知覧・南さつま・日置旅行記(ブログ) 一覧に戻る
昨日は自宅から7時間を掛けて鹿児島までやってきました。<br />途中、山陽新幹線と九州新幹線を全線制覇!!して、我が一生の新たな記念碑を追加してしまったのでありました!(^^)!。<br />そして、この歳にして、ついに「鹿児島の黒豚を鹿児島でいただく」という大目標を達成してしまったのでありました(^^)。<br /><br />きょうは、その勢いにのって「知覧」へ行くのです。<br />知覧というのは、この数年前になって知ったところです。それまでは「ちら〜ん」ところでした。←シャレでしたけど、分かりましたか??(^_^)v<br /><br />何でも「特攻会館」があるとか武家屋敷があるとかで、友人に聞いてみると<br />「行ったことあるよ」<br />「私はツアーで行った時に、知覧が観光コースに入ってたよ」<br />ということで、知らぬは私だけという感じでしたね(^_^;)<br />そんなら、鹿児島の黒豚をいただきに来たついでに、知覧を旅の射程に入れてみようと思ったのです。<br /><br />知覧へは鹿児島中央駅から直通バスがあるんですが、1時間20分程もかかります。トイレの近い私にはチョット無理なので、列車で喜入まで行き、そこからバスに乗り換えて行くことにしたのです。<br /><br />初めての知覧で、どんなものが見られるのか?<br />とても楽しみでした(^^)

鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その2・知覧武家屋敷)

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2016/03/16 - 2016/03/19

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カメちゃん

カメちゃんさん

昨日は自宅から7時間を掛けて鹿児島までやってきました。
途中、山陽新幹線と九州新幹線を全線制覇!!して、我が一生の新たな記念碑を追加してしまったのでありました!(^^)!。
そして、この歳にして、ついに「鹿児島の黒豚を鹿児島でいただく」という大目標を達成してしまったのでありました(^^)。

きょうは、その勢いにのって「知覧」へ行くのです。
知覧というのは、この数年前になって知ったところです。それまでは「ちら〜ん」ところでした。←シャレでしたけど、分かりましたか??(^_^)v

何でも「特攻会館」があるとか武家屋敷があるとかで、友人に聞いてみると
「行ったことあるよ」
「私はツアーで行った時に、知覧が観光コースに入ってたよ」
ということで、知らぬは私だけという感じでしたね(^_^;)
そんなら、鹿児島の黒豚をいただきに来たついでに、知覧を旅の射程に入れてみようと思ったのです。

知覧へは鹿児島中央駅から直通バスがあるんですが、1時間20分程もかかります。トイレの近い私にはチョット無理なので、列車で喜入まで行き、そこからバスに乗り換えて行くことにしたのです。

初めての知覧で、どんなものが見られるのか?
とても楽しみでした(^^)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 午前6時少し前。<br />静かに噴煙を上げる桜島です。<br />これぞ、鹿児島の姿!!ですね。<br />眼下の鹿児島の街は、活動する大自然の姿を息を潜めて見守っているかのようです。<br /><br />鹿児島に来たなら、やっぱりこの光景を見たいですよね〜。<br />とは言え、あの噴煙はどこに向かい、灰を降らせているのでしょうか?<br />人々の営みと、活動する桜島とがこんなに近い距離で向き合っている!!<br />この数年、諏訪之瀬島までの九州内で6つの火山が噴火活動をしており、木曽御岳の活動に東南海域での地震発生などと合わせて考えますと、活動する大自然の怖さが身に迫ってきます。<br /><br />しかし、桜島は鹿児島の人々の誇りでもある!!と思うのです。<br />そして、ここから幕末から明治への変革のエネルギーが生まれる・・。大自然の活動と激動した日本の歴史とが、ここでは一つになっているようにも思えてくるのです。そこにまた、鹿児島の面白さがあるのかも知れませんね。<br /><br />来年の年賀ハガキの写真はこれかな?

    午前6時少し前。
    静かに噴煙を上げる桜島です。
    これぞ、鹿児島の姿!!ですね。
    眼下の鹿児島の街は、活動する大自然の姿を息を潜めて見守っているかのようです。

    鹿児島に来たなら、やっぱりこの光景を見たいですよね〜。
    とは言え、あの噴煙はどこに向かい、灰を降らせているのでしょうか?
    人々の営みと、活動する桜島とがこんなに近い距離で向き合っている!!
    この数年、諏訪之瀬島までの九州内で6つの火山が噴火活動をしており、木曽御岳の活動に東南海域での地震発生などと合わせて考えますと、活動する大自然の怖さが身に迫ってきます。

    しかし、桜島は鹿児島の人々の誇りでもある!!と思うのです。
    そして、ここから幕末から明治への変革のエネルギーが生まれる・・。大自然の活動と激動した日本の歴史とが、ここでは一つになっているようにも思えてくるのです。そこにまた、鹿児島の面白さがあるのかも知れませんね。

    来年の年賀ハガキの写真はこれかな?

  • ホテルの前庭では噴水が活動を開始しています。<br /><br />きょう一日の始まりですね。

    ホテルの前庭では噴水が活動を開始しています。

    きょう一日の始まりですね。

  • 「おかあさん あれは爆発の噴煙だよ!!」<br /><br />思わず、当家のカミさんを起こしてしまいました。<br />先ほど静かにたなびいていた噴煙が切れて、ひと塊の噴煙が上がっていました。<br />おそらくは小規模な水蒸気爆発だろうと思いますが(“そうでありたい”という気持ちもあって・・)、桜島はやっぱり「活動」していて、小規模な爆発を繰り返しているのですね。<br /><br />手前の鹿児島の街はまだ静かです。<br />中央を港に向かって延びる大通りは「朝日通り」のようです。街の中央少し右の寺院風の大きな屋根は、「西本願寺鹿児島別院」のようです。

    「おかあさん あれは爆発の噴煙だよ!!」

    思わず、当家のカミさんを起こしてしまいました。
    先ほど静かにたなびいていた噴煙が切れて、ひと塊の噴煙が上がっていました。
    おそらくは小規模な水蒸気爆発だろうと思いますが(“そうでありたい”という気持ちもあって・・)、桜島はやっぱり「活動」していて、小規模な爆発を繰り返しているのですね。

    手前の鹿児島の街はまだ静かです。
    中央を港に向かって延びる大通りは「朝日通り」のようです。街の中央少し右の寺院風の大きな屋根は、「西本願寺鹿児島別院」のようです。

  • こちらの街もまだ静かです。<br /><br />写真右の赤い電波塔は、NTTネオメイト南九州のようです。<br />電波塔の向こうに見える島は、「沖小島」です。 海の中央に見える灯台のある低い島は、「神瀬」という島とは言えない「低〜い島」のようです。<br />遠くの山は、大篦柄岳(おおのがらだけ)の南につづく妻岳・御岳・平岳・横岳など、千m級の高隈山地の山々だと思います。

    こちらの街もまだ静かです。

    写真右の赤い電波塔は、NTTネオメイト南九州のようです。
    電波塔の向こうに見える島は、「沖小島」です。 海の中央に見える灯台のある低い島は、「神瀬」という島とは言えない「低〜い島」のようです。
    遠くの山は、大篦柄岳(おおのがらだけ)の南につづく妻岳・御岳・平岳・横岳など、千m級の高隈山地の山々だと思います。

  • 7時にレストランに来ました。<br />旅行中は体調を考えて早めの食事にしているのですよ。<br /><br />朝はバイキングです。ヨーグルトと二つのお皿分ですよ。<br />バイキングの欠点は、チョットだけにしょうと思いながら、ついついたくさん持ってきてしまうことですよ。ホント、普段の朝食と言えば、左側のお皿の分とヨーグルト程度しか摂らないのにね。<br /><br />きびなごちゃんもありますよ(^^) 黒豚ちゃんはなかったようです(^_^;)

    7時にレストランに来ました。
    旅行中は体調を考えて早めの食事にしているのですよ。

    朝はバイキングです。ヨーグルトと二つのお皿分ですよ。
    バイキングの欠点は、チョットだけにしょうと思いながら、ついついたくさん持ってきてしまうことですよ。ホント、普段の朝食と言えば、左側のお皿の分とヨーグルト程度しか摂らないのにね。

    きびなごちゃんもありますよ(^^) 黒豚ちゃんはなかったようです(^_^;)

  • こっちは当家のカミさんのやつです。<br />カミさんは必ず「パン」を2〜3個持ってきますから、写真を見てもすぐ分かります。<br />

    こっちは当家のカミさんのやつです。
    カミさんは必ず「パン」を2〜3個持ってきますから、写真を見てもすぐ分かります。

  • これは、カミさんのデザートです。<br /><br />当家のカミさんには、デザートも先に持って来ちゃうんですよ(^o^) べつに違反じゃないけどね。<br />「別腹」が3つあるカミさんのこと、こんな感じでどんどん食べてしまうのであります(^^)。<br />まぁ、バイキングで“損”をする人ではないですね(~o~)

    これは、カミさんのデザートです。

    当家のカミさんには、デザートも先に持って来ちゃうんですよ(^o^) べつに違反じゃないけどね。
    「別腹」が3つあるカミさんのこと、こんな感じでどんどん食べてしまうのであります(^^)。
    まぁ、バイキングで“損”をする人ではないですね(~o~)

  • レストランの様子です。<br /><br />時間が早かったのか、宿泊客が少ないのか、少し空いています。

    レストランの様子です。

    時間が早かったのか、宿泊客が少ないのか、少し空いています。

  • 食事の後、前のテラスに出て鹿児島の街を眺めました。<br /><br />「おかあさん、客船らしいのが来ているよ!!」<br />「ホントだ、  どこの船かね〜?」<br /><br />街の右の方の港に客船らしい船を発見したのです。<br />よ〜く見るとやっぱり客船ですね。それも、どこかで見たような形をしている(本で見たのかも)。<br />塗装までがよく似ている。<br /><br />ヒョッとして、セレブリティ・クルーズの船?<br />最近では高級感のあるセレブリティ・クルーズ社の船までが、日本を含むアジアに進出してきていますからね。<br />鹿児島に、こんな船までが寄港するようになった??<br />いやぁ、本当にビックリでしたね。

    食事の後、前のテラスに出て鹿児島の街を眺めました。

    「おかあさん、客船らしいのが来ているよ!!」
    「ホントだ、 どこの船かね〜?」

    街の右の方の港に客船らしい船を発見したのです。
    よ〜く見るとやっぱり客船ですね。それも、どこかで見たような形をしている(本で見たのかも)。
    塗装までがよく似ている。

    ヒョッとして、セレブリティ・クルーズの船?
    最近では高級感のあるセレブリティ・クルーズ社の船までが、日本を含むアジアに進出してきていますからね。
    鹿児島に、こんな船までが寄港するようになった??
    いやぁ、本当にビックリでしたね。

  • ホテルを8時25分のシャトルバスに乗って、これから知覧へ向かいます。<br /><br />ホテルを出発して数分後に前方に見えた建物です。<br />あの屋根の様子が、オランダ農村(と言っても、平らな広い農業地域)で見たものと殆ど同じように感じたのです。<br />なんか芝生を敷き詰めたような感じの屋根ですが、このような屋根を何と言うのでしょうか??<br />ご存じ方、教えて下さいね。

    ホテルを8時25分のシャトルバスに乗って、これから知覧へ向かいます。

    ホテルを出発して数分後に前方に見えた建物です。
    あの屋根の様子が、オランダ農村(と言っても、平らな広い農業地域)で見たものと殆ど同じように感じたのです。
    なんか芝生を敷き詰めたような感じの屋根ですが、このような屋根を何と言うのでしょうか??
    ご存じ方、教えて下さいね。

  • 「おかあさん、あそこにホテルが見えるよ〜」<br />「どこ?どこ?」<br />「ほら、山の上だよ」<br />「あれのこと?」<br /><br />バスの前方に見えた光景です。<br />左上の薄茶のビルが「城山観光ホテル」です。 右上の崖の上にガードレール状のもの見えるところが、城山展望台?かと思います。道路正面の大鳥居とその奥に見えるのが「護国神社」です。<br />写真右端に一部が写っている建物は、鹿児島県立博物館です。

    「おかあさん、あそこにホテルが見えるよ〜」
    「どこ?どこ?」
    「ほら、山の上だよ」
    「あれのこと?」

    バスの前方に見えた光景です。
    左上の薄茶のビルが「城山観光ホテル」です。 右上の崖の上にガードレール状のもの見えるところが、城山展望台?かと思います。道路正面の大鳥居とその奥に見えるのが「護国神社」です。
    写真右端に一部が写っている建物は、鹿児島県立博物館です。

  • 鹿児島中央駅が見えてきました。<br /><br />鹿児島中央駅は傘を開いたような形(T型)になっていて、傘の部分が南北に走る鹿児島本線で、その柄(中棒)の部分が新幹線ホームになっているのです。<br /><br />この写真は、新幹線ホームを北の方から見た様子です。

    鹿児島中央駅が見えてきました。

    鹿児島中央駅は傘を開いたような形(T型)になっていて、傘の部分が南北に走る鹿児島本線で、その柄(中棒)の部分が新幹線ホームになっているのです。

    この写真は、新幹線ホームを北の方から見た様子です。

  • 「おとうさん、なんか白いものが立ってるよ」<br /><br />鹿児島中央駅から指宿枕崎線の普通列車に乗りました、そして30分ほども乗っていったところの右側(山側)にの山の上に、なにやらロケットらしいものが見えて急いで撮ったのがこれです。<br /><br />こんなところに、なぜロケットが??何かの模型でしょうと思っていたのです。これは鹿児島市平川町の錦江湾公園に設置されたH−?型ロケットの実物大模型だそうです。この公園の掲示板では、ロケットの長さは49m、直径は4m、総重量258トンとのことです。<br /><br />なんで、こんなところに? なんか、鹿児島市政百周年記念事業の際に作られたもので、その事業終了後にここへ移したというのです。種子島宇宙センターが鹿児島県にあるということで、ロケットの模型を作ったんでしょうが、やることが違うんではないの?と言いたくなりますね。<br /><br />★H−?ロケットの詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/H-II%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88

    「おとうさん、なんか白いものが立ってるよ」

    鹿児島中央駅から指宿枕崎線の普通列車に乗りました、そして30分ほども乗っていったところの右側(山側)にの山の上に、なにやらロケットらしいものが見えて急いで撮ったのがこれです。

    こんなところに、なぜロケットが??何かの模型でしょうと思っていたのです。これは鹿児島市平川町の錦江湾公園に設置されたH−?型ロケットの実物大模型だそうです。この公園の掲示板では、ロケットの長さは49m、直径は4m、総重量258トンとのことです。

    なんで、こんなところに? なんか、鹿児島市政百周年記念事業の際に作られたもので、その事業終了後にここへ移したというのです。種子島宇宙センターが鹿児島県にあるということで、ロケットの模型を作ったんでしょうが、やることが違うんではないの?と言いたくなりますね。

    ★H−?ロケットの詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/H-II%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88

  • 喜入駅からバス停まで、約270m移動して移動してバスに乗車(喜入のバス停案内図がチョット雑で距離感がつかめない上に、駅長の説明もイマイチで、バス停探しに少々迷いました)。<br />知覧へ向かう道筋での風景は、こんな感じなんですよ。でも、このあたりも「鹿児島市」のようです。<br /><br />「カメちゃん、知覧へ行くなら鹿児島中央駅から知覧行きのバスがあったのに・・」<br />確かにお話の通りなんですけど、所要時間が1時間20分ほどもあるもんですから、トイレの方が心配でやめたんですよ。それで、喜入まで列車で行って、トイレを済ませて、またバスに乗った方がトイレの心配をせずに済むんです。<br /><br />体調に合わせてコースを選定している、というわけです(-_-)

    喜入駅からバス停まで、約270m移動して移動してバスに乗車(喜入のバス停案内図がチョット雑で距離感がつかめない上に、駅長の説明もイマイチで、バス停探しに少々迷いました)。
    知覧へ向かう道筋での風景は、こんな感じなんですよ。でも、このあたりも「鹿児島市」のようです。

    「カメちゃん、知覧へ行くなら鹿児島中央駅から知覧行きのバスがあったのに・・」
    確かにお話の通りなんですけど、所要時間が1時間20分ほどもあるもんですから、トイレの方が心配でやめたんですよ。それで、喜入まで列車で行って、トイレを済ませて、またバスに乗った方がトイレの心配をせずに済むんです。

    体調に合わせてコースを選定している、というわけです(-_-)

  • 「屋久杉工芸てづくりの店」<br /><br />屋久杉工芸って「何を作っているの?」と思いますが、正直なところ分かりません。<br />高級家具とか芸術品?なのかも知れませんね。

    「屋久杉工芸てづくりの店」

    屋久杉工芸って「何を作っているの?」と思いますが、正直なところ分かりません。
    高級家具とか芸術品?なのかも知れませんね。

  • いつの間にか、路肩に灯籠が立ち並んでいます。特攻平和会館と関係あるかと思います。<br /><br />この灯籠の列が結構長く続くんですよ。いったいどれだけあるのでしょうか?<br />

    いつの間にか、路肩に灯籠が立ち並んでいます。特攻平和会館と関係あるかと思います。

    この灯籠の列が結構長く続くんですよ。いったいどれだけあるのでしょうか?

