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兵庫県を中心にした山陰の名所巡りです。出石は、『古事記』、『日本書紀』にも登場する歴史の古い町です 新羅の王子・天日槍が、垂仁天皇3年に渡来してこの地を拓いたと伝えられ、町名も、天日槍の宝物である『出石小刀』に因むとされます。(ウィキペディア・その他)

2017夏、兵庫と島根の名所(11/15):7月24日(4):出石城下町(2):下の丸、本丸西隅櫓

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2017/07/23 - 2017/07/24

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旅行記グループ 2017夏、山陰の名所巡り

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旅人のくまさん

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兵庫県を中心にした山陰の名所巡りです。出石は、『古事記』、『日本書紀』にも登場する歴史の古い町です 新羅の王子・天日槍が、垂仁天皇3年に渡来してこの地を拓いたと伝えられ、町名も、天日槍の宝物である『出石小刀』に因むとされます。(ウィキペディア・その他)

交通手段
観光バス
  • 出石蕎麦の昼食の後、1時間少し自由時間となりました。その時間を利用しての出石城址と城下町の自由散策です。最初に出石城址に向かいました。昼食のお店から至近の場所でした。出石城は、戦国時代から江戸時代にかけての城造りの名人の一人、藤堂高虎が天正11年(1583年)に手掛けました。記録に残る中では彼の手掛けた最初の城です。(同上)

    出石蕎麦の昼食の後、1時間少し自由時間となりました。その時間を利用しての出石城址と城下町の自由散策です。最初に出石城址に向かいました。昼食のお店から至近の場所でした。出石城は、戦国時代から江戸時代にかけての城造りの名人の一人、藤堂高虎が天正11年(1583年)に手掛けました。記録に残る中では彼の手掛けた最初の城です。(同上)

  • 先ほど見えていたのは、出石城址の本丸西隅櫓です。その一部がまだ見えています。出石城址に向かう途中、最初に目にしたのは、石垣工事中と、公園整備中の看板でした。出石城址と、その前の本磁路の有子山城は、2017年4月二続日本百名城の162番に選ばれました。公式的には、慶長9年(1604年)、小出吉英が有子山城を廃城して山麓に築いた城とされています。(同上)

    先ほど見えていたのは、出石城址の本丸西隅櫓です。その一部がまだ見えています。出石城址に向かう途中、最初に目にしたのは、石垣工事中と、公園整備中の看板でした。出石城址と、その前の本磁路の有子山城は、2017年4月二続日本百名城の162番に選ばれました。公式的には、慶長9年(1604年)、小出吉英が有子山城を廃城して山麓に築いた城とされています。(同上)

  • 石垣の間から茎を伸ばした野草の姿がありましたが、石垣そのものは、補修されて間もないようでした。平らになるよう表面加工をして、詰石がありますから、『打込み接ぎ』の石垣です。横並びの線が揃っていませんから、布積ではなく乱積でした。(同上)

    石垣の間から茎を伸ばした野草の姿がありましたが、石垣そのものは、補修されて間もないようでした。平らになるよう表面加工をして、詰石がありますから、『打込み接ぎ』の石垣です。横並びの線が揃っていませんから、布積ではなく乱積でした。(同上)

  • 石垣に向かって、右手奥に石段がありましたからその場所から入場しようと思いましたが、石垣工事中のためらしく、通行禁止になっていました。石段の右側の石垣は、補修されたばかりらしく、コーナー部分は綺麗な算木積になっていました。かつての縄張り図を参照しますと、石段の通路を挟んだ右側(南側)が『本丸』、左側(北側)が『二ノ丸』になります。(同上)

    石垣に向かって、右手奥に石段がありましたからその場所から入場しようと思いましたが、石垣工事中のためらしく、通行禁止になっていました。石段の右側の石垣は、補修されたばかりらしく、コーナー部分は綺麗な算木積になっていました。かつての縄張り図を参照しますと、石段の通路を挟んだ右側(南側)が『本丸』、左側(北側)が『二ノ丸』になります。(同上)

