2016/03/16 - 2016/03/19
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カメちゃんさん
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愛知県から、新幹線ではるばる鹿児島まで来たのはよいけど、そうやってきた時に限って時間の流れというのは早いんですね。
誰かが、どこかで、鹿児島の時計を早回ししているんではないか?なんて疑いたくなりますよ。
見どころのたくさんある鹿児島に来るには、日の長い5月中頃に来るのが良いかもと思いました。
今日は新幹線に乗る前の僅かな時間に、「西郷隆盛洞窟」と言われるところを見に行こうと思っています。ホテルから歩いて15分くらいとのことですので、休み休み行けば何とか行けるでしょう。
鹿児島と言えば黒豚と桜島と、西郷さんですからね。
西郷さんが立てこもった洞窟とはどんなものなのか?鹿児島へ来たなら必見というものです。
もう一つのポイントである桜島へ行く暇はありませんでした。
私は半世紀ほど前に「定期観光バス」を利用して行ったことがあるのですけど、当家のカミさんはまだ桜島に行ったことがないのです。
未だに噴煙を吐いている桜島。ちょっと心配ですけど、次回こそはカミさんを連れて行きたいと思います。
鹿児島の印象を一言だけ言いますと、「観光だけでは終わらない」と言うことです。ギリシャとかローマのように、出来ればもういっぺん行って、もうちょっと探ってみたくなるんですね。
そういう点では、鹿児島は「面白いところ」だと思いますよ〜(^O^)
写真は西郷隆盛洞窟です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「おかあさん 美味しい?」
最終日の朝食となりました。
3泊4日の旅というのは、近いところであればまぁまぁ十分な日程ですけど、豊田市から鹿児島までの長距離の旅では、前後を移動時間に取られてしまいますから、実質的に使える時間は2日間のみ(=_=) やっぱり鹿児島まで来たら4泊はしたいですね。
43年前に鹿児島県へ来た時は、往復には寝台特急を使いました。これですと、到着時刻は朝で、帰りの乗車時刻は夕方ですですから、県内2泊でも旅行自体は車中泊を含めて4泊5日となって、楽しむ時間が結構取れるんですね。
ずっと以前、博多や熊本へ行くのに新幹線と寝台特急とどちらが速いか?を、子供に尋ねたことがありました。子供はもちろん「新幹線」と云いましたが、実は「兎と亀」の話と同じで、寝台特急の方が早かった(当日“早着”する)んですね。
当日朝に早起きして新幹線で行くより、前日夕方の寝台特急に乗れば、新幹線の当日出発より早い時間に到着するってワケです。長距離寝台特急の有り難さを感じた今回の旅でした。 -
昨日の誕生日を有頂天なって楽しんだのですが、今朝気が付いてみればまた一つ年齢を重ねてしまってたんですね(-_-;) それだけならいいけど、益々忘れっぽくなってなってきましたよ。
年齢も年齢だし、これからは全てを忘れてゆっくり進むのみ?ですかね〜(^^)
確かに、そんな感じですね(^O^)(~o~) -
レストランからの風景を撮影してみました。
正面に見える茶色の屋根の建物は、「クリスタルチャペル」という結婚式場のようです。
その手前左側の薄青色の円い筒のような建物は、「ガーデンレストラン」のようです。
この二つの施設は、城山観光ホテルの施設のようです。
こういう所で、食事を楽しんでみるといいですね。 -
この旅で最後のデザートです(と言っても自分で持ってくるんですけどね)。
私はこの時だけ、思い切ってアイスクリームにしました。
やっぱり、たまには食べたいですからね。
他の3つはカミさんのデザートです。
何を食べてもわたしの2〜3倍ですからね(^O^) 「カカア天下」って、エネルギーが要るんだよね〜。」 -
きょうも海を見ました。
あれはちょっと変わった船だね。
調べてみると、海上自衛隊の補給艦「ときわ」のようです。
私たちが食事をして体を維持するように、何をやるにしても補給ナシでは続きませんからね。 問題は、この船が「いつ、何を、誰に、どこで、どのように、何のために」補給活動するのかと云うことですね。補給のあり方次第では、そのことが問題になることがありますね。
この船のスペックは、基準排水量8100トン、満載排水量15800トン、全長167mm
、全幅22m、吃水8.1m、機関出力2万6000馬力、最大速力22ノット、乗員145名、兵装は12.7ミリ機関銃2丁、敵レーダー攪乱用レーダー、水上用と航海用レーダー、等々の性能と装備を持っているようです。
ま、こういう船が活躍する情勢になって欲しくないですね。 -
天文館通りとか、文化通りを探してみたんですが、イマイチ分かりません(-_-;)
位置が外れているのか、ビルの影になっているのか、見当が付きません。 -
昨日噴水をやっていたプールへ来ました。
きょうチェックアウトなので、記念写真くらいは撮っておかないとね(^O^) -
林芙美子の文学碑がホテルの前庭にありありました。
風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
波間の鷗のごとく
漂渺(ひょうびょう)とたゞよひ
生きてゐる幸福は
あなたも知ってゐる
私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり
林芙美子
−−−−−−−−−−−−−−−−−
この詩文は、個人に手渡された詩のようですが、いつ頃に書かれたのかまだ分かっていないようです。林芙美子は貧乏家庭に育ちながら、才能を見いだされて様々な活動をしました。戦後も執筆活動をしましたが、47歳の若さで急逝してしまったのでした。
さて、この詩についてですが、林芙美子の人生経験が表現されているものと思います。
しかし、このような詩を理解し感じ取ることは、詩の文学というものも、人の心も読むことも出来ない私には難しいことです(-_-;)
漠然とした表現だけに、これを読んだ人々はその人なりに解釈しています。この詩を読んで「あっ、そう」と軽く頷く人もいれば、自分のことか書かれたと想う人もおられるかもね。 また、最後の2行で励まされた人もいます。正直な話、私も「あっ、そうなの?」と軽く受け止めるだけの感じで読みました。
それは、林芙美子の生涯の苦労を軽んじているからではないのです。