  • 知覧特攻平和会館(以後、「特攻会館」と言います)は、この交差点を右に曲がったところにあるようです。<br /><br />私たちは、まっすぐ武家屋敷に向かいます。<br />武家の家々が続くところは、たしか秋田県にもあって、どなたかの旅行記でも拝見していますけど、私たち自身は行ったことがないのです。本来ならどこにでもあって良さそうなものですが、割と無いのですね。<br /><br />ま、そういうわけで、ここへ来たついでに武家屋敷から見物するのです。

    知覧特攻平和会館(以後、「特攻会館」と言います)は、この交差点を右に曲がったところにあるようです。

    私たちは、まっすぐ武家屋敷に向かいます。
    武家の家々が続くところは、たしか秋田県にもあって、どなたかの旅行記でも拝見していますけど、私たち自身は行ったことがないのです。本来ならどこにでもあって良さそうなものですが、割と無いのですね。

    ま、そういうわけで、ここへ来たついでに武家屋敷から見物するのです。

  • 特攻会館から少し北に行きますと、こんな焼き肉店が見えます。<br /><br />ドライブでお越しになった方には、焼き肉でも是非お楽しみ下さいね(^O^)<br />

    特攻会館から少し北に行きますと、こんな焼き肉店が見えます。

    ドライブでお越しになった方には、焼き肉でも是非お楽しみ下さいね(^O^)

  • バスは「武家屋敷入り口」に到着しました。<br /><br />見て下さい。<br />バス停の名前に相応しく、日本家屋の造りになっていますね。<br />歩道を跨いで造ることで、用地問題を克服しているところはよく考えていますね。<br /><br />こうなってくると、秋田・角館の武家屋敷のバス停がどうなっているか気になるのですが、そんな細かいことまでは分かりません(^O^)<br />しかし、秋田新幹線の角館駅は和風で造ってありましたから、私はエライ!!と思います!(^^)!

    バスは「武家屋敷入り口」に到着しました。

    見て下さい。
    バス停の名前に相応しく、日本家屋の造りになっていますね。
    歩道を跨いで造ることで、用地問題を克服しているところはよく考えていますね。

    こうなってくると、秋田・角館の武家屋敷のバス停がどうなっているか気になるのですが、そんな細かいことまでは分かりません(^O^)
    しかし、秋田新幹線の角館駅は和風で造ってありましたから、私はエライ!!と思います!(^^)!

  • あれ!!<br />県道の歩道脇の用水に、鯉が泳いでいます。<br /><br />綺麗なお水に立派な鯉を歩道脇の泳がせるなんて、なかなかやりますね〜<br />まだ武家屋敷に入っていないのに、こういう造りをして気分を盛り上げるアイディアも立派ですね。<br /><br />アイディアも立派だけど、そのアイディアを採用した人が立派!!だと想います。ホント、良いアイディアがあっても、それを潰してしまうことの方が圧倒的に多いと思いますからね。

    あれ!!
    県道の歩道脇の用水に、鯉が泳いでいます。

    綺麗なお水に立派な鯉を歩道脇の泳がせるなんて、なかなかやりますね〜
    まだ武家屋敷に入っていないのに、こういう造りをして気分を盛り上げるアイディアも立派ですね。

    アイディアも立派だけど、そのアイディアを採用した人が立派!!だと想います。ホント、良いアイディアがあっても、それを潰してしまうことの方が圧倒的に多いと思いますからね。

  • こんな感じで、車道と歩道の間に鯉が放たれた「用水」があるのですよ。<br /><br />歩きながら鯉が見られるし、鯉も長距離遊泳が出来ますから運動になりますね(^^)

    こんな感じで、車道と歩道の間に鯉が放たれた「用水」があるのですよ。

    歩きながら鯉が見られるし、鯉も長距離遊泳が出来ますから運動になりますね(^^)

  • 県道沿いのお店にお雛様が飾ってありましたよ!!(^-^)<br /><br />綺麗な七段飾りのお雛様は、拝見するだけでも心あたたまる感じがします。<br />そう、まだ3月ですからね。<br />これもまた、地元の武家屋敷を盛り立てる意気込みの一つと思いますね。<br /><br />我が家も七段飾りのお雛様があるんだけど、もう長いこと押し入れの奥で眠っておられます(=_=)

    県道沿いのお店にお雛様が飾ってありましたよ!!(^-^)

    綺麗な七段飾りのお雛様は、拝見するだけでも心あたたまる感じがします。
    そう、まだ3月ですからね。
    これもまた、地元の武家屋敷を盛り立てる意気込みの一つと思いますね。

    我が家も七段飾りのお雛様があるんだけど、もう長いこと押し入れの奥で眠っておられます(=_=)

  • こちらのお雛様も立派!!<br /><br />私が小さい頃、実家でも七段飾りのお雛様を飾ったモンです。<br />御武家さんの刀が本物のように抜けるようになっていましたから、コッソリ刀を抜いて楽しんでいたものでした(^^)

    こちらのお雛様も立派!!

    私が小さい頃、実家でも七段飾りのお雛様を飾ったモンです。
    御武家さんの刀が本物のように抜けるようになっていましたから、コッソリ刀を抜いて楽しんでいたものでした(^^)

  • 「おかあさん、そこに立って」<br /><br />右手に見えている城山橋を渡しますと、いよいよ武家屋敷の区域に入るのです。

    「おかあさん、そこに立って」

    右手に見えている城山橋を渡しますと、いよいよ武家屋敷の区域に入るのです。

  • 知覧の街中を流れる「知覧川」です。<br /><br />「カメちゃん!この川は知覧川じゃないよ!!」<br />「えっ!! ホント?そんなこと、ちらんよ」(^O^)<br />そこで調べてみたら「麓川(ふもとがわ)」という川だったのです。<br />正式には「麓川」だったのです。訂正させていただきます(~o~)<br /><br />この川は、どこかの山の麓から流れ出してきたのでしょう。<br />そして、川沿いに知覧の街が形成されてきたのですね〜。

    知覧の街中を流れる「知覧川」です。

    「カメちゃん!この川は知覧川じゃないよ!!」
    「えっ!! ホント?そんなこと、ちらんよ」(^O^)
    そこで調べてみたら「麓川(ふもとがわ)」という川だったのです。
    正式には「麓川」だったのです。訂正させていただきます(~o~)

    この川は、どこかの山の麓から流れ出してきたのでしょう。
    そして、川沿いに知覧の街が形成されてきたのですね〜。

  • 知覧武家屋敷の入り口にある無料駐車場です。<br /><br />この駐車場の入り口の形が良いですね。単なる角形の単純なものではなくて、全体が木造で日本的な造りになっていますね。<br />先ほどのバス停でもそうでしたが、「武家屋敷」のイメージを大切にしていることが分かりますね。

    知覧武家屋敷の入り口にある無料駐車場です。

    この駐車場の入り口の形が良いですね。単なる角形の単純なものではなくて、全体が木造で日本的な造りになっていますね。
    先ほどのバス停でもそうでしたが、「武家屋敷」のイメージを大切にしていることが分かりますね。

  • 知覧武家屋敷の案内図です。<br /><br />「武家屋敷」といっても1軒や2軒の武家屋敷を言うのではなく、地図で書いてあるたくさんの「武家屋敷」が集まっている範囲のことを「武家屋敷」と言っているようです。<br /><br />どこかの街の「武家屋敷」は2軒ほどしかなかったようです。<br />それでも、江戸時代の武士の暮らしを現代に伝える貴重な文化遺産であることには変わりないですね。

    知覧武家屋敷の案内図です。

    「武家屋敷」といっても1軒や2軒の武家屋敷を言うのではなく、地図で書いてあるたくさんの「武家屋敷」が集まっている範囲のことを「武家屋敷」と言っているようです。

    どこかの街の「武家屋敷」は2軒ほどしかなかったようです。
    それでも、江戸時代の武士の暮らしを現代に伝える貴重な文化遺産であることには変わりないですね。

  • ↑の案内図の地図部分を大きくして、主要なところに余計な書き込みをしました。<br />参考にして下されば幸いです。<br /><br />わたしたちの旅は、いつものことながら事前の下調べをしていないので、旅行記を書く時になって気の付くことが多いのです。この案内図をカメラに収めても、すぐ忘れてしまいます。また、簡単なリーフレットを現場で頂いても、すぐには理解できず・・<br /><br />やっぱり、事前学習が大事ですね!!<br />

    ↑の案内図の地図部分を大きくして、主要なところに余計な書き込みをしました。
    参考にして下されば幸いです。

    わたしたちの旅は、いつものことながら事前の下調べをしていないので、旅行記を書く時になって気の付くことが多いのです。この案内図をカメラに収めても、すぐ忘れてしまいます。また、簡単なリーフレットを現場で頂いても、すぐには理解できず・・

    やっぱり、事前学習が大事ですね!!

  • 「おかあさん、このお屋敷を見てみる?」<br />「うん、いいよ」<br /><br />既に大きい門から入っていたのですが、本宅?とその庭園を囲んだ塀にあるこの門をくぐるかどうかをカミさんに尋ねたんです。何をやるにしても、カミさんの了解なしで動くと、怒られるんですよ。<br />オトコはね、辛いのですよ(-_-)<br />当家のカミさんのお許しが出ましたので、これから覗いてみますね。<br /><br />武家屋敷と言いますが、私たちの目にはどこにでも見られる普通の家のように見えてしまいます。<br />もちろん、屋敷の広さとか、家屋全体の広さなど、よく見れば違いますけどね。

    「おかあさん、このお屋敷を見てみる?」
    「うん、いいよ」

    既に大きい門から入っていたのですが、本宅?とその庭園を囲んだ塀にあるこの門をくぐるかどうかをカミさんに尋ねたんです。何をやるにしても、カミさんの了解なしで動くと、怒られるんですよ。
    オトコはね、辛いのですよ(-_-)
    当家のカミさんのお許しが出ましたので、これから覗いてみますね。

    武家屋敷と言いますが、私たちの目にはどこにでも見られる普通の家のように見えてしまいます。
    もちろん、屋敷の広さとか、家屋全体の広さなど、よく見れば違いますけどね。

  • それでは、この門から入りますね。

    それでは、この門から入りますね。

  • こちらは森重堅氏のお屋敷です。<br /><br />森氏は、その昔このお屋敷から直線で150m余(道なり650m余)のところにあった亀甲城の重臣だったとのことで、由緒あるお家柄だったようです。<br /><br />こんなに立派なお庭がありましたよ。<br />池には鯉も泳いでいますよ。<br /><br />拡大されてじっくりご覧下さいね。

    こちらは森重堅氏のお屋敷です。

    森氏は、その昔このお屋敷から直線で150m余(道なり650m余)のところにあった亀甲城の重臣だったとのことで、由緒あるお家柄だったようです。

    こんなに立派なお庭がありましたよ。
    池には鯉も泳いでいますよ。

    拡大されてじっくりご覧下さいね。

  • 雨樋が太い竹で造ってあるのです!<br />それを支える物も木で作ってありますよ!! これは、初めて見ましたね〜。<br />これこそ、本当の時代物で、昔の時代の知恵を見せていただいた思いがしました。<br /><br />これまでも代官屋敷とか古寺など見ていますが、こういうところに目を向けたことがなかったです(-_-;) と言うか、パッと見て分かるようなところになかったと言えるでしょうか?<br />

    雨樋が太い竹で造ってあるのです!
    それを支える物も木で作ってありますよ!! これは、初めて見ましたね〜。
    これこそ、本当の時代物で、昔の時代の知恵を見せていただいた思いがしました。

    これまでも代官屋敷とか古寺など見ていますが、こういうところに目を向けたことがなかったです(-_-;) と言うか、パッと見て分かるようなところになかったと言えるでしょうか?

  • こちらからも竹の樋に注目してみて下さいね。<br /><br />竹の樋が見られて、本当によかったです。

    こちらからも竹の樋に注目してみて下さいね。

    竹の樋が見られて、本当によかったです。

  • 二つの屋根の交わるところでは、左右からきた雨樋の水を黒い“じょうご”(集水器)で受けるのですけど、その“じょうご”も木で作ってあって、下の竹筒とつないであるんですよ。

    二つの屋根の交わるところでは、左右からきた雨樋の水を黒い“じょうご”(集水器)で受けるのですけど、その“じょうご”も木で作ってあって、下の竹筒とつないであるんですよ。

  • だいぶしつこいですが・・(~o~)<br /><br />その“じょうご”のところ下から見ますと、“じょうご”を板で支えながら麻縄かなにかでぐるぐる巻きにして竹の筒につないでいます。<br /><br />これ見られただけでも、この武家屋敷に来て本当によかったと思いましたね。<br />これからは、こういうところにも目を向けてみたいと思います!!<br /><br />この、竹と木で雨樋は何十年も使えるのではなく(竹も木も日照と雨で腐食しやすいので)、ほぼ5年ごとに新しくするそうです。そうして、昔の建築の姿を維持しておられることに、頭の下がる思いがしました。

    だいぶしつこいですが・・(~o~)

    その“じょうご”のところ下から見ますと、“じょうご”を板で支えながら麻縄かなにかでぐるぐる巻きにして竹の筒につないでいます。

    これ見られただけでも、この武家屋敷に来て本当によかったと思いましたね。
    これからは、こういうところにも目を向けてみたいと思います!!

    この、竹と木で雨樋は何十年も使えるのではなく(竹も木も日照と雨で腐食しやすいので)、ほぼ5年ごとに新しくするそうです。そうして、昔の建築の姿を維持しておられることに、頭の下がる思いがしました。

  • ↑の写真で見落としていたんですが、この家では軒が長く出ていますから、  軒の先端と家本体(壁面)との中間に垂木を支える横棒がありますね。<br /><br />九州のように雨と風と日射角度の変化の多い地域では、雨と日照から家を守る軒の役割は大きいです。ですから、このように支えを付けてまでして、軒を長く出しているように思いますね。昔の人は、ホントによく考えていますね。<br /><br />最近、建築材の進歩?もあって軒の出が少ない家が増えていますが、それでも家は劣化していくもの。上にも言いましたような日本の土地柄では、軒は家を守る上でやはり大事な意味があると思います。スタイル重視で軒の出を少なくするのはよろしくないとの話がありますよ。<br /><br />武家屋敷の見物でこんなことまで気が付くなんて、本当に良い勉強になりました。

    ↑の写真で見落としていたんですが、この家では軒が長く出ていますから、 軒の先端と家本体(壁面)との中間に垂木を支える横棒がありますね。

    九州のように雨と風と日射角度の変化の多い地域では、雨と日照から家を守る軒の役割は大きいです。ですから、このように支えを付けてまでして、軒を長く出しているように思いますね。昔の人は、ホントによく考えていますね。

    最近、建築材の進歩?もあって軒の出が少ない家が増えていますが、それでも家は劣化していくもの。上にも言いましたような日本の土地柄では、軒は家を守る上でやはり大事な意味があると思います。スタイル重視で軒の出を少なくするのはよろしくないとの話がありますよ。

    武家屋敷の見物でこんなことまで気が付くなんて、本当に良い勉強になりました。

  • これは、居宅の庭を挟んで向かい側にあった「倉」です。<br /><br />この倉ってちょっと変わっていませんか。普通は壁の漆喰と屋根との間に隙間はないのですけど、この倉では隙間がありますね。<br /><br />この倉は、火事の際に屋根が外せるようになっているとのお話を、この家の管理をしておられる方からお聞きしたのです。<br />なぜかと言いますと、火事による周囲の熱で倉の中のお米などのものが「蒸せられて」しまうからだそうです。それを防ぐために、周囲が火事の時には、倉の中のものが「蒸し状態」にならないよう、屋根を外すのだそうです。<br /><br />どうやって外すのかの方法まではお聞きしていませんが、倉の中の大事な食糧が火事の熱で「蒸せられて」しまうなんてことは初めて知りました。<br />「倉」というものは、壁も屋根もしっかりと固定されているものと思っていたのですが、それではイザ!!と言う時に中の物が「蒸れてしまう」とのお話には、ビックリしました。<br /><br />ネットで調べてみますと、「火事のときに屋根を外せる工夫をしている倉」があるという記事が、やっぱりありましたね。

    これは、居宅の庭を挟んで向かい側にあった「倉」です。

    この倉ってちょっと変わっていませんか。普通は壁の漆喰と屋根との間に隙間はないのですけど、この倉では隙間がありますね。

    この倉は、火事の際に屋根が外せるようになっているとのお話を、この家の管理をしておられる方からお聞きしたのです。
    なぜかと言いますと、火事による周囲の熱で倉の中のお米などのものが「蒸せられて」しまうからだそうです。それを防ぐために、周囲が火事の時には、倉の中のものが「蒸し状態」にならないよう、屋根を外すのだそうです。

    どうやって外すのかの方法まではお聞きしていませんが、倉の中の大事な食糧が火事の熱で「蒸せられて」しまうなんてことは初めて知りました。
    「倉」というものは、壁も屋根もしっかりと固定されているものと思っていたのですが、それではイザ!!と言う時に中の物が「蒸れてしまう」とのお話には、ビックリしました。

    ネットで調べてみますと、「火事のときに屋根を外せる工夫をしている倉」があるという記事が、やっぱりありましたね。

  • さて、こちらのお屋敷を出ようとしましたら(先ほどの門は、屋敷内にある本宅に入るためのもう一つの門でした)、道路から屋敷に入るところにある門の立派さに気付きました。<br />こういう門こそ、武家の格式を表し、訪れた人に「これからお屋敷に入る」という自覚と覚悟を持たせたのかも知れませんね。<br /><br />我が家には、残念ながら門という物がないのです。<br />車に乗ったままブーン!!と入って来れちゃうのです。野良猫ちゃんでも自由に出入りしておるような情けない状態です(-_-;)<br />

    さて、こちらのお屋敷を出ようとしましたら(先ほどの門は、屋敷内にある本宅に入るためのもう一つの門でした)、道路から屋敷に入るところにある門の立派さに気付きました。
    こういう門こそ、武家の格式を表し、訪れた人に「これからお屋敷に入る」という自覚と覚悟を持たせたのかも知れませんね。

    我が家には、残念ながら門という物がないのです。
    車に乗ったままブーン!!と入って来れちゃうのです。野良猫ちゃんでも自由に出入りしておるような情けない状態です(-_-;)

  • 道路側から見ますと、こんな感じです。<br /><br />何だか雨樋と倉に気を取られてしまった森氏のお屋敷でしたけど、そういうところをしっかり再生して維持しておられることをお聞きして、本当に頭の下がる思いがしました。<br /><br />森氏は相当立派な御武家さんだったようですね。<br />

    道路側から見ますと、こんな感じです。

    何だか雨樋と倉に気を取られてしまった森氏のお屋敷でしたけど、そういうところをしっかり再生して維持しておられることをお聞きして、本当に頭の下がる思いがしました。

    森氏は相当立派な御武家さんだったようですね。

  • こちらの門構えもご立派ですね。<br /><br />二本差しのお侍が従者を従えて、出入りする様子が目に浮かんできますよ(^^)<br />このお屋敷は中を拝見しませんでした。

    こちらの門構えもご立派ですね。

    二本差しのお侍が従者を従えて、出入りする様子が目に浮かんできますよ(^^)
    このお屋敷は中を拝見しませんでした。

  • 次ぎに見えてきたのはこちらです。<br /><br />こちらも立派ですね。<br />なんか、“ぜんざい”という文字が気になりますね(^^)<br />

    次ぎに見えてきたのはこちらです。

    こちらも立派ですね。
    なんか、“ぜんざい”という文字が気になりますね(^^)

  • 「ぜんざい」の表示のところを見てまい、なんかヨダレが出てきました(~o~)<br /><br />「おかあさん、“ぜんざい”食べたいな^^; おかあさんも食べたい?」<br />カミさんが何と言うか? 心臓がドキドキしてきましたね(@_@)<br />「おとうさん、“ぜんざい”が欲しいの?」<br />「ここでお昼にしてもいいから、知覧の“ぜんざい”を食べたいな・・m(_ _)m」<br />「それじゃあ、とにかく入ってみようね」(^-^)<br />カミさんが許可してくれて、正直とっても嬉しかったね!(^^)!<br /><br />九州のある地域では、甘みの薄い“ぜんざい”が出されると聞いたことがありますので、鹿児島・知覧の“ぜんざい”はどんな味か? それも興味があったんですよ。<br />私たちの「三河のおしるこ」はとても甘いのですけど、さぁどうかな?