  • 石垣の補修対象になっているらしい、かつての『二の丸』に西側を守った石垣です。石垣の間から野草だけでなく、灌木も幹を伸ばしていました。(同上)

    石垣の補修対象になっているらしい、かつての『二の丸』に西側を守った石垣です。石垣の間から野草だけでなく、灌木も幹を伸ばしていました。(同上)

  • 北方向を上にして描かれた、出石城址が中央下部になる『城下町案内図』です。図の中央付近に辰鼓楼があり、この場所がかつての大手門だったようです。堀と川で囲まれていた辰鼓楼があったエリアが、『三の丸』です。(同上)

    北方向を上にして描かれた、出石城址が中央下部になる『城下町案内図』です。図の中央付近に辰鼓楼があり、この場所がかつての大手門だったようです。堀と川で囲まれていた辰鼓楼があったエリアが、『三の丸』です。(同上)

  • 左手の谷山川に架かった太鼓橋が『登城橋』、川を挟んだ左側(北側)が、かつての『三の丸』、右手に見える石垣の先(南側)が、かつての『下の丸』です。太鼓橋の先には、これから紹介する『登城門』があります。(同上)

    左手の谷山川に架かった太鼓橋が『登城橋』、川を挟んだ左側(北側)が、かつての『三の丸』、右手に見える石垣の先(南側)が、かつての『下の丸』です。太鼓橋の先には、これから紹介する『登城門』があります。(同上)

  • かつての『下の丸』の南側を守った石垣のズームアップ光景です。補修されて間もないらしい雰囲気がありました。野面積に近い『打込み接ぎ』のようです。多少、表面は揃っていましたが、自然石をそのまま使った部分もありました。(同上)

    かつての『下の丸』の南側を守った石垣のズームアップ光景です。補修されて間もないらしい雰囲気がありました。野面積に近い『打込み接ぎ』のようです。多少、表面は揃っていましたが、自然石をそのまま使った部分もありました。(同上)

  • かつての『三の丸』から『登城橋』を渡った先にある、『登城門』の光景です。門を潜った先が、かつての『下の丸』になります。(同上)

    かつての『三の丸』から『登城橋』を渡った先にある、『登城門』の光景です。門を潜った先が、かつての『下の丸』になります。(同上)

  • 『出石城登城門』の文字が記された大きな表札の光景です。門の先には、南に向かって登りになった石段があり、その先に本丸西隅櫓が見えていました。(同上)

    『出石城登城門』の文字が記された大きな表札の光景です。門の先には、南に向かって登りになった石段があり、その先に本丸西隅櫓が見えていました。(同上)

  • 正面の石垣は、『二の丸』の西南角になります。右奥に見えているのが、再建された『本丸西隅櫓』です。石垣の補修工事のため、この方角は立入りが制限されていました。(同上)

    正面の石垣は、『二の丸』の西南角になります。右奥に見えているのが、再建された『本丸西隅櫓』です。石垣の補修工事のため、この方角は立入りが制限されていました。(同上)

  • 写真を撮影している場所が『下の丸』、手前の石垣があるエリアが『二の丸』、中央奥に隅櫓が建つエリアが『本丸』です。本丸の隅櫓は『本丸西隅櫓』と呼ばれています。天守は築かれなかったとされます。(同上)

    写真を撮影している場所が『下の丸』、手前の石垣があるエリアが『二の丸』、中央奥に隅櫓が建つエリアが『本丸』です。本丸の隅櫓は『本丸西隅櫓』と呼ばれています。天守は築かれなかったとされます。(同上)

  • 『下の丸』に面した、『二の丸』の石垣のズームアップ光景です。『二の丸』の西面に位置する石垣です。『打込み接ぎ』で積まれた石垣です。(同上)

    『下の丸』に面した、『二の丸』の石垣のズームアップ光景です。『二の丸』の西面に位置する石垣です。『打込み接ぎ』で積まれた石垣です。(同上)

