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回向院

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回向院 クチコミ・アクセス・周辺情報

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  • 満足度の高いクチコミ

    赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。

    4.0

    「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進...  続きを読むむと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。 「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。 では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。 次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。 更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。 次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。 更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。 01_【一口メモ】 ⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776 ⑵ 回向院の概要 ①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗 02_【アクセス】 1 電車を利用して ⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m ⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m 03_【「両国回向院」の見どころ】 ⑴ 「本尊阿弥陀如来」 「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。 ⑵ 「水子塚」 「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。 ⑶ 「塩地蔵」 劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。 ⑷ 「千体地蔵尊」 「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。 ⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」 「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。 ⑹ 「馬頭観世音菩薩像」 「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。 ⑺ 「一言観音像」 「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。 元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。 ⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」 「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。 ⑼ 「関東大震災供養塔」 東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。 ⑽ 「正門」 「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです ⑾ 「鳥居清長顕彰碑」 「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。 ⑿ 「オットセイ供養塔」 「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。 ⒀ 「猫塚」 「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。   閉じる

クチコミ・評判 15ページ目

281~300件(全462件中)

  • 愛猫家がいらっしゃってます

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    両国駅西口から国技館通りを南に進んだ突き当りのところの、京葉道路沿いにある回向院の境内にあります。訪問したのがお彼岸のタイ...  続きを読むミングだったせいか、境内はかなりの人出がありました。山門をくぐり境内に入り、右手、正面の本堂、寺務所のところを左に折れると、すぐ左手にこちらの塚があります。台座の上にブロンズの像があって、その姿は今にも動き出しそうな躍動感があるものです。台座の中層部は切り花がいけられるようになっており、下層部は線香台になっており、お線香がくべられるようになっている、珍しいスタイルの塚です。お彼岸ということもあるのか愛猫家の方が猫を連れて参拝されていました。  閉じる

    投稿日:2016/03/23

  • Guilty or Not Guilty ?

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 3

    両国にある回向院には猫塚と言われる猫を祀ったお墓がある。

    このネコはお世話になった飼い主に恩返しをした猫で、病気にな...  続きを読むった飼い主の魚屋に2両を運んできてくれたそうだ。
    そして、ある日に姿が見えなくなってしまい、魚屋が必死で探したところ、殺されてしまっていたことが発覚。
    そして、このお寺に葬られて、猫塚が作られた。

    一見すると、猫の恩返しの美談だが、本当にそうなのだろうか。

    猫が殺された理由は、病気で貧乏な魚屋のために、ある商家から2両を盗み出そうとして奉公人に見つかり殴り殺されてしまったため。

    【猫】という単語を、【人間】や【男】や【女】に置き換えた場合、これって明らかに犯罪の臭いがするのだが…。
    今のお金に換算すると一両は約10万円。
    猫は最初の家から20万を盗み、次の商家からまた20万円を盗もうとした。

    私達が1か月頑張って働いても、なかなか20万円を手にすることは難しい。
    そのお金を猫が盗み出した…ってことだ。

    もしかしたら、最初に猫が20万円を盗んだお宅ではそのお金はなけなしのお金だったかもしれない。
    とっても大事なお金だったかもしれない…。

    猫であれ、人であれ、盗みはいけないことではないのかな?
    盗みは犯罪だと思うのだが…?

    その線引きは何処にあるのか?  閉じる

    投稿日:2016/03/13

  • 両国にある回向院は江戸時代に建立されたお寺だ。
    建立されたのは、振袖火事と呼ばれる江戸中を舐めつくした大火で犠牲になった...  続きを読む人々の鎮魂の為。

    振袖火事とは、別名:明暦の大火とも呼ばれる火事で、お寺の護摩壇にくべられた振袖の着物に火が付き、その着物が空高く舞い上がり、江戸中に火の粉を降りまき火事を起こしたとされている火事だ。