    「ぜんざい」の表示のところを見てまい、なんかヨダレが出てきました(~o~)

    「おかあさん、“ぜんざい”食べたいな^^; おかあさんも食べたい?」
    カミさんが何と言うか? 心臓がドキドキしてきましたね(@_@)
    「おとうさん、“ぜんざい”が欲しいの?」
    「ここでお昼にしてもいいから、知覧の“ぜんざい”を食べたいな・・m(_ _)m」
    「それじゃあ、とにかく入ってみようね」(^-^)
    カミさんが許可してくれて、正直とっても嬉しかったね!(^^)!

    九州のある地域では、甘みの薄い“ぜんざい”が出されると聞いたことがありますので、鹿児島・知覧の“ぜんざい”はどんな味か? それも興味があったんですよ。
    私たちの「三河のおしるこ」はとても甘いのですけど、さぁどうかな?

  • 門を入ってみますと、こんなに綺麗な光景に出あいました。<br /><br />白い花と濃いピンク色の花が春のとっても綺麗でした。<br />右の赤い花は椿でしょうか。<br /><br />そうそう、“ぜんざい”の方にばかり気になっていましたが(^_^;) こちらは高城氏のお屋敷です。<br />

    門を入ってみますと、こんなに綺麗な光景に出あいました。

    白い花と濃いピンク色の花が春のとっても綺麗でした。
    右の赤い花は椿でしょうか。

    そうそう、“ぜんざい”の方にばかり気になっていましたが(^_^;) こちらは高城氏のお屋敷です。

  • 高城庵さんの前に掲示してあったメニューです。<br />メニューがこんなにたくさんあって、ビックリ!!(^^) <br /><br />酒すし定食、姫御膳、竹の子定食・・。<br />どれも美味しそうだけど、“ぜんざい”でお許しをもらっている関係上、これが食べたい!!なんてことは言えません(-_-) ここは、“ぜんざい”でガマンです(=_=)<br />オトコはつらいね〜(-_-;)

    高城庵さんの前に掲示してあったメニューです。
    メニューがこんなにたくさんあって、ビックリ!!(^^) 

    酒すし定食、姫御膳、竹の子定食・・。
    どれも美味しそうだけど、“ぜんざい”でお許しをもらっている関係上、これが食べたい!!なんてことは言えません(-_-) ここは、“ぜんざい”でガマンです(=_=)
    オトコはつらいね〜(-_-;)

  • “ぜんざい”を頂くところは、レストラン風ではなくてお座敷でした!!(^_^)<br /><br />玄関で靴を脱いで、畳の間に上がります。<br />その正面にお内裏様とお雛様が飾ってありました。仲睦まじい感じで、とっても良いですね。<br />このお二人は、カカア天下か亭主関白か? 皆さんはどう思われますか?<br />お内裏様が緊張しているところを見ますと、どうもカカア天下くさいね!!

    “ぜんざい”を頂くところは、レストラン風ではなくてお座敷でした!!(^_^)

    玄関で靴を脱いで、畳の間に上がります。
    その正面にお内裏様とお雛様が飾ってありました。仲睦まじい感じで、とっても良いですね。
    このお二人は、カカア天下か亭主関白か? 皆さんはどう思われますか?
    お内裏様が緊張しているところを見ますと、どうもカカア天下くさいね!!

  • 奥の間に入ります。<br /><br />既にお膳が並んでいるところは予約席のようです。<br />床の間の草書で書いた掛け軸と、右の額がいいですね。<br />掛け軸の方はサッパリ読めません(-_-;) 額の方には「敬天愛人」と書いてあるようです。<br /><br />「愛人」を持っているのは、だいたいが美男子でお金持ちですよね。<br />私には愛人はいません。でも、「カカア天下」のカミさんがいるのです(^^;)←結婚以来、お茶碗洗いや足腰のマッサージなどをしてご機嫌を取るのが、私のもう一つの仕事になったのでありました(-_-;)<br />ホント、『愛人』どころではないのであります!!(T_T)<br /><br />皆さんのお宅では如何ですか?

    奥の間に入ります。

    既にお膳が並んでいるところは予約席のようです。
    床の間の草書で書いた掛け軸と、右の額がいいですね。
    掛け軸の方はサッパリ読めません(-_-;) 額の方には「敬天愛人」と書いてあるようです。

    「愛人」を持っているのは、だいたいが美男子でお金持ちですよね。
    私には愛人はいません。でも、「カカア天下」のカミさんがいるのです(^^;)←結婚以来、お茶碗洗いや足腰のマッサージなどをしてご機嫌を取るのが、私のもう一つの仕事になったのでありました(-_-;)
    ホント、『愛人』どころではないのであります!!(T_T)

    皆さんのお宅では如何ですか?

  • “ぜんざい”が出てきました。<br /><br />カミさんは「いもぜんざい」を、私は普通の「あずきぜんざい」お願いしました。<br /><br />「いもぜんざい」の感触は、私たちが子供の頃食べていた「芋しるこ」に似ていました。当然と言えば当然ですが、懐かしいし、身体にもいいんです。<br />あずきの「ぜんざい」は、まぁ、普通の“ぜんざい”です。細かい味付けでは知覧ならではの味付けがあると思いますが、鈍感な私の舌では分からなかったです。<br /><br />“ぜんざい”には、どちらもお餅が入っていましたよ。<br />お茶は「知覧茶」とのことでしたが、とても良いお味で良かったですよ。

    “ぜんざい”が出てきました。

    カミさんは「いもぜんざい」を、私は普通の「あずきぜんざい」お願いしました。

    「いもぜんざい」の感触は、私たちが子供の頃食べていた「芋しるこ」に似ていました。当然と言えば当然ですが、懐かしいし、身体にもいいんです。
    あずきの「ぜんざい」は、まぁ、普通の“ぜんざい”です。細かい味付けでは知覧ならではの味付けがあると思いますが、鈍感な私の舌では分からなかったです。

    “ぜんざい”には、どちらもお餅が入っていましたよ。
    お茶は「知覧茶」とのことでしたが、とても良いお味で良かったですよ。

  • 「おかあさん、撮るよ」<br /><br />チョット記念写真です(^^)

    「おかあさん、撮るよ」

    チョット記念写真です(^^)

  • 「おとうさんも撮るよ」<br /><br />ちょうどお口にお餅を含んでいるところでした。<br />私たちは、縁側のところの丸テーブルの席に座りました。こういうお席があるのも、武家屋敷ならではですよね。

    「おとうさんも撮るよ」

    ちょうどお口にお餅を含んでいるところでした。
    私たちは、縁側のところの丸テーブルの席に座りました。こういうお席があるのも、武家屋敷ならではですよね。

  • 私の席のすぐ後ろに知覧茶の説明がありました。<br /><br />知覧は高級茶の産地だったんですね。<br />品質向上のために年に3回も審査会をしているとか。 その努力の成果でしょうか、地域ブランドにお茶部門で第1号に認定されたとか。さらに、全国茶品評会で3年連続で日本一!!を受賞したんですね。土地も良かったけど、日ごろの努力がさらに良かったのですね。ホントに、何事も努力ですからね!!<br /><br />鹿児島は静岡件に次いで2番目にお茶の生産が多く、年産12万トン余で全国のお茶の32%を占めているそうです。これは知りませんでしたね。3位の三重県になると一桁減って3万3千トン余なんですから、ダントツに多いんですね。<br /><br />ただ、高級なお茶といえば「抹茶」ですけど、鹿児島では抹茶の生産が少ないそうです。「質実剛健」を旨とする鹿児島では、抹茶などで茶の湯を楽しむ贅沢は控えたとか。鹿児島らしい話ですね。<br /><br />私も同じで抹茶で茶の湯を楽しむ贅沢を控えて、コーヒーと黒砂糖をドン!と入れた濃いめのコーヒーにして、花林糖と共にいただいておるような次第であります。御陰様で?歯がだいぶ抜けました(-_-;)

    私の席のすぐ後ろに知覧茶の説明がありました。

    知覧は高級茶の産地だったんですね。
    品質向上のために年に3回も審査会をしているとか。 その努力の成果でしょうか、地域ブランドにお茶部門で第1号に認定されたとか。さらに、全国茶品評会で3年連続で日本一!!を受賞したんですね。土地も良かったけど、日ごろの努力がさらに良かったのですね。ホントに、何事も努力ですからね!!

    鹿児島は静岡件に次いで2番目にお茶の生産が多く、年産12万トン余で全国のお茶の32%を占めているそうです。これは知りませんでしたね。3位の三重県になると一桁減って3万3千トン余なんですから、ダントツに多いんですね。

    ただ、高級なお茶といえば「抹茶」ですけど、鹿児島では抹茶の生産が少ないそうです。「質実剛健」を旨とする鹿児島では、抹茶などで茶の湯を楽しむ贅沢は控えたとか。鹿児島らしい話ですね。

    私も同じで抹茶で茶の湯を楽しむ贅沢を控えて、コーヒーと黒砂糖をドン!と入れた濃いめのコーヒーにして、花林糖と共にいただいておるような次第であります。御陰様で?歯がだいぶ抜けました(-_-;)

  • 高城庵を出て少し行きましたら、「旧高城家住宅」と表示された門がありました。<br /><br />先ほど“ぜんざい”を頂いたところが高城庵だったし、また高城家?と思いましたけど、とにかく入ってみましょう(^^)

    高城庵を出て少し行きましたら、「旧高城家住宅」と表示された門がありました。

    先ほど“ぜんざい”を頂いたところが高城庵だったし、また高城家?と思いましたけど、とにかく入ってみましょう(^^)

  • 門を入って進みますと、ちょっと変わった家がありました。<br />萱葺き屋根のお家を2つ繫いだ格好になっています。2つの家を繫いでいるところが面白いです。<br /><br />こういう家の造り方を、「二ッ家(二ッ屋)」と言うそうです。<br />元来は居住用の家と台所や囲炉裏のある家とを別々に建てていたものを、軒先を大きな雨樋で繫いだりして、二つの建物を行き来できるようにして繫いでしまったとのことです。雨の多い地域ですから、こういう必要を感じ、知恵を懲らしたんでしょうね。<br /><br />これを「知覧型二ツ家民家(または“二ッ屋”)」といい、民家建築史において数少ない貴重な遺産となっているようです。こういう住居を持てたことは、武家の中でも一定程度の地位を得ていた人かと想像しますね。<br /><br />チョット疑問なのは、一方で瓦屋根の住宅を持ち、もう一方で萱葺きの住宅を持つというのはどういうことでしょうかね。建てた時代が違っていてのでしょうか?。

    門を入って進みますと、ちょっと変わった家がありました。
    萱葺き屋根のお家を2つ繫いだ格好になっています。2つの家を繫いでいるところが面白いです。

    こういう家の造り方を、「二ッ家(二ッ屋)」と言うそうです。
    元来は居住用の家と台所や囲炉裏のある家とを別々に建てていたものを、軒先を大きな雨樋で繫いだりして、二つの建物を行き来できるようにして繫いでしまったとのことです。雨の多い地域ですから、こういう必要を感じ、知恵を懲らしたんでしょうね。

    これを「知覧型二ツ家民家(または“二ッ屋”)」といい、民家建築史において数少ない貴重な遺産となっているようです。こういう住居を持てたことは、武家の中でも一定程度の地位を得ていた人かと想像しますね。

    チョット疑問なのは、一方で瓦屋根の住宅を持ち、もう一方で萱葺きの住宅を持つというのはどういうことでしょうかね。建てた時代が違っていてのでしょうか?。

  • 「二ッ屋」の説明板です。<br /><br />2つの家のそれぞれに玄関があって居住用の間(家)を「おもて」と言い、台所や囲炉裏の部屋のある方の家を「なかえ」と言い、この二つの間(部屋・家)を小棟でだつないだという造りですね。<br />平成6年に「かなえ」の方を復元したようですね。<br /><br />↑の写真の左手の方が「かなえ」のようで、団体さんがお昼の食事をされていました。

    「二ッ屋」の説明板です。

    2つの家のそれぞれに玄関があって居住用の間(家)を「おもて」と言い、台所や囲炉裏の部屋のある方の家を「なかえ」と言い、この二つの間(部屋・家)を小棟でだつないだという造りですね。
    平成6年に「かなえ」の方を復元したようですね。

    ↑の写真の左手の方が「かなえ」のようで、団体さんがお昼の食事をされていました。

  • 二つ家の萱葺き屋根の厚さと鬼瓦です。<br /><br />屋根を形成する茅の厚みはスゴイですね。30cmどころじゃないようですね。40センチ以上はあるんじゃないかという印象を持ちます。<br /><br />鬼瓦の形がとてもシンプルですね。でも、よく見ると両側のトンガリが角にも見えて、厄除けの意味が含まれているように思います。<br /><br />★鬼瓦の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%93%A6

    二つ家の萱葺き屋根の厚さと鬼瓦です。

    屋根を形成する茅の厚みはスゴイですね。30cmどころじゃないようですね。40センチ以上はあるんじゃないかという印象を持ちます。

    鬼瓦の形がとてもシンプルですね。でも、よく見ると両側のトンガリが角にも見えて、厄除けの意味が含まれているように思います。

    ★鬼瓦の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%93%A6

  • ↑の鬼瓦ですけど、良く表面を見ますと凸凹していて、焼き物ではなくて石を削って造られたように見えます。<br /><br />鬼の顔のような造りをせず、厄除けの願いを単純・率直な形で表そうとしていることに、愛着さえ感じますね。<br />

    ↑の鬼瓦ですけど、良く表面を見ますと凸凹していて、焼き物ではなくて石を削って造られたように見えます。

    鬼の顔のような造りをせず、厄除けの願いを単純・率直な形で表そうとしていることに、愛着さえ感じますね。

  • 縁の下には暖炉や竈(くど=かまど)用の薪がたくさん押し込んでありました。<br /><br />二ッ屋の再建だけでなく、ここまで気配りしてあの時代を表現したのは立派ですね。<br />私が成人することまでは、実家ではお勝手もお風呂もこのような薪をくべた(燃やした)モンです。<br /><br />今から半世紀ちょっと前までは、1年分の薪と芝を得るため冬場に大八車を引いて、山に入ったものでした。薪が無くてならない時代では、山などの一定範囲を共同所有して薪や草木の新芽を採るなどして利用する「入会権」というのが、人々の暮らしと地域共同体の存在にとって必要且つ大切だったのです。この頃は「入会権」で争うことも聞いたことさえないですね。<br /><br />田舎の段々畑なども共同所有の山を切り開いて造成したものが多かったです。<br /><br />★入会権の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E4%BC%9A%E6%A8%A9

    縁の下には暖炉や竈(くど=かまど)用の薪がたくさん押し込んでありました。

    二ッ屋の再建だけでなく、ここまで気配りしてあの時代を表現したのは立派ですね。
    私が成人することまでは、実家ではお勝手もお風呂もこのような薪をくべた(燃やした)モンです。