  • 『下の丸』から眺めた、『本丸西隅櫓』の光景です。東隅櫓と西隅櫓は、1968年(昭和43年)に模擬復元されました。(同上)

    『下の丸』から眺めた、『本丸西隅櫓』の光景です。東隅櫓と西隅櫓は、1968年(昭和43年)に模擬復元されました。(同上)

  • 少しだけズームアップした、『本丸西隅櫓』の光景です。模擬復元された隅櫓ですが、石垣の規模などにもマッチしているようでした。本丸には、天守は築かれなかったようです。(同上)

    少しだけズームアップした、『本丸西隅櫓』の光景です。模擬復元された隅櫓ですが、石垣の規模などにもマッチしているようでした。本丸には、天守は築かれなかったようです。(同上)

  • 『二の丸址』の石標の光景です。平成7年(1995年)、出石市観光協会により建てられたものです。前方に見える石垣は、本丸の北面を守る石垣です。(同上)

    『二の丸址』の石標の光景です。平成7年(1995年)、出石市観光協会により建てられたものです。前方に見える石垣は、本丸の北面を守る石垣です。(同上)

  • 整地され芝生が張られた『二の丸址』にあった樹木の光景です。視界を遮るものがなく、出石城下町を眺望することができました。かつては、長塀か多門櫓があったらしい場所には、縁取りに低い樹木が植え込まれていました。(同上)

    イチオシ

    整地され芝生が張られた『二の丸址』にあった樹木の光景です。視界を遮るものがなく、出石城下町を眺望することができました。かつては、長塀か多門櫓があったらしい場所には、縁取りに低い樹木が植え込まれていました。(同上)

  • 北側から眺めた、『本丸西隅櫓』の光景です。手前の木立が視界を少し遮っていましたが、そのことが、かえって模擬櫓であることを軽減するような、景観アップに役立っていました。(同上)

    イチオシ

    北側から眺めた、『本丸西隅櫓』の光景です。手前の木立が視界を少し遮っていましたが、そのことが、かえって模擬櫓であることを軽減するような、景観アップに役立っていました。(同上)

  • 二の丸から眺めた南側方面の光景です。本丸を囲む石垣の上に、白い長塀が続いていました。この長塀も隅櫓と一緒に模擬再建されたようです。はっきりとは確認しませんでしたが、多門櫓ではないようです。(同上)<br />(追記)本丸の内側から眺めた写真で確認することができましたが、多門櫓ではなく、長塀でした。

    二の丸から眺めた南側方面の光景です。本丸を囲む石垣の上に、白い長塀が続いていました。この長塀も隅櫓と一緒に模擬再建されたようです。はっきりとは確認しませんでしたが、多門櫓ではないようです。(同上)
    (追記)本丸の内側から眺めた写真で確認することができましたが、多門櫓ではなく、長塀でした。

  • 木々の間から見えてきた、二つ目の本丸の隅櫓です。こちらは、『本丸東隅櫓』と呼ばれています。本丸には天守は築かれていませんが、本丸御殿はあったようです。(同上)

    木々の間から見えてきた、二つ目の本丸の隅櫓です。こちらは、『本丸東隅櫓』と呼ばれています。本丸には天守は築かれていませんが、本丸御殿はあったようです。(同上)

  • 『二の丸址』の光景です。この辺りは芝生だけでなく、樹木が多く育っていました。植樹されたばかりの桜の幼木の姿もありました。桜のほかには楓の樹が多かったようです。(同上)

    『二の丸址』の光景です。この辺りは芝生だけでなく、樹木が多く育っていました。植樹されたばかりの桜の幼木の姿もありました。桜のほかには楓の樹が多かったようです。(同上)

  • 現地での標示はありませんでしたが、『二の丸庭園跡』らしい光景です。二の丸エリアの東南角付近、本丸に近い場所にありました。(同上)

