達谷窟毘沙門堂
寺・神社・教会
3.54
達谷窟毘沙門堂 クチコミ・アクセス・周辺情報
平泉 観光 満足度ランキング 3位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
「達谷窟毘沙門堂」姫待不動堂の修復が終わった連絡を貰い、久しぶりに伺いました ♪
5.0
- 旅行時期 2025/10
- by Yukinoさん
801年(延暦20年)創建 中尊寺よりも古く、1200年以上の歴史があります。 征夷大将軍であった坂上田村麻呂... 続きを読むが、ここを拠点としていた悪路王を討伐した記念として建てた岩窟。懸崖造りの毘沙門堂は、火災のたびに建て直されてきたそうです。 岩にめり込んで見えるお堂は素晴らしく、毘沙門堂の中は撮影不可ですが、中に上がってお参りする事も可能ですし、最強御札「牛玉寳印」が数量限定ですが授かる事も出来ます。 窟の毘沙門様の牛玉寳印は、修正會(元日からハ日迄)に於て、廿一箇座の毘沙門天王供の他、仁王會 礼拜講 鬼儺會 初夜座 後夜座 結願牛玉法等の加持祈禱を經て出來上がる特製の護符(公式ホームページより) 今年祈願の「牛玉寶印(ごおうほういん)」の頒布は11月22日午後4時30分を以って終了という事でしたが、ギリギリ授かる事が出来ました。 平泉には、世界遺産にもなっている「中尊寺」や「毛越寺」などの観光名所がありますが、個人的には「達谷窟毘沙門堂」が大好きです。 大型観光もバスも来ないので、割と静かに見て回れます。 閉じる
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全108件中)
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高床式の不思議なお堂です
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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岩肌によくぞ造りました
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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坂上田村麻呂が毘沙門天を祀った
- 5.0
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
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お顔ははっきり
- 4.0
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
- 0
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磨崖仏もお見逃しなく
- 4.5
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
- 0
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風化が進んで,かなりの歴史を感じさせます。
- 3.5
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 1
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岩面大仏
- 3.5
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 1
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平泉から戻るとき毛越寺に有った周辺案内板で見つけて行って来ました。
- 4.5
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 1
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(達谷窟毘沙門堂) 朱塗りが鮮やかで、岩の下にあるので、中国の建物かと思ってしまいます
- 4.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
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(岩面大仏) 源義家が前九年後三年の役で亡くなった人達を供養するために岩に掘った大仏です
- 3.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
- 0
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「達谷窟毘沙門堂」まさしく自然と共存しているお堂!1度は見るべき場所♪
- 5.0
- 旅行時期:2020/04(約6年前)
- 0
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創建は坂上田村麿大将軍。
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 10
令和2年1月12日(日)に母と参拝。
毎年、鬼を払い福を呼ぶ効果のある最強のお札、牛玉寳印(ごおうほういん・お志1000... 続きを読む円)を頂きに参った次第。
拝観料400円を入り口の授与所で納めると、早速見えてくるのが、三基の鳥居。
壱の鳥居は江戸時代に建立、弐と参の鳥居は平成10年(1998)の再建で、本体と支え棒に屋根のかかった造り。
なんだか厳島神社(広島)の大鳥居をミニチュアにしたようなデザイン。
境内に辯天堂があり、厳島神社の御祭神の一柱である、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が神仏習合の世界では辯天様と御同体とされているからかなあ。