    今から半世紀ちょっと前までは、1年分の薪と芝を得るため冬場に大八車を引いて、山に入ったものでした。薪が無くてならない時代では、山などの一定範囲を共同所有して薪や草木の新芽を採るなどして利用する「入会権」というのが、人々の暮らしと地域共同体の存在にとって必要且つ大切だったのです。この頃は「入会権」で争うことも聞いたことさえないですね。

    田舎の段々畑なども共同所有の山を切り開いて造成したものが多かったです。

    ★入会権の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E4%BC%9A%E6%A8%A9

  • 「おもて」の前のお庭です。<br /><br />サツキと庭石と生け垣、その向こうに竹林と杉?檜の山・・。<br /><br />お庭もいいけど、山とつながっている感じも良いね。<br />5月の連休頃には、お庭の彩りと向こうの山との対照が素晴らしくなるかも?と思います。<br />これも、お庭造りに秘訣なのかも知れませんね(^^)

    「おもて」の前のお庭です。

    サツキと庭石と生け垣、その向こうに竹林と杉?檜の山・・。

    お庭もいいけど、山とつながっている感じも良いね。
    5月の連休頃には、お庭の彩りと向こうの山との対照が素晴らしくなるかも?と思います。
    これも、お庭造りに秘訣なのかも知れませんね(^^)

  • ご覧の通りのカッパさんです。<br /><br />武家屋敷と、河童にかこつけた女性の裸体像・・(-_-;)<br />昔の人々の暮らしと文化を拝見し、歴史に学ぶ武家屋敷に相応しい置物なのか?<br />ヨーロッパの歴史遺産の街に、民話にかこつけた女性の裸体像を置いているのでしょうか。チョット考えてしまいました。<br /><br />河童の像を置くとするなら、江戸時代中期のカッパの像とか、日本の伝統的な河童像を置いた方がいいのでは?と思います。讃岐民芸館では、子供をおんぶした河童の絵が展示してありました。

    ご覧の通りのカッパさんです。

    武家屋敷と、河童にかこつけた女性の裸体像・・(-_-;)
    昔の人々の暮らしと文化を拝見し、歴史に学ぶ武家屋敷に相応しい置物なのか?
    ヨーロッパの歴史遺産の街に、民話にかこつけた女性の裸体像を置いているのでしょうか。チョット考えてしまいました。

    河童の像を置くとするなら、江戸時代中期のカッパの像とか、日本の伝統的な河童像を置いた方がいいのでは?と思います。讃岐民芸館では、子供をおんぶした河童の絵が展示してありました。

  • 今度はこちらの佐多直忠氏のお庭を拝見します。<br /><br />イヌマキ(遠州や三河では、「ホソバ」とも言います)が塀の変わりにも、庭の飾りにもなって、落ち着いた感じになっています。

    今度はこちらの佐多直忠氏のお庭を拝見します。

    イヌマキ(遠州や三河では、「ホソバ」とも言います)が塀の変わりにも、庭の飾りにもなって、落ち着いた感じになっています。

  • この説明によれば、↑の写真の家は昭和7年4月に瓦葺きに改築されるまでは、茅葺き屋根の造りだったようです(一部瓦葺き)。<br /><br />昭和7年のことですから、茅葺きの原型を保存するということ考えが、国にも地域にもまだまだ弱かったかも知れませんね。

    この説明によれば、↑の写真の家は昭和7年4月に瓦葺きに改築されるまでは、茅葺き屋根の造りだったようです(一部瓦葺き)。

    昭和7年のことですから、茅葺きの原型を保存するということ考えが、国にも地域にもまだまだ弱かったかも知れませんね。

  • それでも、居宅の前のお庭は保存されて、江戸時代の庭園の形を現在に残されたのです。<br /><br />このお庭は屋根の日陰模様で分かりますように、母屋の北側にあります。暖かい南の風が当たりにくい庭園ですね。<br />撮影の角度が悪かったのですが、梅の枝の向こうに大きな岩とその上にさらに縦長の石を置いて、中国の&#40643;山を思わせるような岩山を形作っています(築山)。<br /><br />武家屋敷の通りは東西に走っているので、Google mapで見ても分かりますが、道の南側の屋敷では、家の日陰になる部分には植木などがないですね。<br />左端の枝の多い木は梅の木で、丸く刈ってあるのはイヌマキだそうです。

    それでも、居宅の前のお庭は保存されて、江戸時代の庭園の形を現在に残されたのです。

    このお庭は屋根の日陰模様で分かりますように、母屋の北側にあります。暖かい南の風が当たりにくい庭園ですね。
    撮影の角度が悪かったのですが、梅の枝の向こうに大きな岩とその上にさらに縦長の石を置いて、中国の黃山を思わせるような岩山を形作っています(築山)。

    武家屋敷の通りは東西に走っているので、Google mapで見ても分かりますが、道の南側の屋敷では、家の日陰になる部分には植木などがないですね。
    左端の枝の多い木は梅の木で、丸く刈ってあるのはイヌマキだそうです。

  • こちらの御門も立派です。<br /><br />門の両側の塀もコンクリートブロックではないようで、これも良かったと思います。

    こちらの御門も立派です。

    門の両側の塀もコンクリートブロックではないようで、これも良かったと思います。

  • 武家屋敷の通りです。<br /><br />この通りを「本馬場通り」と言うようです。<br />「馬場」というのは“大路”(おおじ≒大通り)のことで、写真の通りこの本馬場通りを挟むようにして武家屋敷が続いています。<br />道の両側は写真の通り低い石垣と、その上のイヌマキの垣根が続きます。昔はこうして個人の暮らしを見られないようにしていたのですね。<br /><br />きょうは平日(木曜日)のせいでしょうか、この道を行く人は団体さんと出会うとき以外では、とても少ないです。

    武家屋敷の通りです。

    この通りを「本馬場通り」と言うようです。
    「馬場」というのは“大路”(おおじ≒大通り)のことで、写真の通りこの本馬場通りを挟むようにして武家屋敷が続いています。
    道の両側は写真の通り低い石垣と、その上のイヌマキの垣根が続きます。昔はこうして個人の暮らしを見られないようにしていたのですね。

    きょうは平日(木曜日)のせいでしょうか、この道を行く人は団体さんと出会うとき以外では、とても少ないです。

  • 屋敷内の倉が見えてきました。<br />撮影を忘れましたが、こちらは佐多美舟邸です。佐多姓の家が2軒目です。<br /><br />こちらは、最初見た倉とは少々違うようですね。<br />垣根も立派ですがお庭の木(山茶花かな?)も綺麗な形に整えてありますね。<br /><br />お屋敷内に入ってみましょう。

    屋敷内の倉が見えてきました。
    撮影を忘れましたが、こちらは佐多美舟邸です。佐多姓の家が2軒目です。

    こちらは、最初見た倉とは少々違うようですね。
    垣根も立派ですがお庭の木(山茶花かな?)も綺麗な形に整えてありますね。

    お屋敷内に入ってみましょう。

  • こちらの倉を見ますと壁と屋根が漆喰でつながれ、屋根が固定されているみたいです。<br /><br />同じ地域内で、火事の際に屋根を外せる倉と外せない倉があるということですね。<br />倉に保管する物の違いでもあるのか? 考え方の違いがあるのか? 内部で蒸れた空気を抜く別の方法があるのか? その違いとは何か?<br />そのあたりは、今の私には分かりません(-_-;)。<br />

    こちらの倉を見ますと壁と屋根が漆喰でつながれ、屋根が固定されているみたいです。

    同じ地域内で、火事の際に屋根を外せる倉と外せない倉があるということですね。
    倉に保管する物の違いでもあるのか? 考え方の違いがあるのか? 内部で蒸れた空気を抜く別の方法があるのか? その違いとは何か?
    そのあたりは、今の私には分かりません(-_-;)。

  • 同じお屋敷の居宅の方です。<br /><br />平屋建てでありながら、屋根が2重?2層になっています。<br /><br />そう言えば、これまで拝見してきた家にも、このようなお宅が多かったようです。台風の多い地域なのに、それでも風の抵抗をまともに受けてしまうような二重屋根を造るのは、何かの意味があるのでしょうね。<br /><br />これまで勝手に「二重屋根」と書いてきましたが、こういう家根の造り方を何と言うのでしょうかね?<br />現在では少なくなってしまった建築スタイルですが、わたしたちの実家の方(西尾市南部)では、「中二階」と言っていました。確かにそう言われることもあるのですが、見たとおりに「二重屋根」とも言われるようです。<br />上下の屋根の間に小窓のある作り方では「厨子二階(つしにかい)」とも言われているようです。<br /><br />江戸時代では「町人が武士を上から見下ろすのはイケナイ」とされて、特に高位の武家とか、大勢の客を泊める宿場町や養蚕をしている家などを除いて、2階建て建築は許されなかったみたいです。<br />民家の2階建て建築が広まってきたのは大正・昭和の時代になってからのようです(特に戦後の時代)。

    同じお屋敷の居宅の方です。

    平屋建てでありながら、屋根が2重?2層になっています。

    そう言えば、これまで拝見してきた家にも、このようなお宅が多かったようです。台風の多い地域なのに、それでも風の抵抗をまともに受けてしまうような二重屋根を造るのは、何かの意味があるのでしょうね。

    これまで勝手に「二重屋根」と書いてきましたが、こういう家根の造り方を何と言うのでしょうかね?
    現在では少なくなってしまった建築スタイルですが、わたしたちの実家の方(西尾市南部)では、「中二階」と言っていました。確かにそう言われることもあるのですが、見たとおりに「二重屋根」とも言われるようです。
    上下の屋根の間に小窓のある作り方では「厨子二階(つしにかい)」とも言われているようです。

    江戸時代では「町人が武士を上から見下ろすのはイケナイ」とされて、特に高位の武家とか、大勢の客を泊める宿場町や養蚕をしている家などを除いて、2階建て建築は許されなかったみたいです。
    民家の2階建て建築が広まってきたのは大正・昭和の時代になってからのようです(特に戦後の時代)。

  • ↑のお屋敷のお庭です。<br />こちらのお庭は家の南側にあるため、日陰はありません。<br />庭の中央奥には、上でも見ましたように、頂点を細くして高く積んだ岩がありました。周りに中傷の岩や緑を配置して、「滝=枯滝」を表現しているというのです。<br /><br />この庭を造った庭師は、山水を書いた水墨画の世界を想像しながら岩や木を配置したことでしょう。<br />なんか、あの中国・桂林からの「漓江下り」を思い出してしまいましたね。<br /><br />★中国・漓江の様子は↓にて<br />http://4travel.jp/travelogue/10569703<br />http://4travel.jp/travelogue/10570236

    ↑のお屋敷のお庭です。
    こちらのお庭は家の南側にあるため、日陰はありません。
    庭の中央奥には、上でも見ましたように、頂点を細くして高く積んだ岩がありました。周りに中傷の岩や緑を配置して、「滝=枯滝」を表現しているというのです。

    この庭を造った庭師は、山水を書いた水墨画の世界を想像しながら岩や木を配置したことでしょう。
    なんか、あの中国・桂林からの「漓江下り」を思い出してしまいましたね。

    ★中国・漓江の様子は↓にて
    http://4travel.jp/travelogue/10569703
    http://4travel.jp/travelogue/10570236

  • こんな小さい門がありました。<br />といっても、これは屋敷内の居宅とそれ以外の土地との境にある門で、一般の通りに面した門ではないですよ。形は違いますが、森氏のお屋敷にも小さい門がありました。<br /><br />一つの屋敷内で、居宅の周りを瓦屋根付きの塀で仕切るお屋敷なんて、屋敷の広さもさることながら、贅沢な話のように思いますね。

    こんな小さい門がありました。
    といっても、これは屋敷内の居宅とそれ以外の土地との境にある門で、一般の通りに面した門ではないですよ。形は違いますが、森氏のお屋敷にも小さい門がありました。

    一つの屋敷内で、居宅の周りを瓦屋根付きの塀で仕切るお屋敷なんて、屋敷の広さもさることながら、贅沢な話のように思いますね。

  • 今度は小さな瓦屋根が載った茅葺き屋根が見えてきました。<br /><br />近づいてみますと、補修工事中??だったために屋敷内に入れず、垣根の外から見るしかなかったのです。<br />先ほどの高城氏の二ツ家では、茅葺き屋根の大棟に木の板と竹と茅を束ねたものを、山型に組んだ子屋根が載せてありましたが、こちらは瓦葺きの子屋根ですね。<br />(この「子屋根」も勝手な言い方ですが、正しい名称を知っておられたら教えて下さいね)

    今度は小さな瓦屋根が載った茅葺き屋根が見えてきました。

    近づいてみますと、補修工事中??だったために屋敷内に入れず、垣根の外から見るしかなかったのです。
    先ほどの高城氏の二ツ家では、茅葺き屋根の大棟に木の板と竹と茅を束ねたものを、山型に組んだ子屋根が載せてありましたが、こちらは瓦葺きの子屋根ですね。
    (この「子屋根」も勝手な言い方ですが、正しい名称を知っておられたら教えて下さいね)

  • 道路脇の掲示板です。<br />いま、私たちがこの掲示板を見ている道路と位置は、「本馬場通り」の「現在地」になります。<br /><br />この掲示板では、武家屋敷がここに存在することに関して結構大事なことが説明されています。<br />薩摩藩は藩内を113の外城に分け区画に分け、御仮屋という役所(知覧は領主仮屋)を置いて領民を治めたようです。その御仮屋に通じる道沿いに武家の屋敷が出来たみたいですね。知覧もその外城の一つだったというわけです。<br /><br />知覧の特徴に付け加えるとすれば、これまで見て来た佐多氏が島津家の親族の内にあり、島津家の重臣を勤めた格式を持つ家柄だったこと(後に島津姓を名乗った)。<br />また、佐多氏は南北朝時代から知覧城を拠点にこの地域を治めていたという話があります。その後、支配者の交代はあものの、知覧は地域支配の拠点であり続け、1610年代に佐多氏が地頭職に復帰し、地頭職から領主となったなどという話もあります。<br /><br />それから、これまで見て来た門の形式は「腕木門(うでぎ‐もん)」だったこと(石柱門もある)、庭園が主屋と馬場(道路)との間に造られたこと、庭園形式が「枯山水様式」だったこと(森重堅氏庭園だけは、築山泉水式庭園)。庭園に池がなかったから、「枯山水」と言うわけでしょうか。<br />【※】庭園様式は、もっと詳しい様式で書いてあることもあります。<br /><br />多くの屋敷内庭園のうち、地図内で白丸に数字のある7つだけが国指定文化財になっています。ここに入るには入園料が必要とありますが、一度払えば7つのお屋敷を見学出来ますよ。<br /><br />知覧の武家屋敷がこうして見られるのも、時代に流れや幕末−明治の戦争による被害などの時代の波を、偶然に乗り越えられてきたからですね。武家屋敷の保護活動については、昭和50年頃からの話がありますけど、それ以外のことは分かりません。<br />それまで、保護活動が大きな力を持たない中で、このような歴史遺産を守ってこられた方々には心底から頭の下がる思いです。

    道路脇の掲示板です。
    いま、私たちがこの掲示板を見ている道路と位置は、「本馬場通り」の「現在地」になります。

    この掲示板では、武家屋敷がここに存在することに関して結構大事なことが説明されています。
    薩摩藩は藩内を113の外城に分け区画に分け、御仮屋という役所(知覧は領主仮屋)を置いて領民を治めたようです。その御仮屋に通じる道沿いに武家の屋敷が出来たみたいですね。知覧もその外城の一つだったというわけです。

    知覧の特徴に付け加えるとすれば、これまで見て来た佐多氏が島津家の親族の内にあり、島津家の重臣を勤めた格式を持つ家柄だったこと(後に島津姓を名乗った)。
    また、佐多氏は南北朝時代から知覧城を拠点にこの地域を治めていたという話があります。その後、支配者の交代はあものの、知覧は地域支配の拠点であり続け、1610年代に佐多氏が地頭職に復帰し、地頭職から領主となったなどという話もあります。

    それから、これまで見て来た門の形式は「腕木門(うでぎ‐もん)」だったこと(石柱門もある)、庭園が主屋と馬場(道路)との間に造られたこと、庭園形式が「枯山水様式」だったこと(森重堅氏庭園だけは、築山泉水式庭園)。庭園に池がなかったから、「枯山水」と言うわけでしょうか。
    【※】庭園様式は、もっと詳しい様式で書いてあることもあります。

    多くの屋敷内庭園のうち、地図内で白丸に数字のある7つだけが国指定文化財になっています。ここに入るには入園料が必要とありますが、一度払えば7つのお屋敷を見学出来ますよ。

    知覧の武家屋敷がこうして見られるのも、時代に流れや幕末−明治の戦争による被害などの時代の波を、偶然に乗り越えられてきたからですね。武家屋敷の保護活動については、昭和50年頃からの話がありますけど、それ以外のことは分かりません。
    それまで、保護活動が大きな力を持たない中で、このような歴史遺産を守ってこられた方々には心底から頭の下がる思いです。

