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回向院

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回向院 クチコミ・アクセス・周辺情報

両国 観光 満足度ランキング 3位

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振袖火事と称した江戸の大火で死んだ人を弔うため建てた。以来無縁仏や無縁犬猫を供養する。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。

    4.0

    「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進...  続きを読むむと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。 「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。 では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。 次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。 更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。 次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。 更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。 01_【一口メモ】 ⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776 ⑵ 回向院の概要 ①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗 02_【アクセス】 1 電車を利用して ⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m ⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m 03_【「両国回向院」の見どころ】 ⑴ 「本尊阿弥陀如来」 「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。 ⑵ 「水子塚」 「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。 ⑶ 「塩地蔵」 劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。 ⑷ 「千体地蔵尊」 「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。 ⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」 「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。 ⑹ 「馬頭観世音菩薩像」 「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。 ⑺ 「一言観音像」 「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。 元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。 ⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」 「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。 ⑼ 「関東大震災供養塔」 東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。 ⑽ 「正門」 「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです ⑾ 「鳥居清長顕彰碑」 「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。 ⑿ 「オットセイ供養塔」 「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。 ⒀ 「猫塚」 「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。   閉じる

クチコミ・評判 16ページ目

301~320件(全462件中)

  • 立派な石碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐの所にある回向院の参道にあります。最も大きい力塚と刻まれた石碑を中心5基が建てられ、これらを...  続きを読む総称して力塚とも呼ブそうです。回向院は国技館発祥の地で相撲にゆかりのある場所なのでこういった碑があるのでしょう。  閉じる

    投稿日:2015/11/20

  • 日本最古の猫塚

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐのところにある回向院の中にあります。ここは生あるものすべてを供養しているそうです。この猫塚は...  続きを読む日本最古のもののようですが、動物の供養が行われるようになったのは、第四代将軍徳川家綱の愛馬が始まりと言われています。  閉じる

    投稿日:2015/11/20

  • 動物供養

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回向院ではありとあらゆる生命の供養しているそうで動物供養でも有名です。境内には猫だけでなく、犬や小鳥、馬、オットセイなどの...  続きを読む供養碑もありました。猫供養碑のまわりはたくさんの生花が置かれていて、ペット供養に訪れる人の多さを感じました。  閉じる

    投稿日:2015/10/21

  • 国道14号線沿いにありました。江戸時代にあった「ふりそで火事/明歴の大火」での犠牲者を供養するために建てられた寺院だそう。...  続きを読む災害や事故での犠牲者だけでなく、犬や猫、鳥などの動物、ペットの供養塔もありました。鼠小僧の供養墓もあり、金運アップのパワースポットでもあるようです。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 海難事故の供養塔

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回向院の境内の奥、鼠小僧供養墓の隣にありました。石造の立派な碑がたくさんならんでいました。この中で海難供養塔は6基ほど。丁...  続きを読む寧な配置図のついた案内板があるので、とてもわかりやすい。様々な犠牲者を供養する回向院ならではですね。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 金運アップ

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    境内の奥にありました。回向院の中にはたくさんの史跡や墓石がありますが、その中でも立派な賽銭箱や線香たてがあるのが鼠小僧供養...  続きを読む塔のように思います。供養塔を削って持っていると金運がアップするそうで、現在は削る用の石が設置されていました。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 兄弟で有名な劇作家

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回行院の参道を進んだ左側にある墓石群の中にありました。明暦の大火の供養塔や加藤千蔭墓など、いくつかの案内板と並んであります...  続きを読む。江戸時代の有名な劇作家。同じく劇作家として活躍した弟・京山が墓石を建てたそうです。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 江戸時代の有名な劇作家

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回行院の参道を進んだ左側にある墓石群の中にありました。明暦の大火の供養塔や加藤千蔭墓など、いくつかの案内板と並んであります...  続きを読む。江戸時代の有名な劇作家で、同じく劇作家の兄・京伝墓もこちらの境内にありました。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 回向院に眠る江戸期の国学者

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回向院の境内に江戸時代の国学者、歌人、書家であった加藤千蔭のお墓があります。幼少期から歌人の賀茂真淵に師事し、54歳まで役...  続きを読む人生活を送ったのち学問に専念。万葉集略解、うけらが花、香取日記などの著書を残しています。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • ふりそで火事の犠牲者を供養

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回向院は江戸史上最悪の惨事ともいわれている「ふりそで火事・明歴の大火」の犠牲者を供養するために建立された寺院だそうです。参...  続きを読む道を進んだ左手にその供養塔がありました。東京都指定有形文化財にも指定されています。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 歴代相撲年寄の慰霊のために

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    回向院の参道を歩いて行くと左手に大きな石碑があります。江戸期から大相撲興行の定場所となっていた境内に、相撲協会が昭和11年...  続きを読むに歴代相撲年寄の慰霊のために建立したものです。現在では新弟子たちが力を授かりますようにと祈願する碑になっているそう。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • 供え物の大量の食塩にビックリ

