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山陰の名所巡りです。兵庫県の豊岡にある、柱状節理で有名な玄武洞紹介の締め括りです。ダイナミックな柱状節理の光景は、見飽きることがありませんでした。(ウィキペディア・その他)

2017夏、兵庫と島根の名所(4/15):7月23日(4):玄武洞(4):不動明王、青龍洞、節理

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2017/07/23 - 2017/07/24

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旅行記グループ 2017夏、山陰の名所巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

山陰の名所巡りです。兵庫県の豊岡にある、柱状節理で有名な玄武洞紹介の締め括りです。ダイナミックな柱状節理の光景は、見飽きることがありませんでした。(ウィキペディア・その他)

交通手段
観光バス

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  • もう一度見学した、『玄武洞』の光景です。5箇所の内で最も規模の大きい、柱状節理の玄武岩の採掘跡が残った場所です。『灘石』や『六角石』とも呼ばれる柱状節理の玄武岩は、今は採石禁止ですから、貴重な石材も使用はできないようです。(同上)

    もう一度見学した、『玄武洞』の光景です。5箇所の内で最も規模の大きい、柱状節理の玄武岩の採掘跡が残った場所です。『灘石』や『六角石』とも呼ばれる柱状節理の玄武岩は、今は採石禁止ですから、貴重な石材も使用はできないようです。(同上)

  • 玄武洞の採石坑跡のズームアップ光景です。ほぼ垂直に柱状節理が形成されていますから、かつての溶岩流の中心部は、この上部か、あるいは下部にあったようです。(同上)

    玄武洞の採石坑跡のズームアップ光景です。ほぼ垂直に柱状節理が形成されていますから、かつての溶岩流の中心部は、この上部か、あるいは下部にあったようです。(同上)

  • 石標を紹介して、『玄武洞』の紹介はおしまいです。最後での紹介になりましたが、玄武洞の岩石の正式名称は、『第四紀更新世のアルカリかんらん石玄武岩』です。『第4紀』は、地質時代の一つで、258万8000年前から現在までの期間、『更新世』は、258万8000年前から約1万年前までの期間です。現在は第4紀完新世で、かつての沖積世とほぼ同義とされます。(同上)

    石標を紹介して、『玄武洞』の紹介はおしまいです。最後での紹介になりましたが、玄武洞の岩石の正式名称は、『第四紀更新世のアルカリかんらん石玄武岩』です。『第4紀』は、地質時代の一つで、258万8000年前から現在までの期間、『更新世』は、258万8000年前から約1万年前までの期間です。現在は第4紀完新世で、かつての沖積世とほぼ同義とされます。(同上)

  • 『玄武洞』の脇にあった、『玄武洞不動明王』の小さな社の光景です。『成田不動尊』の文字が記された赤い幟もありました。不動明王は大日如来の化身とも言われ、五大明王の中心とされます。(同上)

    『玄武洞』の脇にあった、『玄武洞不動明王』の小さな社の光景です。『成田不動尊』の文字が記された赤い幟もありました。不動明王は大日如来の化身とも言われ、五大明王の中心とされます。(同上)

  • 地元の赤石区の方達が設置された、『玄武洞不動明王』への讃文です。前文は省いて、『公園を訪れるすべての人の幸せと人類平和と諸所の願い事は必ずや玄武不動明王の加護のもと、ご利益を授かるものなり 合掌』といった内容です。(同上)

    地元の赤石区の方達が設置された、『玄武洞不動明王』への讃文です。前文は省いて、『公園を訪れるすべての人の幸せと人類平和と諸所の願い事は必ずや玄武不動明王の加護のもと、ご利益を授かるものなり 合掌』といった内容です。(同上)

  • 『玄武洞不動明王』の小さな社の屋根のズームアップ光景です。小さいながらも、丁寧に、そして繊細に彫刻された木造の社でした。(同上)

    『玄武洞不動明王』の小さな社の屋根のズームアップ光景です。小さいながらも、丁寧に、そして繊細に彫刻された木造の社でした。(同上)

  • 『玄武洞の溶岩を造った火山』のタイトルがあった説明看板です。今から300万年~1万年前頃、但馬地方では盛んな噴火活動があったと想定されていて、玄武洞の溶岩は60万年前の火山活動と解説されていました。円山川を挟んで玄武岩質の地層があり、広範に亘る火山活動があったようです。おそらく地形も変わり、活動中心の火山の場所は特定されていません。(同上)

