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壇上伽藍

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高野山周辺

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壇上伽藍 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10002486

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クチコミ 4ページ目(807件)

  • お堂の四隅はすべて形が違っているのだそう

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    「根本大塔」を背に「金剛峯寺前駐車場」方向に戻っていくと、「不動堂」がありました。やもすると見逃しそうな地味な建物ですが、...  続きを読む四人の工匠がそれぞれの随意に造ったため、お堂の四隅はすべて形が違っているのだそうです。  閉じる

    投稿日:2021/04/17

  • 真言密教の根本道場におけるシンボル

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    「金堂」の隣に「根本大塔」がありました。真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので「根本大塔」というのだそうで...  続きを読むす。堂内は有料かつ撮影禁止でしたが、本尊は胎蔵大日如来で堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されていました。  閉じる

    投稿日:2021/04/16

  • 高野山の総本堂

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    「中門」をくぐると目の前に「金堂」がありました。「金堂」は高野山御開創当時、お大師さまの手で最初期に建設されたお堂で、「講...  続きを読む堂」と呼ばれていたそうです。高野山の総本堂として「壇上伽藍」の中央部にありました。
      閉じる

    投稿日:2021/04/16

  • 高野山金剛峯寺の「一山境内地」の中核

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    壇上伽藍(だんじょうがらん)はお大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所で、密教思想に基づく塔やお堂が...  続きを読む見られました。「胎蔵曼荼羅」の世界を表しているといわれていて、金剛峯寺の高野山「一山境内地」の中核にあたるということです。  閉じる

    投稿日:2021/04/16

  • 五間二階の楼門

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    「金剛峯寺」から500メートルほど歩くと「壇上伽藍」の「中門」着きました。金堂の正面手前の一段低い所に、そびえる五間二階の...  続きを読む楼門で、持国天(じこくてん)像・多聞天(たもんてん)像のほか、広目天(こうもくてん)像・増長天(ぞうちょうてん)像の四天王がまつられていました。

      閉じる

    投稿日:2021/04/16

  • 根本大塔=壇上伽藍だと勘違いしていました

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 3

    訪れる前までは「根本大塔=壇上伽藍」だと勘違いしていました。
    弘法大師が高野山を開創されたときに、最初に着手した場所で、...  続きを読む高野山全体が金剛峯寺だと考えたんですね。
    金堂、西塔、御影堂、根本大塔、東塔など多くのお堂がありますが、全てを含めて「壇上伽藍」と考えるんですね。
    根本大塔の内部が立体曼荼羅になっているように、壇上伽藍全体も密教思想にしたがって建設されていったんですね。

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    投稿日:2021/07/05

  • 屋根も本体も六角形で、珍しい形で、美しい経蔵です。経蔵の基壇に把手がついていて、それを持って押すことで、経蔵全体を回すこと...  続きを読むができます。一回りすると一切経を一回読んだことになる言われています。
    この形態は、以前モンゴルで見たチベット仏教の「マニ車」に似ていると思いました。

    鳥羽法皇の皇后が、鳥羽法皇の菩提を弔うために、一切経を納めるために建立された経蔵です。
    現在の建物は1934年に再建されました。
    この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は、重要文化財として霊宝館に収蔵されているので、この中にはありません。  閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 根本大塔と東塔は色彩鮮やかですが、西塔は彩色を施さず、木肌を活かした落ち着いた、風格ある多宝塔です。
    弘法大師の伽藍建立...  続きを読む計画『御図記』に基づいて、高野山第二世である真然大徳によって建立された。その計画というのは、根本大塔と西塔が二基一対で、大日如来の密教世界を具現化する計画だったんですね。弘法大師が亡くなって886年に完成。
    現在の塔は、1834年に再建されたもので、高さは27.3m。
      閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 根本大塔と西塔の間にあるシックな3つのお堂の1つです。中は見られません。
    名前の由来は、快慶作の孔雀明王像がご本尊である...  続きを読むことから、「孔雀堂」と呼ばれたとのこと。でも現在はこの中になく、重要文化財に指定され、霊宝館に収められています。

    1200年に建立されたけれども、1926年の大火によって焼失。現在のものは、1983年に再建されたもの。

      閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 得度の儀式を行う際の准胝観音は弘法大師の作

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 4

    中には入れないので、外見の見た目にはかなり古いお堂です。解説で由来を知ると、とても重要なお堂だとわかりました。
    ご本尊の...  続きを読む准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として、造られたものと伝えられているようです。
    このお堂が973年頃に建立されてから、ご本尊が伽藍から移動されたらしい。何度も焼失して、現在のお堂は1883年に再建されたものだそうです。  閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 梁間が15mもあるとても大きなお堂で、屋根も独特な造りでした。
    真如親王直筆の「弘法大師御影像」が奉られたことから、御影...  続きを読む堂と呼ばれるようになったとか。
    このお堂は、高野山で最重要の聖域とされて、従来は限られた方しか堂内に入ることは許されなかったそうです。


      閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 最初にこの門を見たときに、あまりにも色彩豊かで大きくて立派だったもんですから、てっきりこれが「大門」だと勘違いしてしまいま...  続きを読むした。「大門」はここから500mほど離れたところにありました。

    壇上伽藍は1843年の大火によってほとんどが焼き尽くされたんですね。
    高野山開創1200年を記念して、170年ぶりに、数年前に再建されたばかりだったんですね。
    持国天像・多聞天像・広目天像・増長天像の四天王がまつられています。
      閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 金色ではなかった

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 3

    中門から入ると、金堂を正面に見て、その背後に根本大塔がそびえる配置になっています。金色ではなく、しかも鉄筋コンクリート製で...  続きを読むした。
    でもこのお堂の存在そのものが重要なんですね。
    そもそも高野山開創時の819年に、弘法大師により建設された講堂。平安時代半ばから、高野山の総本堂の役割を果たしている。
    現在の建物は7度目の再建で、1932年に完成。入母屋造り、本尊の阿閦如来は高村光雲の作。
      閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 弘法大師空海が、高野山全体を金剛峯寺という寺院と見て、真言密教の根本道場として建設した壇上伽藍の中心が根本大塔。色鮮やかで...  続きを読む、あまりの迫力に圧倒されました。
    弘法大師と真然大徳の二代に渡って、816年から887年ごろに完成したらしい。多宝塔としては日本最初のもの。

    しかも堂内そのものが、立体の曼荼羅として構成されているんですね。
    本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱に十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれています。  閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • 見渡しても蓮が見当たりませんが?

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 4

    不動堂の前から見える池が蓮池。蓮が見当たりませんが、寺社仏閣に池はつきもの。似合いますね。

    かつて、干ばつが度々起こ...  続きを読むって、1771年に瑞相院慈光という方が善女竜王像と仏舎利を寄進して、池島に小さな祠を建立したところ、たちまちに良くなったそうです。
    昭和の頃までは美しい蓮が咲き誇ってたらしい。
    1996年には祠とともに橋が修復されて、今のように色鮮やかになったとのことでした。

      閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • なぜこれが国宝なの?

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 3

    壇上伽藍に現存する最古の建造物。一見地味な建物は、なんと平安期の上流住宅建築様式のお堂で、国宝に指定されているんですね。
    ...  続きを読む
    1197年、鳥羽上皇の皇女八條女院内親王によって発願されて行勝上人によって建立。
    現在の建物は14世紀前半に再建されたもの。
    本尊は不動明王ですが、ともに祀られていた八大童子は運慶の作。現在は国宝に指定されて、霊宝館に収められています。  閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • 壇上伽藍の根本大塔と東塔の間にある。15m四方のお堂です。
    かつて、鳥羽法王の追福のために、皇女の五辻斎院内親王が建立し...  続きを読むました。長い歴史の後に、今では法会執行の際の集会所的役割を担っているようです。
    現在の建物は1848年に再建されたもの。それでも今から170年以上も前なんですね。やはり、高野山は歴史の長さがハンパないですね。  閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • 壇上伽藍の中で最も小さなお堂

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 3

    壇上伽藍の中で一番小さなお堂で、色鮮やかな東塔と根本大塔の間にあったものですから、あまり注目しませんでした(ごめんなさい!...  続きを読む)。でも、ひとつひとつが高野山で長い歴史があるんですね。
    金剛峰寺第六代目座主済高上人によって、929年に建立されたお堂で、「理趣三昧」という儀式を行っていたことから、三昧堂と呼ばれるようになったとのこと。
    現在の建物は1816年に再建されたもの。  閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • 金剛峯寺から蛇腹路を通って根本大塔に向かっていたら、色鮮やかな立派な塔があるじゃありませんか! 「これが根本大塔か!」と思...  続きを読むったら、重なるように先にもっと大きな塔が見えました。もちろんあちらが根本大塔です。

    東塔は、1127年に創建したけど1843年に焼失して、1984年にようやく再建されたものだそうです。

    根本大塔を中心に、東にこの色鮮やかな東塔、西にシックな西塔を配置しているんですね。これも弘法大師が『大日如来の密教世界』を具体化する二基一対の考え方に基づいているんですね。

      閉じる

    投稿日:2021/07/04

  • 素朴なたたずまいを見せるお堂

    • 2.5
    • 旅行時期:2020/11(約4年前)
    • 0

    檀上伽藍には多くの有名な建物が目白押しに見える。特に目を引く根本大塔や金堂、中門とは別に少し離れるとそこには御影堂や孔雀堂...  続きを読むが有り、その中にああるのが准胝胝堂(じゅんていどう)です。それほど大きくなく目立ちませんが明治16年に再建された入母屋造りのお堂で素朴なたたずまいを見せてくれる。  閉じる

    投稿日:2021/01/07

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