    ただのお寺の失火の様に思われる振袖火事だが、その裏には一人の娘の悲しい物語が隠されていた。

    江戸時代の初期、町人の娘であった梅は、通りすがりの寺の小姓の美少年に一目ぼれをした。しかし、その美少年はどこの寺の人ともしれぬお方。恋い焦がれた娘・梅は二度と会う事はないであろう悲しみに病の床に就いた。そして、梅の最後の望みは小姓と同じ柄の振袖を着る事。振袖を手にした娘・梅は17歳の誕生日に息絶え、悲しんだ両親はその振袖をせめてもの供養にとお棺へと入れた。
    しかし、お棺を納めた寺の坊主は悪徳坊主。
    悪徳坊主は、お棺の中に金目の振袖を見つけるとその着物を古着屋へと売り払ってしまった。
    ところが、その振袖はまたお寺へと戻ってきた。
    でも、戻ってきたのは振袖だけではなかった。古着屋から振袖を買った別の娘の亡骸も一緒だった。
    不思議なことに振袖が再びお寺へと戻ってきたのは、1年前に亡くなった梅の命日だったのだが、悪徳坊主はそんなことは気にも留めずに、またもう一度、その振袖を古着屋へと売り払った。
    二人の娘の死にかかわった1枚の振袖のその後は…というと…。
    想像通り、1年後にその振袖はまた別な娘の亡骸と共に梅の命日に寺へと戻ってきた。
    さすがに気味が悪くなった悪徳坊主は、その振袖を護摩行の火に投げ入れたのだが、護摩行の火が移った振袖は風で空高く舞い上げられ、江戸中に火の粉を振りまいた…。

    これが、江戸の町民たちの間で語られていた振袖火事の『物語』だ。

    此処で、『物語』…と書いた理由。
    実は振袖火事には真実が他にもあるとされている。

    それは、幕府の重鎮の家からの出火説と幕府の陰謀説。
    幕府の重鎮の家からの出火説は、その火元が老中の家だったというモノで、それを隠すために老中の家の隣にあった寺に多額の寄付をして、責任を押し付けたとする説。
    そして、幕府の陰謀説は、江戸を区画整理したかった幕府サイドが、とりあえず更地に戻すために江戸城に危険の及ばない範囲で火を点け、全てを焼き払った…とする説だ。

    もう300年以上も昔の話なので、今となっては真相は分からないが、火のないところには煙は立たない筈。
    幕府陰謀説などが出るという事は、なにかしらその根拠となりうる動きが幕府側にもあったのかもしれない。

      閉じる

    投稿日:2016/03/13

  • 両国の大相撲発祥の地

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/12(約11年前)
    • 0

    回向院の山門をくぐって、風情のある道を歩くと左手に見える大きな石碑に「力塚」の文字が刻まれています。回向院境内で勧進相撲が...  続きを読む初めて行われたのは1768年(明和5年)と歴史は古く、相撲関係の石碑が多く存在します。特にこの力塚の石碑は力強く見るものを圧倒させる迫力がありますね。  閉じる

    投稿日:2017/12/24

  • 両国の回向院

    • 4.5
    • 旅行時期:2015/12(約11年前)
    • 0

    JR両国駅から徒歩圏内にある回向院ですが、両国近辺では最もメジャーな観光スポットだけあり、参拝客も多いです。境内には、山東...  続きを読む京伝、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉をはじめとする著名人の墓などもあり、見所は多い寺院です。  閉じる

    投稿日:2017/12/22

  • 歴史の勉強

    • 4.5
    • 旅行時期:2015/11(約11年前)
    • 0

    2年ぶりの「回向院」です。第4代将軍家綱の代に起こった明暦の大火、その犠牲者を弔うために建てられた寺院ですから、その後20...  続きを読む0年以上にわたる江戸から大正・昭和・そして平成の歴史が凝縮されています。「石造明暦大火横死者供養塔」はもちろん、「関東大震災横死者墓」、また江戸の売れっ子作家「山東京伝墓」から「竹本義太夫之墓」、そして「鼠小僧供養墓」などを目にするだけで、まさに歴史の勉強になります。また「回向院」は勧進相撲の一大中心地であったこともって大きな「力塚」がありますし、隣に建つ「両国シティコア」内は、かつて初代「両国国技館」の建っていた場所で、今も土俵の跡が残されています。  閉じる

    投稿日:2015/11/23

  • 大きい

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/11(約11年前)
    • 0

    相撲の起源となった勧進相撲が行われたという回向院の中にあります。
    正門をくぐって参道を歩いてすぐ左側にあります。
    鼠小...  続きを読む僧など、著名人のお墓も数多くありますが、この力塚はもっとも大きなものでした。
    1936年に大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀るために建立したそうです。  閉じる

    投稿日:2015/11/05

  • 立派なお墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/11(約11年前)
    • 0

    相撲の起源となった勧進相撲が行われたといわれる回向院の中にあります。
    なかなか立派なお墓で、観光客が来ていました。
    ...  続きを読む墓の前に置かれている白い石を削ると御利益があるようでした。
    鼠小僧の他にも著名人のお墓が回向院にはあります。  閉じる