ともあれ参の鳥居をくぐると、縁起や田村信仰について詳しいパネルがあった。
それによると、時は第五十代・桓武天皇の御代。
悪路王らがこの窟に城を構え、良民を苦しめ、女子供をかすめる悪行三昧。
そこへ坂上田村麿大将軍が現れ、延暦20年(801)ついに、悪路王一味を征伐。
毘沙門天の御加護と感謝し、当地に清水寺を模したお堂を建立なさったのが始まりだとか。
蝦夷の英雄と呼ばれた「アテルイ」も朝廷側から見ればまあそりゃ朝敵だが、馬賊にも劣らん書かれようをされると憐れだなあ。
まあ、そのアテルイの除名嘆願をし、統治に活用しようとしたのが何を隠そう坂上大将軍なのだから、人格者であるには変わりなかろうに。
次に毘沙門堂の階(きざはし)を昇るために向かうと、その入り口に阿吽の狛犬が、こんなところにまで神仏混淆なり。
毘沙門堂の内部は撮影禁止なり。
内部の様子はとういうと、毘沙門さまが奥にずらっと鎮座しており、三十三間堂には劣るが、それに近い雰囲気。
真ん中らへんに目が白黒はっきりして眼力を感じる毘沙門さまが、右に顔が肌色の毘沙門さま、左に顔が黒い毘沙門さまが。
特に右の毘沙門さまは安置されてから日が浅いせいか色が艶やかで、「坂上大将軍もこのような方だったのかなあ、スーパーマンみたいだなあ」と思わずにはいられまいに。
祭壇の上部をみあげれば、ごつごつしたものが、ここが岩肌につくられたお堂だと言うことを思い知らされる。
昨年は毘沙門さまとお札のお蔭で無事に過ごせたことを感謝し、灯明(お志50円)を捧げる。
そのとなりには、参拝の目的である牛玉寳印が大量にストックされていた。
お志を納め、今年もお札を頂けたことに感謝。
このお札は、1月8日の大体14時以降に修正会の御祈祷が結願して以降頂ける。
11月末には御祈祷のため結界がはられて、頂けなくなるので注意が必要。
まあ、その前の9月ぐらいにストックは切れるらしいが。
また、遠方の方には郵送していただけるので、興味のある方は是非お札の霊験に授かれるといいですね。
最後にまとめて。
昭和21年に大火があって、毘沙門堂や辯天堂が焼失したので、昔ながらの建物は姫待不動堂(寛政元年・1789)や鐘楼(慶長20年・1615)くらいなものである。
しかしながら、何もない殺風景な境内にしないように工夫されており(手っ取り早い言い方をすれば元々あった毘沙門堂や辯天堂、金堂の再建)、その点のご苦労が忍ばるる。
閉じる投稿日:2020/01/12
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達谷窟境内にございます。
- 3.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 4
令和2年1月12日(日)午前9時45分に母とともに詣でる。
境内の順路に従うと、懸造(がけづくり)の毘沙門堂の次に見えて... 続きを読むくる。
前九年・後三年の役ののち、八幡太郎義家公(陸奥の国司)が馬上より弓弭(ゆはず・弓両端の弦をかけるところ)で彫ったとされる。
いやあ、同じ境内に坂上田村麿大将軍、八幡太郎義家公といった朝廷側で陸奥国を支配された方(安倍・清原両氏、蝦夷から見れば征服者なのだろうが)の遺構がこうして残っているとは、歴史ファンからしたら胸熱でしょうね。
元々胴体部分もあったのだが、明治29年(1896)の地震で崩落。
天台宗のテンプルで、禅の教えである「無常」を感じるとは、まさに平沼騏一郎ではないがいささか『複雑怪奇』な心境なり。
ふと、同じ天台宗である立石寺(山形市にあるご存知''山寺'')の弥陀洞みたいだなあとも思ったが、あれは何もなさそうな岩から佛を見いだすような感じだが、これはくっきり顔面がわかるのである。
これなら、「岩面大仏」ならぬ「顔面大仏」でも違和感なしかな。
最後に参拝して面白いなと感じたことを一つ。
お賽銭をお賽銭箱に投げ入れると、チリーンとお輪(おりん)のような音がきこえる。
ここら辺では珍しい仕掛けで、ついついお賽銭を奮発しそうであるし、御寺、参拝者双方winwinな仕掛けか。
閉じる投稿日:2020/01/12
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壁に仏像の顔
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
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不思議なお寺
- 3.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 1
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微妙だけど
- 2.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 1
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岩のへこみに造られた、赤いお堂
- 3.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 1
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岩穴を利用して作られたお堂
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 0
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岩に浮かびあがる大仏様
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 1
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平泉の観光スポット
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 0
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