    『玄武洞の溶岩を造った火山』のタイトルがあった説明看板です。今から300万年~1万年前頃、但馬地方では盛んな噴火活動があったと想定されていて、玄武洞の溶岩は60万年前の火山活動と解説されていました。円山川を挟んで玄武岩質の地層があり、広範に亘る火山活動があったようです。おそらく地形も変わり、活動中心の火山の場所は特定されていません。(同上)

  • 『柱状節理の美しい青龍洞』のタイトルがあった説明看板です。柱状節理は、溶岩が冷えていく過程で、溶岩の中心に向かって形成されると説明されていました。また板状節理は、最後の段階で溶岩の中心部にできるとも説明されていました。(同上)

    『柱状節理の美しい青龍洞』のタイトルがあった説明看板です。柱状節理は、溶岩が冷えていく過程で、溶岩の中心に向かって形成されると説明されていました。また板状節理は、最後の段階で溶岩の中心部にできるとも説明されていました。(同上)

  • 柱状節理が美しいとされる『青龍洞』の紹介です。青龍洞は、龍の昇る姿に似ていることから命名されました。洞の高さは33メートルに及び、玄武洞の中では最も長い節理が形成されています。(同上)

    柱状節理が美しいとされる『青龍洞』の紹介です。青龍洞は、龍の昇る姿に似ていることから命名されました。洞の高さは33メートルに及び、玄武洞の中では最も長い節理が形成されています。(同上)

  • 同じく、玄武洞の中では最も柱状節理が美しいとされる『青龍洞』の下部付近の紹介です。周りの窪地には、池が形成されていました。まっすぐに伸びた柱状節理や、ダイナミックに褶曲した柱状節理が組み合わさった光景です。(同上)

    イチオシ

    同じく、玄武洞の中では最も柱状節理が美しいとされる『青龍洞』の下部付近の紹介です。周りの窪地には、池が形成されていました。まっすぐに伸びた柱状節理や、ダイナミックに褶曲した柱状節理が組み合わさった光景です。(同上)

  • 柱状節理の中間部分のズームアップ光景です。壁に切り揃えたような段差ができているのは、採石作業が行われたためのようでした。柱状節理を観察するには、またとない景観となっていました。(同上)

    柱状節理の中間部分のズームアップ光景です。壁に切り揃えたような段差ができているのは、採石作業が行われたためのようでした。柱状節理を観察するには、またとない景観となっていました。(同上)

  • 上部から下部にかけて、右側に褶曲した柱状節理のズームアップ光景です。右側には、人工的に切り取られたような柱状節理の断面が見えていました。長い年月が経ち、その周りに草木が生えてきたようです。(同上)

    上部から下部にかけて、右側に褶曲した柱状節理のズームアップ光景です。右側には、人工的に切り取られたような柱状節理の断面が見えていました。長い年月が経ち、その周りに草木が生えてきたようです。(同上)

  • 更にズームアップした、同じ場所の光景です。夥しい数の柱状節理が切り取られた跡がありました。人工の景色でしょうが、これも見所でした。(同上)

    更にズームアップした、同じ場所の光景です。夥しい数の柱状節理が切り取られた跡がありました。人工の景色でしょうが、これも見所でした。(同上)

  • 池の淵に立てられた『青龍洞』の石標の光景です。澄んだ池の水面に、柱状節理の壁が写り込んでいました。(同上)

    池の淵に立てられた『青龍洞』の石標の光景です。澄んだ池の水面に、柱状節理の壁が写り込んでいました。(同上)

  • 『青龍洞』の柱状節理の中心部分のズームアップ光景です。柱状節理が作り出す曲線や直線を見ますと、そのまま、かつての溶岩流を連想してしまいそうですが、冷えて固まる時に中心部に向かってできる柱状節理ですから、溶岩流の方向に対しては、むしろ直角方向にできた文様のようです。(同上)

    『青龍洞』の柱状節理の中心部分のズームアップ光景です。柱状節理が作り出す曲線や直線を見ますと、そのまま、かつての溶岩流を連想してしまいそうですが、冷えて固まる時に中心部に向かってできる柱状節理ですから、溶岩流の方向に対しては、むしろ直角方向にできた文様のようです。(同上)

  • 更にズームアップした、柱状節理の中心部分の光景です。柱状節理や板状節理は火山岩、方状節理は深成岩である花崗岩によく見られるようです。秋田県筑紫森岩脈の柱状節理は流紋岩、福井県東尋坊の柱状節理は安山岩、福岡県芥屋大門の柱状節理は玄武岩とされます。(同上)

    更にズームアップした、柱状節理の中心部分の光景です。柱状節理や板状節理は火山岩、方状節理は深成岩である花崗岩によく見られるようです。秋田県筑紫森岩脈の柱状節理は流紋岩、福井県東尋坊の柱状節理は安山岩、福岡県芥屋大門の柱状節理は玄武岩とされます。(同上)