この詩には、主語がない、主語に代わる言葉を感じにくいと思うのです(欧州にもそういう詩が無いわけでないですけど)。欧州近代詩の作風に倣う一方、主語のない情景を書いているのが日本の詩に多いような気がします(言いたいことは分かるんですけどね)。
これは季語などを使って情景を歌う俳句の影響なのでしょうか、同時に世間に気を使って遠慮しているからでしょうか。
ですから社会の底辺にいる私の想いからすると、「いったい誰のことを書いているの?」「私のこと??」と思ってしまうのです。
【※】「漂渺」で検索しますと、文字が「“縹”渺」に変わってしまいます。 -
ちょっと港の方を見ましたら、昨日見たフェリーが出港していくところでした。
その手前に見える船体が青い船も、昨日見た「プリンセスわかさ」です。
このような船に乗って、ゆっくりとした旅をしてみたいですね。 -
お部屋へ帰る前に、このお雛様に気が付きました。
綺麗なお雛様に見入っていましたら、ホテルの方が
「御一緒に如何ですか」
と声を掛けて下さって、写真を撮って頂きました。
きょうは帰る日なので、お部屋の身もつを纏めてチェックアウトしなければなりません。
3泊って、短いですね。
次回来る時は、5泊くらいしたいですね。 -
9時半頃ホテルをチェックアウトし、お荷物は預かって頂いてホテルを出ました。
ホテルを出て街の景色を見に行きましたら、入港してくる船をみました。
これも、昨日見たマリックスラインですね。
きょうはブリッジの前にコンテナを積んでいます。
前部マストには、クレーンのが付いているのが見えますね。 -
このバス停は、昨日乗った「シティービュー」という市内巡回バスが泊まるところです。
ここは「城山」というところです。
ここには鹿児島市内と桜島が見られる展望台がありますよ。 -
この城山展望台は、市内の観光ポイントでもあるので、マイカーや観光バスも来ます。
駐車場の外周には、このような土産物屋さんが並んでいました。 -
ホテルからも探していた天文館通と文化通りですが、城山展望台に来てようやく天文館通りを見つけました。
ビルの谷間でなかなか見つけられなかったのですよ。
地図上では分かっていたのですけど、街の眺めの中で場所を特定するのは割と難しいですね。 -
より広い展望の中での天文館通の入り口です。
超高層ビルなら簡単に見つけられますが、低い建物はなかなか見つけられないですね。
これを見つけられたことは、ホントに嬉しかったです。 -
下に見える鳥居は、照國神社の大鳥居です。
ついでに、ホテルからのシャトルバスを降りてからの、天文館通りへのコースを示しておきますね。 ホテルからシャトルバスに乗りますと、照國神社前で降りられます。そのバス停から、この線のように行きますと、「天文館通り」に行くことが出来ますよ。 -
きょうの桜島です。
桜島へ向かうフェリーが、ちょうど出港していくところです(中央の防波堤の左側・写真を拡大してご覧下さい)。
ちょっとお天気が悪いですね。
2日目の朝の眺めは最高でしたね(^^) -
桜島をバックにカミさんを撮ろうとしていましたら
「お二人一緒に撮ってあげますよ」
と、おじさんが声を掛けて下さいました。
そのおじさんは、この城山で「観光ガイド」をしておられる方のようでした。
御陰様で、二人一緒に撮ることが出来ました。 -
鹿児島湾は2万9000年前の巨大噴火で出来たとか。桜島は2万6000年前の噴火で出来たとか。
2万9000前と言っても、46億年という地球の年齢から考えたら、ホンの昨日のような感じですね。いつまたどこで、こんな巨大噴火があってもおかしくないです。こんなことを考えますと、本当に怖くなってきます(-_-;)
★地球の年齢の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AE%E5%B9%B4%E9%BD%A2 -
城山遊歩道の案内です。
足腰が元気なうち、トイレが近くなる前に行きましょう!!
私は「見るだけ〜(^o^)」です(-_-;) -
城山展望台からの見晴らしをパネルにしたやつを撮りました。
(これは写真を繫いでいます)
何がどこにあるかを見つけるのも面白いですよ。
昨日雨に濡れて立っていた「西郷隆盛像」は、写真の下の方の少し右にあります。小松帯刀の像も見たかったですね。
維新ふるさと館は右の方にあります。その左に、ちょっとだけ頭を出しているのは「開聞岳」です。 -
↑の写真の右手に続く光景です。
(これも写真を繫いでいます)
新幹線が到着する鹿児島中央駅は、右端の森の向こうあたりにあります。
私たちが夕食に出掛けた「天文館アーケード」と「天文館文化通り」は、写真中央から左にありますよ。 -
西郷さんの洞窟が歩いて十数分のところにあるので、カミさんと行こうとしたら
「ちょっと他のところを見てホテルで遊んでいるから、お父さん一人で行っといで」
と冷たいお言葉・・(-_-;)
か弱き亭主が一人で山の中のをトボトボと行く・・。
一人で歩いていると泣けてきそうになったけど(T_T)、鹿児島まで来たんだからと自分に言い聞かせて、勇気をふるって歩き出したのであります(*_*)
私はね、どこへ行っても、カミさんがいないと部屋の隅にチョコンと座っているだけ人間なんです(/_;) ですから、一人というのは本当に寂しいです!!(T_T)
見て下さい。この気持ちの悪い様子を・・(=_=)。
こんな不気味な山の中を一人で行くのですよ。カミさんが一緒だと胸を張っていけるんですけどね〜(/_;) -
途中でこんな標示を見つけました。
石仏十三体って何でしょう。なんて読むんでしょう??
「せきぶつじゅうさんたい」とか、「いしぼとけじゅうさんたい」とか? ま、それは後回しにして、仏様を拝みに行きましょう。 -
「同行二人」と書いた掲示板がありました。
最初に四国88ヶ所になぞらえて、鹿児島にも大師の尊像88体を数ヶ所のお寺さんに建立したとあります。その内の十三体をこちらに安置されたそうです。
高いところにお座りの大師様が13体で、低い位置にお座りの大師様が15、6体ほどいらっしゃいます。
そして「同行二人」と言うのは、「常に私(大師)はお前(信者)と一緒にいるから心を安んじて行いを正せ」という意味だそうです。
私はここへ一人で来たけれど、陰でお大師様が一緒にいて下さるのですね(^-^) お大師様は、こうしていつも人々を支えて下さるんですね。有り難い話です。
こうしてみると、当家のカミさんもお大師様に似ているなと思います。いつも私をイジメるけど、陰では私を支えてくれている(^-^) これも有り難い御利益ですね!(^^)!
