淡嶋神社
寺・神社・教会
3.45
淡嶋神社 クチコミ・アクセス・周辺情報
加太 観光 満足度ランキング 2位
御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は、医薬の神様。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれている。宝物殿には紀州徳川家から姫君誕生の折に初節句に一対の雛人形が奉納され、今もなお残っています。2月8日に「針供養」、3月3日に「雛流し」、10月3日に「甘酒祭」が行われます。
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 4ページ目
61~71件(全72件中)
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淡島神社
- 3.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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人形だらけの境内は必見です。子宝・安産・婦人病快癒のご利益で全国から参拝者が訪れます。
- 5.0
- 旅行時期:2013/03(約13年前)
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淡嶋神社 (あわしまじんじゃ)は人形供養で有名な神社で、境内はあらゆる人形がジャンル別に分けられて奉納展示されています。こ... 続きを読むれは必見です。
3月3日には全国的に有名な『雛流し』の神事が行われます。
子授け・安産・婦人病の予防と快癒にご利益のある神社で絵馬とともに下着が奉納されてります。
【子授け・安産・婦人病の神】
淡嶋神社の御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと。神功皇后(じんぐうこうごう)のことです。)
少彦名命(すくなひこなのみこと)は医薬の神様と言われ特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
そのため、子授け・安産・婦人病の予防と快癒で全国から女性やカップルの参拝者が集まり絵馬とともに下着を奉納することで有名です。
【『ひな祭り』の語源はここから】
『ひな祭り』の語源は、すくなひこな祭り⇒ひこな祭り⇒ひな祭りとなったと言われているのです。
【淡嶋神社の名前の由来】
昔、神功皇后(じんぐうこうごう)は三韓征伐から船で帰る途中に、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。
神に祈りを捧げるとお告げがあり、その通りに船を進めるたら無事島にたどり着いたのです。
その島が、友ヶ島です。その島の一つに神島(淡嶋)という小さい島があり少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)が祠(ほこら)に奉られていたのです。
淡嶋神社の社はもともとは、友ヶ島の小さな島、神島(淡嶋)にあったのです。
神功皇后(じんぐうこうごう)は助けてくれたお礼に持ち帰ってきた宝物を神島の祠(ほこら)にそなえました。
その後、何年か経ち、神功皇后(じんぐうこうごう)の孫にあたる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来たときに、お社が島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に造ったのです。
この社殿が、加太淡嶋神社の起こりとされています。
【ひな祭りが3月3日の理由はここから】
御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)が、友ヶ島の神島から加太の社殿に移されたのが、これを御還宮といいますが、仁徳天皇5年の3月3日であったことから3月3日をがひな祭りとなったようです。
(実際には諸説あります。)
閉じる投稿日:2013/03/03
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人形供養の神社
- 5.0
- 旅行時期:2013/02(約13年前)
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お人形の神社
- 3.0
- 旅行時期:2012/09(約13年前)
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人形供養も 淡島神社
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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和歌山からの帰りに
- 3.0
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
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人形供養の社!
- 3.5
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
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お人形が境内にたくさん
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- 旅行時期:2011/05(約15年前)
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淡島さん
- 3.0
- 旅行時期:2010/11(約15年前)
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2万体ともいわれる人形に驚かされる淡嶋神社
- 4.0
- 旅行時期:2010/03(約16年前)
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淡嶋神社(あわしまじんじゃ)は全国約1000社の淡嶋神社・粟嶋神社・淡路神社の総本社で和歌山市加太にあるので加太淡嶋神社、... 続きを読む加太神社とも呼ばれ少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后・じんぐうこうごう170−269年)を祀っている。
婦人病、安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社として有名で、2月8日の針祭、3月3日のひな流しなどが全国的に知られている。境内に入ると拝殿周辺に奉納された雛人形、市松人形、フランス人形など2万体ともいわれる人形に驚かされる。
神話で日本を創造したと伝えられる少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)の祠が加太沖合いの友ヶ島の中の神島(淡島)に祀られたことが淡嶋神社の起源とされている。三韓出兵の帰途、嵐に遭遇した神功皇后が神のお告げで友ヶ島に入港できたことに感謝して三韓渡来の宝物を奉納し、神功皇后の孫である仁徳天皇(にんとくてんのう257−399年)が友ヶ島から対岸の加太に祠を移し社殿を建築したと伝えられている。
江戸時代には、淡島願人と呼ばれる半僧半民の人たちが淡島明神の人形を祀った厨子(ずし)を背負い、鈴を振りながら全国を回って淡島明神の神徳を説いて廻ったことで淡島信仰が全国に広がったそうだ。
生きているような人形で埋め尽くされた淡嶋神社は他の神社には無い不気味ともいえる不思議な雰囲気があり、心霊スポットとしてマスコミに取り上げられる神社でもある。
淡嶋神社---http://www.kada.jp/awashima/
日本の旅 関西を歩く 和歌山市、淡島神社周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10451754/
(写真は淡嶋神社の光景) 閉じる投稿日:2010/11/14
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ちょっとうっとりといった感じを持ちました。けなげでもあります
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- 旅行時期:2009/01(約17年前)
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淡嶋神社は、和歌山市の北西にある加太にある神社。加太駅からはしばらく歩きます。全国にある淡嶋神社、粟嶋神社、淡路神社の総本... 続きを読む社だとのことですが、有名なのは人形供養。始め見た時は気がつかなかったのですが、近づいてよく見ると、本殿の縁や床下など、所狭しと、人形が並んでいます。捨てるのは人形がかわいそうということで、持ち込まれた人形たちですが、それぞれがとてもかわいいし、きれいで、捨てられる運命だった人形とはとても思えません。あまりに多いので、確かに異様な雰囲気とも言えますが、私としては、ちょっとうっとりといった感じを持ちました。けなげでもあります。
閉じる投稿日:2012/09/04
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