義仲寺
寺・神社・教会
3.35
義仲寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
大津 観光 満足度ランキング 27位
粟津の原で壮絶な戦死を遂げた武将・木曽義仲の墓所。後に松尾芭蕉が幾度となく滞在し、遺言によりここに葬られているため、俳句ファンが多く訪れる。境内には芭蕉が滞在したという無名庵や、芭蕉の辞世の句など数多くの句碑が立ち並んでおり、全域が国の史跡に指定されている。義仲と行動を共にし、奮戦した巴御前を供養した巴塚もある。 【料金】300円
ピックアップ クチコミ
-
満足度の高いクチコミ
義仲と芭蕉の墓所、伊藤若冲の天井画と見どころ満載
5.0
- 旅行時期 2023/02
- by マリー88さん
JR膳所駅から北へ300mほど、旧東海道沿いの住宅街に溶け込むように「義仲寺」があります。木曽義仲の側室だった巴御前がしの... 続きを読むんで建てた草庵が始まりともいわれています。こじんまりとした境内には、木曽義仲のお墓、その横にはひっそりと巴塚(巴御前)、そして奥には義仲の大ファンだったという松尾芭蕉のお墓があります。他にも、境内の一番奥に佇む翁堂には伊藤若冲の天井図『四季花卉図』が見られます。料金300円で見どころ満載でした。 閉じる
クチコミ・評判
3.35
(22件のクチコミ)- アクセス:
- 3.69
- 膳所駅より徒歩10分程です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- 人混みの少なさ:
- 4.27
- 今回は他に一組おられました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- バリアフリー:
- 3.07
- 境内は砂利時期です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- 見ごたえ:
- 4.33
- 芭蕉の想いが伝ってきます。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
1~20件(全22件中)
-
芭蕉が愛した木曽の塚
- 3.5
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 0
-
義仲寺で夢は枯野をかけめぐる
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
-
松尾芭蕉にもゆかりがある!
- 4.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
-
-
大河ドラマの影響
- 4.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
-
義仲と芭蕉が眠る寺
- 4.0
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
- 0
-
有料です
- 4.5
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
-
松尾芭蕉の墓所がある義仲寺
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
-
-
木曽義仲…だけではない義仲寺の魅力。
- 5.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
-
義仲と芭蕉、そして巴御前も眠る墓所です。
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 11
膳所駅から北に下ること約10分、旧東海道に面した街道筋に義仲寺はあります。創建は不明であるものの、平家討伐の兵を挙げた木曽... 続きを読む義仲が後白河上皇と対立し、最後は粟津原で源範頼・義経軍に討たれた時は数え31歳だったとされています。その後重臣の今井兼平も自害して果てており、亡骸を葬ったのは側室の巴御前であったとされています。無名の尼と称して庵を結び、義仲の遺骸を葬ったとの伝承が残っています。
元々特定の宗教に属していたわけではない義仲寺は、時代の移り変わりで荒廃することもあったとされていますが、戦国時代には近江国守佐々木氏が〝源家大将軍の御墳墓荒るるにまかすべからず〟と再建に動きました。その後真言宗東寺派総本山石山寺や天台宗寺門派総本山園城寺に属し、一時はそれなりに栄えていた時期もある最中にあの俳人松尾芭蕉がこの地を訪れました。木曽義仲と義仲寺を寵愛した芭蕉は、度々この地を訪れており、最後は上方でその生涯を終えるものの、その遺言である『骸(から)は木曽塚に送るべし』に従って、義仲塚の右手に埋葬されて永遠の眠りについています。
芭蕉の辞世の句である『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』をはじめとした数々の句碑が境内に建てられており、義仲の忠誠心溢れた生涯とはかなさに強く惹かれ、大の義仲ファンといっても過言でないほどだった芭蕉、そしてその芭蕉を愛してやまず、第二次世界大戦後に荒廃した義仲寺を再興した著名人の句碑も建立されていることから、その繋がりの深さゆえに義仲を、そして芭蕉を愛した人々の気持ちが伝わって来ました。
