺産
- 5.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 1
千葉県夷隅郡大多喜町から市原市に流れる養老川によって形成された渓谷で春はツツジ、夏は渓流沿いでの水遊び、秋は紅葉と四季折々... 続きを読むの顔を見せてくれる観光名所です。特に秋の紅葉は有名で千葉県の紅葉の名所といえば「養老渓谷」を思い浮かべる人が多いでしょう!渓流沿いは整備された遊歩道があり、紅葉時期に限らずハイキングコースとして利用される方も多く、また渓流で釣りを楽しむ人もたくさんいます。弘文洞跡は江戸時代に農地拡大のために養老川と筒森川の合流地点に造られたトンネルで以前は隧道の上部がつながって道が通っていて景勝地や釣りの名所として紹介されていたが1979年5月24日の未明に突如上部が崩落し、現在の姿となった今も独特の風景となっていました。中瀬遊歩道は養老温泉街の中にある、葛藤(くずふじ)駐車場近くの共栄橋付近から養老川沿いに設けられた1.2kmの遊歩道で新緑の季節も綺麗でのんびり散策できました。
<弘文洞跡>
千葉県夷隅郡大多喜町葛藤地先
TEL 0470-82-2111
http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/koubundou.html 閉じる投稿日:2012/06/16
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セピア色の思い出:1970.08.23.~24.千葉・養老渓谷温泉と弘文洞
- 4.5
- 旅行時期:1970/08(約55年前)
- 8
【セピア色の思い出:1970.08.23.~24.千葉・養老渓谷温泉と弘文洞】
1970年(昭和45年)8月23日~... 続きを読む24日.千葉・養老渓谷に1泊の旅をした。
長女が生まれて半年ぐらいで、当時小金井市中町の個人住宅(御主人は息子さん家族と一緒に住む予定で、二世帯住宅を建てたが、二階は転勤で空いていた)の二階に間借りしていた頃である。
子供連れの家族旅行は初めてであった。千葉・養老渓谷温泉(ようろうけいこくおんせん)を何故選んだのか、今ではよく覚えていない。
後に千葉県民となるとは、当時考えてもいなかった。
さて、Wikiによれば、養老渓谷温泉は千葉県市原市と夷隅郡大多喜町にかかる温泉郷で、旅館、民宿が養老川沿いに十数軒点在する。付近は千葉県立養老渓谷奥清澄自然公園に指定され、房総の魅力500選に選定されている。
温泉の源泉温度は20度前後と低めであり、とろみのある焦げ茶色が特徴の黒湯が一般的であると云う。
多分、何かで読んだ養老渓谷温泉が小さな規模の温泉郷で、温泉が焦げ茶色した黒湯だというのが、興味を持ったのかも知れない。
千葉県市原市の五井駅から小湊鉄道に乗車し、稲穂の中をゴットンゴットンと揺られ、今でもあまり変わりのない車両に乗って1時間10分、養老渓谷に至りました。
まだ車の免許も持っていないから、歩き専門でした。
弘文洞、中瀬遊歩道、粟又の滝など見たが、今のようにデジカメでないから、撮った写真も少ない。
長女を抱っこしての小旅行はけっこう汗をかき、この旅では折角、新しいミノルタのカメラを購入したのに、川を渡る際にうっかり落として、がっかりした。
その後、2014年3月28日~29日1泊で養老渓谷”もちの木”に泊まって、ドイツ村を廻って来た事がある。四十年以上たった後の事ゆえ、かつての宿も周辺もさっぱりわからなかった。
・・・・・
弘文洞(こうぶんどう)は、明治初期頃に耕地を開拓するため、養老川水系の支流である夕木川を川廻し(河川曲流短絡工事)して、河川の直線化を行った際に造られた隧道(づいどう:トンネル)である。
尚、以前は隧道の上部がつながって道が通っていて(古い地形図などで確認できる=>私が1970年8月に撮った写真を参照しても分かる)、景勝地や釣りの名所として紹介されていたが、1979年(昭和54年)5月24日の未明に突如上部が崩落し、現在の姿となった(そのため、弘文洞跡(こうぶんどうあと)と呼ばれるようになった)。
今も独特の風景を作り出している。
第39代 天皇 の弘文天皇(こうぶんてんのう:648年~672)と、その后である十市皇女(とおちのひめみこ)にゆかりの深い高塚や*筒森神社(つつもりじんじゃ:千葉県夷隅郡大多喜町筒森446にある神社で十市皇女を祀り、安産の神とされる)の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞(こうぶんどう)」と命名されたとされている。
史実では、*壬申の乱(じんしんのらん)に敗れた大友皇子(後に追称されて弘文天皇)はその場で討死したとされるが、そこで死んだのは実は影武者で、大友皇子本人は妻子らと東国へ逃れ、千葉県君津市やいすみ市、夷隅郡大多喜町には、大友皇子とその臣下たちにまつわる史跡・口伝が数多く存在し、伝説がある。
この伝説のうちの一つによると、大友皇子は后の十市皇女とともに上総に逃れたが、君津市俵田で追っ手によって敗れ、残された十市皇女は山を分け入って筒森郷の「限りの山」にたどりついたものの、妊娠中であった十市皇女はその地で難産(流産)の末亡くなったとされ、地元の里人がこれを哀れに思い、大友皇子と十市皇女の霊を手厚く弔い社を建てたのが*筒森神社とされる。
*壬申の乱とは、天智天皇の太子・大友皇子)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が672年、兵を挙げて勃発した。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱。
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(2023年9月25日Wiki参考、編集・追記)
閉じる投稿日:2023/09/26
1件目~15件目を表示(全16件中)
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