宇和島城
名所・史跡
3.86
宇和島城 クチコミ・アクセス・周辺情報
宇和島 観光 満足度ランキング 1位
クチコミ・評判 5ページ目
81~100件(全149件中)
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天守閣だけで少し物足りない
- 3.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
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急な石段を汗だくで登る
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
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2017年07月 宇和島市 見る 「宇和島城」
- 4.5
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
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こじんまり天守
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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宇和島湾の眺望が美しい
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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綺麗なお城です
- 5.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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ちょっと坂が続きます
- 4.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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登りがきつい自然に返りつつある城
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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ハイキングのお城です。
頂上の天守まで、緑に自然豊かな小山の散策。
現存十二天守のお城とのことですが、天守以外の建物は... 続きを読むほとんど残っていません。
自家用車では登ることはできず、麓に停めて、ひたすら自分の足で登ります。
標高は80m近くあるそうです。
登城口は2つ、北東側の桑折長屋の門と南側の上り立ち門。
上り立ち門も、昔から残る建造物だそうですが、こちら側から登ろうとすると、いきなり続く階段に、体力の無い方は尻込みしてしまいそうです。
多くの人がここから訪れる、桑折長屋門からは、関係車両が通れる舗装された坂道となっています。
途中、ムサシアブミや踊子草などの野草(表示札がされていた)が生え、木々の深い緑に覆われ、城が自然に返りつつある様子を感じさせます。
昔の建物配置も重ねた解説地図を見ると、本当にここが伊達宇和島藩十万石の居城だったのかと思ってしまうほどです。
そうこうして登ると、やがて馬の背的な、城山郷土館の下に到着しますが、ここからは石段になります。
天守まではまだまだあります。
郷土館を過ぎると、いよいよ緑が深くなります。
そして、石段もきつくなりますが、ようやく天守が見えてきます。
これが最後の登りとなります。
天守台に着くと、一挙に視界が開け、宇和島湾の風光明媚な景色が堪能できます。
振り返ると天守。
桜の時期は並木の奥に控える様子が美しいです。
ここまでで疲れている人もいるかもしれませんが、天守最上階までは、石段10段、玄関7段、そして建物内27段の階段を更に登る必要があります。
ただ、今までと違って眺めもよく、すでに到着しているので、武者返しのような急な階段も、楽しく登れるのではないでしょうか。 閉じる投稿日:2017/10/29
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城山に登るのが大変
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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宇和島といえばここ(個人的な意見ですが)
- 4.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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けっこう登る
- 4.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
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海と山に囲まれた街が見渡せます
- 4.0
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
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無料ロッカー。無料杖の貸し出し。
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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美しい宇和島城
- 5.0
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
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現存12天守のひとつ
- 4.5
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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秀麗な天守
- 5.0
- 旅行時期:2016/07(約10年前)
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伊達家の宇和島に住んだ人ーいねと大村益次郎ー
- 5.0
- 旅行時期:2016/07(約10年前)
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今回の愛媛県への旅は3,4日前に好天の予想を確認して、計画実行した。特に宇和島城、大洲城、松山城の3か所の城巡りが中心のテ... 続きを読むーマだ。
松山観光港に小倉からのフェリーで到着後、松山市駅まで伊予鉄道高浜線で移動。それから宇和島自動車の高速バスに乗り、宇和島バスターミナルで下車。すぐ近くが、宇和島城登山口となっている。
登山口から竹の杖をもって、石段の坂道を300m歩くと80mほどの山上にある天守に行ける。7月1日は好天で暑かったが、それでも、来た甲斐はあるところだ。天守内は200円で入れる。下りる時は緩やかな舗装道路を歩くと、倍以上の距離はあるが、途中の景色が異なるので、それはそれでよい。
天守は現存する全国で12か所のひとつで、1666年に伊達家の建造による。因みに次に行った大洲城は2004年の忠実な復元天守だし、松山城は、ペリーが来た次ぎの年、1854年建造だから新しい。
ところで、この宇和島の伊達家の名前は私には以前から馴染みがある。シーボルトの娘いね(日本最初の女医)が、この宇和島に住むシーボルトの高弟に預けられ育てられた。で、いねはオランダ語を学習すべきだということで、当時伊達家の砲術などの指南として宇和島に招聘されていた大村益次郎(村田蔵六)に直接個人指導を受けたようだ。
司馬遼太郎の「花神」の記述では、いねが大村益次郎に惚れることになっている。いね一人が大村の三田尻の宿にやってきたことになっている。そういうことがあったかもしれないし、なかったかもしれない。文献的証拠は提示されていないようだ。ただ、大村の晩年、暴漢に襲われ、瀕死の状態の大村を大阪で、いねが数週間の間、最後まで看病し看取ったという情報がある。少なくとも師として尊敬されていたことまでは間違いないのだろう。当時の大物有名人どうしの出会いの可能性だから司馬が注目したのはわかる。
以上は、私が宇和島で見物する間に思い出した話だ。残念ながら、宇和島でいただいた観光パンフレット類にはこんな話は出てこないようだ。いねの父、シーボルトは日本の江戸時代の医者たちに大いに影響を与えたとされるが、スパイの疑いで一度は日本を追放される。だが、30年後、再度日本に来た時はなんと幕府の顧問となった!いねや妻とも再会している。当時、海外から来た知識人の中ではシーボルトは極めて優れた一人であったことは間違いない。当然、情報は持ち込んだし、持ち出した。シーボルトが書いたたくさんの日本学の公刊された書物や論文はペリーが日本に来る前に勉強したことも知られている。日本で広まるこういう人物の話はしばしば評価が一面的になりがちなのは残念だ。このところ騒いでいる英国のEU離脱も同じような話だ。大衆化すると内容や理解の程度は浅薄になる。。。 閉じる投稿日:2016/07/03
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かわいい
- 4.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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天守は小さいが現存12天守の一つ
- 4.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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気分爽快!宇和島城
- 4.0
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
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