また境内奥の翁堂の天井画には伊が最晩年に手掛けたとされる『四季花卉(かき)図』(全15面)が復元されて公開されています。翁堂が再建された安政6(1859)年には既にはめ込まれていたものとされ、それをデジタル技術によって復元されたものが現在の翁堂で見ることができます。若冲が芭蕉とどんな繋がりがあったのかは定かではありませんが、全国に『ふたつ』しかない天井画がこの義仲寺に納められているのは単なる偶然ではないでしょう。
機内にある寺院のように大きさもなく、駆け足で回れば1時間はかからない場所ではありますが、境内にある木曽義仲・巴御前・松尾芭蕉他なんらかの『繋がり』を持った〝もののふ〟達に歴史の面白さを感じる場所です。
休館日:月曜日【祝日は開館】
閉じる投稿日:2017/10/18
-
松尾芭蕉の墓所
- 4.5
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
- 1
-
旧東海道に面しています。
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 1
-
木曽義仲と松尾芭蕉の墓、若冲の天井画
- 5.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 1
-
『木曽殿と背中合わせの寒さかな』と松尾芭蕉の弟子又玄が詠みました。
- 5.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 6
旧東海道沿いにある義仲寺。創建は不明ではあるものの平安時代末期源頼朝と敵対することになった木曽義仲が、粟津原で討たれた後巴... 続きを読む御前が義仲の遺骸を葬り庵を結んだことが創始とする説があります。
その後戦国時代には荒廃し、近江守護職佐々木氏の手によって再興され、石山寺に属した後江戸時代には園城寺に属します。ちょうどその時期に俳人松尾芭蕉が木曽義仲と義仲寺を愛し、度々この地を訪れて滞在しています。最終的に上方で亡くなった松尾芭蕉でしたが、『骸(から)は木曽塚に送るべし』との遺言により義仲の墓隣に埋葬されました。
時は移り太平洋戦争敗戦後、義仲寺は再び荒廃壊滅の危機に瀕するも、昭和40(1965)年に再興され単立の寺院となり、昭和42(1967)年国の史跡に指定され現在に至っています。
『木曽殿と背中合わせの寒さかな』の句が有名な義仲寺ではありますが、これは芭蕉の句ではありません。芭蕉の死後亡骸を義仲寺に収めた弟子『又玄』が詠んだものです。義仲びいきの芭蕉らしいことからそう誤解されたままになっているところもあるように思います。
実はこの義仲寺、この地で亡くなったとされているのは、諸説ある中で『巴御前』だけだということです。木曽義仲は粟津原、現在の石山駅北口一帯とされその場所には義仲の重臣今井四朗兼平も眠っています。そして松尾芭蕉は大阪で客死しています。
歴史上の重鎮達に加え、昭和の時代に義仲寺再興に携わった著名人が眠る場所は、お寺という『万人受け』するものとは少し違うようにも思えます。しかしその共通点は900年もの間変わっていない事実を参拝者に伝えています。訪れる人によって感じ方は違うとは思いますが、『求めるものが同じ』だということに違和感すら感じない…そんな不思議な気持ちを受ける場所のように思えてなりません。 閉じる投稿日:2016/09/06
-
国指定史跡です。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 7
-
義仲びいきの芭蕉もここに眠る
- 5.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 1
-
木曽義仲の墓、そして芭蕉の墓もあるんです。
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 1
-
民家に挟まれた小さなお寺
- 4.0
- 旅行時期:2014/06(約12年前)
- 1
-
松尾芭蕉も愛した地です!!
- 3.5
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
- 1
-
松尾芭蕉のお墓があります
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
- 1
-
木曽殿と背中合わせの寒かな
- 4.5
- 旅行時期:2011/04(約15年前)
- 1
1件目~20件目を表示(全22件中)
- 1
- 2
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
義仲寺について質問してみよう!
大津に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
かくちゃんさん
-
たけちさん
-
マリー88さん
-
choeasytaroさん
-
ペミカンさん
-
カブト虫さん
- …他