この場所は、Google mapを開いて、↓の緯度・経度を検索枠にコピーされて虫眼鏡マークをクリックされますと、当該ヶ所にアドバルーンマークが標示されます。さらに、航空写真に切り替えてストリートビューにされて
見る向きを変えますと、この写真の標識をご覧になれます。
31.598486, 130.550840 ←これです。 -
道路から降りるとチョットした広場になっていて、こんなにたくさんの石仏様が広場を囲むように座っておられます。
左の方には、清掃作業中の方がおられました。
石仏13体とのことですが、高いところにお座りの石仏様と低い台にお座りの石仏様を合計しますと29体?ほどもあります。またその台座の高低の差はなんでしょうかね。
写真で数えただけなのですが、高いところのお座りの石仏様は13体?ほどのようです。低いところにお座りの石仏様は16体?ほどのようです。
写真をしっかり撮れば良かったと、今になって反省しています。 -
写真を拡大してみますと、高い座にお座りの右から2番目の石仏様の台には、「本尊 十一面観世音」と彫り込んであります。他にも台座に「千手観世音」「本尊 薬師如来」と彫られた石仏様もおられます。13体の石仏様には、観世音菩薩とか弥勒菩薩他の様々な菩薩様がおられるようですね。
最初見た掲示板には、「鹿児島市内の観音講の人々が、四国88ヶ所巡礼になぞらえ、大師の尊像88体を・・建立しました。」とあり、そして最後のところに「城山には88体の石仏のうち13体が安置されています」と書かれています。
ですから、大師尊像ではなくて十一面観世音像及び別の菩薩像(菩薩名?)になっているのは、チョット分かりません(-_-;)
ご存知の方、教えて下さいね。 -
右の方を見ますと、こんなにもたくさんの石仏様が並んでおられます。
皆さん菅笠を被っておられます。
お大師様もこうした菅笠を被って村々を訪ね、人々の心を安んじるとと共に人生の道を説いて歩かれたのですね。
石仏13体がここに安置される以前のこと、西南戦争の最後の最後で西郷軍の人々がこの逃げ込んだという話がありますね。その当時のこの場所は、山の中のチョットした平地だったかも知れません。 -
↑の写真でご覧になったと思いますが、ここを清掃しておられた方とお話させて頂きました。
「ご苦労様です」
と申し上げましたら、
「お大師様のいらっしゃるところを綺麗にさせて頂くのは、私の勤めだ」
とお話下さいました。
仏様を守っていこうというお心掛けには、頭が下がりました。
お話しておりましたら、
「お宅は、干支では何年の生まれかね」
と、お尋ねになりましたので、「羊年です」と申し上げましたところ、
「そうかね、未年の守護本尊は大日如来様だね」
と仰って、その大日如来様の前で写真を撮って下さいました。
何となんと!!大日如来様が私を守って下さる!!そりゃもう、100万馬力のパワーを頂いたような気分になりましたよ!!
ちなみに、22万トンの巨大客船でも8万1500馬力ですから、大日如来様から戴いたパワーはスゴイですね。
それにしても、仏様にまで誕生年とか誕生月ごとに守護本尊があるなんて、本当にビックリでした。
★22万トンのクルーズ客船は↓にてご覧下さい。
http://4travel.jp/travelogue/10535071
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA -
シャトルバスに乗る旅に見る建物ですが、見るたびに、オランダの農村風景を思い出しますよ。
チョット調べて見ましたら、この建物は天然掛け流しの「城山長寿泉」という温泉でした。昔の「銭湯」のようにお風呂を楽しむ施設のようですが、ヒョッとして宿泊も出来るのか?という話もあります。
もしまた、鹿児島へ行くことがあったら、「城山長寿泉」のお風呂に入ってみたいと思います。
この温泉に来るには、鹿児島シティビューのバス停から「城山・磯コース」の巡回バスに乗って、「西郷洞窟前」バス停で降りますと直ぐ近くですよ。少し熱めの美人湯だそうです。
この建物の向こう側に回ったところに「西郷隆盛洞窟」があるんですよ。 -
こんなお店?もありました。
-
「城山長寿泉」を回り込むように道路を下りますと、こんな像の後ろ姿が見えました。
どんな方やら、前に回って見てみましょう。 -
これが前から見たお姿です。
頭は私と一緒でヘアーがありませんから、きっと菩薩様でしょう。
囲碁か将棋をするかのような厚い四角な机?テーブル?がありますけど、きっと詰め将棋でも考え込んでおられるのかも知れませんね。 -
「西郷隆盛洞窟」の前に、このような大きな西郷隆盛像がありました。
私がこの像をながめて写真を撮っていましたら、中高年の男性から
「よろしかったら、写真を撮ってあげますよ」
と声を掛けて下さったので、こんな立派写真を撮って頂きました。
この方は、写真撮影が上手な方ですね。良い記念になりました(^_^)
当家のカミさんも一緒に来ていたら、二人で写真が撮れたのにね(-_-)
昨日も雨の中の西郷像をバスから見ましたけど、ここにきて「西郷さんにお会いした!!」という実感が湧きました。ホント、西郷さんは真剣なお顔をしておられますからね。 -
西郷像の隣にあった掲示板です。
平仮名が殆どのうえ、鹿児島弁で書いてありますから読みにくいやら分かりにくいやらで、ここではしっかり読みませんでした。
これはどうも、つい先ほど見た「せごどん」という木像彫刻お店の宣伝のようですね。写真も是非撮りゃ〜すと言ってくれていますね。
これから、直ぐ右手にある洞窟へ入っていきました。 -
洞窟内に入りましたら、ガラスケースの上に、長い長い文章が展示してありましました。
冒頭の題を見ましたら、「城山・岩崎谷、西郷洞窟物語 山田尚二」とありました。山田尚二という人が、西南戦争で西郷隆盛最後の場面を物語風に書いたの作文ようです。
山田尚二がどのような人か? どの時点で、どのような意図でこれを書いたのか? そういうことはサッパリ分かりません。
