達谷窟境内にございます。
- 3.5
- 旅行時期:2020/01(約4年前)
-
by 毛利慎太朗さん(男性)
平泉 クチコミ:8件
令和2年1月12日(日)午前9時45分に母とともに詣でる。
境内の順路に従うと、懸造(がけづくり)の毘沙門堂の次に見えてくる。
前九年・後三年の役ののち、八幡太郎義家公(陸奥の国司)が馬上より弓弭(ゆはず・弓両端の弦をかけるところ)で彫ったとされる。
いやあ、同じ境内に坂上田村麿大将軍、八幡太郎義家公といった朝廷側で陸奥国を支配された方(安倍・清原両氏、蝦夷から見れば征服者なのだろうが)の遺構がこうして残っているとは、歴史ファンからしたら胸熱でしょうね。
元々胴体部分もあったのだが、明治29年(1896)の地震で崩落。
天台宗のテンプルで、禅の教えである「無常」を感じるとは、まさに平沼騏一郎ではないがいささか『複雑怪奇』な心境なり。
ふと、同じ天台宗である立石寺(山形市にあるご存知''山寺'')の弥陀洞みたいだなあとも思ったが、あれは何もなさそうな岩から佛を見いだすような感じだが、これはくっきり顔面がわかるのである。
これなら、「岩面大仏」ならぬ「顔面大仏」でも違和感なしかな。
最後に参拝して面白いなと感じたことを一つ。
お賽銭をお賽銭箱に投げ入れると、チリーンとお輪(おりん)のような音がきこえる。
ここら辺では珍しい仕掛けで、ついついお賽銭を奮発しそうであるし、御寺、参拝者双方winwinな仕掛けか。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 冬場はバス一往復しかとまらない。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 落ち着いて参拝できる
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 胴体が残っていたら、さぞかし見ごたえあり。オーラはある。
クチコミ投稿日:2020/01/12
いいね!:4票