  • 迫力たっぷりな、『青龍洞』の柱状節理の光景です。玄武洞は、1929年(昭和4年)に松山基範が玄武洞の岩石から世界に先駆けて地磁気の逆転を発見した場所です。地磁気のN極とS極が今と反対の時期があったというこの考えは、発表当時はほとんど無視されたようです。その後、1960年代になって広く認められ、第四紀の逆転期には『松山逆磁極期』という名が付けられました。この地磁気逆転の事実は、プレートテクトニクス説の成立に大きく寄与しました。(同上)

    イチオシ

    迫力たっぷりな、『青龍洞』の柱状節理の光景です。玄武洞は、1929年(昭和4年)に松山基範が玄武洞の岩石から世界に先駆けて地磁気の逆転を発見した場所です。地磁気のN極とS極が今と反対の時期があったというこの考えは、発表当時はほとんど無視されたようです。その後、1960年代になって広く認められ、第四紀の逆転期には『松山逆磁極期』という名が付けられました。この地磁気逆転の事実は、プレートテクトニクス説の成立に大きく寄与しました。(同上)

  • 人工的に切り取られた柱状節理の跡が残る部分のズームアップ光景です。表面を剥ぎ取って、柱状節理の内部を見せてくれたような場所でした。(同上)

    人工的に切り取られた柱状節理の跡が残る部分のズームアップ光景です。表面を剥ぎ取って、柱状節理の内部を見せてくれたような場所でした。(同上)

  • 『青龍洞』の柱状節理の天井光景です。この光景を見ますと、モスクなどのイスラム建築のムカルナスと呼ばれる装飾を連想してしまいます。ムカルナスは、小さな尖った窪みが層を成して繰り返される形式で、煉瓦、石、漆喰、木などで作られます。『鍾乳石飾り』とも呼ばれます。(同上)

    『青龍洞』の柱状節理の天井光景です。この光景を見ますと、モスクなどのイスラム建築のムカルナスと呼ばれる装飾を連想してしまいます。ムカルナスは、小さな尖った窪みが層を成して繰り返される形式で、煉瓦、石、漆喰、木などで作られます。『鍾乳石飾り』とも呼ばれます。(同上)

  • 少し離れた場所から眺めた、『青龍洞』の光景です。多くの採石坑跡が残った『玄武洞』の光景も見飽きませんでしたが、ダイナミックは柱状節理と、それを写し込んだ池があった、こちらの光景も興味が尽きませんでした。(同上)

    少し離れた場所から眺めた、『青龍洞』の光景です。多くの採石坑跡が残った『玄武洞』の光景も見飽きませんでしたが、ダイナミックは柱状節理と、それを写し込んだ池があった、こちらの光景も興味が尽きませんでした。(同上)

  • 草木の緑が多いのは、岩石だけでなく、土砂もあるためでしょうか、平らな部分に生えた蔓草が、下に向かって茎を垂下げているようでした。かつての溶岩流の端の方のようにも見えました。(同上)

    草木の緑が多いのは、岩石だけでなく、土砂もあるためでしょうか、平らな部分に生えた蔓草が、下に向かって茎を垂下げているようでした。かつての溶岩流の端の方のようにも見えました。(同上)

  • 『山陰海岸ジオパーク』の名前で立てられた『青龍洞と人々の暮らし』と題した説明パネルです。『玄武洞』での採石が明治44年に禁止され、その後大正14年までは『青龍洞』で玄武岩の採石が行われていたようです。ジオパークの活動は2000年(平成12年)に欧州で始まり、2015年(平成27年)にはユネスコの正式事業として認定されました。日本にある世界ジオパークは8箇所です。(同上)

    『山陰海岸ジオパーク』の名前で立てられた『青龍洞と人々の暮らし』と題した説明パネルです。『玄武洞』での採石が明治44年に禁止され、その後大正14年までは『青龍洞』で玄武岩の採石が行われていたようです。ジオパークの活動は2000年(平成12年)に欧州で始まり、2015年(平成27年)にはユネスコの正式事業として認定されました。日本にある世界ジオパークは8箇所です。(同上)

  • 『玄武洞公園』のタイトルがあった、イラストで描かれた観光案内の平面図です。立寄りませんでしたが、円山川に面した場所には、玄武洞ミュージアムがありました。(同上)

    『玄武洞公園』のタイトルがあった、イラストで描かれた観光案内の平面図です。立寄りませんでしたが、円山川に面した場所には、玄武洞ミュージアムがありました。(同上)