  • 文字列の端が切れてしまいましたが、一応「二ッ屋」の説明です。<br /><br /><br />鹿児島県には、他の地域に較べて武士の割合が飛び抜けて多いといわれています(ほかにも、似たような藩があります)。<br />「幕藩体制下の人口と武士の割合 社会構造と現代社会」のネット記事によれば、士農工商のうち、人口の84%までが農民で、武士は7%、残りの9%は工商とその他という構成だそうです。ところが、薩摩藩では武士の割合が3割とか4割と言われるほどだったというのです。<br /><br />その理由は、薩摩藩では豊臣秀吉の九州平定によって、それまで九州の殆どを支配していた島津氏は多くの家臣をみるハメに陥ったと言われています。また、武士のリストラをしなったと言う説もあります(武士のリストラは可能なのかは分かりませんけど)。<br /><br />いずれにしても、領地を100以上に区画割りして武士たちを分散させ、藩士半農で自活させたというのです(外城制)。知覧茶栽培にも多くの武士たちが加わったという話もあります。武士たちは鍛冶屋もやり百姓もやり、茶道具もつくったり、いろいろやって貧乏暮らしをしていたというのです。そんな武士たちの暮らしは、他藩の足軽身分の武士よりもズッと貧しかったとか。<br /><br />そうした貧しい武士たちの暮らしを知ると、この武家屋敷は何だろうかと思います。そこは「身分社会」でしょうか。そこを知ることは旅行者個人としてはなかなか難しいことです。<br />勝手に想像すれば、知覧を治めた佐多氏が島津家の有力分家であったことが、その家臣をしてこのような屋敷を持ち得ることにつながったのでしょう。また、これが下位の者へ見せる権威のありようだったかも知れませんね。

    文字列の端が切れてしまいましたが、一応「二ッ屋」の説明です。


    鹿児島県には、他の地域に較べて武士の割合が飛び抜けて多いといわれています(ほかにも、似たような藩があります)。
    「幕藩体制下の人口と武士の割合 社会構造と現代社会」のネット記事によれば、士農工商のうち、人口の84%までが農民で、武士は7%、残りの9%は工商とその他という構成だそうです。ところが、薩摩藩では武士の割合が3割とか4割と言われるほどだったというのです。

    その理由は、薩摩藩では豊臣秀吉の九州平定によって、それまで九州の殆どを支配していた島津氏は多くの家臣をみるハメに陥ったと言われています。また、武士のリストラをしなったと言う説もあります(武士のリストラは可能なのかは分かりませんけど)。

    いずれにしても、領地を100以上に区画割りして武士たちを分散させ、藩士半農で自活させたというのです(外城制)。知覧茶栽培にも多くの武士たちが加わったという話もあります。武士たちは鍛冶屋もやり百姓もやり、茶道具もつくったり、いろいろやって貧乏暮らしをしていたというのです。そんな武士たちの暮らしは、他藩の足軽身分の武士よりもズッと貧しかったとか。

    そうした貧しい武士たちの暮らしを知ると、この武家屋敷は何だろうかと思います。そこは「身分社会」でしょうか。そこを知ることは旅行者個人としてはなかなか難しいことです。
    勝手に想像すれば、知覧を治めた佐多氏が島津家の有力分家であったことが、その家臣をしてこのような屋敷を持ち得ることにつながったのでしょう。また、これが下位の者へ見せる権威のありようだったかも知れませんね。

  • このような形の門を、「腕木門」と言われるようです。<br /><br />この腕木門にもいろいろな形あり、それぞれに様式があるようです。ところが、門の部分の名称とか様式名が私には分かりにくくて・・(-_-;)<br /><br />こちらの門は、「袖屋根」を備えた“立派な門”だと多くの方が書いておられるのですが、「袖屋根」ってどの部分?って思っちゃうんですよ。私は“A”が袖屋根だと思うのですが、ヒョッとして“<br />B”かも?って不安になるのです(-_-;) <br />もし、“A”が袖屋根なら、“B”は何と言うのか?それも分からないのです(T_T) このことをご存じの方、是非教えて下さいねm(_ _)m<br /><br />実は、門に袖屋根のあるお屋敷は分家ではなく「本家」だというのです。私たちド素人がそれを見分けるには、「袖屋根」が有るか無いかを見るのが分かりやすいという話なのです。<br /><br />当家は、分家の分家の分家から出た分家なんですよ。息子の家は当家の分家ですから、我が家も息子の家も、こんな立派な門を構えることは出来ないのです。

    このような形の門を、「腕木門」と言われるようです。

    この腕木門にもいろいろな形あり、それぞれに様式があるようです。ところが、門の部分の名称とか様式名が私には分かりにくくて・・(-_-;)

    こちらの門は、「袖屋根」を備えた“立派な門”だと多くの方が書いておられるのですが、「袖屋根」ってどの部分?って思っちゃうんですよ。私は“A”が袖屋根だと思うのですが、ヒョッとして“
    B”かも?って不安になるのです(-_-;) 
    もし、“A”が袖屋根なら、“B”は何と言うのか?それも分からないのです(T_T) このことをご存じの方、是非教えて下さいねm(_ _)m

    実は、門に袖屋根のあるお屋敷は分家ではなく「本家」だというのです。私たちド素人がそれを見分けるには、「袖屋根」が有るか無いかを見るのが分かりやすいという話なのです。

    当家は、分家の分家の分家から出た分家なんですよ。息子の家は当家の分家ですから、我が家も息子の家も、こんな立派な門を構えることは出来ないのです。

  • こちらのイヌマキの生け垣は、峰の続く山脈のような形をしていますね。<br />まっすぐな生け垣もいいけど、こういう形に仕上げるという意気込みは立派だと思います。<br /><br />このような生け垣自体は、ヨーロッパの庭園でもよく見かけます。<br />私の地元の部落でも、家の周りにこのような生け垣でを持っている家が多かったです。道路との境や屋敷の境など、今でもずいぶん見られます。我が家もこんなに綺麗なものではないですが、チョットだけ雑な生け垣がありますよ。<br />

    こちらのイヌマキの生け垣は、峰の続く山脈のような形をしていますね。
    まっすぐな生け垣もいいけど、こういう形に仕上げるという意気込みは立派だと思います。

    このような生け垣自体は、ヨーロッパの庭園でもよく見かけます。
    私の地元の部落でも、家の周りにこのような生け垣でを持っている家が多かったです。道路との境や屋敷の境など、今でもずいぶん見られます。我が家もこんなに綺麗なものではないですが、チョットだけ雑な生け垣がありますよ。

  • こちらは、↑の生け垣のある平山亮一氏の邸宅です・<br /><br />門を入ってすぐ、これが目に入りました。<br />外出から戻ったら、ここで手と顔を洗い、口を濯いだんでしょうか。<br />或いは、そうではなくて、こんな風流なところで金魚でも泳がせていた(^^) なんてことも想像してしまいます。<br /><br />昔の人は本当に風流だったと思います。

    こちらは、↑の生け垣のある平山亮一氏の邸宅です・

    門を入ってすぐ、これが目に入りました。
    外出から戻ったら、ここで手と顔を洗い、口を濯いだんでしょうか。
    或いは、そうではなくて、こんな風流なところで金魚でも泳がせていた(^^) なんてことも想像してしまいます。

    昔の人は本当に風流だったと思います。

  • チョット後ろに下がって周囲の様子を入れて撮影しますと、こんな感じになります。<br /><br />こちらも二重屋根の造りになっていますけど、こうしてみますと二重屋根って豪華な造りですね。

    チョット後ろに下がって周囲の様子を入れて撮影しますと、こんな感じになります。

    こちらも二重屋根の造りになっていますけど、こうしてみますと二重屋根って豪華な造りですね。

  • 居宅の前(居宅の北側・道路と居宅の間)のお庭を拝見。<br /><br />この庭園は大きな石を積み上げた枯れ滝もなく、イヌマキの周辺に石を配置するわけでもないですね。<br />低いイヌマキの波模様と、山並みを模った高い生け垣の組み合わせで庭園を造り、遠くに聳える母ヶ岳(標高517m、北東に約2.7km)を庭園の眺めに取り入れているようです。一見単純にして奥行きがある庭園の造り方は、よく考えられたものだと思います。<br /><br />この日はお天気が良くて、借景を取り入れたこのような眺めを楽しめました(^^)<br />ホントによいお天気で、知覧の方々も「きょうはこの春で一番暖かい日になったよ」とお話して下さいました。当家のカミさんも厚くなって上着を脱いでしまいました(^^)

    居宅の前(居宅の北側・道路と居宅の間)のお庭を拝見。

    この庭園は大きな石を積み上げた枯れ滝もなく、イヌマキの周辺に石を配置するわけでもないですね。
    低いイヌマキの波模様と、山並みを模った高い生け垣の組み合わせで庭園を造り、遠くに聳える母ヶ岳(標高517m、北東に約2.7km)を庭園の眺めに取り入れているようです。一見単純にして奥行きがある庭園の造り方は、よく考えられたものだと思います。

    この日はお天気が良くて、借景を取り入れたこのような眺めを楽しめました(^^)
    ホントによいお天気で、知覧の方々も「きょうはこの春で一番暖かい日になったよ」とお話して下さいました。当家のカミさんも厚くなって上着を脱いでしまいました(^^)

  • イヌマキの新芽と屋根の模様です。<br /><br />日本建築は、「屋根が美しい」と言われるように、いい感じの写真になりました(^O^)

    イヌマキの新芽と屋根の模様です。

    日本建築は、「屋根が美しい」と言われるように、いい感じの写真になりました(^O^)

  • 平山家の門を内側から撮らせて頂きました。<br /><br />ここでは門の一段低い屋根が、片側しかないですね。<br />門の位置をチョット左に寄せれば良かったのに・・と思いますが、これはこれで特色ある門の形で、訪問者にとっては分かりやすかったことでしょう(^^)<br />

    平山家の門を内側から撮らせて頂きました。

    ここでは門の一段低い屋根が、片側しかないですね。
    門の位置をチョット左に寄せれば良かったのに・・と思いますが、これはこれで特色ある門の形で、訪問者にとっては分かりやすかったことでしょう(^^)

  • 本馬場通りに出ました。<br /><br />右手の高いイヌマキが丸い形が素敵ですね。<br />あの一番高いところは、どうやって刈り取ったのかと、他人事ながら悩んでしまいました(^O^)

    本馬場通りに出ました。

    右手の高いイヌマキが丸い形が素敵ですね。
    あの一番高いところは、どうやって刈り取ったのかと、他人事ながら悩んでしまいました(^O^)

  • 平山克己氏の邸宅です。<br /><br />この家は大正時代の大火事で焼け、大正5年に再建されたとのことです。<br />あまり念入りに監察していなかったのですが、一部の壁にはトタンが使用されているような感じです。<br />しかし、二重家根などを見ますと、基本的な作り方は以前の形を踏襲しているかと思います。

    平山克己氏の邸宅です。

    この家は大正時代の大火事で焼け、大正5年に再建されたとのことです。
    あまり念入りに監察していなかったのですが、一部の壁にはトタンが使用されているような感じです。
    しかし、二重家根などを見ますと、基本的な作り方は以前の形を踏襲しているかと思います。

  • ちょっと気を引かれたのが、この瓦です。<br />全体の瓦は綺麗なのに、棟瓦と隅鬼瓦だけがとても古い感じがするのです。<br /><br />火災でやむなく家は建て直したけれど、文化の形が残るこの部分だけは以前のものを使用したように見受けられます。歴史と文化を引き継いで行く姿勢が察せられて、とても嬉しく思いました。<br /><br />この武家屋敷地域に屋敷を構える武家たちは、知覧外城を治める上でも、場合によっては島津藩にとっても重要な職務につくことがあると思います。ここの平山氏でも知覧外城において、要職を務めたという話がありますね。

    ちょっと気を引かれたのが、この瓦です。
    全体の瓦は綺麗なのに、棟瓦と隅鬼瓦だけがとても古い感じがするのです。

    火災でやむなく家は建て直したけれど、文化の形が残るこの部分だけは以前のものを使用したように見受けられます。歴史と文化を引き継いで行く姿勢が察せられて、とても嬉しく思いました。

    この武家屋敷地域に屋敷を構える武家たちは、知覧外城を治める上でも、場合によっては島津藩にとっても重要な職務につくことがあると思います。ここの平山氏でも知覧外城において、要職を務めたという話がありますね。

  • 平山克己庭園の中心部分です。<br /><br />高い石積の塔を守るように、その後ろにマイヌキで山のような形を作っています。<br />申し越し離れて撮っておれば、大きなイヌマキの形は背後の母ヶ岳の山並みの一つに溶け込んでいたかも知れませんね。<br /><br />大小の山と波を形づくるイヌマキの中に、形良い岩を配置した上に幾つもの灯籠を配置しているところ、とても贅沢な庭園造りですね。<br /><br />ここまで来ると、ヨーロッパの個人庭園はどうなっているのだろうかと思います。<br />岩合さんの「世界ネコ歩き」の番組で、普通のアパートの庭が時々出ますが、時には富豪の庭も登場します。そこのお庭は、直線や曲線で仕切られた地面に草花や木を植え込み、また鉢を並べたりしている場合が多いような感じがします。通常は池やなども少なく(あっても小さい)、自然石を並べたり(石組み)したりすることはないですね。言ってみれば池のない枯山水式庭園でもなくて、「枯水式草木庭園」になるのでしょうか(~o~)(^O^)

    平山克己庭園の中心部分です。

    高い石積の塔を守るように、その後ろにマイヌキで山のような形を作っています。
    申し越し離れて撮っておれば、大きなイヌマキの形は背後の母ヶ岳の山並みの一つに溶け込んでいたかも知れませんね。

    大小の山と波を形づくるイヌマキの中に、形良い岩を配置した上に幾つもの灯籠を配置しているところ、とても贅沢な庭園造りですね。

    ここまで来ると、ヨーロッパの個人庭園はどうなっているのだろうかと思います。
    岩合さんの「世界ネコ歩き」の番組で、普通のアパートの庭が時々出ますが、時には富豪の庭も登場します。そこのお庭は、直線や曲線で仕切られた地面に草花や木を植え込み、また鉢を並べたりしている場合が多いような感じがします。通常は池やなども少なく(あっても小さい)、自然石を並べたり(石組み)したりすることはないですね。言ってみれば池のない枯山水式庭園でもなくて、「枯水式草木庭園」になるのでしょうか(~o~)(^O^)

  • 今度は西郷氏の庭園にやってきました。<br /><br />中央の石を中心とした、イヌマキと石と木の組み合わせがとても良いですね。<br /><br />生け花にも似ているような木がします。

    今度は西郷氏の庭園にやってきました。

    中央の石を中心とした、イヌマキと石と木の組み合わせがとても良いですね。

    生け花にも似ているような木がします。

  • こちらも、灯籠の数は少ないですが、先ほどの平山克己庭園に似ていますね。<br /><br />撮影を忘れましたが、あの一番奥の枯れ滝の石組みを「鶴」に、下の低いイヌマキと岩の組み合わせを「亀」に見立てているというのです。<br />さざ波寄せ海辺で楽しむ「亀」と、その上にいる「鶴」というわけですが、想像がつきますか?(~o~)

    こちらも、灯籠の数は少ないですが、先ほどの平山克己庭園に似ていますね。

    撮影を忘れましたが、あの一番奥の枯れ滝の石組みを「鶴」に、下の低いイヌマキと岩の組み合わせを「亀」に見立てているというのです。
    さざ波寄せ海辺で楽しむ「亀」と、その上にいる「鶴」というわけですが、想像がつきますか?(~o~)

  • ↑での、鶴と亀の場所です(^o^)<br /><br />このような屋敷と庭園を持ち得た人たちとは、武士の中でもどのような人だったのでしょうか。<br />武士でも、上士・中士・下士があって、さらに、その一つ一つの階級の中で3〜5程度の階層に別れているのです。例えば、下士(足軽クラス)でも4階級あるというのです(&gt;_&lt;) 下っ端の武士では無理ですね(同じことは、農民でも証人でも言えることですけど)。<br /><br />こんな武士の階層の中でも、「武家屋敷」を持てるのは上士と言われる身分で、亀甲城において「上級家臣」と言われた人々だったようです。馬に乗れる身分と言えましょうか。上士と言っても、仕える殿様が10万石とか30万石の大藩の殿様なら大きな屋敷が持てますけど、1万石も無いような殿様なら大藩の中士クラスの屋敷になるそうです。<br /><br />↑でも述べたことですが、知覧の領主であった佐多氏は大名ではありませんが、島津家の有力家臣で、江戸時代から1700石の一所持ち(いっしょもち)の家格を与えられ、藩政の中枢をになっていたという家柄だったのです。<br /><br /><br />★佐多家のことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%A4%9A%E6%B0%8F<br />★一所持ちの詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%89%80%E6%8C%81

    ↑での、鶴と亀の場所です(^o^)

    このような屋敷と庭園を持ち得た人たちとは、武士の中でもどのような人だったのでしょうか。
    武士でも、上士・中士・下士があって、さらに、その一つ一つの階級の中で3〜5程度の階層に別れているのです。例えば、下士(足軽クラス)でも4階級あるというのです(>_<) 下っ端の武士では無理ですね(同じことは、農民でも証人でも言えることですけど)。

    こんな武士の階層の中でも、「武家屋敷」を持てるのは上士と言われる身分で、亀甲城において「上級家臣」と言われた人々だったようです。馬に乗れる身分と言えましょうか。上士と言っても、仕える殿様が10万石とか30万石の大藩の殿様なら大きな屋敷が持てますけど、1万石も無いような殿様なら大藩の中士クラスの屋敷になるそうです。

    ↑でも述べたことですが、知覧の領主であった佐多氏は大名ではありませんが、島津家の有力家臣で、江戸時代から1700石の一所持ち(いっしょもち)の家格を与えられ、藩政の中枢をになっていたという家柄だったのです。


    ★佐多家のことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%A4%9A%E6%B0%8F
    ★一所持ちの詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%89%80%E6%8C%81

  • カメラを↑の写真の位置から右にずらして、庭園の西の角を撮ってみました。<br /><br />石組みなど目立たなくても、これだけでチャンとサマになっていますね。<br />

    カメラを↑の写真の位置から右にずらして、庭園の西の角を撮ってみました。

    石組みなど目立たなくても、これだけでチャンとサマになっていますね。

  • 西郷氏の居宅には豪華なお雛様が飾ってありました。<br /><br />なんと!!14段もありますよ!(^^)!<br />お人形の数も80人?90人??なんていうほど、大勢いますよ。<br />最上段の真ん中は大殿様で、両側がその子供夫婦でしょうか?<br /><br />これらのお雛様には、ひな壇でのお勤めが終わったら「ご苦労様でした」と申し上げて、お酒と鹿児島の黒豚でも召し上がって頂きたいですね。

    西郷氏の居宅には豪華なお雛様が飾ってありました。

    なんと!!14段もありますよ!(^^)!
    お人形の数も80人?90人??なんていうほど、大勢いますよ。
    最上段の真ん中は大殿様で、両側がその子供夫婦でしょうか?

