後鳥羽上皇御火葬塚
名所・史跡
3.31
クチコミ・評判
1~10件(全10件中)
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現在も宮内庁が管理しているようです
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- 旅行時期:2023/11(約2年前)
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宮内庁管理
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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天皇家陵墓
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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近づけません
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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ここは宮内庁の管理地です。
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- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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しっかりとお参りしておきましょう。
- 3.5
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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敬虔な雰囲気があります
- 4.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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寂しさやいかに
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- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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不遇の晩年に思いを馳せる
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- 旅行時期:2016/07(約9年前)
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後鳥羽上皇の遺灰が埋葬されている御火葬塚
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- 旅行時期:2009/08(約16年前)
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隠岐の島の4島巡りのツアーに参加した時に、島前・中ノ島にある後鳥羽上皇御火葬塚も見学しました。
後鳥羽上皇御火葬塚は... 続きを読む、菱浦港から車で10分位の隠岐神社前よりすぐで、隠岐神社の横の小道を上ったところにあり、杉林の奥には、行在所だった源福寺跡があります。
1221年の承久の乱によりこの島へ配流された後鳥羽上皇は、60歳で亡くなるまでの19年間を隠岐の島で憂苦の流島生活を過ごしました。
崩御後、上皇の遺骨の一部は京都大原法華堂に納められ、残りの遺灰などはこの山稜に埋葬され、後鳥羽上皇御火葬塚としてこの丘陵に祀られました。
遺体はこの地で荼毘に付され、遺骨の一部は京都に持ち帰られたが、その他の遺骨は廟殿に納められ、明治6年に明治天皇により、大阪の水無瀬神宮に合祀され、明治7年には祠殿は取り壊されました。
以降、後鳥羽上皇御火葬塚として宮内庁が管理しています。
近くには天皇に縁の隠岐神社や、代々墓守を務めている村上家があります。
閉じる投稿日:2020/05/22
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