  • 木々の間から眺めた、円山川方面の光景です。噴火活動が活発だったとされる、第四紀更新世の頃には、この川などは観覧に溶岩流が乗り換えてきたようです。あるいは、火山活動が収まった後で出来た川かも知れません。(同上)

    木々の間から眺めた、円山川方面の光景です。噴火活動が活発だったとされる、第四紀更新世の頃には、この川などは観覧に溶岩流が乗り換えてきたようです。あるいは、火山活動が収まった後で出来た川かも知れません。(同上)

  • コウノトリの紹介写真です。『コウノトリの郷公園』が提供した写真と付記されていました。兵庫県立のこの公園は、国の特別天然記念物コウノトリを保護増殖し、野生復帰を実践する研究機関として、1999年に開園しました。今回の旅行では、運良く、車窓からコウノトリを1羽見ることができました。田んぼの畔に舞い降りる時の姿でしたが、羽の黒い部分と黒い嘴が印象に残りました。すぐ近くにシラサギ(ダイサギ?)がいましたが、それより一回り大きな体でした。残念ながら、写真に収める余裕はありませんでした。ダイサギよりアオサギが大きく、さらに大きいのがコウノトリです。(同上)

    コウノトリの紹介写真です。『コウノトリの郷公園』が提供した写真と付記されていました。兵庫県立のこの公園は、国の特別天然記念物コウノトリを保護増殖し、野生復帰を実践する研究機関として、1999年に開園しました。今回の旅行では、運良く、車窓からコウノトリを1羽見ることができました。田んぼの畔に舞い降りる時の姿でしたが、羽の黒い部分と黒い嘴が印象に残りました。すぐ近くにシラサギ(ダイサギ?)がいましたが、それより一回り大きな体でした。残念ながら、写真に収める余裕はありませんでした。ダイサギよりアオサギが大きく、さらに大きいのがコウノトリです。(同上)

  • 『青龍洞』の見学を終え、『玄武洞』方面に戻る途中の光景です。玄武洞の柱状節理が形成されたのが約160万年前、周りの土が流され、再び地表に姿を現したのが6000年前頃とされます。それをいま目にすることが出来るのも、不思議な縁です。(同上)

    『青龍洞』の見学を終え、『玄武洞』方面に戻る途中の光景です。玄武洞の柱状節理が形成されたのが約160万年前、周りの土が流され、再び地表に姿を現したのが6000年前頃とされます。それをいま目にすることが出来るのも、不思議な縁です。(同上)

  • 同じく、『青龍洞』の見学を終え、『原簿同』方面に戻る途中の光景です。『玄武洞』の場所まで戻らなくても、休憩所に向かう近道がありましたので、その道を下ることにしました。(同上)

    同じく、『青龍洞』の見学を終え、『原簿同』方面に戻る途中の光景です。『玄武洞』の場所まで戻らなくても、休憩所に向かう近道がありましたので、その道を下ることにしました。(同上)

  • 『玄武岩(火山岩)』のタイトルがあった標本石です。兵庫県豊岡市赤石で採取されたグレー色の標本石です。推測になりますが、『赤石』の地名は、火山岩の赤い色が関係しているかも知れません。(同上)

    『玄武岩(火山岩)』のタイトルがあった標本石です。兵庫県豊岡市赤石で採取されたグレー色の標本石です。推測になりますが、『赤石』の地名は、火山岩の赤い色が関係しているかも知れません。(同上)

  • 『火山岩(玄武岩のスコリア)』のタイトルがあった標本石です。兵庫県豊岡市日高町で採取された赤っぽい色の標本石です。神鍋山噴火によるものです。スコリアは、火山噴出物の一種で、塊状で多孔質のもののうち暗色のものです。岩滓(がんさい)とも呼ばれ、おおよそガラス質です。(同上)

    『火山岩(玄武岩のスコリア)』のタイトルがあった標本石です。兵庫県豊岡市日高町で採取された赤っぽい色の標本石です。神鍋山噴火によるものです。スコリアは、火山噴出物の一種で、塊状で多孔質のもののうち暗色のものです。岩滓(がんさい)とも呼ばれ、おおよそガラス質です。(同上)

  • 『火山岩(玄武岩のスコリア)』のタイトルがあった標本石です。兵庫県豊岡市日高町で採取された、赤っぽい色や軽石風の標本石です。これで、玄武洞の紹介はおしまいです。(同上)

    『火山岩(玄武岩のスコリア)』のタイトルがあった標本石です。兵庫県豊岡市日高町で採取された、赤っぽい色や軽石風の標本石です。これで、玄武洞の紹介はおしまいです。(同上)

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