これを書く以上は、その書く目的くらいは分かるようにして欲しいモンですね。
ここでは、洞窟内にこのような文章展示してあったという意味で、全文をご紹介しておきましょう。 文中では私の見落としや勘違い、文字の変換間違い等があるかも知れません。〔〕内のは私が追加したものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
明治十年二月一万二千人で出発した西郷軍は九月一日僅か四百人になって帰ってきた。
政府軍はすぐさま西郷軍を追って続々鹿児島に集結してきた。
西郷軍は二百九十人の兵を一番隊から十三番隊と狙撃隊を分けて城山に立て篭った。四、八、九番隊は欠番だったがそれは死・破・苦の音を避けたのだろう。城山を取り囲んだ政府軍は八旅団、一艦隊六万人余であった。それは第一、第二、第三、第四、別働第一、別働第二、新撰旅団、熊本鎮台、川村艦隊であった。西郷は九月六日から十日までは野村宅後の洞窟に十日から十三日までは馬乗馬場の鹿柴にて米粟の俵を積み上に杉葉を葺き雨露を凌いでいたが十三日から十九日まで再び野村宅後の洞窟に移った。
この頃になると政府軍は一日700発以上の砲撃をするようになった。そこで現在の岩崎谷の洞窟の所に十九日に新たに一洞を掘って移った。
これが今日の西郷洞窟である。近くに九ヶ所洞窟があり桐野利秋、村田新八ら幹部や本営の評議所となっていた。九月十四日西郷は下僕の池平仙太を呼びつけ暇を与え西郷家(イト夫人の所)に帰るよう命じた。
仙太は城山に残りたいと願い出たが西郷は赦さず帰る支度を命じた。仙太は帰り支度を終え西郷に伺った。「先生の品物の中に名刀三振りと金子二万三千円余りがあります。何を持って帰りましょうか」西郷は「名刀一本だけ持って帰れ後は残しておけ」と云った。 -
仙太は「二、三千円ぐらい持ち帰り御方様に差し上げたら」と、申し出たら「馬鹿奴っ!この金は自分の手元金ではあるが 私学校の軍資金だ」と一喝した。
仙太は「どの道から出られるか」聞いた。西郷は「この山を西に向かって草牟田に出て、西田方面に出たらまだ道があいている様子だ」と言いきかせた。仙太は西郷の指示に従って無事城山を脱出した。政府軍の城山包囲網は十四日まではまだ未完成であったのである。政府軍の総攻撃が近づいた二十三日西郷は隊員二百九十名の名簿を清書した。死んでいく者の名前だけでも残そうと考えたのであろう。幹部の名前は書かなかった。
政府軍は城山攻撃隊を各旅団から選抜した。それは第一次八百人第二次九百人からなっていた。九月二十四日午前4時号砲を合図に政府軍選抜隊は総攻撃を開始した。西郷軍は三百六十名で小銃は百五十挺だけだった。西郷軍は第一旅団、第二旅団、第三旅団、第四旅団、別働第一旅団、別働第二旅団、新撰旅団、熊本鎮台兵の圧倒的兵力、火力の前に次々と壊滅していった。草牟田から進んだ別働第二旅団がいち早く岩崎谷の稜線上に達した。岩崎谷口は第四旅団が保塁や塹壕、竹棚を廻らし、水も漏らさぬ警戒線を敷いていた。政府軍の各隊が岩崎谷ににじりよって来た。 -
西郷軍は各所で突っ込んで行ったが、皆、銃弾で射抜かれたり、銃剣で突き殺されたりした。「降参」といって手を上げる者も多かったが東北出身の兵は、戊辰戦争の仇討ちということで構わず撃ったという。午前六時過ぎ桐野、村田、池上、別府、辺見ら幹部と各方面から退却してきた者たちが岩崎谷の洞窟前に集まった。縞の単衣の筒袖に白縮緬〔しろちりめん〕の兵児帯〔へこおび〕を締め山かけ脚絆に新しい草鞋〔わらじ〕をつけた西郷はおもむろに洞から出て一語も言わず岩崎谷口の方へ歩き始めた。道は細く西郷らは一列となって下りはじめたが山稜から集中砲火をあびることになった。
一同は三々五々に分かれて走った。桂久武が最初に被弾して倒れた。島津応吉邸門前(岩崎谷荘北隣)まで来た時、大腿と左横腹に弾をうけどっかと座りこんだ。西郷は別府晋介に「晋どんこゝでよかろう」と言い切腹もせず介錯させた。午前七時であった。
西郷の首は折田正助の門前の溝の中に埋めかくされた。 -
「先生が死んだ」と大声がこだまして桐野利明、村田新八、池上四郎、辺見十郎太、山野田一輔高城彦之丞ら四十余人は岩崎谷口の保塁に突進しその前の凹地で枕を並べて玉砕した。午前八時であった。
この戦いで西郷と共に死んだ者百六十人傷つき捕虜となった者もの二百人であった。政府軍は道路の傍で西郷の死体を発見したがその首はなかった。そこで第四旅団に降伏した捕虜を詰問し漸くかくし場所を知り午前九時、第四旅団遊撃隊の兵卒前田恒光が発見したという。その時、三好
少将が乗馬で駆けより「決して無礼な挙動をするな」と言いつけ急いで帰り山縣有朋参軍〔副司令官・中将〕に報告した。
山縣参軍は竪馬場の本営でその首を丁寧に水で洗わせ諸将に向かって「西郷翁の顔は実に穏和ではないか、二百日余も自分に安心するいとまを与えなかったのは翁である。今やっと自分は安心することができる。
しかしながら翁は天下の豪傑である そして自分を知る者翁以上の人はなく翁を知るものも自分以上のものはない。残念なのは翁を今日の状態にまで追い込んだ時勢の流れである」と言い暫くその霊に黙禱を捧げていたという。
正午すぎ一天にわかにかき曇りしのつく雨が城山一帯を襲った。豪雨が忽ちにして西郷軍の血まみれの死体をきれいに洗い流してくれた。
平成五年七月十六日 筆者は西郷顕彰館館長
〔この“筆者”とは、ここに「筆で書いた人」かと思います〕
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
全文を読み通してみて感じたことを・・
冒頭でもちょっと触れたことですが、山田尚二氏が西南戦争のことを書きたいのなら、その原因と西郷さんが出兵の道を選ばざるを得なかった経過程度のことは書いて欲しかったですね。