    これらのお雛様には、ひな壇でのお勤めが終わったら「ご苦労様でした」と申し上げて、お酒と鹿児島の黒豚でも召し上がって頂きたいですね。

  • この建物のあたりに、「御仮屋」があったようです。<br />その御仮屋って何だろうと思いました。<br /><br />薩摩藩では豊臣秀吉によって現在の鹿児島県を中心とした地域に封じ込められたのち、よほど懲りたのか藩内をがっちり固めようとして地方を100以上に分けて武士を住まわせ、藩士半農のかたわら地域支配の役割を担わせたと言うのです。<br />そこの地方領主を地頭(地域の支配管理役)を命じながら、鹿児島の鶴丸城(内城)付近に居住させさたのです。そのため地頭に代わって地域の有力武士が政治や軍事の役割を果たすようになり、その拠点(事務所のようなもの)として建てたものが、「主人のいない仮の屋敷」と言うことから「御仮屋」というように言われたようです。 このような仕組みを「外城」と言うようです。<br /><br />その御仮屋付近に有力武士の居宅(屋敷)群がつくられ、これを「麓」と言ったようです。これが今で言う「武家屋敷」となったということのようです。<br /><br />理屈で言えば、武家屋敷は「外城」の数だけあったはずですが、現在はどれほど残っているのか? 詳しいことは分かりませんが、15ヶ所以上で見られるようです(但し、屋敷内及び建物内をどの程度公開しているかは分かりません)。出水市、薩摩川内市、姶良市、志布志市、南さつま市、南九州市、指宿市の武家屋敷がよく知られているようです。

    この建物のあたりに、「御仮屋」があったようです。
    その御仮屋って何だろうと思いました。

    薩摩藩では豊臣秀吉によって現在の鹿児島県を中心とした地域に封じ込められたのち、よほど懲りたのか藩内をがっちり固めようとして地方を100以上に分けて武士を住まわせ、藩士半農のかたわら地域支配の役割を担わせたと言うのです。
    そこの地方領主を地頭(地域の支配管理役)を命じながら、鹿児島の鶴丸城(内城)付近に居住させさたのです。そのため地頭に代わって地域の有力武士が政治や軍事の役割を果たすようになり、その拠点(事務所のようなもの)として建てたものが、「主人のいない仮の屋敷」と言うことから「御仮屋」というように言われたようです。 このような仕組みを「外城」と言うようです。

    その御仮屋付近に有力武士の居宅(屋敷)群がつくられ、これを「麓」と言ったようです。これが今で言う「武家屋敷」となったということのようです。

    理屈で言えば、武家屋敷は「外城」の数だけあったはずですが、現在はどれほど残っているのか? 詳しいことは分かりませんが、15ヶ所以上で見られるようです(但し、屋敷内及び建物内をどの程度公開しているかは分かりません)。出水市、薩摩川内市、姶良市、志布志市、南さつま市、南九州市、指宿市の武家屋敷がよく知られているようです。

  • 武家屋敷の西に流れる麓川(ふもとがわ)に架かる橋と、公園?でしょうか。<br /><br />武家屋敷となんの関係もないのか?この公園のことはどの掲示板にも書いてなかったです。

    武家屋敷の西に流れる麓川(ふもとがわ)に架かる橋と、公園?でしょうか。

    武家屋敷となんの関係もないのか?この公園のことはどの掲示板にも書いてなかったです。

  • 橋の上から麓川を眺めました。<br /><br />向こうに見える白い家根の建物は、南九州市立知覧図書館です。

    橋の上から麓川を眺めました。

    向こうに見える白い家根の建物は、南九州市立知覧図書館です。

  • 「おかあさん、この灯籠って面白いね。写真でも撮ろうか」<br />公園に立つ灯籠を入れて、記念の写真です<br />。<br />下調べもせずに来た知覧の武家屋敷。<br />鹿児島の、いや豊臣家の九州征伐に始まる島津家の運命の一端を、知覧という一農村において偲ばせてくれているところでしたね。<br />もういっぺん来て、丁寧に監察したいと思いました。

    「おかあさん、この灯籠って面白いね。写真でも撮ろうか」
    公園に立つ灯籠を入れて、記念の写真です

    下調べもせずに来た知覧の武家屋敷。
    鹿児島の、いや豊臣家の九州征伐に始まる島津家の運命の一端を、知覧という一農村において偲ばせてくれているところでしたね。
    もういっぺん来て、丁寧に監察したいと思いました。

  • この東屋もいいですね。<br /><br />伊豆・熱海の海岸にあった「ギリシャ神殿」風の造りにならなくて、本当に良かったです。

    この東屋もいいですね。

    伊豆・熱海の海岸にあった「ギリシャ神殿」風の造りにならなくて、本当に良かったです。

  • こちらは、南九州市の市役所です。<br /><br />武家屋敷という歴史遺産を一生懸命守っている町だというのに、チョット頂けないスタイルですね〜。近くの市立図書館でも一応和風の形になっているんだし、市役所も何らかの形で歴史を残す町と言うことを表現して欲しいですよね。<br />市役所ではないけど、武家屋敷のある角館の新幹線駅は和風の造りになっていますよ。

    こちらは、南九州市の市役所です。

    武家屋敷という歴史遺産を一生懸命守っている町だというのに、チョット頂けないスタイルですね〜。近くの市立図書館でも一応和風の形になっているんだし、市役所も何らかの形で歴史を残す町と言うことを表現して欲しいですよね。
    市役所ではないけど、武家屋敷のある角館の新幹線駅は和風の造りになっていますよ。

  • これより、「知覧特攻平和会館」に立ち寄って行きますが、写真枚数が増えてしまいますので、「旅行記」としては通過して、鹿児島へ帰ります。<br />【※】知覧特攻平和会館の旅行記はいずれ別冊でUPします。

    これより、「知覧特攻平和会館」に立ち寄って行きますが、写真枚数が増えてしまいますので、「旅行記」としては通過して、鹿児島へ帰ります。
    【※】知覧特攻平和会館の旅行記はいずれ別冊でUPします。

  • 知覧駅はJR指宿枕崎線にあって、鹿児島中央駅から鹿児島湾沿いに南に25km程のところにあります。鹿児島中央駅から知覧止まりの列車も多い駅です。<br /><br />余計な話ですが、喜入駅だけでなく指宿枕崎線の駅員の中には、JR九州の社員ではない人もいるようですね。どう見ても素直でもないし、真面目でもない。客に対応する業務には向かない人が駅業務をやっているんです。<br /><br />世の中、いろいろありますね。

    知覧駅はJR指宿枕崎線にあって、鹿児島中央駅から鹿児島湾沿いに南に25km程のところにあります。鹿児島中央駅から知覧止まりの列車も多い駅です。

    余計な話ですが、喜入駅だけでなく指宿枕崎線の駅員の中には、JR九州の社員ではない人もいるようですね。どう見ても素直でもないし、真面目でもない。客に対応する業務には向かない人が駅業務をやっているんです。

    世の中、いろいろありますね。

  • 列車の時間に余裕があったので、チョット駅周辺を歩いてみました。<br /><br />こちらは、家に煙突のあるお家です。<br />今時にしては本当に珍しいですね。つい懐かしくなって撮らせて頂きました。<br /><br />私たちの世代が中学を卒業して社会人になったころは(S30年代初期)、煮物は全て竈(くど<br />=かまど)でやったものですから、その時刻頃になるとその家からも食事の支度をする竈の煙が、部落の家々の煙突から上がったモンです。<br /><br />実家が区(地域の末端組織=当時の共同体)から借りていた山の段々畑から、わたしたちの部落が見えていたのです。夕方になると、家々の煙突から煙が上がってくるんですけど、それを見た時、<br />「おっかちゃんが、飯炊いとる・・」<br />と心の中で叫び喜んだものです。そんな人情を感じさせる夕時の風景は、遠い思い出の彼方に行ってしまったのです。同じように、山の畑から漁に出て行く船を見送る時も、父の姿を胸に何とも言えない想いを感じたものでした。<br /><br />民家の屋根に立つ煙突・・。<br />たかが煙突なれど、煙突から煙の出た時代とは、そういう情に満ちた時代でもあったのです。

    列車の時間に余裕があったので、チョット駅周辺を歩いてみました。

    こちらは、家に煙突のあるお家です。
    今時にしては本当に珍しいですね。つい懐かしくなって撮らせて頂きました。

    私たちの世代が中学を卒業して社会人になったころは(S30年代初期)、煮物は全て竈(くど
    =かまど)でやったものですから、その時刻頃になるとその家からも食事の支度をする竈の煙が、部落の家々の煙突から上がったモンです。

    実家が区(地域の末端組織=当時の共同体)から借りていた山の段々畑から、わたしたちの部落が見えていたのです。夕方になると、家々の煙突から煙が上がってくるんですけど、それを見た時、
    「おっかちゃんが、飯炊いとる・・」
    と心の中で叫び喜んだものです。そんな人情を感じさせる夕時の風景は、遠い思い出の彼方に行ってしまったのです。同じように、山の畑から漁に出て行く船を見送る時も、父の姿を胸に何とも言えない想いを感じたものでした。

    民家の屋根に立つ煙突・・。
    たかが煙突なれど、煙突から煙の出た時代とは、そういう情に満ちた時代でもあったのです。

  • 駅に戻ろうとして振り返ってみると、ベランダの壁模様が美しいアパートを見つけました。<br /><br />コンクリート造りで高さもあって、オマケに北向きですからお布団が干せるようでもないですが、<br />あの白い格子のような枠模様が目を引きますね。<br /><br />チョットのアイディアでこんなにお洒落になるんですから、是非ぜひ【参考】にして欲しいですね。

    駅に戻ろうとして振り返ってみると、ベランダの壁模様が美しいアパートを見つけました。

    コンクリート造りで高さもあって、オマケに北向きですからお布団が干せるようでもないですが、
    あの白い格子のような枠模様が目を引きますね。

    チョットのアイディアでこんなにお洒落になるんですから、是非ぜひ【参考】にして欲しいですね。

  • 列車から海が見えるようになってきましたので、そちらの方を見ていましたら大きなタンクたくさん並んでいました。それで、急いで撮ったのがこれでした。<br /><br />ここに何が入っているのか?<br />輸入された牛乳とかミルクかも? これだけ大きいから石油かも?と思って調べてみたら、ここは石油の備蓄基地だって(@_@)<br />。<br />写真に写っているタンクは、高さ22.6m、直径81.5mという巨大なタンクが並んでいる様子です。タンク一つに入る原油の量は10.9万キロリットルとのこと。このタンクが30基もあるのです。 私たちが伊良湖水道で見た28万トンタンカー一隻で、このタンク3個を満タンにしてなお余るというわけです。<br />さらにこのタンクの向こうにもっと大きい直径100mのタンクが24基もあるんですよ。1基の容量は16.4万キロリットルとかです。<br /><br />ここまで来ると、石油の備蓄量が気になります(^o^)<br />これも調べてみますと・・<br />国家石油備蓄基地は約10ヶ所あって、 8070万キロリットル(製品換算・うち国家備蓄4782万キロリットル)。合計備蓄日数197日分(15年3月時点)。 国家石油ガス備蓄基地の方は5ヶ所で、2832万トン(うち国家備蓄952万トン)。合計備蓄日数94.4日分。 ということになるようです。石油は約半年分。石油ガスは約3箇月分の備蓄をしていると言うことですね。<br /><br />いずれにしても、日本は資源貧国です。その資源故に争ったのが、あの戦争だったわけです。ですから、争うのではなく、人としても国としても、キチンと対話外交の出来る条件と能力と積極性を身につけることが、不可欠なのだと思います。

    列車から海が見えるようになってきましたので、そちらの方を見ていましたら大きなタンクたくさん並んでいました。それで、急いで撮ったのがこれでした。

    ここに何が入っているのか?
    輸入された牛乳とかミルクかも? これだけ大きいから石油かも?と思って調べてみたら、ここは石油の備蓄基地だって(@_@)

    写真に写っているタンクは、高さ22.6m、直径81.5mという巨大なタンクが並んでいる様子です。タンク一つに入る原油の量は10.9万キロリットルとのこと。このタンクが30基もあるのです。 私たちが伊良湖水道で見た28万トンタンカー一隻で、このタンク3個を満タンにしてなお余るというわけです。
    さらにこのタンクの向こうにもっと大きい直径100mのタンクが24基もあるんですよ。1基の容量は16.4万キロリットルとかです。

    ここまで来ると、石油の備蓄量が気になります(^o^)
    これも調べてみますと・・
    国家石油備蓄基地は約10ヶ所あって、 8070万キロリットル(製品換算・うち国家備蓄4782万キロリットル)。合計備蓄日数197日分(15年3月時点)。 国家石油ガス備蓄基地の方は5ヶ所で、2832万トン(うち国家備蓄952万トン)。合計備蓄日数94.4日分。 ということになるようです。石油は約半年分。石油ガスは約3箇月分の備蓄をしていると言うことですね。

    いずれにしても、日本は資源貧国です。その資源故に争ったのが、あの戦争だったわけです。ですから、争うのではなく、人としても国としても、キチンと対話外交の出来る条件と能力と積極性を身につけることが、不可欠なのだと思います。

  • 今度は桜島が見えてきました。<br /><br />遠い上に、何となくモヤッてきましたのでスッキリしませんが、頂上部分の広い富士山のようにも見えますね。<br /><br />遠くの方に、今朝ホテルから見たような客船?が南に向かっています。<br />今は午後5時を回っていますが、鹿児島出港時刻が早かったようですね。

    今度は桜島が見えてきました。

    遠い上に、何となくモヤッてきましたのでスッキリしませんが、頂上部分の広い富士山のようにも見えますね。

    遠くの方に、今朝ホテルから見たような客船?が南に向かっています。
    今は午後5時を回っていますが、鹿児島出港時刻が早かったようですね。

  • 今朝、ホテルから見た船と思われる船が南に向かっているのを見つけました。<br /><br />どう見ても、セレブリティ・クルーズの「マーキュリー号」に似ていると思われて仕方なかったので、チョット調べて見ました。<br /><br />やっぱり、勘は当たりました。<br />この船は、セレブリティ・クルーズ社の元センチュリー級(3隻)のうちの、「センチュリー号」だったのです(マーキュリー号も3隻うちの一隻)。<br />ところが、その3隻ともが別の会社に移籍していたのです。センチュリー号は現在、あの22万トン客船を保有するRCCL社と、中国の旅行会社Cトリップが出資した合弁企業に移籍して、「スカイシー・ゴールデン・エラ号」となって、アジア周辺のクルーズに就航しているのです。<br /><br />「スカイシー・ゴールデン・エラ号」は、昨年から安価なクルーズ料金で日本寄港を頻繁に繰り返し、鹿児島だけでも今年15回の寄港を予定しているのです(熊本震災後、寄港予定が変わっています)。 欧米の大クルーズ企業が、10万トン以上の大型客船を東アジアに多数配船してきており、寄港回数は爆発的に増えています。その上に、中国のクルーズ企業までが参入してきているのですから、日本船にとっては容易ならざる状況に追い詰められていると言えます。<br /><br />日本の主要港、とりわけ西日本、特に九州への客船入港予定を見ますと、その多い日程の内の殆どが外国船によって占められ、日本の客船の存在は本当に小さくなっています。<br /><br />外国の方々が船に乗って日本に来て下さるのは嬉しいのですが、日本のクルーズ事業をどうするのかということも、キチッとした対策を早急に講じなければならないですね。<br />経済誌などは、イノベーションだ(&gt;_&lt;) モチベーションだ(-_-;) インスピレーションだ(*_*) サルべーションだ(^O^)(~o~)・・・などと、現場も知らずにカタカナ語を振り回して景気のイイことを言っていますが、実態は本当に厳しいですね。

    今朝、ホテルから見た船と思われる船が南に向かっているのを見つけました。

    どう見ても、セレブリティ・クルーズの「マーキュリー号」に似ていると思われて仕方なかったので、チョット調べて見ました。

    やっぱり、勘は当たりました。
    この船は、セレブリティ・クルーズ社の元センチュリー級(3隻)のうちの、「センチュリー号」だったのです(マーキュリー号も3隻うちの一隻)。
    ところが、その3隻ともが別の会社に移籍していたのです。センチュリー号は現在、あの22万トン客船を保有するRCCL社と、中国の旅行会社Cトリップが出資した合弁企業に移籍して、「スカイシー・ゴールデン・エラ号」となって、アジア周辺のクルーズに就航しているのです。