    現地での標示はありませんでしたが、『二の丸庭園跡』らしい光景です。二の丸エリアの東南角付近、本丸に近い場所にありました。(同上)

  • 木々の間から顔を出した、『本丸東南櫓』の光景です。櫓の南面になります。1階には、二の丸に向けた唐風の屋根がありました。(同上)

    木々の間から顔を出した、『本丸東南櫓』の光景です。櫓の南面になります。1階には、二の丸に向けた唐風の屋根がありました。(同上)

  • 一瞬、本丸からの秘密の脱出口のようにも見えましたが、周りを確かめますと、石垣の下に設けられた排水溝のようでした。それでも、少し気になる造りです。(同上)

    一瞬、本丸からの秘密の脱出口のようにも見えましたが、周りを確かめますと、石垣の下に設けられた排水溝のようでした。それでも、少し気になる造りです。(同上)

  • 出石城址でひときわ目立つのが紅い鳥居列の光景です。本丸の東側を抜けてさらに上まで続いていました。本丸より更に高い場所にある、稲荷丸への登り口になります。(同上)

    イチオシ

    出石城址でひときわ目立つのが紅い鳥居列の光景です。本丸の東側を抜けてさらに上まで続いていました。本丸より更に高い場所にある、稲荷丸への登り口になります。(同上)

  • 横から眺めた、稲荷丸への石段の光景です。出石城は、一番北に位置する三の丸から南に向かって、下の丸、二の丸、本丸と続き、更にその上に稲荷丸が位置する不思議な縄張りです。(同上)

    横から眺めた、稲荷丸への石段の光景です。出石城は、一番北に位置する三の丸から南に向かって、下の丸、二の丸、本丸と続き、更にその上に稲荷丸が位置する不思議な縄張りです。(同上)

  • 最初は稲荷丸まで登ってみようとも思いましたが、この後も城下町で見たい場所もあり、時間の都合で諦めました。最初は登ろうと思っていた赤い鳥居の石段光景です。先が見えなくなるほど続いていました。(同上)

    最初は稲荷丸まで登ってみようとも思いましたが、この後も城下町で見たい場所もあり、時間の都合で諦めました。最初は登ろうと思っていた赤い鳥居の石段光景です。先が見えなくなるほど続いていました。(同上)

  • 稲荷丸への登り口になる赤鳥居より東側にあった石垣の光景です。算木積などに堆積を使い、なかなか立派な造りです。古地図などから推定された縄張り図の一つには、鳥居通りを挟んで、稲荷丸、本丸、二の丸に対応した東側に石垣等が記されているものがありました。この石垣は二の丸に対応する位置のようです。(同上)

    稲荷丸への登り口になる赤鳥居より東側にあった石垣の光景です。算木積などに堆積を使い、なかなか立派な造りです。古地図などから推定された縄張り図の一つには、鳥居通りを挟んで、稲荷丸、本丸、二の丸に対応した東側に石垣等が記されているものがありました。この石垣は二の丸に対応する位置のようです。(同上)

  • 何度か振り返って撮影した、赤鳥居列の光景です。見学はできませんでしたが、ネット写真で、稲荷丸にある神社も確認しておきました。(同上)

    何度か振り返って撮影した、赤鳥居列の光景です。見学はできませんでしたが、ネット写真で、稲荷丸にある神社も確認しておきました。(同上)

  • こちらの石垣は、赤い鳥居の通りの西側に位置していました。かなりの急斜面に積まれた石垣です。二の丸の東北角当たりになるようです。古地図には、本丸と同様、2箇所に隅櫓が記されているようです。櫓があったとしたら、二の丸東北隅櫓になるようです。(同上)

    こちらの石垣は、赤い鳥居の通りの西側に位置していました。かなりの急斜面に積まれた石垣です。二の丸の東北角当たりになるようです。古地図には、本丸と同様、2箇所に隅櫓が記されているようです。櫓があったとしたら、二の丸東北隅櫓になるようです。(同上)

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2017夏、山陰の名所巡り

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