そのことを全然書かないで、このような文章を書いた山田尚二氏は、何が言いたかったのかと思います。気持ちは分かるのですが、主体・主語のない日本人的とも言える文章で西郷さんの最期の1日を、情緒的に語って読み手の感情に訴えるばかりのように思います。これでは、西郷さんと薩摩兵士の死を結果として美化しているかのように思われてしまうのです。
残念なことに、こういう形の「慰霊」の仕方が各地に見られることです。
こうやって読んでみますと、九州の端っこから戦いを起こしても(西郷さんの決起に全国の不平士族が呼応するなど、ある程度うまくいったとしても)負ける可能性のある戦争を、「明治維新」と「明治政府」を主導したほどの西郷さんが、なぜやったのかと思います。
チョット調べてみますと、明治政府が西郷さんの周辺を内偵したり、政府所管の弾薬庫とは言え、夜の闇に隠れて武器・弾薬・薬莢製造装置を運び出したことに、私学校生徒が怒って暴発したことが事の発端のようです。
その対策について幹部たちが多々話し合ったようですが、結局は篠原一人の考えに従う形となり、両軍で1万3000人以上の犠牲を出すような「戦争」に向かったとのことです。 そこには時代の読みの甘さに加えて、士族の若い師弟を一万人も私学校で鍛錬してきた武士の矜持があったのかも知れませんね〜(戦死者数はいろいろな説があるようです)。
(弾薬庫は、もともとは薩摩藩が建設したものなので、鹿児島の人は自分たちの施設だという意識が強かったようです)。
問題なのは、その場に西郷さんもいたのにその会議を指導せず、彼らの話し合いの成り行きに任せていたという話があることです。
西郷さんは暴発した私学校生徒を断固として教育又は処分し、明治政府と対話すべき道を指し示すべきだったと思います。それとも、130校以上の分校と1万人以上の生徒を擁するようになった「私学校(事実上の軍事教育学校)」を守りたくて、賭に出たのかも?なんて、勝手な想像をしてしまいます。
ま、このことは、いずれ勉強していきたいと思います。 -
洞窟内にあったこのお墓を撮らせて頂いたのですが、何方のお墓なのか分かりません。
「お墓?」には法名はなく、「南無妙法蓮華経」とのみ彫ってあるように見えます。
西郷さんのために建てられたものでしょうかね? -
こちらにも洞窟があります。
この広場は、西南戦争当時からあったわけではないですね。 -
↑の写真にある大きい方の掲示板です。
「おはんらにやった命」
西郷さんが自ら創った私学校関係者の思いが、彼をしてこのような言葉を言わしめたのかも知れませんね。そして、この言葉こそが西南戦争を決定づけ、薩摩軍と政府軍とで1万3000人を超す犠牲者と家族の苦しみの発端となり、西郷さんの死を運命付けた言葉だったように思います。
そればかりではなく、明治政府の進む方向にも大きな影響を与えたと思うのです。
「おはんらにやった命」
この言葉は、西郷さんの責任を放棄した言葉でもある、と考えることも出来ます。
永山弥一郎が提起したように、上京して政府と話し合う努力などに全力を尽くし、暴発した私学校生徒の犠牲を最小限に抑えることが、西郷さんの第一の責任だと思うのです。
西郷さんが自己の信条とし、またよく書いた「敬天愛人」の思想は、「死」への道を説くものではなく、「生きる」道を説くものではなかったでしょうか?
あの会議では永山の意見に賛成者も多かったようですから、 篠原の独断を避けて「生きる道」を模索してこそ、「敬天愛人」を信条とした西郷さんの取るべき方法ではなかったかと思うのです。
そうなんです!!「おはんらにやった命」ではなく、怒りの情のままに戦に挑む私学校生をなだめ、戦によらずに状況打開の道を提示すべきだったのです。「明治維新」と「明治政府」を主導した西郷さんならば、やってやれないことはない!!と思うのです。
「おはんらにやった命」という言葉が、その後の人々に感傷的・精神論的に受け止められ、西南戦争を感情ドラマのように語られたり、或いは西郷さんの死を美化する考え方に結び付いたりしなかったかと、案じてしまうのです。 -
3人の写真の下にある詩をご覧下さい。
「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな」
江戸城無血開城を賭けて西郷隆盛と交渉した勝海舟が、西郷隆盛の死を知って詠んだ詩とのことです。
明治政府が、鹿児島の夜に闇に弾薬や薬莢製造装置を盗み出した。そのことに怒った私学校生の行動を、西郷さんは厳しく注意することなく、なすがままにさせて見守ることにしてしまったというのです。
私はこういう詩が大嫌いです。
「ぬれぎぬを 干そうともせず・・」というところは、政府の弾薬運び出しの行為を明治政府に問いたださなかったことかと思いますが、「なぜそうなったのか」が最大の問題なのに、そこのところはサラリと逃げいます。この姿勢は歌人に共通しているとさえ言いたくなる状況がありますね。
それと、西郷さんにもっと生きていて欲しかったのか? それとも、彼の死を笑っているのか? 詩の世界を全然知らない私には、全然分かりません。 いや、西郷さんばかりではありません。西南戦争で亡くなり、傷つき、泣いた人々は5万、10万を下りません。その人々をどう思っているのか?聞きたいところです。
下田に行った時、お吉さんのことを歌った井上剣花坊の詩
「アメリカに 濡らした袖も 土になり」
を読んだ時も、カチン!!ときましたね。「唐人お吉」のお吉さんの事情も察せずに、人の命をこれほど軽く扱うのか!!(>_<)と思いました。
間違いを承知で私も一句つくってみました。あけすけな直截的な文句になってしまいますけど・・(-_-;)
「弾薬を 盗む政府を 世に問うて 民の蜂起を 夢見る君かな」
「ぬれぎぬを 干せない子らに 指導なく 命あずけて 果てし君かな」
★お井上剣花坊の詩は下の旅行記の下の方にあります(ネコちゃんの写真の上です)。
http://4travel.jp/travelogue/11072777 -
↑の掲示板からほんの5、6mほど右にあった洞窟です。
洞窟暮らしは、考えるだけでもいやです!!