    「スカイシー・ゴールデン・エラ号」は、昨年から安価なクルーズ料金で日本寄港を頻繁に繰り返し、鹿児島だけでも今年15回の寄港を予定しているのです(熊本震災後、寄港予定が変わっています)。 欧米の大クルーズ企業が、10万トン以上の大型客船を東アジアに多数配船してきており、寄港回数は爆発的に増えています。その上に、中国のクルーズ企業までが参入してきているのですから、日本船にとっては容易ならざる状況に追い詰められていると言えます。

    日本の主要港、とりわけ西日本、特に九州への客船入港予定を見ますと、その多い日程の内の殆どが外国船によって占められ、日本の客船の存在は本当に小さくなっています。

    外国の方々が船に乗って日本に来て下さるのは嬉しいのですが、日本のクルーズ事業をどうするのかということも、キチッとした対策を早急に講じなければならないですね。
    経済誌などは、イノベーションだ(>_<) モチベーションだ(-_-;) インスピレーションだ(*_*) サルべーションだ(^O^)(~o~)・・・などと、現場も知らずにカタカナ語を振り回して景気のイイことを言っていますが、実態は本当に厳しいですね。

  • 私たちが降りたホームの隣に泊まっていた列車です。<br /><br />車体には「NANOHANA」と書いてある。その下には、「KYUSYU RAILWAY COMPANY」とある。<br />「どうして英語で書いてあるの? 外人専用車なの?」<br />と思いましたね。<br />日本に観光にやってくる外国人の為だとするなら、チョット違うと思います。日本の文化をこそ見せてあげることが大事だと思います。<br />日本人に見せるというなら、珍しがってもらえる。今でも新たなカタカナ語やローマ字表示が増えている日本の実態からすれば、このようにローマ字化するとチョット良い思いに浸れるかも知れませんね。<br /><br />自分たちの文化をダサイと思い、欧米文化に傾倒する(-_-)。<br />こんなことが、意図的にではなく無意識のうちに私たちの感覚の中に浸透しているんですね。そんな雰囲気の中でカタカナ語を普通に使うようになってしまっていますが、そのことが語彙を貧しくさせ、表現力を低下させている可能性に&#32363;がっているとも言えますね。<br />実際、カタカナ語は使いやすいですからね。例えば「イメージ」「システム」なんて、ホントに使いやすいですよ(~o~)!(^^)! それこそ、『イメージ』で使ってるんですからね。 <br />私の勝手な想像ですが、こうした傾向がないとは言えないですね。そればかりか、そういう傾向は強まりこそすれ、弱まることはなさそうですね。

    私たちが降りたホームの隣に泊まっていた列車です。

    車体には「NANOHANA」と書いてある。その下には、「KYUSYU RAILWAY COMPANY」とある。
    「どうして英語で書いてあるの? 外人専用車なの?」
    と思いましたね。
    日本に観光にやってくる外国人の為だとするなら、チョット違うと思います。日本の文化をこそ見せてあげることが大事だと思います。
    日本人に見せるというなら、珍しがってもらえる。今でも新たなカタカナ語やローマ字表示が増えている日本の実態からすれば、このようにローマ字化するとチョット良い思いに浸れるかも知れませんね。

    自分たちの文化をダサイと思い、欧米文化に傾倒する(-_-)。
    こんなことが、意図的にではなく無意識のうちに私たちの感覚の中に浸透しているんですね。そんな雰囲気の中でカタカナ語を普通に使うようになってしまっていますが、そのことが語彙を貧しくさせ、表現力を低下させている可能性に繫がっているとも言えますね。
    実際、カタカナ語は使いやすいですからね。例えば「イメージ」「システム」なんて、ホントに使いやすいですよ(~o~)!(^^)! それこそ、『イメージ』で使ってるんですからね。 
    私の勝手な想像ですが、こうした傾向がないとは言えないですね。そればかりか、そういう傾向は強まりこそすれ、弱まることはなさそうですね。

  • そんなことはともかく、指宿枕崎線に乗った証拠写真でも撮りましょう(^^)<br /><br />「おかあさん、そこに立って!!」<br />前から見ても、「試運転」以外は、全て英語です。(^o^)<br />私も、もういっぺん英語の勉強をしてみようかな?

    そんなことはともかく、指宿枕崎線に乗った証拠写真でも撮りましょう(^^)

    「おかあさん、そこに立って!!」
    前から見ても、「試運転」以外は、全て英語です。(^o^)
    私も、もういっぺん英語の勉強をしてみようかな?

  • 高見馬場交差点にさしかかった時、ここから南に延びる県道20号線方向を撮ってみました。<br /><br />正面に大きく伸びるビルは、県営住宅のようです。

    高見馬場交差点にさしかかった時、ここから南に延びる県道20号線方向を撮ってみました。

    正面に大きく伸びるビルは、県営住宅のようです。

  • ホテルへ帰って一服した後、シャトルバスで街へ出掛けます(^^)<br /><br />今夜は、どんなお店で、何が頂けるでしょうかね?<br />それは行ってのお楽しみ〜(^_^)(^_^)v<br /><br />写真は、ホテルの玄関横の様子です。<br />右端の壁は、トンネルの壁です。

    ホテルへ帰って一服した後、シャトルバスで街へ出掛けます(^^)

    今夜は、どんなお店で、何が頂けるでしょうかね?
    それは行ってのお楽しみ〜(^_^)(^_^)v

    写真は、ホテルの玄関横の様子です。
    右端の壁は、トンネルの壁です。

  • 昨日も通った「テンパーク通り」です。<br /><br />きょうは日も暮れていましたので、道の両側には綺麗なイルミネーションが輝いていました。<br /><br />この通りの右側にはたくさんの小径があって、美味しいモンをいただけるお店が並んでいますよ。<br />でも、今回はこの通りを通過して、天文館通の方へ行きますよ。

    昨日も通った「テンパーク通り」です。

    きょうは日も暮れていましたので、道の両側には綺麗なイルミネーションが輝いていました。

    この通りの右側にはたくさんの小径があって、美味しいモンをいただけるお店が並んでいますよ。
    でも、今回はこの通りを通過して、天文館通の方へ行きますよ。

  • 昨日もこのあたりをフラフラしていたような気がするけど・・(~o~)。 <br />似たような感じの通りがある門ですから、よそ者の私たちには分かりません(^O^)<br /><br />こうやって、夜の繁華街に出て、当家のカミさんとお店のメニューを品定めしたりして歩くのは、ホントに楽しいですね。ホント、これからは大きな街のど真ん中に泊まって、こうやって歩くのも楽しいですね。

    昨日もこのあたりをフラフラしていたような気がするけど・・(~o~)。
    似たような感じの通りがある門ですから、よそ者の私たちには分かりません(^O^)

    こうやって、夜の繁華街に出て、当家のカミさんとお店のメニューを品定めしたりして歩くのは、ホントに楽しいですね。ホント、これからは大きな街のど真ん中に泊まって、こうやって歩くのも楽しいですね。

  • 「おかあさん、これはどう?」<br /><br />こんなのがちょっと気になって、カミさんと相談(^^)<br />「オイ! ここのお店に入るぞ!!」<br />と言えばいいようなモンですが、それが言えないんですね〜(-_-;)<br />オトコは辛いね〜(T_T)<br /><br />カミさんと相談していたら、通りがかりのおばちゃんが<br />「ここの料理は美味しいよ」<br />って、教えて下さったのです。<br />「そんなら、ここにしよう」<br />おばちゃんの「鶴の一声」で決まってしまいました。「背中を押される」ってこういうことなんですね(^o^)

    「おかあさん、これはどう?」

    こんなのがちょっと気になって、カミさんと相談(^^)
    「オイ! ここのお店に入るぞ!!」
    と言えばいいようなモンですが、それが言えないんですね〜(-_-;)
    オトコは辛いね〜(T_T)

    カミさんと相談していたら、通りがかりのおばちゃんが
    「ここの料理は美味しいよ」
    って、教えて下さったのです。
    「そんなら、ここにしよう」
    おばちゃんの「鶴の一声」で決まってしまいました。「背中を押される」ってこういうことなんですね(^o^)

  • お店に入り、座卓の方に着席。<br /><br />ヒマなもんですから、お店の中を拝見。

    お店に入り、座卓の方に着席。

    ヒマなもんですから、お店の中を拝見。

  • さてと、何にしますかね?<br />メニューを見ている時は一番楽しいひとときでもありますよね〜。<br /><br />でも、何が良いのか分からない(^_^;)<br />お店のお兄ちゃんに聞きましたら、<br />「『わっぱめし』がいいですよ」<br />でした。そう言えば、通りに出ていたメニューにも「わっぱめし」一番上になっていたね。<br /><br />メニューを見て何にするかを決める時も、カミさんの顔色をソッと伺うんですよ。<br />私は「うなぎわっぱ定食」にしたかったけど、1800円とチョット高いから言えなかったね(=_=)「うなぎも良いけど、鮭も良いねぇ」<br />なんて独り言を言っていたら、カミさんがね<br />「おとうさん、うなぎにしたら?」<br />って言ってくれたね!(^^)! 「地獄に仏」とはこのことだね(^-^) 最近、カカア天下も悪くないかな?と感じ始めているんですが、ホント、悪くないですよね(^_-)<br /><br />「おかあさんは何にする?」<br />カミさんは「鮭わっぱ定食」にしました(^^) 鮭も身体に良いですからね。

    さてと、何にしますかね?
    メニューを見ている時は一番楽しいひとときでもありますよね〜。

    でも、何が良いのか分からない(^_^;)
    お店のお兄ちゃんに聞きましたら、
    「『わっぱめし』がいいですよ」
    でした。そう言えば、通りに出ていたメニューにも「わっぱめし」一番上になっていたね。

    メニューを見て何にするかを決める時も、カミさんの顔色をソッと伺うんですよ。
    私は「うなぎわっぱ定食」にしたかったけど、1800円とチョット高いから言えなかったね(=_=)「うなぎも良いけど、鮭も良いねぇ」
    なんて独り言を言っていたら、カミさんがね
    「おとうさん、うなぎにしたら?」
    って言ってくれたね!(^^)! 「地獄に仏」とはこのことだね(^-^) 最近、カカア天下も悪くないかな?と感じ始めているんですが、ホント、悪くないですよね(^_-)

    「おかあさんは何にする?」
    カミさんは「鮭わっぱ定食」にしました(^^) 鮭も身体に良いですからね。

  • 先ずはこれから(^^)<br />これは「小鉢」って言うやつかな?<br /><br />四角なのは、お豆腐です。<br />でも、普通のお豆腐とはチョット違うね。<br />食感も味も良かったですよ。<br />

    先ずはこれから(^^)
    これは「小鉢」って言うやつかな?

    四角なのは、お豆腐です。
    でも、普通のお豆腐とはチョット違うね。
    食感も味も良かったですよ。

  • きょうは、カミさんが一本おごってくれましたね !(^^)!<br /><br />昨日と同じ1合瓶です。 見ると「男山」の(さもと)って言う日本酒なんです。<br />聞いたこともないお酒でした(^^) きっと、高級酒ですよね〜!(^^)!<br /><br />「カカア天下」でも、美味しいお酒を飲ませてもらえる!!<br />亭主の皆さん、希望を持ちましょうね!!(^_^)/~

    きょうは、カミさんが一本おごってくれましたね !(^^)!

    昨日と同じ1合瓶です。 見ると「男山」の(さもと)って言う日本酒なんです。
    聞いたこともないお酒でした(^^) きっと、高級酒ですよね〜!(^^)!

    「カカア天下」でも、美味しいお酒を飲ませてもらえる!!
    亭主の皆さん、希望を持ちましょうね!!(^_^)/~

  • ハイハイ、出てきましたよ〜(^-^)<br /><br />左がね、「貝汁」ですよ! 右が、うなぎの載った「わっぱめし」ですよ!!」<br />なんで「わっぱ」と言うのかが分かりました。薄く仕上げた板を輪っぱにした小型の器(蒸籠=ここでは“わっぱ”)を使っているからなんですね。<br /><br />聞いてみると、御飯と具をわっぱに盛りつけて、強火で何分か蒸すんだそうです。<br />それで、御飯にも味が染みて、御飯と具がシックリと息の合った感じになってるんだ(^^)(具によって、蒸し方はいろいろあると思いますけど・・)<br /><br />どんぶりに御飯を入れて、そこに具を盛ったのとはだいぶ違うね。<br />お味はもちろん良かったですよ(^-^)

    ハイハイ、出てきましたよ〜(^-^)

    左がね、「貝汁」ですよ! 右が、うなぎの載った「わっぱめし」ですよ!!」
    なんで「わっぱ」と言うのかが分かりました。薄く仕上げた板を輪っぱにした小型の器(蒸籠=ここでは“わっぱ”)を使っているからなんですね。

    聞いてみると、御飯と具をわっぱに盛りつけて、強火で何分か蒸すんだそうです。
    それで、御飯にも味が染みて、御飯と具がシックリと息の合った感じになってるんだ(^^)(具によって、蒸し方はいろいろあると思いますけど・・)

    どんぶりに御飯を入れて、そこに具を盛ったのとはだいぶ違うね。
    お味はもちろん良かったですよ(^-^)

  • こっちは、カミさんの「鮭わっぱ定食」です。<br /><br />そうそう、この「貝汁」ですけどね。これがまた、良かったですよ。<br />貝の味って、どこで頂いても美味しいモンですけど、この貝汁も正解でしたね!(^^)!

    こっちは、カミさんの「鮭わっぱ定食」です。

    そうそう、この「貝汁」ですけどね。これがまた、良かったですよ。
    貝の味って、どこで頂いても美味しいモンですけど、この貝汁も正解でしたね!(^^)!

  • 「おとうさん、お酒を持って」<br /><br />どうするのかと思いきや、写真を撮ってくれたんですよ。<br />誕生日には一日早いけど、ま、こんな調子で楽しませて頂きました(~o~)

    「おとうさん、お酒を持って」

    どうするのかと思いきや、写真を撮ってくれたんですよ。
    誕生日には一日早いけど、ま、こんな調子で楽しませて頂きました(~o~)

  • 「男山」って、どこのお酒?と思って見ましたら、なんと北海道は旭川でした。<br /><br />旭川って、ラーメンも美味しかったけど、美味しいお酒もあったんだね。<br />旭川のお酒を鹿児島で飲む(^o^) “生&#37211;”の味わいがますます奥深く感じましたね〜(^^)<br />

    「男山」って、どこのお酒?と思って見ましたら、なんと北海道は旭川でした。

    旭川って、ラーメンも美味しかったけど、美味しいお酒もあったんだね。
    旭川のお酒を鹿児島で飲む(^o^) “生酛”の味わいがますます奥深く感じましたね〜(^^)

  • お店の方もお客さんがどんどん増えてきました。<br /><br />若い女性も多いですし、会社帰りのサラリーマンも来ています。サラリーマン氏とお話しましたら、<br />「ここには時々来るよ」<br />とのお話でした。 お値段的にも550円〜1000円前後のものが結構ありますから、割と気楽に立ち寄れますよね。<br /><br />「わっぱめし」って、鹿児島独特のものかと思っていましたら、何と!!全国各地でやってるんですね。でも、こちらのわっぱ飯は美味しかったですよ。<br /><br />

    お店の方もお客さんがどんどん増えてきました。

    若い女性も多いですし、会社帰りのサラリーマンも来ています。サラリーマン氏とお話しましたら、
    「ここには時々来るよ」
    とのお話でした。 お値段的にも550円〜1000円前後のものが結構ありますから、割と気楽に立ち寄れますよね。

    「わっぱめし」って、鹿児島独特のものかと思っていましたら、何と!!全国各地でやってるんですね。でも、こちらのわっぱ飯は美味しかったですよ。

  • ご馳走様でした(^-^)<br /><br />お腹が満腹になりました(^^) <br />そうそう、お店の前で記念写真を撮らなきゃね!!<br />鹿児島の「貝汁・わっぱめし」。 健康にも良いし、オススメですよ〜。

    ご馳走様でした(^-^)

    お腹が満腹になりました(^^) 
    そうそう、お店の前で記念写真を撮らなきゃね!!
    鹿児島の「貝汁・わっぱめし」。 健康にも良いし、オススメですよ〜。

  • うなぎの載った「わっぱめし」に満足しながら、また夜の街をフラフラと・・(^o^)<br /><br />なんか、同じところばかりを歩いているような?<br />途中、若い女性がリヤカーに載るような小さな屋台風のお店で菓子パンを売っていましたので、カミさんと相談して、二つ買ってあげました。そう、女性には弱いですからね(^_^;)<br />

    うなぎの載った「わっぱめし」に満足しながら、また夜の街をフラフラと・・(^o^)

    なんか、同じところばかりを歩いているような?
    途中、若い女性がリヤカーに載るような小さな屋台風のお店で菓子パンを売っていましたので、カミさんと相談して、二つ買ってあげました。そう、女性には弱いですからね(^_^;)

  • 「おかあさん、ほら、これ、貝だよ!!」<br /><br />牡蠣がある、ハマグリもある、大アサリもある!!もっと大きいやつもある(^^)<br />これは気に入りましたね〜。<br />先ほども貝汁を頂きましたけど、貝は身体に良いんですよね。<br /><br />カミさんと暫く立ち止まって、貝の品定めをしてしまいました。

    「おかあさん、ほら、これ、貝だよ!!」

    牡蠣がある、ハマグリもある、大アサリもある!!もっと大きいやつもある(^^)
    これは気に入りましたね〜。
    先ほども貝汁を頂きましたけど、貝は身体に良いんですよね。

