後鳥羽上皇行在所跡
名所・史跡
3.31
後鳥羽上皇行在所跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
隠岐諸島 観光 満足度ランキング 42位
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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礎石と歌碑が残されています
- 3.5
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
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柵の中
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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隠岐神社の一角にあります
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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歌三昧だったのでしょうか。
- 3.0
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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実際の行宮跡はもっと右手だそうです。
- 3.0
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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後鳥羽院の息遣い
- 3.5
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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後鳥羽院の心境を歌とともに
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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隠岐神社の隣接してあります
- 4.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
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木々に囲まれひっそりとしています!
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
- 3
後鳥羽上皇は、第80代 高倉天皇の第4皇子として1180年に誕生し、3歳で第82代天皇に即位する。
(天皇の在位期間は、... 続きを読む1183年から1198年の約14年間)
1198年に上皇として院政を敷き、1221年(承久3年)に朝廷が鎌倉幕府から政権をとりもどそうとした「承久の乱」で朝廷が大敗したことにより、出家し法皇となり41歳で隠岐の国へ配流となる。
後鳥羽上皇行在所跡は、旧:源福寺境内に設けられた行在所として1239年に60歳で崩御されるまでの約19年間過ごされた場所です。
後鳥羽上皇が行在所へ着かれた際に詠まれた歌「我こそは新島守よおきの海のあらきなみ風心して吹け」ここから19年間の行在所での生活が始まる。
旧:源福寺は、1869年の廃仏毀釈により焼失し、現在は礎石と石標が立つのみとなっています。
後鳥羽上皇行在所跡の脇には、後鳥羽上皇の詠まれた歌「かわず蛙鳴く勝田の池の夕たたみきかましものは松風の音」勝田の池の蛙が鳴いて松のきしむ音が上皇の心を悩ますので、この歌を詠まれたところ勝田の池の蛙も鳴かなくなり、また松のきしむ音もなくなったと伝わる勝田池があります。
木々に囲まれひっそりとしていますが、改めて歴史を調べると感慨深いものがあります。 閉じる投稿日:2016/09/17
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基本情報(地図・住所・アクセス)
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