カミさんと一緒なら、私も一晩だけ泊まってみますけどね(^_^;)
もちろん、ちゃんと警護されて、お部屋の照明もついて、冷暖房付きで、床と壁と天井は檜張りで、床は高級毛布敷きで、ベランダもあって、フルコースのフランス料理もついて、バス・トイレ・洗面付きで、電気毛布付きのダブルベッドですよ!! -
↑の洞窟の右にあったもう一つの洞窟です。
このような洞窟を幾つか掘って、ここに隠れていたんですね。洞窟暮らしでは、本当に陰気で窮屈な思いをしたことと思います。
あの太平洋戦争でも、南洋の島々でたくさんの洞窟を掘ったかも知れません。この西南戦争でも、なぜここまで戦を続けなければならなかったのかと、疑問を感じます。
この洞窟で薩摩軍が最後の最後まで頑張ったことを思いますと、武士道のことを思い出しました。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
です。
「“死ぬか生きるか”という土壇場になったら、“死を選べ”」
というようなのもあります。
「生きて恥をさらすな」
という話もあります。武士はホントに辛いね〜(-_-;)
「武士道といふは死ぬことと見つけたり」という言葉は、佐賀藩の山本常務が言い出した言葉とのこと。その言葉に関して、ただ単に死の決意を求めたものではなく、武士の命のあり方や生き方、事に当たる真剣さを追求した言葉である!!というような、哲学的にして深淵?な話が多々あります。
問題はそのような高邁な話が人々に広まるのか?ということです。結局は「武士道といふは死ぬこと」と人々の中で単純化されて広まり、「生き恥をさらさない」という話と結び付いて、「死を選ぶ」「死に向かわせる」ことが受け入れられ、戦場に於ける「死」が時には美化されたのではないでしょうか。
大衆的な理解とは、自分に分かりやすいところとだけに関心が向き、それが広まっていくという危険性を持っているのが常なんですね。
薩摩軍の400名は折角鹿児島にたどり着いたのに、全滅の道を選んだ薩摩軍は結局「突撃」と「自決」を選んだのです。本当の勇気とは、生きて「生き恥」を晒しながらもそれを乗り越えて、再び死を選ぶ人々が出ない世の中を築いて行くことだと思います。
時代がススンで昭和の時代になると、「命」「死」「恥」の扱いがさらに俗化して「戦陣訓」の文面に豊富に散りばめられるようになりました。
個人が「死」か「生」かを決断するのではなく、上から「死」への道を求められるようになりました。本当に恐るべき時代になりましたね。戦陣訓などの考え方が、あの太平洋戦争において「玉砕」「バンザイ突撃」「自決」「特攻」などという「作戦」に繫がったと勘ぐってしまうのです。
2016年になった現在でも、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉が、説明を変えて尊重されたり、「死ぬ気で(真剣になって)働く」ことだと説明されたりしています。
こうした時代の流れからも、西郷さんには当初から「生きて」頑張る道を探求して欲しかったと思うのです!! -
「史跡 西郷隆盛洞窟 昭和四十九年三月十五日指定」
2月14日に鹿児島を出発してから各地を転戦し、敗北を喫しながら兵力を減らし、ついに8月16日に「解軍」の令を出したのです。
それにも拘わらず完全な解軍までに至らず、また全軍の降伏に踏み切らなかったようです。多くの人が軍から離れたものの、約1000人が軍に残ってさらなる戦いと厳しい行軍の末、鹿児島にたどり着いたのは400名ほどだったとか。
西郷さんは、なぜ8月16日の「解軍」決定の際に「解軍」の徹底または、「全面降伏」をしなかったのか? と、私は思うのです。そうすれば、この時点で1000名ほどの命が取り敢えず守れたと思うのです。
近代の思想というものは、そう言うものだと思うのです。
西郷さんが降伏したことに気が引けたなら、部下の命を守った後に自らの腹を切れば良かったのです!! これこそ、「敬天愛人」の実践ではないでしょうか。
そうすれば、西郷隆盛さんにとって守るべきはずの私学校生を、このような洞窟暮らしにさせることもなく、最期の自決をさせることもなかったと思うのです。
城山の洞窟を陣地代わりに最後の一兵まで戦ったこの経験は、時には死を覚悟した物語として、読み手の情感を誘うのですが、実は非常に残酷な話でもあると思います。
一兵士の死は、一人の命の問題として極めて重い問題であると同時に、残る妻子や親・兄弟の苦しみでもあるのです!!!! -
「南洲翁洞中紀念碑」
なんか、西郷さん(南洲翁)の連続で、食傷気味な感じになってきましたね(^o^)
西郷さん一人がいただけでなくて、ここまでたどり着いた薩摩軍の兵士も多数いたのですから、
「薩摩軍洞中紀念碑」にしてくれた方が、ここで命を落とした薩摩軍兵士の弔いにもなるんじゃないかと思いますね。
西郷さんの行動と最期をあちこちで紀念(記念)している様子を見ますと、西郷さんの本意を本当に知った上で建立しているのかと思うのです。 -
カミさんと別れてから1時間ほどしてホテルへ帰ってきました。
このホテルに3泊もしてしまいましたが、アッと言う間に過ぎてしまったように思えてなりません。もし次回来る時には、4〜5泊はしてみたいです。
これから、お預けした荷物を受け取って、鹿児島中央駅に向かうのです。 -
ホテルの玄関前のタクシー待ちのところから右手に行ったところから、鹿児島中央駅の屋上にある大観覧車が見えました。
なんでも、直径が60mもあるとかで、一番上に行くと地上から91mにもなるとか。
桜島方面の展望もさぞかし素晴らしいかと思いますね。
もちろん、乗るには有料だと思います。 -
ホテルのロビー前に、こんなものを見つけました。
「感謝」と「真心」
カミさんに感謝!!して、真心を込めてマッサージをせよ!!という意味ですかね??