    カミさんと暫く立ち止まって、貝の品定めをしてしまいました。

  • お店の様子はこんな感じで、道路から丸見え。全くオープンなんですよ。<br /><br />気取った感じもしないし、良い感じだよね〜。

    お店の様子はこんな感じで、道路から丸見え。全くオープンなんですよ。

    気取った感じもしないし、良い感じだよね〜。

  • お店の前でカミさんと喋っていたら、お店のお兄ちゃんが来てくれて<br />「如何ですか〜、美味しいですよ!」<br />と声を掛けて下さったのです。<br /><br />「大きな貝がいろいろあって、いいですね〜。こういうの食べたいな〜!! でもね、いま満腹になってきたところなんですよ(^_^;)」<br />「う〜ん、そうなんですかぁ」<br />「貝は身体に良いし、それに大好きなモンだから・・。明日のお昼に来ようかな〜」<br />「お昼はやってないんですよ」<br />「この大きい貝を食べたいし、お昼はお店が開いてない?? 明日の夜は予約してあるし・・(&gt;_&lt;)「・・・・」<br />「とにかく、写真撮らせて・・(~o~)」<br /><br />お兄ちゃんと写真を撮らせてもらったものの、ちょっと煮え切らない感じだね〜(^^;)

    お店の前でカミさんと喋っていたら、お店のお兄ちゃんが来てくれて
    「如何ですか〜、美味しいですよ!」
    と声を掛けて下さったのです。

    「大きな貝がいろいろあって、いいですね〜。こういうの食べたいな〜!! でもね、いま満腹になってきたところなんですよ(^_^;)」
    「う〜ん、そうなんですかぁ」
    「貝は身体に良いし、それに大好きなモンだから・・。明日のお昼に来ようかな〜」
    「お昼はやってないんですよ」
    「この大きい貝を食べたいし、お昼はお店が開いてない?? 明日の夜は予約してあるし・・(>_<)「・・・・」
    「とにかく、写真撮らせて・・(~o~)」

    お兄ちゃんと写真を撮らせてもらったものの、ちょっと煮え切らない感じだね〜(^^;)

  • 「私たちは愛知県から新幹線で来たんだから・・。鹿児島の貝も食べたいし、それじゃあ、明日の夜来てみるよ!!」<br /><br />ということになって、商談成立???(~o~) べつに契約書を交わしたわけでないけどね(^O^)<br />そんなら、私も一緒に記念の写真を撮らせて!!(^^)<br />今度は、お兄ちゃんと3人で・・(^-^)<br /><br />なんか、話が盛り上がっちゃって。でも、すっかり楽しくなりました!(^^)!<br />

    「私たちは愛知県から新幹線で来たんだから・・。鹿児島の貝も食べたいし、それじゃあ、明日の夜来てみるよ!!」

    ということになって、商談成立???(~o~) べつに契約書を交わしたわけでないけどね(^O^)
    そんなら、私も一緒に記念の写真を撮らせて!!(^^)
    今度は、お兄ちゃんと3人で・・(^-^)

    なんか、話が盛り上がっちゃって。でも、すっかり楽しくなりました!(^^)!

  • ホテルに帰ります。<br /><br />遠くに見える大きなイルミネーションは、文化通り交差点付近から見た、鹿児島中央駅の屋上にある観覧車です。<br />また鹿児島に来る機会があったら、この観覧車から写真を撮りたいと思いますね。<br /><br />シャトルバスに乗ってから、??と思いつきました(^O^)<br />「あの貝のお店は何と言うお店だったかな?」<br />「明日来る」なんて言っちゃったけど、お兄ちゃんの顔は見たけのにお店の名は知らない(^o^)<br />まぁ、特徴あるお店だから、行けば分かるけどね。

    ホテルに帰ります。

    遠くに見える大きなイルミネーションは、文化通り交差点付近から見た、鹿児島中央駅の屋上にある観覧車です。
    また鹿児島に来る機会があったら、この観覧車から写真を撮りたいと思いますね。

    シャトルバスに乗ってから、??と思いつきました(^O^)
    「あの貝のお店は何と言うお店だったかな?」
    「明日来る」なんて言っちゃったけど、お兄ちゃんの顔は見たけのにお店の名は知らない(^o^)
    まぁ、特徴あるお店だから、行けば分かるけどね。

  • ホテルに帰って、担当のお兄ちゃんが出迎えてくれました。<br /><br />「鹿児島の街は楽しいところだね」<br />「わっぱめし」のこと、貝を食べさせてくれるお店のことなど、きょうのことをお話したらとても楽しく聞いて下さいました。<br /><br />お兄ちゃんにご報告できることも、また楽しいことでした!!

    ホテルに帰って、担当のお兄ちゃんが出迎えてくれました。

    「鹿児島の街は楽しいところだね」
    「わっぱめし」のこと、貝を食べさせてくれるお店のことなど、きょうのことをお話したらとても楽しく聞いて下さいました。

    お兄ちゃんにご報告できることも、また楽しいことでした!!

  • 「ただいま〜」<br /><br />お部屋へ行く通路の途中に飾ってある絵の中のお姉ちゃんに、ご挨拶です。<br /><br />きょうは8時25分発のシャトルバス乗ってから、列車とバスを乗り継いで知覧の武家屋敷と特攻会館(いずれ別冊にて)を見学しました。結構忙しい一日になりました。<br /><br />知覧武家屋敷は、私たちの感覚ですと「なんでこんな田舎に武家屋敷?」という感じを抱くような場所にありました。しかし、人の暮らしというものは面白いもので「住めば都」なんですね。<br /><br />この地が気に入ったのか、平安時代末期に知覧忠信が、この武家屋敷から約1.4km南に知覧城を構えたというのです。戦国時代から明国(中国)や東南アジアと交易していた形跡まであるというのですから、かなり活発にして発展したところだったようです。<br /><br />九州と言えば西の端っこ。<br />九州に何回も行っていながら、私たちの感覚では炭鉱と八幡製鉄の印象があるだけで、ほかは大したこともない田舎程度に思っていました。でも、ここを訪れて「こんな田舎」なんて言っていてはダメだと思いました。<br /><br />これまであまり考えたこともなかった鹿児島の歴史の一端に触れ、少し興奮している私です。<br />今朝一番に見た桜島の姿を改めて思い起こしますと、そこにも躍動する鹿児島の歴史を見るような感じがしてきたのです。<br /><br />明日は鹿児島市内見物です。<br /><br />−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−<br /><br />鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その1・鹿児島着)<br />http://4travel.jp/travelogue/11120849<br /><br />鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その3・鹿児島市内見物)<br />http://4travel.jp/travelogue/11158179<br />	<br />鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その4・西郷隆盛洞窟)<br />http://4travel.jp/travelogue/11167300

    「ただいま〜」

    お部屋へ行く通路の途中に飾ってある絵の中のお姉ちゃんに、ご挨拶です。

    きょうは8時25分発のシャトルバス乗ってから、列車とバスを乗り継いで知覧の武家屋敷と特攻会館(いずれ別冊にて)を見学しました。結構忙しい一日になりました。

    知覧武家屋敷は、私たちの感覚ですと「なんでこんな田舎に武家屋敷?」という感じを抱くような場所にありました。しかし、人の暮らしというものは面白いもので「住めば都」なんですね。

    この地が気に入ったのか、平安時代末期に知覧忠信が、この武家屋敷から約1.4km南に知覧城を構えたというのです。戦国時代から明国(中国)や東南アジアと交易していた形跡まであるというのですから、かなり活発にして発展したところだったようです。

    九州と言えば西の端っこ。
    九州に何回も行っていながら、私たちの感覚では炭鉱と八幡製鉄の印象があるだけで、ほかは大したこともない田舎程度に思っていました。でも、ここを訪れて「こんな田舎」なんて言っていてはダメだと思いました。

    これまであまり考えたこともなかった鹿児島の歴史の一端に触れ、少し興奮している私です。
    今朝一番に見た桜島の姿を改めて思い起こしますと、そこにも躍動する鹿児島の歴史を見るような感じがしてきたのです。

    明日は鹿児島市内見物です。

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その1・鹿児島着)
    http://4travel.jp/travelogue/11120849

    鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その3・鹿児島市内見物)
    http://4travel.jp/travelogue/11158179

    鹿児島の黒豚を目指して・・(^_^)v (その4・西郷隆盛洞窟)
    http://4travel.jp/travelogue/11167300

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 白い華さん 2016/08/18 11:02:32
    「知覧武家屋敷」の 説明!が 面白くて、 一軒一軒・・・が 懐かしく、思い出されました。
    お早う御座います。
    カメちゃんの、 「お孫さん!同伴・・・の 釜山クルーズ 旅行記」も 気になりながら、 なかなか、お邪魔できなくて、 スミマセン。
    でも、 いずれ・・・コメントを 入れさせてもらいますね。 ゆっくり、じっくり! 拝見させてくださいね。

    私も、 先日・・・「九州へ 行こうか〜 ?」と、 旦那様が 言う。ので、「その気!が 失せない・・・うち。 ちゃっちゃ。と、 飛行機。 お宿など、 予約完了させました」 (笑)

    今回は、 9月初旬・・・の 「大分 3泊4日 レンタカー旅行」に なります。
    私は、「大分は 一県だけ!を じっくり・・・廻ろう」って 長年、p持っていたんですよ〜。
    宮崎・高千穂・・・も、 大分に 合体して、訪問します。

    そんなワケ!で 「長篇 英国旅行記」も、 なかなか、進んでいません。が、 「残り!の コッツウォルズ そして、 大都会!ロンドン・・・は、 見所いっぱい。なので、 二編・・・と 残り!3編」が あります。
    もう、 修行・・・の 境地 ??? 旅行記作り!の 手間暇。 そして、 持続させる・・・精神力。と 大変デス。 (苦笑)

    九州は、 順番通り!の 旅行記作り・・・なので、 もう、 秋頃!でしょうか ?
    また、 ご訪問くださいね。
    ーーーーーーーーーーーーーーーー
    そして、 鹿児島の 旅! 懐かしく・・・拝見しました。
    「知覧 武家屋敷」は、 立派な 生垣!の ストリート。
    どの 家屋敷。も、 ほんと・・・威厳を 感じますヨネ〜。

    「竹で 出来た・・・雨樋」は、 私も、 見て・・・気になっていたんですよ〜。 だから、 カメちゃんの 係員。との お話・・・からの ご説明!に 「へぇ〜。 そうなっているんだ〜」と とても、 勉強になりました。

    ちょっと、 屋根・・・が 空中に 浮いている! 「蔵・・・の 屋根造り」も そう。
    「食料が 蒸されてしまう!のを 防ぐ。のは、 屋根を 取り外してしまう」なんですね〜。
    ーーーーーーーーーーーーー
    ご夫婦で、「武家屋敷・・・の 茶店。 手入れ!の 行き届いた・・・日本庭園を 眺めながら。の 「ぜんざい」は、 美味しかったこと!と 思います。

    日本の、 半年分!の 石油・・・を 備蓄している 「喜入 石油タンク」は、 「海の上・・・の 壮大!な タンク風景」で 驚いてしまいますよね〜。

    また、ハイクラスの  鹿児島『 城山観光 ホテル 』 の 連泊!は、
    街中・・・の 夕食・お食事所探し。も 便利そう!ですね。
    『 わっぱ飯 』 が 美味しそう!でした。
        これからもよろしくお願いします。

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2016/08/18 13:03:23
    RE: 九州は面白いところと感じました。
    白い華さん こんにちは〜(^^)

    知覧の武家屋敷をご覧下さって有り難う御座います。
    去年?いや一昨年から??「誕生日には鹿児島で黒豚を頂く」と言う願望実現のために(^O^) 新幹線を乗り継いで九州まで行ってしまった私達ですけど、久々の九州に改めて歴史やグルメ、人情の面白さ・楽しさを感じてきました。

    武家屋敷もその一つ。
    一つ一つを味わってみると、本当に面白いですね。
    武家屋敷の背景に、鹿児島ならではの外城制なんてものまで見えてきますと、なおのこと面白くなってきます(^^)(このあたりは、別冊で「維新ふるさと館」をたてて触れてみたいと思っているんですけど、いつになるか分かりません(-_-;))

    武家屋敷の一つ一つの姿を見ますと、自然との触れ合い方が面白いですね。
    竹と木でつくられた雨樋には、歴史と共に、竹を切り木を切って雨樋を作る人々の動作や情さえ感じました。「ぜんざい」もそんな感じで味わいました(^^)

    時代の流れが遅い農村では、戦後の昭和20年代まで江戸時代の生活の姿がまぁまぁ残っていましたから、イヌマキ(ホソバ)の垣根、石垣、家や屋根の形ほか、私たちにとっては親しみさえ感じることもありますね。

    時代が急速に変わりつつあるこの頃、このような歴史遺産がいつまでも維持されて欲しいと思います。


    話変わって・・
    白い華さん大分県をご旅行ですか。
    歴史・観光・温泉などなど、行きたいところがたくさんありますから、どこを訪ねるか悩ましいですね。

    英国のリバプール編を拝見しながらも、なかなかコメントできなくて申し訳ありませんね。
    また、ご訪問させて頂きますね。

    有り難う御座いました。
    それでは、また・・(^_^)/~
    カメちゃん
  • ガブリエラさん 2016/05/05 09:46:16
    わっぱめし、大好きです♪
    カメちゃん☆

    おはようございます♪
    きっと、これを読まれる時は、クルーズから帰られたあとですよね(^_-)-☆
    おかえりなさ〜い(^o^)/

    鹿児島は、中央駅のあたりしか行ってなくて、桜島見たいな〜って思いました。
    ホテルから、こんなに綺麗に見えるなんて、素敵ですね♪

    おぜんざい、食べられたんですね!
    おいしそう(*^_^*)
    我が家は、両親とも九州出身なので、「しるこ」ではなく「ぜんざい」なんですよ♪
    小豆たっぷり入った、甘すぎない味が、我が家の味です(*^_^*)

    わっぱめし、おいしいですよね!!!
    奥様が「うなぎにしたら?」って言ってくれて、よかったですね♪
    さすが、優しい奥様!カメちゃんの気持ちを読んで、言って下さったのですね(^O^)
    近くのデパートの催事場で、わっぱめしを売ってると、時々買っちゃいます♪私は、山菜とキノコの入ってるのが好きなんです〜!

    知覧のことは、私も最近まで知らなかったのですが、4トラで拝見して、特攻隊の方々の手紙などのことを知り、「私が行ったら、号泣しちゃうな・・」と思いました。
    きっと、カメちゃんも奥様も、胸のつまるような思いをされたのでしょうね・・・。
    また、旅行記をお待ちしてますね。

    GWは、結局ワンコがおなかをこわしてしまったり、人ごみが苦手なのもあり、近場の買い物くらいでした(苦笑)。
    旅行記作成も、思ったとおりに進まず、焦っています(笑)。
    明日は病院に行くので、今日頑張ろうと思っています!

    クルーズのお疲れが出ませんように!
    ゆっくり休んで下さいね♪
    奥さまにも、よろしくお伝え下さい。

    ガブ(^_^)v

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2016/05/10 14:46:59
    RE: 鹿児島へ行ったら「わっぱめし」もお忘れなく(^^)
    ガブちゃん こんにちは〜

    昨日の夕方帰ってきました。

    釜山へのショートクルーズは、孫と船に乗ることが目的のようなものでしたから、結構楽しめました。 
    とは言え、釜山観光もちょっぴり期待(^^) それが雨と濃霧で期待はずれ(=_=) 
    釜山の地下街を歩いただけで終わってしまいました。
    海外旅行は、これでお終いということです(^^;)

    ガブちゃんのGWは、可愛いワンちゃんのお世話で過ぎてしまったようですね。
    人間の子供でもそうですが、こういう時に体調を壊すんですね〜。それは「GWはどこへも行かずに傍にいてね〜」と言う、ワンちゃんからのサインだったかもね?
    私がカミさんの傍にいたのと同じかも?ですよ〜(^_^)v

    ガブちゃんも鹿児島へ行かれたことがあったんですね。
    でも、これまでの私と同様に、鹿児島市内はあまりご覧になっていなかった(^^;)
    また鹿児島へお出掛けの機会があったら、市内でお泊まりになって、あの桜島をゆっくりご覧になって下さいね。ホント、「鹿児島へ来た!!」って言う思いを、ヒシヒシと感じますよ〜(^-^)

    奈良には、そう言うところがたくさんありますよね〜。興福寺の前の「大仏館」というお宿も、そんな感じを抱かせてくれました。
    愛知県でも、特徴ある景色を楽しませてくれるお宿が何ヶ所かありますよ(^^)。

    うなぎの「わっぱめし」は美味しかったね(^^)
    「ぜんざい」も美味しかった(^-^)
    今回は、「鹿児島で、鹿児島の、黒豚を、いただく(^-^)」という拘りがあったので、ホテルのディナーよりも街へ出て、黒豚のお店を探そうと思っていたのです。まぁ、正解だったかな〜と思っていますよ(^^)
    これからは、街のお兄ちゃん、お姉ちゃん、おばちゃんのお顔を見ながら夕食をいただくことを考えたいと思います。旅の楽しみがまた増えるかもね。

    知覧の武家屋敷は良かったです。
    特攻会館の方では、あのような悲しい遺書を書かせてまで数千人の若者を特攻に行かせたことが、「人を愛する」こととどう繫がるのか? そう思いますと、余計に考えさせられました。
    そんなわけで、特攻会館見学記は「特集」で書こうと思っています。

    ガブちゃんの旅行記、だいぶ進んでいますね(^^)。
    また落ち着いたら、ゆっくり遊びに行きますね〜(^_^)/~

    ありがとうございました。
    カメちゃん

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