    投稿日:2015/11/05

  • 国技の起源

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/11(約11年前)
    • 0

    国技・相撲の起源となった場所とされています。
    かつては国技館があったようで、看板が立てられていました。
    鼠小僧の墓があ...  続きを読むり、観光客が数名見学していました。
    立派な門に綺麗な建物で、歴史の割にスタイリッシュな感じがしました。  閉じる

    投稿日:2015/11/05

  • 実在の盗賊

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の境内の中にあります。武家屋敷だけに押し入ったため庶民から義賊扱いされた実在...  続きを読むの盗賊、鼠小僧次良吉の供養墓です。鼠小僧の墓石を欠き財布に入れておくと金回りがよくなると言われています。  閉じる

    投稿日:2015/12/15

  • 回向院の境内

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の境内の中にあります。1657年(明暦3年)の明暦の大火での身元不明の遺体は...  続きを読む幕府の手により本所牛島新田へ船で運ばれ埋葬された後、供養のために回向院が建立されたという歴史があります。  閉じる

    投稿日:2015/12/15

  • 回向院の境内の中

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    回向院の境内の中にあリます。勢州白子参州平坂溺死者供養塔、紀州本□徳福丸富茂船溺死者死人之墓、海上溺死群生追福之塔、溺死者...  続きを読む四十七人墓、勢州白子戎屋専吉船溺死者等供養塔、勢州白子三州高船溺死者一切精霊の合計六基です。  閉じる

    投稿日:2015/12/15

  • 360年の歴史があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    両国駅西口から数分のところにある、360年の歴史を持つ寺です。明暦の大火で命を失った身寄りのわからない人々を葬ったことから...  続きを読む寺の歴史が始まりました。その後、勧進相撲が初めて行われ、相撲とのかかわりもでき、境内には相撲年寄りを慰霊する力塚も立っています。また江戸時代の英雄伝説、鼠小僧次郎吉の墓もあり、運を授かりたいとの願いから受験生もやってきます。  閉じる

    投稿日:2015/12/02

  • 時代劇の英雄?

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    回向院の中にある墓です。江戸時代、大名屋敷から大判、小判を盗み、貧しい庶民に配り分けたとして、庶民の英雄であるとする信仰が...  続きを読む拡がりました。長く捕まらなかったことから運を持つ鼠小僧にあやかって、今も受験生を中心に運をつかもうとする人がやってきます。  閉じる

    投稿日:2015/12/02

  • お相撲さんんをイメージさせる大きな石碑です

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    両国駅西口から京葉道路方向に5分ほど歩いた突き当りにある回向院の中にあります。参道を進んでいくと力塚と彫られた大きな石碑が...  続きを読む見つかります。かつて回向院では江戸時代に勧進相撲が行われ、その後、明治時代まで定期場所として相撲が開催されていました。力塚は相撲年寄りの慰霊のために建てられました。回向院と相撲の関係がよくわかる石碑です。  閉じる

    投稿日:2015/12/02

  • 明暦の大火の犠牲者の供養

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/10(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある浄土宗の寺院です。明暦3年(1657年)の明暦の大火の犠牲者は10万人以上といわれ...  続きを読むていますが、このときの犠牲者を供養するために建立されたのがはじまりとされています。  閉じる

    投稿日:2015/11/19

  • 江戸時代後期の戯作者、浮世絵師

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の境内の中に案内板が建てられています。弟岩瀬京山と同じく江戸時代後期の戯作者...  続きを読む、浮世絵師で、浮世絵を北尾重政に学び、通言総籬、傾城買四十八手などの代表作のある方です。  閉じる

    投稿日:2015/11/20

  • 江戸時代後期の著名な戯作者

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の境内の中に案内板あります。江戸時代後期の著名な戯作者である山東京伝の弟で同...  続きを読むじく戯作者であり、復讐妹背山物語や昔模様娘評判記といった代表作がある方のようです。  閉じる

    投稿日:2015/11/20

  • 江戸時代国学者、歌人

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の境内の中にあります。賀茂真淵に師事した江戸中期の国学者、歌人です。江戸の与...  続きを読む力の家に生まれ職を継いだが、1788年病気のため職を辞し、学問研究に専念したそうです。  閉じる

    投稿日:2015/11/20

  • 回向院の境内の中

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の境内に建てられています。右手に錫杖、左手に宝珠を持っていて、参詣者は願い事...  続きを読むが成就すると塩を供えたことから塩地蔵と呼ばれ親しまれてきたお地蔵さまです。今も塩が供えられています。  閉じる

    投稿日:2015/11/20

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基本情報(地図・住所)

施設名
回向院
住所
  • 東京都墨田区両国2-8-10
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

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