「代表取り締まられ役亭主」は、鹿児島まできてもカミさんへの感謝と奉仕をこんなに督励されるのです(-_-;)
亭主の皆さん、辛いけど頑張りましょう!!(^^;) -
西鹿児島駅にやってきました。
新幹線「さくら号」の車内でお弁当をいただくのも良いですけど、もうお昼ですからね。
駅のレストランで暖かいものでも頂きましょう。
「鹿児島駅構内食堂」
「食堂」って、とっても久しぶりな感じですね〜。ホントに、こうやって旅行記を書くにも「食堂」って何となく書きにくい感じがして、ついつい「レストラン」とか、「ラーメン店」とか「お店」とか、飲食店の名前を書いているんですね。
「食堂」と言いますと、とっても懐かしい感じがするんですよ。 独身時代には、日曜なんかは近くの“食堂”へ行きました。おばちゃんがいて、お味噌汁とお漬け物に御飯を出してくれるんですよ(^-^) ほんと、母がつくってくれた朝ご飯と同じでしたね(^-^)
考えてみれば、食堂もレストランも法令上に区別はないですよね(^^)!(^^)! 喫茶店は別みたい。
これからは食堂って言おうかな。
中華レストランは「中華食堂」だね。ステーキレストランは「ステーキ食堂」だね(^^) 10日には、名古屋マリオットの52階にある「食堂・ジーニス」へ行って来ますね(~o~)!(^^)! -
私たちは久しぶりに「チャーハン」をお願いしました。
鹿児島のチャーハン。
ちょっと期待ですね(^^) -
チャーハンがきました。
「おかあさん 味見してみて」
チャーハンとツーショット??です(^o^)
お味の方は良かったですよ。でもやっぱりチャーハンでしたね。(^O^) -
先頭車のところへ行って、記念写真です。
「おかあさん、そこに立って」
名古屋駅ですと始発列車があるにはありますが、殆どが途中停車タイプの列車なので、こんなに落ち着いて撮る時間がないですよ。その点、始発駅というのは良いね。 -
「おとうさんも撮ってあげるよ」
「KYUSYU」と「WEST JAPAN」の文字が並んでいますね。
「JR九州」と「JR西日本」とを直通で走る列車という意味ですかね。
博多行き「のぞみ」には、「JR東海」と「JR西日本」が、このように書いてあることはないと思いますけど・・。 -
新山口駅で、500系の電車を見ました。とっても流線型でカッコ良く、300?/hを出せる最初の新幹線電車だったのに、いまでは短い編成の「こだま号」専用車両となって、表舞台から消え去ってしまっています(-_-;) 私は一度もこの電車に乗っていないのですよ(=_=)
人生には、一度チャンスを逃すと二度と巡り会えないことって結構あるモンですが、この500系電車も私にとってそういう運命の電車になってしまいました(-_-;)
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鹿児島の黒豚を目指しての九州の旅は、これで一区切りがつきました。
3泊4日の旅と言っても、1日フルに楽しめる日は真ん中の2日間のみ。やっぱり短い旅ですね。
しかし、流石に歴史豊かな鹿児島。見るところはたくさんありました。
17日には、武家屋敷と特攻平和会館を。18日には維新ふるさと館と仙巌園を、そして19日には短時間ながら西郷隆盛洞窟を見ることが出来ました。
それらを見物してみて感じることは、鹿児島というところはひと味違うと言うことです。
「きびなご」の味や黒豚の味もそうです(^o^) 桜島の存在感もまた格別。そして何より、あのような最期をとげた薩摩軍と西郷さんを生み出した土地柄ですね。
もう一度、鹿児島に来てそのあたりを見てみたいと思います。
そんな機会があるならば、最低4泊はしたいですね。関西からのフェリーも利用したなら、楽しみもまた格別かと思います。
★この旅の良かったこと
1.桜島の美しい光景が見られたこと。
2.鹿児島までの列車旅を堪能できたこと。
3.鹿児島の黒豚を堪能できたこと。
4.鹿児島の繁華街を楽しめたこと。
5.ホテルのシャトルバスと「鹿児島シティビュー」のバスが便利だったこと。
6.カミさんも私も楽しめたこと。
7.猫ちゃんに会えたこと。
★この旅行の反省点。
1.毎度のことながら、予習を全然してこなかったこと。
2.仙巌園で、集成館や反射炉跡を見てこなかったこと。
3.来る時に、指定席の席を間違えてしまったこと。
4.鹿児島中央駅のアミュプラザの大観覧車「アミュラン」に乗らなかったこと。
5.旅行中に「おかあさん」を言いすぎてしまったこと。
(1日20回までを厳守する)
6.写真の撮り方がイマイチだったこと。
(「それ」だけを撮って、「場」を撮らなかった)
7.その他いろいろ
ホテルの方々はじめ、鹿児島の皆様にはずいぶんお世話になりました。
心より御礼を申し上げます。
<終わり>
【※】「特攻平和会館」と「維新ふるさと館」は、別冊にて取り上げる予定です。
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鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その1・鹿児島着)
http://4travel.jp/travelogue/11120849
鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その2・知覧武家屋敷)
http://4travel.jp/travelogue/11126050
鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その3・鹿児島市内見物)
http://4travel.jp/travelogue/11158179
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ままさん 2016/09/16 12:13:08
- あいがともさげもした♪(ありがとうございました)
- カメちゃん こんにちは
鹿児島旅行記4弾!楽しく拝見しました♪
鹿児島在住の私より詳しくて…勉強になりました。
カメちゃんの旅行記を基に仙巌園・城山・武家屋敷等々…
再度訪ねてみようかな〜 なんて思っちゃいました (*^^)v
鹿児島を題材にしたNHK大河「篤姫」に続いて「せごどん」が始まります
カメちゃん、きっと…
あっ!行った行った! あっ!知ってる知ってる!ってことが
いっぱい出てくると思います。
楽しい鹿児島の思い出を振り返りながら…
奥様とご一緒に大河ドラマをご覧になってくださいね♪
★ベティーままより
- カメちゃんさん からの返信 2016/09/18 14:07:10
- RE: おおきんの♪(ありがとうございました)
- ベティーままさん
15日より昨晩まで3日間出掛けておりまして、返信が遅くなってしまいましたm(_ _)m
鹿児島にお住まいのベティーままさんに私の鹿児島旅行記をご覧いただいて、とても嬉しいと当時に、ちょっと緊張しております(^^;)
ホント、言いたい放題書いちゃったけど、大丈夫だったかな〜なんて(^o^)
これまでの鹿児島の印象は、「鹿児島県」という捉え方でした。
そうです、桜島とか指宿、霧島方面を楽しんでいました。今回ようやく鹿児島市内を見物することが出来ました。黒豚さんのお蔭です(^^)
> 再度訪ねてみようかな〜 なんて思っちゃいました (*^^)v
嬉しいお話です(^^)
鹿児島は見どころが多いですからね。
それらを改めて訪ねてみられますと、新しい印象を感じられることもあるかも知れませんね。
私も、もう一度鹿児島へ行ってみたいです。カミさんを桜島へ連れて行きたいですからね(^^)
西郷さんが大河ドラマになるんですか?