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国駅の国技館と反対側に国技館通りを京葉道路にぶつかったところにある回向院の境内の中にあるお地蔵様ですぐ横に、鼠小僧の墓が...  続きを読むあり、その隣にあります。沢山の食塩がお備えされているのですぐにわかります。今まで、色々な仏像や石像を見てきましたが、塩地蔵ははじめて見ました。1757年の建立のお地蔵様で250年以上の石像だけに風雨によって、相当劣化していますがそれが逆にいい風合いを出しています。また、お地蔵様としては結構大きめで堂々としていると思います。  閉じる

    投稿日:2015/10/14

  • 江戸時代の戯作者

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    江戸時代の戯作者で、兄である岩瀬京伝と同じ、東京両国の回向院に眠る人物で、ここへ来るまでは全く知りませんでした。こちらのお...  続きを読む墓がある回向院は最寄りが両国駅ですが、JRの駅の方が断然近いです。都営地下鉄大江戸線の駅からだとJRの倍ぐらい時間がかかります。こちらのお墓自体は、数多くの記念碑や慰霊碑、塚、お墓がたくさんある回向院の中でも。兄のお墓同様にかなり質素でです。こちらを主目的で訪問するというよりは回向院を訪問した時に立ち寄る感じです。  閉じる

    投稿日:2015/10/10

  • ここにきて初めて知りました

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    ネズミ小僧の墓があることで有名な、東京両国の回向院を再訪した時に説明看板を見つけて立ち寄りました。回向院の最寄り駅は両国駅...  続きを読むですが都営地下鉄大江戸線の両国駅からだと徒歩10分ぐらいかかり、JRの両国駅だとその半分ぐらいの時間で来れます。ここに来るまではお墓の主である、岩瀬京伝を知りませんでしたが、江戸時代の戯作者で有名人とのことです。回向院は有名な慰霊碑や塚、お墓などがたくさんあり、大きさ、姿形は様々ですが、その中では質素な方だと思います。  閉じる

    投稿日:2015/10/10

  • 国学者

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    両国駅から南側に徒歩3~4分で国道に面した回向院内にあるので非常に便利です。両国駅自体は都営地下鉄大江戸線もありますが、そ...  続きを読むちらからは少し距離がありますので歩くと10分ぐらいかかると思います。お墓の主である加藤千蔭についてはこちらを訪問するまでは全く知りませんでした。江戸後期に活躍した著名な国学者であり歌人。こちらの寺院自体が記念碑や塚や著名人の墓がたくさんあるので、その中では非常に質素な感じです。  閉じる

    投稿日:2015/10/10

  • 多くの供養塔があるなかでも史跡になっている

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    数多くの災害の供養を行ってきている回向院の中でも最も被害が大きかった災害の供養塔になるのではないかと思います。ここに供養さ...  続きを読むれている方がなくなった災害は教科書にも載っている江戸の大火であり、ミドル以上の歴史が好きな方であれば耳にしたことのある災害であり、ここ下町の両国の地の回向院に供養塔が建てられたのも、被害が大きかった下町地域だからこそであり、あらためて災害のない東京、日本を意識することになりました。  閉じる

    投稿日:2015/10/06

  • 両国橋の近くです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約11年前)
    • 0

    江戸時代はここ回向院の境内あたりで相撲を取っていたそうです。
    今のように6場所もなく、10日くらいしか取り組みは行われな...  続きを読むかったとか。
    「一年を十日で暮らすいい男」と言われてたそうです。
    両国界隈はよく力士とすれ違います~。  閉じる

    投稿日:2015/09/14

  • 江戸時代の戯作者

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/06(約11年前)
    • 0

    JR両国駅の南、回向院の境内の左奥にこちらのお墓と説明板がある。平日午後、参拝客は数人で、こちらのお墓を見ている人はいなか...  続きを読むった。岩瀬京山は兄の山東京伝と同じく江戸時代の戯作者で、稗史小説、蜘蛛の糸巻等を執筆した。隣には、兄のお墓も並んでいる。特に岩瀬京山やこの界隈に関心や知識のある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2015/08/31

  • 塩のお供え

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    両国橋の回向院の境内に塩地蔵に参拝しました。古いお地蔵様とのことで、お顔は風化しています。 願い事が叶うと塩を供えるとのい...  続きを読むうのが由来とのことですが、今でも足元に塩の袋が供えられていました。同じ境内には、相撲関係の力塚や苗塚などがあります。  閉じる

    投稿日:2015/12/02

  • 金運アップの場所!!

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    JR両国駅から徒歩3分ほどの場所にある回向院さん、
    そちらの境内奥にある鼠小僧のお墓で、
    金運が上がると言われている事...  続きを読むから
    供養塔の前の石を削って持っていくと言いそうです、
    昔は供養塔自体が削られていたそうですが、
    現在は削る専用の石が置かれています。
    観光客の方もちらほら見かける場所で、
    さすがは有名な鼠小僧だなぁと思わせる場所です。  閉じる

    投稿日:2015/06/26

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
回向院
住所
  • 東京都墨田区両国2-8-10
電話番号
03-3634-7776
アクセス
JR総武線両国駅 徒歩 5分
その他
創建年代 江戸
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

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