どんな西郷さんが出てくるか、鹿児島の方々は特に関心が強いかと思います。
身体が大きくて、お腹もちょっと出ている人が適任でしょうか?(~o~)
西田敏行さんとか、高橋英樹さんかな??想像してみると楽しいですね(^^)
鹿児島では、一つだけ心残りがあるんです(-_-;)
あの、「鹿児島の焼酎」を頂けなかったことです!!(T_T) カミさんが厳しいので、飲めなかったんですよ。
次回は「鹿児島の黒豚」ではなく、「鹿児島の焼酎」を目指して行きたいですね!(^^)!
そのためにも、カミさんへのマッサージとお茶碗洗いに頑張りたいと思っているこの頃です(^_^;)←亭主は辛いのであります
有り難うございました。
これからもよろしくお願いします。
カメちゃん
-
- ガブリエラさん 2016/09/11 08:54:36
- 西郷どん(せごどん)♪
- カメちゃん☆
おはようございます♪
朝から、カメちゃんと奥様の仲よし2ショットが見られて、ハッピーな気分になりました(*^_^*)
カメちゃんのおかげで、鹿児島のことが、とても勉強できました!
九州生まれの私ですが、本当に大分以外に詳しくなくて(あ、大分も詳しくないかも)、もっと九州を旅したくなります♪
西郷どん、といえば、次(次の次?!)のNHK大河ですよね♪
たしか、堤真一さんに主役のオファーして、断られたとか(^_^;)
見た目が、違いすぎるような気もしますが(苦笑)。
石仏の所では、まさかのお大師さまの「同行二人」の文字にびっくり!
お四国を廻ったので、ついついお大師様関連には、反応しちゃうのです(*^_^*)
石仏って、素朴でいいですよね♪
私の干支は「申」なので、カメちゃんと同じく「大日如来さま」なのです♪一緒なんて、嬉しいです!!!
楽しい鹿児島旅、読み応えありました〜♪
また、次の旅に向けて、体調を整えて下さいね!
私の方は、新しい治療に変わって、投薬1週間、今のところ副作用無しです。
明日、また2回目投薬です♪
ガブ(^_^)v
- カメちゃんさん からの返信 2016/09/12 11:56:30
- RE: もう一度行きたい鹿児島だね。
- ガブちゃん
所用にかまけて返信が遅れましたこと、ごめんなさいね。
鹿児島の旅、(別冊を残して)一応は完結しました(^^)。
九州・鹿児島は桜島と温泉だけでなくて、話題になることが沢山あって、旅行記を書いていますとだんだんと熱が上がってきました(~o~)
でも、そういう熱の上がるようなところこそ、行ってみる値打ちがあるというモンですね!(^^)! ギリシャの史跡とかローマ、フィレンツェなども、そう感じるのですけど、海外はそう簡単には行けないですけどね〜(-_-;)
大分も、臼杵とか竹田、佐伯なんかにも行ってみたいと思いますよ。
ガブちゃんも見て下さった「同行二人」って、良いお話ですね。
「どんなときでもお大師様が一緒にいて下さる」
んですね。どんなに苦しい時でも、「決して一人ではないんだ!!」と思いますと、心安らかになって、前向きな気持ちが湧いてくるというものですね(^-^)
その上に、ガブちゃんの守護本尊は「大日如来様」なんですね(^-^) 私と同じだなんて、嬉しいね!! こういうことでもガブちゃんとのご縁があったんだと思いますと、益々嬉しくなりました。
西郷さんには、やや厳しいことを書いてしまいました。
でも、西郷さんがどんなに英雄と言えども、あの時代の人である以上は、あのような行動をとってしまう可能性は否定できないと思います。その点では、西郷さんには可哀想な気がしました。
NHKの大河ドラマに西郷さんが取り上げられるみたいですね。
どんな感じのドラマになるのか?(半分気にしながら)楽しみにしています(^^)
−−−−−−−−−−−
ガブちゃんには、現時点まで大した副作用もなく推移してきたご様子。
きょうは、いまごろ投薬を受けておられると思いますけど、大きな副作用のないことを祈っております!!
そうなんですよ!!!
ガブちゃんには、お大師様や大日如来様の他にも、「同行」して下さってるお方が沢山おられるのですから、お心安らかにしていて下さいよ〜〜!!!(^_^)/~ 私も陰ながら祈っていますからね〜〜(^_^)/~。
有り難うございました!!(^_-)
それでは、また・・(^_^)v
カメちゃん
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